中級以上のホテルではホテル内のビジネスセンターや、ロビーの一角にパソコンを置いて、有料で利用できるようにしているところも多い。ヨーロッパ人観光客がよくメールチェックなどをしている。

ドミトリー方式の安宿でも、部屋をひとつつぶしてインターネットルームにし、街中のインターネットカフェよりも安い料金で長期滞在客に使わせているところがあった(ドミトリー一泊分6~10ギニーというところも多いので、部屋をつぶしてもネットサービス提供のほうが当時は儲かったようだ)

気をつけないといけないのは、日本語のサイトを見るには、日本語を表示するための言語サポートコンポーネントがダウンロードされている必要があるということだ。ちゃんと表示できるかどうか、確認してから利用申込をしよう。街中の中心部だと、恐らく今までも多くの日本人旅行者が利用していると思うので、大丈夫な確率が高いと思うが。

自分でダウンロードするという方法もあるが、途中でWindowsのCD-ROMを求められ、なくてできないという場合もある。自分は「日本語が使えるようにしてあげるから」というバーター条件で、タダ利用したことが1-2度ある(マイクロソフト社のサイトから無料でダウンロードできる)。

試しに、今使っているパソコンでアラビア語のWEBを表示できるようにダウンロードしておくと、「ああ、こういうものなのか」とわかっていいかもしれない。(あ、でも最新のIEとかだと普通に何もしなくても見えちゃうかも・・・)

MSN Arabia(アラビア語版)

あと、海外モバイルするなら、このサイトは要チェックだ。

地球のつなぎ方

写真はCafe de Paris。デパート(街の中心部でそんな大きなところではない)内の半オープンスペースにあって開放的。 
砂漠のオアシスまで行ったらわからないが、エジプトの主要都市でインターネットを使うのは難しくない。3年前に訪れた時には、中心部にいくつかインターネットカフェがあった。

暑い日中は、冷房のきいたカフェでひと休みしながら情報収集するのもいいだろう。場所によるが、主に利用しているのは大学生のようで、そんな一般のエジプト人と知り合ういい機会でもある(女子大学生っぽい人も見かけた/ナンパはしないように)。自分が何度か利用していたのは下記だ。

Internet Egypt(カイロ)
<場所>タハリール広場から5分ほど南西に行ったシモンボリーバル広場(Midan Simon Bolivar)の一角
<料金>15分2.5ギニー(100円)/30分5ギニー(200円)/45分7.5ギニー(300円)/60分10ギニー(400円)
<備考>WEBサイトを見たらナイルヒルトンのショッピングモールともあるので増えたのかも

Cafe de Paris(カイロ)
<場所>ブスターン通り沿いでタハリール通りと交わる辺り(タハリール広場から5分ほど)のデパート地下
<料金>30分4ギニー(160円)/60分8ギニー(320円)

◎クレオパトラホテル内のインターネットカフェ(カイロ)
<場所>タハリール広場に面している/ブスターン通り沿い
<料金>15分2ギニー(80円)/30分4ギニー(160円)/60分8ギニー(320円)

※上記は2001年7月時点なので現在はサービスがなかったり価格変更になっている可能性大
※1ギニー40円換算で計算しているので実際にはもう少し安いかも
※自分はいつも持込パソコンを使ってしまっていたので、店内設置パソコンが日本語利用可能な環境かどうかは不明(場所柄大丈夫だと思うんだけど)

写真はInternet Egypt運営のサイバーカフェ。欧米人の利用者も多かった。コーヒーとか紅茶も飲める。


>>続く


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一般家庭へのパソコン普及はどうなのか?というと、3年前の時点では、まだ非常に少ないように感じられた。ただ、観光省に勤めている知人夫婦は、高校生の一人息子のためにパソコンを買ってあげるべきかどうか悩んでいたので、もちろん給料の数か月分といった金額ではあるだろうが、自家用車を持っている中~上流階級の人であれば手の届く範囲のものになっているようだ。

