アメブロ最初の月末。
思うにここは、短期間にあまりに多くの「急性ブログ中毒」を生み出してしまった。
以前、別のところで書いた記事を再掲する。

慢性ブログ中毒の恐れがあるANNAさん、最愛の彼氏よりもブログにはまりそなdoorさんにトラックバック中♪



病名:急性ブログ中毒(きゅうせいぶろぐちゅうどく)

急性ブログ中毒とは、ウェブログ(通称:ブログ)と呼ばれる形式のサイトを運営するインターネット利用者がかかる中毒症状で、短期間で集中的に多くの記事作成を行うという体験を通じて生じる。命には別状がないものの、長時間にわたるパソコン操作からくる睡眠不足、注意力散漫、肩凝りといった症状がで、悪化した場合には日常生活を営む上で、重大な障害が生ずる可能性もある。

また人によってはドライアイ、めまい、パソコンから離れた環境において情緒不安定な状態に陥るなどの諸症状も確認されている。患者は男女年齢問わず広範囲にわたっているが、他のインターネットサービスに起因する病気と比べ、30代後半から50代といった比較的高い年齢層にも見られることが特徴である。

発症の過程はまだ十分に解明されていないものの、ブログサイト公開直後に、見知らぬ第三者からの「コメント」や「トラックバック」などを受け、それへの対応やさらに期待に応えようとする心理的なプレッシャーなどから、長時間にわたるブログ作成作業やコメントつけに没頭してしまうことが一因と考えられている。

多くの場合、初期段階では本人に軽い自覚症状があり、「最近、ブログにはまっちゃってさ」などと周囲に語るものの、症状が悪化するにともない本人の自覚も薄れ、周囲に対し「お前もブログやれよ」攻撃を加える、職務態度の悪化もしくは会社を休みがちになる、といった状況も発生する。空気感染の心配はないものの、一部では「トラックバック感染」の可能性を指摘する声もあがっている。


≪予防法≫

・症状が現れるまでには多少の時間がかかるため、ブログ開始直後は記事作成の頻度を意識的に落とし、できるだけゆっくり慣れてゆくよう心がける。
・日常生活においてストレスをためがちであったり、心理的プレッシャーが大きな時、失恋直後などには、特に中毒症状に陥りやすいため、そのような環境の場合にはブログから遠ざかるようにする。
・個人差や体質にも大きく左右されるため、一日の記事作成本数は自分の生活ペースに合わせて制限すること。他人に強要したり、「総合・ジャンル別ランキング」などを見て、人と競うことはしない。


≪治療法・応急処置≫

確実な治療法はまだ見つかっていない。
一定期間経過後に症状は自然に緩和することもあるが、会社を休むようになる等、症状の急激な悪化により社会的脱落者になる危険性が高い場合には、一定期間パソコンから遠ざける、もしくはインターネット接続環境を遮断する等の応急処置が必要となる。
ANNAさん3gpabcmbyu-meさんに刺激を受け、真面目に「アラビア語」記事を書いてみようと思った。

さて、日本人にとってアラビア語は難しく、文字も「ミミズがのたくったような」印象がある。エジプト人にそんな話をしたら「日本人に言われたくない」とのこと。・・・アラブ人から見ると、漢字圏の文字ほど理解を超えた存在はないようだ。

さてまずは「ミミズ」呼ばわりされたアラビア文字。
実は難しくなく、たった29文字のアルファベットだ。この数で推察つくと思うが、欧米語アルファベットの「T」に相当する文字、「R」に相当する文字・・・とだいたい同じで、発音もほぼ一緒。なので覚えてしまえば簡単だ。どうして難しく見えるのかと言うと、欧米語の筆記体同様、ひとつの単語は前後の文字と結合して書かれるからだ。

もうひとつの特徴は、欧米語とは逆に「右から左に書く」という点だ。
どうしてこうなったのか?
もともとアラビア文字も欧米語アルファベットの源ギリシャ文字も、先祖は同じ。地中海東岸─今のシリアやレバノンあたりで活躍したフェニキア人が使っていた「フェニキア文字」だ。このフェニキア文字、右から左へ、そして次の行は左から右へ・・・というような牛耕式で書かれることもあったという。大きな石碑に刻む時などは、そのほうが読みやすかったんだろうな。

そしてアラビア語では右から左へという書き方が残ったらしい・・・と習った。

画像はPower Pointで[挿入]-[記号と特殊文字入力]を使って書いたものをGIFにした。ちゃんと2文字目は最初の文字の左に表示され、かつ前後の文字と結合する。面白いので、暇があったら試してみて欲しい。

