フェイスブックを国に例えれば、すでに世界で3番目の人口を持つ大国であるという意味だ。全世界での利用者は6億人に届こうとしている。世界のインターネット人口は約20億人と言われているから、その4分の1以上の人々がフェイスブックを使っているのだ。
フェイスブックとは何かと言えば、ネットを使った交流の仕組みだ。特徴的なのは、自分をインターネットの内側に置くという点だろう。これはどういうことかというと、既存のネット社会ではハンドルネームや、アメブロで言えばアメピグのようなアバターを使って、仮の姿の自分を表現する。生身の自分はあくまでネット世界の外側なのだ。
その一方フェイスブックは、ハンドルネームではなく実名を使う。リアルな社会と同様に友達や家族、同僚とつながる世界だ。そこには仮の姿ではなく、自分そのものがある。もともとフェイスブックは大学内で学生同士が交流することを目的にはじまった。誰と誰が恋人で誰が”フリー”なのか、などなどプライベート情報が公開される。写真入りで見られたらなかなか楽しいことだ。こんな世界が”一般”にも解放されただけだ。
知り合い同士が会話をしたり、近況を報告しあったり、商品やサービスを薦めあったり、写真や動画を見せ合ったり、一緒にゲームを楽しんだり。言ってしまえばそれだけなのだ。リアルな世界で普段なにげなくやっている行動をネットの世界でやっているにすぎない。だが、そこにはネットの世界とリアルの世界の壁は感じられない。ネットだけでもない、リアルだけでもない新たな世界だ。
ところで世界的に広まっているフェイスブックだが、日本での利用者は185万人にすぎない。ミクシィの利用者が2200万人程というからその10分の1以下だ。匿名を基本としたSNSが広まっている日本では戸惑いを感じる人は多いだろう。個人情報の流出などのニュースをよく耳にすることからも、”実名”を晒す=自分を晒すことに抵抗を感じるのは当たり前だ。実際、自分もフェイスブックのアカウントを持っているが、このブログで”じょにお”を演じている方が、気楽で良いと思っている。橘玲はナッシュ均衡の理論を用い、この状況を説明している(facebookと私)。フェイスブックが実名にこだわる理由がよく分かる。
様々な問題はあるのだろうが、フェイスブックという世界ははまだまだ拡大していくだろう。自分をネットの内側に置くという新たな世界は、自分を外側に置く通常のネットよりビジネスに直結しやすい。フェイスブックに蓄積された個人の行動履歴や趣味嗜好などのデータに連動させた広告が、グーグルを脅かす存在になるだろうことは容易に想像できる。確実な本人がネットの中に存在すれば、物販や決済にも便利だ。ネット世界のプラットフォームのスタンダードになる可能性も高い。それは新しい世界のインフラだ。そんな未来を予感して、今多額のマネーがフェイスブックに集まっており、スピードが加速している。
だが、日本の社会にフェイスブックが浸透するにはまだしばらく時間がかかるだろう。異文化を受け入れるにはそれなりに時間が必要だ。ツイッターのような軽いコミュニケーションは日本人の肌にあったのだろうが、実名を基本とする重いフェイスブックではまた話は別だろう。僕が自分のフェイスブックのアカウントを公開するのもまだ先だ。もうしばらく、気軽な”じょにお”を演じていようと思う。
フェイスブックとは何かと言えば、ネットを使った交流の仕組みだ。特徴的なのは、自分をインターネットの内側に置くという点だろう。これはどういうことかというと、既存のネット社会ではハンドルネームや、アメブロで言えばアメピグのようなアバターを使って、仮の姿の自分を表現する。生身の自分はあくまでネット世界の外側なのだ。
その一方フェイスブックは、ハンドルネームではなく実名を使う。リアルな社会と同様に友達や家族、同僚とつながる世界だ。そこには仮の姿ではなく、自分そのものがある。もともとフェイスブックは大学内で学生同士が交流することを目的にはじまった。誰と誰が恋人で誰が”フリー”なのか、などなどプライベート情報が公開される。写真入りで見られたらなかなか楽しいことだ。こんな世界が”一般”にも解放されただけだ。
知り合い同士が会話をしたり、近況を報告しあったり、商品やサービスを薦めあったり、写真や動画を見せ合ったり、一緒にゲームを楽しんだり。言ってしまえばそれだけなのだ。リアルな世界で普段なにげなくやっている行動をネットの世界でやっているにすぎない。だが、そこにはネットの世界とリアルの世界の壁は感じられない。ネットだけでもない、リアルだけでもない新たな世界だ。
ところで世界的に広まっているフェイスブックだが、日本での利用者は185万人にすぎない。ミクシィの利用者が2200万人程というからその10分の1以下だ。匿名を基本としたSNSが広まっている日本では戸惑いを感じる人は多いだろう。個人情報の流出などのニュースをよく耳にすることからも、”実名”を晒す=自分を晒すことに抵抗を感じるのは当たり前だ。実際、自分もフェイスブックのアカウントを持っているが、このブログで”じょにお”を演じている方が、気楽で良いと思っている。橘玲はナッシュ均衡の理論を用い、この状況を説明している(facebookと私)。フェイスブックが実名にこだわる理由がよく分かる。
様々な問題はあるのだろうが、フェイスブックという世界ははまだまだ拡大していくだろう。自分をネットの内側に置くという新たな世界は、自分を外側に置く通常のネットよりビジネスに直結しやすい。フェイスブックに蓄積された個人の行動履歴や趣味嗜好などのデータに連動させた広告が、グーグルを脅かす存在になるだろうことは容易に想像できる。確実な本人がネットの中に存在すれば、物販や決済にも便利だ。ネット世界のプラットフォームのスタンダードになる可能性も高い。それは新しい世界のインフラだ。そんな未来を予感して、今多額のマネーがフェイスブックに集まっており、スピードが加速している。
だが、日本の社会にフェイスブックが浸透するにはまだしばらく時間がかかるだろう。異文化を受け入れるにはそれなりに時間が必要だ。ツイッターのような軽いコミュニケーションは日本人の肌にあったのだろうが、実名を基本とする重いフェイスブックではまた話は別だろう。僕が自分のフェイスブックのアカウントを公開するのもまだ先だ。もうしばらく、気軽な”じょにお”を演じていようと思う。






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