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ビジョンクエストの”I”

NPO法人ビジョンクエストの”I”のブログです。

想ったこと、感じたこと、気づいたことを、なんとな~く書いていきま~す♪

前回のつづきですが・・・


というわけで、生まれて初めて葬儀を行う側になったわけです。

深夜0時頃から葬儀屋さんとの打ち合わせがスタートしました。

告別式やお通夜の時間を決めたり、祭壇の規模を決めたり、これから必要なことをいろいろ聞きました。


葬儀屋さんが帰ってから、すぐに写真(遺影)選びです。

打ち合わせの時、父が「以前に行った葬儀で、スナップ写真を何枚か引き伸ばして、来客の待合室に掲示しているのを見た。あれをやりたい」と言い出したので、そのためのスナップ写真も10枚選ばなければなりません。

これが結構大変でした。

父は写真の思い出にふけり、同じ場所へ行ったときの写真を何枚もチョイスするのですが、10枚という制限がある以上、いろいろな母の様子を選んだほうが良いだろうと、弟と私で止めなければなりません。すると父は「保険証を探さなイカン」と、うろうろし始めます。事故ですから病院は自賠扱いで保険証はいらないのですが、そう説明しても動かずにいられないようです。まぁ、落ち着くのは無理だろうと思ったのでほうっておいたら、今度は私が整理している写真を引っ掻き回す始末。本当に気が動転していたんだろうなぁと思います。


遺影用の写真とスナップ写真10枚を選び、次に葬儀に出席する親族のリストを準備します。焼香順を決めたり、食事の用意をするためのものですから、最終的なものはお通夜の後に整理すればよいのですが、うちは親戚がとっても多いのです。母は7人兄弟、父は5人兄弟ですから、それぞれの兄弟とその配偶者、子供達(私からみるといとこ)が40人近く・・・。それをひととおり洗い出し、お通夜に来てくださったときに告別式への出席と火葬場へ行くか否かを確認しなければなりません。父と弟は仮眠をとりましたが、そういった作業をなんとなく任された私は結局眠らないまま朝を迎えました。


早朝から噂を聞いた近所の人がやってきます。よく朝の散歩で一緒になるという人が「玄関が空いてるから起きてるかと思って声かけた~」と何も知らずにいらっしゃったときは、どう説明してよいやら・・・。


次に私がするのは喪服を探すことです。「まぁ、喪服が必要になったらお母さんに聞けば良いや」と実家に置きっぱなしでした。他の着物の場所はだいたいわかるのですが、喪服は母にまかせっきりだったので、どのあたりにあるかさえわからないのです。多分2階の六畳間か三畳の小部屋だと思うのですが、行ってみるとそこは倉庫と化していました。母はボランティアで古着を海外へ送ったりしていたので、その溜まった衣類やどこからか貰ってきたらしい雑多なもので埋まっているのです。予想はしていましたが、手をつけることもできず喪服は断念しました。葬儀屋さんとの打ち合わせのとき、喪服のレンタルもあると聞いていたのでそれで済ますことにしました。真夏なので後のクリーニング代を考えるとその方が良いかもしれません。


バタバタしているところへ、事故の加害者の方が保険屋さんと一緒に来ました。ちょうど父と弟はお寺に葬儀の打ち合わせに行っていたので、叔母と二人で迎えました。不注意とはいえ事故ですから、いまさら加害者を責めても仕方ないと思ってはいるのですが、彼女が手を合わせて謝罪の言葉を母にかけるのをみていると、「あぁ、この人さえもっと注意していたら、母は死ななかったのに」という思いがこみ上げて、どうすることもできません。ちょうど電話がかかってきて出たのですが、声が震えて半分嗚咽のようになってしまいました。

いてほしくなかったので「今、あわただしいので、これで・・・」と帰るように促したのですが、「お父様にご挨拶を」と言うので、叔母に任せて私は台所へ引っ込むことにしました。そのときが一番、私の感情が震えたときだと思います。父と弟が戻り、少し話をしてから彼女は帰りました。


それから葬儀屋さんが来て湯灌をし、白装束に着替えさせてくれました。湯灌の時は、そこにいる親族がひとりずつ”ひしゃく”を左手に持って逆手に湯を少しずつかけます。宗派によって違うのかもしれませんが、子供の頃ひしゃくを逆手に使おうとして叱られたことを思い出しました。


皆で般若心経を唱えてこの家との最後のお別れをし、棺に納めて斎場へ出発しました。


なんか、こんな話読んで誰がおもしろいんだろうと思い始めてしまいました。やっぱり、やめておけば良かったかも。でも、途中でやめるのも何なので、以降はもっとあっさり書こうと思います。できるかどうかは別にして。