一方。。。

メールアドレスを持っている人は実に多い。
観光業周辺の人と会うことが多かったせいもあるが、紙切れにメールアドレスを書いたものを渡されて「デジカメの写真はここに送ってくれ」などと頼まれることも多かった。

大部分はが無料メールサービス「HOTMAIL」だ。今はMSN Arabiaができたのでそっちを利用している人も増えたのかもしれないが、当時は米国版のHOTMAILサービスを使っていた。そのため、@以下のドメインは書かず、アカウント部分のみ書きつける人も多い。

そのアカウントがまたすごい。

mohammedXXXXXX@hotmail.com
ahmedXXX@hotmail.com
(X部分は半角数字が入る)

といったように、ファーストネームプラス3桁以上の数字という人ばかりなのだ。
どうも日本人のように「ハンドル名をつける」という発想がないようで、「そのアカウント名は既に利用されています。下記の中からお選びいただくか・・・」というメッセージがでると、そのまま後ろに数字をつけたアカウントを素直に選択するようだ。

しかもアラブ人の名前のバリエーションは少なく、4人に1人は「ムハンマド」とすら言われている。結果、5桁6桁の数字が後ろについてしまうのだ。

元メールマーケ会社勤務の自分は思った。
「スパムメール多そう・・・。ムハンマドに1から10万までの連番をつけたアドレスに、有料アダルトコンテンツ登録の勧誘をするメールをどかんと投げれば、かなり高いコンバージョン率になるんじゃないか??」

あるいは「一桁台ムハンマド」「二桁台ムハンマド」のアドレスを持っている人は、それが自慢だったりするのかもしれない。
3年前にエジプトに再渡航した時のこと。

当時自分は会社をやめた直後で時間もあったので「そうだ、旅行から戻ったらエジプトの情報サイトを作ろう」と思った。そしてバイオC1(小さなノートパソコン)とデジカメを持参して久々のカイロに降り立った。

あらかじめ主だったホテルにはメールを送って、「日本人観光客向けのエジプト情報サイトを作成するので部屋の写真を撮らせて欲しい」と依頼をしておいた。そのため、もともと好きだった「高級ホテルめぐり」をかなり大胆に、ホテル広報担当者の案内で行うことになった(外資系一流ホテルの広報担当ということで、顔もスタイルもばっちりの知的美人揃い!)。

「何か名刺もなくっちゃな」

ということで、勝手に肩書きを「WEBサイトプロデューサー」とした英語の名刺を作った。怪しい。
結局、予定していたエジプト情報サイトは、途中で飽きてしまい、未だホテルDBも作成していないので、結果として騙したようでもあるが、まあ特に広告料を集めたり、ホテル宿泊料金や飲食代を踏み倒したりしたわけではないので許してくれるだろう。「マーレーシュ(ごめん、気にするな)」ってことで。

ルクソールではこんな出来事があった。
中級クラスのホテルをいくつか回った後、街中のレストランでのんびり昼食を食べていると、エジプト人男性が何人かこちらを指差して店の入り口からこちらを窺っている。「なんだ?」と思っていると近づいてきて、「次はうちに来てくれ」「その次は俺のところのレストランも」などと言う。

カルナック神殿や王家の谷などの観光スポットが集中する「ルクソール」は狭い町だ。観光業従事者も非常に多いのだが、シーズンオフの7月中旬で、暇している人も多かった。どうも、そんな人の間で「日本人の女性がホテルやレストランの取材に来ている」と噂が広がったようだ。

「まずっ・・・そんな大層なものじゃないんだが・・・」

と思いつつ、成りゆきなので案内されるままにお邪魔し、ホテルの部屋や店の写真を撮らせてもらい「なんちゃって取材」を行った。

当時撮影したデジカメ写真を見ると、数多くのホテル写真が未公開のまま残っている。今から情報サイト構築を再開するのもしんどいので、とりあえずブログで一個ずつ紹介していこうと思う。
写真は、エジプトからトルコまで2ヶ月ほどかけて旅行し、日本に帰国する直前の荷物(昔の話です)。

