望んでいた離婚をした私は、未だ反省を出来ずにいた。
どちらかというと、「諦め」の状態に近かった。

「ここを出ても行くところはない」

当時、妻子がある身でありながら、付き合っていた女性とも終ったと思っていた。そりゃあ、そうだろう。誰が好き好んで犯罪者と付き合いたいと思うだろうか?

「私の一度しかない人生も終わった…」
そう考えていた。

ある日、「〇〇、面会だ」と言われ、行くとなんとそこには気丈に振る舞う彼女がいた。

姿をみた途端、人目も憚らず、互いに号泣していた。
彼女は見捨てなかったのだ。後に聞いた話では、「私が支えなければ」そう思ったという。

初めて自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしていた。それからというもの、彼女は献身的で、一週間に一度のペースで面会にきてくれた。特に嬉しかったのは、本の差し入れと、煙草だった。それと、生活を切り詰めながら、確保してくれた現金。留置場では、まだ、煙草が吸えた。房の外にでられる「毎日15分の運動間」に吸うことができた。それが楽しみだった。

束縛される中でも、唯一の存在した自由だった。

警官ともいろんな話をした。「あなたはここに来るべき人じゃない」散々言われた。

房ではすることがない、というより「やるな」と言われている状況で、できることと言えば「トレーニング」「読書」しかなかった。
読んだ本は、小説と、飯田史彦先生の「生きがいシリーズ」
これは、私が営業マンだった時、「親を説得するため」の手段に使うため、部長が紹介してくれた「スピリチュアル」の入門編とも言える本で、彼女から差し入れてもらったものだった。
反省の薄かった私が、「今こそ読まなければ」と義務感にかられた本だった。
皮肉にも、これが私の運命を左右することになることになるとは、思いもよらなかった。
それは突然だった。
予想してなかったわけじゃない。ただ、覚悟はなかった。
「回覧板です」
その朝はいつもと違っていた。出勤準備をしていた私は、耳慣れないインターホン越しの声に、玄関を開けた。
同時にドアの開けた隙間に靴の爪先がネジ込まれ、「○○だな?警察だ!」
何が起こっているかわからなかった。
その場で正座させられ、「○○時○○分、ガサ開始」
逮捕状を読みあげられ、手錠をかけられた。
押収品の目録にサインさせられ、拇印を捺印した。
状況が飲み込めたのは、このときだ。
私は前科者となったのだ。
同時に社会的な地位、信用、家族を失った。
破滅へのカウントダウンは既に始まっていたのだ。

連日続く取り調べ。同じことを何度も聞かれた。
当初はすぐに解放されると踏んでいた。だから、「言い分を封印」した。
ところが、拘留期間が延長され、再延長され、「逃走の恐れあり」と言われた時、唖然とした。

「警察は人を見ているのではない」

彼等にはそんな能力はない。彼らは「罪人」と「被害者」の区分けを彼らの視点において、判断しているだけだ。その証拠に作成された調書は一方的で、私の意思など何も反映されてはいない。しかし、それを呑まなければ早くに釈放はされない。だから、私は理不尽さを呑み込んだのだ。

これがきっかけとなって、難航していた離婚協議は進展することになる。
逮捕されたことで、私の妻は離婚を決意したようだ。
思い返せば、我儘な夫だったし、ダメダメの子ども達の父親だった。

「長男は、警官になりたいんだそうです。その父親が逮捕されて、どうするんですか?」
下の娘は「パパはなんで帰ってこないの?嫌いになったの?」
母親からの手紙で知った。身に詰まされる言葉だった。
ただ、、私は庭や妻を愛せなかった。離婚を意識したのは結婚して僅か二週間後の話だ。それでも、子供がそれを思い止まらせていた。だが、七年で限界だった。家庭内別居の末に、離婚協議は難航し、互いの主張は平行線だった。
このため、私の逮捕は決定打となったのだろう。
実は「人のせいにしていいことは何もありません」

だだこれは、「責任」がないということではありません。

「学び」という観点でいうならば、「何も悪いということはないし、何をしてもよい」のは事実なのですが、それは「善悪のの観点が学びにはない」からです。
我々は物質世界に生きる以上、その制約を受けるのは当たり前で、それを否定して「世捨て人」になる必要はどこにもありません。

普段の生活の中にこそ、学びがあるのです。

いかに学び、いかに成長するか。問われるのは「誰かとの比較ではなく、自分自身の人生を通じてどう成長するか?」だけなのです。