アラビア語のアルファベット

ちなみにこのブログのテンプレート、BGM付です。
上部の再生ボタンを押すと音楽(全部で5種類)が流れます。
追い詰めた犯人を逃がした上、さらに死体を増やしてしまった刑事が映画の中でこう叫ぶ。

Oh!My God!(オーマイガーッ)

吹き替えや字幕では「おお、我が神よ!」とは訳さないだろう。多分「なんてこった!」とか「マジかよ!」とかそんなニュアンスの日本語にすると思う。

さてアラビア語だとどうなるか。エジプトでは驚いた時とかに叫ぶ言葉のひとつにこんなのがある。

「アッラー!」

意味は一緒、もちろん「神」だ。
ところがこの「あっらー」は、何度聞いても日本語に聞こえるのだ。恰幅のいい陽気なおばさんが何かにびっくりして「あら!」とか「あっらまー」とか甲高い声で言っているように思えて仕方ない。

いつかエジプトで何かに驚く機会があったら、「あっらー」と叫んでみよう。もしかしたら回りのエジプト人が反応してくれるかもしれない。

余談になるが、自分が中東にいた時、アニメの一休さんが放映されていた。一休さんが仏像(釈迦像?)の前で座禅を組む姿をアラブ人がどう理解しているのかは不明。セリフは吹き替えで一休さんはよくお釈迦様に呼びかける時にこう言っていた。

「アッラー!」

もちろん、こんなセリフもごく自然にでてくる。

「インシャーアッラー」
自分には群れを作る習性がない。

しかし一般的に、人間には群れを作りたがる習性があるようだ。特に女性。

例えばツアー旅行。7泊8日という限られた日程。そこでは夫婦や家族、そして女友達同士(男性同士でのツアー参加は稀)いう2人から4人くらいの「ユニット」が集まって2~30人の「団体ツアー」となり、同じバスに乗って観光地を回り、レストランで同じテーブルでワインを開け、そしてホテルの廊下で「おやすみなさい」といって別れる。

それだけの関係なのに、なぜかツアーによっては時に「ユニット」間やユニットを超えた「グループ」間で、反発が発生する。ユニットがご近所さんの夫婦数組とか中規模だと、ユニット内が割れることもあるようだ。

例えば自分が誰かと話をしている。
その中年女性が去ってゆく。

それを近くで見ていた別の女性がさりげなく近づいてくる。

「お土産の話?」
「ええ、ここはいろいろあって悩むんですよ」
「またどこか、特別に連れて行ってってお願いしたんじゃないの?」
「あ、いえ。市場への行きかたを教えただけですから」
「そうやって、自分勝手に動けちゃう△△さんって、ホントうらやましいわね」
「すぐ近くなので夕食までには戻れる場所ですよ。ご一緒に行かれたらいかがですか?」
「あ~ら、私はまあ・・・おほほほ」

そして近くにいた別の中年女性グループに目配せで「ほらまたあの人が勝手に・・・」というようなメッセージを送る。まわりもそれに同意を示すようなジェスチャー。
さらにそのグループに対して「いい加減にしろよな」と冷たい視線を送る人達も。

(・_・;

「あの人って・・・」と誰かへの批判を口にすることで、それに同意する仲間が欲しいのかもしれない。
ツアー旅行を舞台にした火曜サスペンス劇場の一幕を思わせる(←今晩はツアーもの)。

添乗員さんは、そんな群れの中で「争奪対象」となるようで、荒れやすい団体だと朝から深夜まで「陳情」「他の参加者についてのクレーム」を一身に受けている。Aさんがバスの中で無神経に食べているおつまみの匂いが臭い。冷房でバスの喚起がよくないためですね、本当にすみません。Bさんっていつも私達に自慢したいがために高いお土産買って嫌味だと思いません? エジプトはそうそう来れるところじゃないので、買いだめしとかなくっちゃって思う方多いんですよ。私ですら後悔するほど買っちゃいますから・・・などなど。

添乗員さんは20代半ば~後半くらいの女性が多く、当時の自分よりは年上だが、大半の参加者よりはずっと年下の場合が多い。しかし見ていると、本当に保母さんのように明るく公平に、団体全体の雰囲気をよくしよう、参加者全員を仲良くさせよう、と頑張っている。えらすぎ。っちゅか大変すぎ。
「ガイドさんよー。夜うちらな、これいる店行きたいんや」
「小指がいる店ですか?」

なんてボケで返す能力も余裕もない生粋の関東人だが、お客さんからこんな「夜の」リクエストをもらうこともある。多分どこの国でも当たり前に紹介してくれるのだろう。土産物屋を聞くような口調だ。

