それは突然だった。
予想してなかったわけじゃない。ただ、覚悟はなかった。
「回覧板です」
その朝はいつもと違っていた。出勤準備をしていた私は、耳慣れないインターホン越しの声に、玄関を開けた。
同時にドアの開けた隙間に靴の爪先がネジ込まれ、「○○だな?警察だ!」
何が起こっているかわからなかった。
その場で正座させられ、「○○時○○分、ガサ開始」
逮捕状を読みあげられ、手錠をかけられた。
押収品の目録にサインさせられ、拇印を捺印した。
状況が飲み込めたのは、このときだ。
私は前科者となったのだ。
同時に社会的な地位、信用、家族を失った。
破滅へのカウントダウンは既に始まっていたのだ。

連日続く取り調べ。同じことを何度も聞かれた。
当初はすぐに解放されると踏んでいた。だから、「言い分を封印」した。
ところが、拘留期間が延長され、再延長され、「逃走の恐れあり」と言われた時、唖然とした。

「警察は人を見ているのではない」

彼等にはそんな能力はない。彼らは「罪人」と「被害者」の区分けを彼らの視点において、判断しているだけだ。その証拠に作成された調書は一方的で、私の意思など何も反映されてはいない。しかし、それを呑まなければ早くに釈放はされない。だから、私は理不尽さを呑み込んだのだ。

これがきっかけとなって、難航していた離婚協議は進展することになる。
逮捕されたことで、私の妻は離婚を決意したようだ。
思い返せば、我儘な夫だったし、ダメダメの子ども達の父親だった。

「長男は、警官になりたいんだそうです。その父親が逮捕されて、どうするんですか?」
下の娘は「パパはなんで帰ってこないの?嫌いになったの?」
母親からの手紙で知った。身に詰まされる言葉だった。
ただ、、私は庭や妻を愛せなかった。離婚を意識したのは結婚して僅か二週間後の話だ。それでも、子供がそれを思い止まらせていた。だが、七年で限界だった。家庭内別居の末に、離婚協議は難航し、互いの主張は平行線だった。
このため、私の逮捕は決定打となったのだろう。