エジプト出国時には、肩紐が壊れかかった緑色のデイパックを、左端の赤と紺の縞模様の背負い紐付き布袋に入れて持ち歩いていた。荷物は着替えが一組と洗面用具とカメラ。安宿を転々としながらひたすら歩くタイプの旅スタイルなので、身軽さが何より重要だった。

ところが、ヨルダンやシリアを回っている間に、真鍮のお盆とかいろいろ買い足してしまった。よせばいいのに、シリアでは弦楽器まで購入。トルコでサズと呼ばれるもので、シリアでは「クルド人の民族楽器」と説明されていた。素人がぽろぽろ奏でるだけでもいい音がでる。

そしてついに持ちきれなくなって購入したのが、黒いビニールの車輪付バッグ。下半分のファスナーをくるくるっと締めると、高さを二段階に調整できる。買った時は写真の半分の最小サイズで十分だったのだが、トルコでも買い増しをし、最大容量が必要となってしまった。

+++

布製のずた袋をかつぎ、エジプトで買ったちゃちな靴を履いて旅行していた自分は、どこから見ても「アジア人出稼ぎ労働者」。イスラエルでアラブ人のバスに乗って動いていた時も、軍の検問で「外国人はいないか?」などと若い兵士が聞くと、運転手や前のほうの乗客が「フィリピン人が一人乗っている」「フィリピンの坊主が後ろに・・・」など口々に説明をする。
(おいおい短髪だからって勝手に男にするなよ・・・)

兵士が近づいてきて英語で話しかける。

「フィリピン人、パスポートをだせ」

無言で日本のパスポートを手渡すと「なんだ日本人か」ではなく「お前なぜ日本のパスポートを?」という疑いの目で見る。勘弁してよ。

黒い大きなビニールバッグが加わってから「出稼ぎ労働者度」はさらに強まった。夜行バスの中でクロアチアの女性(戦禍を逃れてシリアに来ていた)が全財産が入った財布をなくして大騒ぎしていた時も、まっさきに自分が疑われた。

「あのフィリピン人が怪しい」
「こんなに俺達が騒いでいるのに寝たままというのは変だ」
(・・・だって今目を開けたらマジで怖いことになるじゃんか)

結局、女性の椅子の下に落ちていた財布が発見されたおかげで吊るし上げられることなく済んだが、出稼ぎ労働者として世界各国で懸命に働き、本国に仕送りを続けるフィリピン人達に、心から同情した。

ちなみに空港で計量したら全部で30kgもあった。
3つのバッグは、今でも記念にとってある。


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海外旅行にトラブルはつきもの。でも正直、帰途のフライトに乗り遅れた経験はない。
次の便まで5日だぁ?
ホテル代も出さないだとぉ?

ここでガックリ肩を落とすヤワな日本人ではない。なんと言っても、一年間のエジプト生活で鍛えられている。

やるべきことは唯一つ。

ひたすら怒鳴る。
制止されても怒鳴る。
アラビア語、英語、日本語全部取り混ぜて大声で怒鳴る。
弱気にならず、最後まで怒鳴る。(←このテンション維持が難しい)

チケットオフィスに連れて行かれた。
とりあえず今何とか対処するからそこで座っておけといわれる。
しかし20分たっても30分たっても、放置状態だ。

再噴火。
勢いよく立ち上がってカウンターに両手を乗せ、後方にひっこんでいる責任者の女性に向かって怒鳴る。

「ワタユードゥーイン? どうなってるか説明しろ! ビソラー(早く)!!」

窓口をふさいで他のお客さんに迷惑がかかることは承知の上だ。
実際、エジプト人も店などとトラブルが起きるとこんな感じでひたすら怒鳴りまくり、他のお客さんに向かって「聞いてくれ・・・ひどいんだ、こいつらは・・・」とやや大げさに訴えたりするので慣れっこだ。周囲への配慮を最優先とする日本だったら、確実に眉をひそめられてしまう出来事だが。

結局、2日後の東京行きを押さえる事ができ、さらにその後再噴火をして、2日分のホテル宿泊代金の負担とそこまでの車の手配をさせた。ホテルに到着したのは空港に到着してから5時間後のこと。