女の子がいる店・・・。初心な自分だったが、さすがに「女の子が隣に座って水割りを作って接待してくれる」だけの店を指しているのではなさそうなことは口調でわかる。

しかし・・・。
エジプトでは、基本的にまず飲み屋街というのがない。酒屋もほとんどなく、ワインとか買うと、他人にわからないようボトルを新聞紙で包んでくれるほどだ。日本だったら駅周辺に一箇所以上は居酒屋やキャバクラなんかが集まった大小エリアがあることを考えると、大きな違いだと思う。

「うーん、ここはイスラム圏なんで、そもそも繁華街というものがないんですよ。風紀取締りも厳しいんで、夜お酒を飲むならホテル内のバーになっちゃいますね」
「女いるんか?」
「ベリーダンスのショーがあります」
「せやなくて・・・ええっと・・」

納得したようなしないような顔つきのお客さんから離れて歩き出すと、近くの柱に寄りかかって待機していた男性スタッフが声をかけてくる。

「あの客なんだって?」
「夜、女の子がいる店に連れていけって」
「あの太った男だな。黒いシャツの」
「うん。あっ、でも大丈夫。ここはイスラム圏だよって説明してたら、わかってくれたから」

彼は口元だけ動かしてかすかに笑うと、
ちょっと可笑しそうにこう言った。

「アティコ、エジプトだけ特別・・・ってことはないんだよ」

そしてその日本人客のほうに歩いていった。
・・・今、鼻で笑ったな。



§特殊文字の実験中(上記文章とは無関係)

ANNAさんの記事がきっかけで、スペイン語の特殊文字などを文字化けしないようコード入力できないかTRYしたが、
▼上ニョロ(チルダ)のnをコード入力しても変換されない→caña de cerveza caña de cerveza
▼FAQを見たらタグに利用する括弧はコード入力でできるらしい→<
▼ん?ダメジャンということでヘルプにメールしてみたら仕様変更があって<括弧>はそのまま表示できるようになった代わりに特殊文字がだめになったとか
3gpabcmbyu-meさんのところのロシア語をコピペすると大丈夫。エンコードの関係か?→Dо свидания (ダスビダーニャ/さようなら)
▼特殊文字を表示できるよう、再度仕様変更してくれることを要望!
いきなりの5泊6日。
さすがに30人規模の団体バスではなく、お客さん2人だけのプライベートツアーだった。会社的には「最悪でも2人からクレームがくるだけ。新人さんが慣れるのに最適な練習台」ということなのだろう。

「大丈夫よ」

女性マネージャーは明るく言った。

「最初は誰でも失敗するから」

問題はふたつ。

◎案内する場所の大半は行ったことすらない場所だ

ピラミッドとルクソールは(一回だけ)行ったが、その他のアレクサンドリアとアスワン、アブシンベル、シナイ山は未経験。どんなに本で知識を詰め込んだとしても、「文字と写真」という二次元情報と、実際の観光地という三次元空間は別物だ。

◎日程が長く、メッキがはがれそう・・・

もちろん「実は新人ガイドなんです」と言うこともできる。でもそれは許されない。年に一度の楽しみで海外旅行に来る二人だろう。自分同様、何年も思い続けてやっと実現したエジプト旅行かもしれない。そんな一生の思い出となるはずの6日間なのに、ガイドが「初めてなんですぅ」では申し訳ない。

そして、初仕事までの短期間、いったんアラビア語の勉強はストップ。遺跡や観光地に関する英語の本を買いまくり、辞書を引きながらガイド用のノートを作った。小心者ゆえ必死だ。遺跡の見取り図も書き写し、「壁上部にカデシュの戦い(ラムセス2世)の絵」などと朱書きしていった。アレクサンドリアは1泊2日で下見。その他の場所は、訪れたことがある人に話を聞き、頭の中で案内ルートのシミュレーションを何度も行った。

少人数の分、車中での雑談機会も増えるだろう。

「アスワンはさすがに暑いですね。カイロから何キロくらいですか?」
「思ったよりルクソールは小さな町で驚きました。
 人口ってどのくらいなんですか?」

そんな質問が来るかもしれない。インターネットがあったら何の苦もなく情報収集できたろうが、当時は人口を調べる方法もわからなかった。

そして迎えたツアー本番。
ジェントルで初対面で人柄のよさを感じる40過ぎくらいの二人。詳しくは書けないが、うち一人は「日本語より英語が得意」という人だったため、同行するエジプト人ガイドの説明がメインで、一夜漬けガイドの自分は半分ほどしかガイドをしなくて済んだ。ほっ。その代わり、エジプトでの暮らしぶりや、大家さん家族など身近なエジプト人の話などを聞かれるままに話し、添乗員のような役割に特化することにした。

