『高堂巓古 Officia Blog』 -91ページ目

軀の生成意味論 三十五

photo 2.JPGphoto 2.JPG 天地人。太古、天しかなかったのだが、寂しがり屋だったのか、その後に天は地をつくった。このような神話的昔話はどこの土地にも比較的視られる物語で、人は天と地のあいだに生まれた三番目の存在となる。したがって、ここから人は天地における送受信システムに過ぎないという考えが生まれるようになった。波動の法則やら引き寄せの法則やらのマザーモデルである。要は、


私たちは或る種のアンテナに過ぎないのだ。


 陰陽学では、掌を天に向ければ陽、掌を地に向ければ陰となる。茶道においても、この視点はふんだんにとりいれられており、例えば、水をくむときは掌を上に向けた情態で柄杓をとる。陰の水を陽の所作でむかえているわけである。何を申しあげたいのかと云うと、人の形というのはそのままアンテナになり得るということなのだけれども、そのプラグはやはり足の裏になるのだとおもう。アース感覚がたしかであれば、軀というのは氣象そのものに姿をやつす。すなわち、今受信している、或いは、送信している波動やら周波数やらが倍増することになる。地は蹴るのではなく、感じるもの。だから、地に足つけた生活が肝要なのである。