・・・怒るって疲れる・・・。

怒って!怒鳴って!ストレスを解消する!ブログ



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それは3年前にエジプトに再渡航した時のこと。
半月ちょいの滞在期間はあっという間に最終日を迎え、居心地よかったホテルのオーナーやスタッフ達と別れをし、行きつけだった近くのちっちゃなカフェ(お洒落なのじゃなく店頭にシャワルマがある地元ファーストフード)でいつもサンドイッチを作ってくれた老人にも帰国の挨拶をしに行った。

「それなら空港まで送ってあげよう。うちの近くだから」

そういうと、派手な赤い車を転がしてきて、郊外にある空港まで送ってくれた。帰国直前の最高の思い出だ(ちゅうか、あんな立派な車を持ってる人とは知らなんだ。オーナーさんだったのね)。

その前日に乗ったタクシーは、自分がアラビア語を話すことを知ると妙に喜んでくれ「代金は受け取らない」とまで言う。毎回タクシーに乗るたびに相場の何倍もの言い値からの交渉に疲れていた自分にとっては、驚愕の出来事だった。

いろいろトラブルもあったけど、終わりよければすべてよし。
エジプト最高!

とルンルン気分でチェックインカウンターに向かった。
しかし・・・カウンターの男性スタッフはチケットを見せると肩をすくめて「もう乗れない」という。ええ!?ちゃんと余裕もってきたはずだよ!!

当然のように食い下がる自分に、スタッフは二本指を揃えて「ヒューッ!」と音を立てて飛行機が飛び立つジェスチャーをした。

「もう飛んでちゃったよ」
「!!」


絶句するという状況を久しぶりに体験。飛行機の出発時間が変更になっていた。
そして一度目の噴火。

「聞いていない。リコンファームもした。全面的にそっちのミスだ」
「わかった。新たに予約を入れてあげよう」
「何時?」
「来週の金曜日」(←5日後)
「!!」

そして二度目の噴火。


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>>続く


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スターバックスはどの国でも価格が大体同じなので、例えば北京のスタバは結構高級。マクドナルドはその国の他の物価に合わせたプライシングなので、「マックバーガーがいくらか?」が、バックパッカーなどにとって一つの現地物価水準の物差しになっている──と語っている人がいた。確かにそうかも。

しかし、カイロのマクドナルドは当時、やや高めだった。なので学生が大量にたむろしているというよりは、20代のおしゃれなカップルがデートコースで立ち寄ったりしている印象があった。

写真の赤い看板には「マクドナルド」とアラビア語で右から左に向かって書かれている。どの文字が何に当たるのか、暇な人は下記サイトで調べてみよう。

アラビア語のアルファベット


その下の黄色い横断幕には、アラビア語と英語アルファベッドでこう書かれている。

MACDO

そう! エジプトでは“マック”ではなく“マクド”。
「その短縮形は英語的に変」と関東人から馬鹿にされる大阪・関西方式なのだ!

他にはケンタッキーフライドチキンやピザハットも多数の店舗を展開している。ギザのピラミッド前に鎮座するスフィンクスの視線の先には「ケンタッキーフライドチキン スフィンクス店」があって、欧米や湾岸諸国からやってきた旅行者でいつも賑わっている(「スフィンクス店」と印字されたレシートを記念に持ち帰る人も多いらしい)。ちなみに2階はピザハット。よくあんな場所を押さえられたよな・・・。アメリカ資本恐るべし。
圧倒的な軍事力の差。

まるでTVゲームか映画の中の出来事のような空爆リアルタイム実況中継戦争は、わずか43日後に集結した。

そしてその後、イラクの荒廃にとどまらず、サダムフセインが大義のひとつとして「パレスチナ解放」を叫び、そしてパレスチナ住民がそこにほんの一瞬希望の光を見出してしまったという不幸な出来事から、パレスチナ問題の先行きにも暗雲が立ち込めた。