別れるのが寂しく思えてしまうほど濃かった5日間は一瞬で過ぎた。最終日のホテルロビーで挨拶をすませた後、二人は目配せをし、自分の手にドルを握らせた。それは一日分のお給料ほどもあった。

「そ、そんな頂けないです! ほんと拙いガイドでしたし」
「いいの、受け取って。楽しませてもらったから、その気持ち。これからも頑張ってくださいね」

・・・もしかしたら・・・こんな自分でも・・・満足してもらえた?

今思えば、最初のお客さんとして最高の人達に出会った自分がラッキーだったのだが、それを契機に、ガイドという仕事にのめりこんでいった。
「分岐点はどこだったんだろう?」
山川氏のイージー・ゴーイングの中でこう書かれていた。

こういうことがしたいと夢を抱いていた昔の自分がいて、現状がある。その間にたどってきたルートがあるんだけど、時間の経過の中で、色あせてしまったものもたくさんある。今の自分に漠然と納得のいかないものを感じている社会人10年目の今年、いったん仕事をリセットしてエネルギーチャージしようとしているのだが、どうも上手くいかない。

数日前、ただ単に「アメブロを使ってみたい」という理由だけでアカウントを新規取得。さて何を書く? 既にいくつかブログをやっていて、適当なネタがない。ああそうだ。昔に遡っちゃえばいいんだ。学生の頃住んでいたエジプトのことを書こう。そして初回の記事で、過去のエジプト生活をテーマにする理由を自分はこう書いた。

『今の自分の生き方は、あの一年という短期間で形成されたものなんだから』

この一文を入れたために、単にネタでしかなかった「エジプト生活の思い出」が別の意味を持ち始めた。アルバムをひっぱりだし写真を見る。21歳の自分が写っている。初海外で念願のエジプトに渡航した自分。アパートを借りて暮らし始め、興奮したり落ち込んだり、恥ずかしい体験や誇らしい思いを繰り返しながら、一年かけて次第に自信をつけてゆく過程。おととい、やっと当時の日記を発掘した。見つけるのに3日かかったほど、奥のほうにしまいこまれていた。キーボード人間の今では考えられないことだが、丁寧な手書き文字で長い文章が綴られていた。単身海外で暮らすと誰でも感傷的になるのだろう。日本語に飢えているというのもあったのだろうが、日々の出来事だけでなく、内面の思いもかなり書かれていた。・・・うーん、なんか自分じゃないみたいだ。

10年ちょい経過した今の自分には、
初々しい当時の自分がまぶしく見える。
ちょっと気負いも感じられる文体に、くすっと微笑んでしまう。
そしてジェラシーを感じてしまうほどに元気はつらつだ。

21歳の自分はアフリカ大陸の片隅で考えていた。
日本に戻って大学を卒業したら、何をしようかと。
この先、どんな生き方を自分はしていこうかと。
本当に真剣に考えていた。
不思議なことに、そのことを今まですっかり忘れていたのだ。

この10年間のルートが間違っていたとは思わない。
だからもう一度21歳に戻って全部やり直せたら・・・とは思わない。
ただ、あの分岐点に立っていた自分の記憶を掘り起こしてゆくことで、次の10年に向けて、元気よく再スタート切れるかも。

「大丈夫、きっとうまくいくよ。」

山川氏の記事の最後の一行を読みながら、
エネルギーチャージできそうな気がしてきた。

イージー・ゴーイング
研修として同行したツアーは2泊3日で、ギザのピラミッド─ルクソール─カイロ市内というコース。

ピラミッドもそうだが、カルナック神殿や王家の墓など観光名所が密集するルクソールに足を踏み入れたのも初めてだった。

(こんな形でくることになるとは・・・)

ツアー中は必死にメモをとりまくった。当たり前だが、ガイドブックに書いてある「ありふれたこと」を説明しているわけじゃない。

「はい、それではこの壁のレリーフを見てください。違い、わかりますか? 他のが浮き彫りだったのに、ここは深く彫りこまれていますよね。歴代のファラオが前のファラオのカルトューシュを削って自分の名前にしてしまうということが頻繁におきて・・・」

えっと、門を入って10mくらいの右、上から3つめ・・・メモメモ。

「この柱の後ろの絵、地面に膝をついた人達の手、全員後ろで縛られています。これラムセス三世が・・・」

ふむふむ。メモメモ。

さすがベテランガイド。
話に勢いとリズムがあって飽きることがない。戦争奴隷の話、心配性なファラオ、王家の家族・夫婦の確執・・・などネタが面白い。

・・・これを自分、できるんだろうか。
必死にメモをしながら頭が爆発しそうになっていた。
スタッフのエジプト人達と流暢なアラビア語で、ホテルやレストラン、コースについて打合せをしている。どんどん弱気になってゆく自分。

「えらいねー。若いのにこんな所に一人で来て、勉強して・・・。頑張って早くいいガイドさんになってね!」

と、年配のお客さんから励ましの言葉。食らいつくように必死にメモをとる若い「お弟子さん」の姿が印象的だったのだろう。でも本当のことは言えないよな・・・まさか「次から一人前のガイドとしてツアーについちゃうんです」とは。

でも、エジプトのメイン産業でもある旅行業界は、質素な学生生活を送る自分には別世界だった。自腹では絶対に泊まらない最高級ホテル、観光客用の豪華レストラン、バー、高級寝台列車。金製品がキラキラ輝く土産物店。高そうな時計をして、どこか気障なグラサンスタッフ達、日本並みの高給(エジプトとの物価差は5倍以上)、握手をしながら手渡されるバックマージン。背伸びをして大人の世界を覗き見しているわくわく・ドキドキ感があった。

これは度胸をつけ自分を成長させる絶好の機会だ。
頑張ってみよう。

そして記念すべき第一回の仕事が決まった。

「・・・ごっ、5泊6日ですか???」


>>続く


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翌週、メモを頼りに郊外の新興開発地区「ナセルシティ」にある会社へ向かった。

ピラミッドに行ったことすらない。カイロ到着一ヶ月目で、アラビア語も英語もおぼつかない。それで現地ガイドの仕事をしようとしている自分。大使館で働いていた女性に「大丈夫よ」といわれ勇気をだしてみたのだが、今考えてみれば無茶な話だ。

来日一ヶ月目の日本語も英語も下手くそなエジプト人が、東京タワーすら見たことないのに、東京─日光─京都をまわる外国人観光客ツアーの現地ガイドとして、法隆寺や日光東照宮を案内し、聖徳太子の功績を、江戸の歴史を語るようなものだ。

日本人女性のマネージャーが迎え入れてくれた。
ひとことで形容すれば知的美人。微笑みながらきびきびと仕事の説明をしてくれる。垢抜けていない学生の自分とは雲泥の差だった。研修としてベテランガイドが担当する2泊3日のツアーに同行し、次からは一人で回るとのこと。

ええっ!?
いっ、一回きりですか!!??

「ガイドの説明もそうだけど、どういうルートをたどるのかもちゃんとメモしておいてね」

はっ・・はい。

「次からは一人でやらないといけないんだから」

うっ。緊張。

そして遂に研修当日。
真新しい手帳をかばんに詰め込み、ホテルに向かった。
ロビーで合流した「ベテランガイド」の女性は、自分よりずっと年上で妙に貫禄のある「アラブに長期滞在している日本人離れした女性」だった。

小心ものの田舎出身娘21歳。
その時、大先輩の貫禄、いや「迫力」にびびりまくっていた。


>>続く


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それはカイロに到着して一ヶ月ほど経過し、アパートも決まり語学学校にも通い始め、生活すべてがうまく回り始めた頃だった。

日本大使館に在留邦人届を提出しにいき、窓口の女性とアパート探しのトラブルや学校のことを話した後、突然こんなお誘いをもらった。

「ガイドのバイトしない?」
「ええっ?」

なんでも日本の大手旅行代理店が送り込んでくるツアーを引き受けている現地旅行会社(ローカルエージェンシー)が2社あるのだが、日本語ガイドの一人が帰国をしてしまい、補充要員を探しているのだとか。自分がカイロ入りしたのは湾岸戦争が集結したちょい後だったので、確かに日本人は少なかった。

手持ちのお金が潤沢ではなかった自分は、その話に即乗った。

・・・いや、違うな。
多分こんな風に答えたんだと思う。

「ピラミッドすら行ったことない自分には無理なのでは?」
「ガイドブック持っているでしょ。なら大丈夫よ」

ほんとか?

そして、彼女はメモ用紙にそのエージェンシーの電話番号と日本人の女性マネージャーの名前を書き記し、渡してくれた。

自分のエジプトライフを一転させた「なんちゃってガイド」な体験は、
そこから始まった。


>>続く


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