ペレストロイカ。
湾岸戦争。
ベルリンの壁崩壊。
相次ぐ東欧の政変。
ユーゴ紛争。

80年代末から90年初頭にかけて、冷戦という国際秩序が崩壊する中、世界はきしみながら時にマグマを吹き上げながら動いていた。そんな世界の片隅に自分はいた。

そして春、大学3年を目前にした自分はパワー・ポリティクスを主テーマとする国際政治理論のゼミに申込んだ。面接では、厳しい目でじっとこちらを見つめる教授。緊張・・・でも言っておかなくっちゃ。

「実は・・・休学手続きに成功したら、4月以降に一年休学してエジプトに行く予定です」
「ゼミはどうする?」
「帰国してから2年間、ここで勉強させてもらいたいんです」

教授は、一瞬の間をおいて真面目な顔で言った。

「中東という地域はね・・・」
「はい」
「日本人の女の子が誘拐されて売りとばさちゃうんだよ」
「は、はいぃ?」
「で、踊り子とかにさせられちゃうんだ。そんなことになったらどうする?」
「・・・?」

初対面の教授の・・・これは冗談?
どぎまぎしながらその場は何か適当に答えたのだが、後で知った。実は本当に自分のことを心配してくれていたらしい。たかが20歳の世間知らずの女の子が、海外旅行経験もないのに「今、自分の目で見ておきたいんです!」などと言って無謀にも情勢不安定化しているエリアに行こうとしている。大丈夫なのか??と。

結局、面接はパスし、1ヶ月ちょっとの間ゼミに参加させてもらってから休学をした。教授は最後まで心配をしてくれた。筆不精な自分だが、エジプトから1-2度、手紙を書いた。

今年、退官された教授。厳しい面があったり個性的だったりして苦手だという人もいたが、私はとっても好きだった。

+++

あ、ちなみに親は結局、最後まで全く反対しなかった。
なんでも、もし娘が海外で事故に巻き込まれ帰らぬ人になったら、「悲嘆する親の声」をとろうとマスコミが自宅に押しかけるだろうから、

「その時はあそこにロープを張って、
 マスコミをシャットアウトしよう♪」


とか真剣に考えていたらしい。
うーん、そんな心配はしなくていいと思うんだけど、お母さん・・・。
「一年ばかし、エジプト行ってくる」
「あっ、そう。気をつけてね」

二泊三日で伊豆旅行にでかけるのと訳は違うので、こう簡単にはいかない。まあ、うちの親は放任主義で、基本的に「自己責任でやりたいことをやれ」という方針なので反対される心配はなかったが、20歳の(多分)かわいい娘のこと、できるなら安心させておきたい。 

「エジプトってアフリカにあるんでしょ。治安は? 生活は大丈夫なの?」
「おかあさん、まだ日本がちょんまげ時代で、“くのいち”が寝首をかくって思い込んでいる外国人もいるんだよ(本当)」
「へえ、そうなの」
「中東一帯は石油マネーで一気に近代化して、高層ビルも立ち並ぶ大都会なの(部分的に本当)」
「あら、そんななの」
「エジプトはアフリカ・中東一帯の経済の中心地でヨーロッパからもすぐだから(本当)、首都カイロは東京とそんな変わらない所なんだ(うーん、ちと嘘かな)」
「へえ」

そうして翌年4月から一年休学してエジプトに行くための準備を着々と進めていた頃(単にバイトでお金貯めてただけだけど)、事件は起こった。

イラクのクウェート侵攻。

パパ・ブッシュの演説姿と一緒に、茶色く砂埃に覆われたバグダッド市内の風景や、白い長衣(ガラベーヤ)に身を包み髭を生やした男性達が激しい叫びとともにデモ行進をするカイロ市内やかなりカオス状態のパレスティナの風景がテレビを通じてお茶の間にがんがん流れた。

大丈夫、東京と一緒だから・・・。
治安まったく問題なし・・・。
近代的なビルが立ち並ぶ大都市・・・。

私が積み重ねてきた説明は、日に日に崩れていった。
そして年が明けて1月、遂に湾岸戦争勃発。

「ねえ、本当に大丈夫?」
「・・・」


>>続く


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