では、また、つづきは次回に。




東京は一昨日から夜になると、雷とどしゃぶりの雨が続いています。時間は短いので、暑さしのぎには良いのですが、庭のお花は雨の強さにうなだれています。


さて、7月7日に再開して、1ヶ月近くたちました。

その間に、なかなか重い出来事があって、ブログに書くかどうか迷ったのですが、やっぱり書くことにします。


実は7月に実家(名古屋)の母が交通事故で他界しました。

母は朝、10時頃に近所のエアロビクス教室へ行くため、近所の人と自転車ででかけたそうです。家から数十メートル先、最初の交差点で車にぶつかりました。運転していた人は、「とまれ」の標識で止まったということですが、1台の自転車をやり過ごした後、左方向を確認しないまま発進してしまって、母の自転車に気付かず、ぶつかったそうです。

家にいた父も駆けつけたのですが、車の右前輪にはさまれていて頭から出血していることもあり、ひっぱりだすこともできなかったそうです。近所の人が救急車を呼んでくれて、レスキューの方が母をひっぱりだし、救急病院へ搬送しました。かなりの出血だったそうです。


私は土曜日で家にいました。そこへ弟から「お母さんが交通事故で集中治療室へ入院した」との電話がありました。ただ、すぐに駆けつける必要があるかどうかわからなかったので、必要なら連絡してくれと言って電話を切りました。

それから1時間ほどして、また弟から電話があり「医者の話では脳の損傷がひどくて、難しいらしいから来てくれ」とのことでした。

実は、その間私は何の準備もしていなかったんです。どうしても”交通事故で母が死ぬかもしれない”という実感がわかないんですよね~。

ただ、弟の話ではそうなる可能性が高いということで、それから荷造りを始めました。


もし、そのまま葬儀ということになった場合、やはり黒っぽい服装が必要だろうとか、一応喪服も持っていこうとか、数日東京へ帰れないかもしれないから、その間の仕事の手配をしておかなくてはとか・・・。ともかく、あれやこれや考えていると、どっから手をつけていいかわからない状態だったんですね。

落ち着いているようで、今考えるとパニクッてたんだと思います。


しかも、洗面所でふと自分の髪をみると白髪まみれではないですか!

私は20代の頃から白髪が多くて、今は染めないと根元がグレイヘアーという状況なのですが、ちょうど翌日曜日に美容院で染める予定だったのです。この髪で親戚の人に会うのか~、と思って悩んでしまいました。

ただ、美容院に行けなかったときのために、家には毛染めも買ってあります。問題は時間でした。


ひとしきり悩んだのですが、その段階では荷造りがまったく進んでいなかったので、毛染めをしている時間(40分くらい)を荷造りにあてればなんとかなると判断して、なんと毛染めを決行してしまいました(母が危篤だと言うのに!)叫び


毛染めも終わり、荷造りも一応終わって、夫に連絡を入れ、バスの時間を確認して出発です。

そこでまたもや大失敗。土曜日なのに平日のバス時刻表を見てしまったのです。結局バス停で12分待ちしました。そのため予定していた新幹線が1本遅れることに。


電車に乗り換えたとき、弟から電話が入りました。どうやら私からの連絡が遅いのにいらだっていたようです。私は弟が病院につめているため携帯に電話しても繋がらないだろうと思って、到着予定の時間をメールしていたのですが、見ていなかったようです。そこで「到着予定は○時頃だけど、メールしたよ」と言うと、「わかった。名古屋駅まで迎えにいくよ」と言うので、「そっちも大変だろうから、迎えにこなくても良いよ」と言うと、「そんな状況じゃないんだよ。ともかく急ぐから迎えに行く」と言われました。


私はどんなにあせっても電車が速くなるわけじゃないと思うのですが、現場にいる弟にしてみれば気持ちがあせってしまうのでしょう。悪いことをしたと思いますが、その時はどうしようもありません。予定の新幹線に乗り、名古屋へ着くまで遠隔でリコネクティブヒーリングをしていました。


予定時刻に名古屋駅に着いたのですが、弟がいません。携帯も繋がりません。道が混んでいるのかと思いましたが、20分待っても連絡がありません。ひとりで病院へ向かうこともできますが、迎えに行くと言われていたのでともかく連絡をとろうと病院の電話番号を調べてかけてみました。病院で電話をあちこちまわされている間に弟から電話がありました。


「たった今、息を引き取りました」とのことです。私は「あなたはどこにいるの?」と聞くと、「○○病院」と怒鳴りかえしてきます。「じゃ、そこへ行けば良いのね?」と言うと「うん!」と言われて、わけもわからず地下鉄で病院へ行くことにしました。


名古屋の地下を歩きながら、もしやと思い当たることがありました。それは、私は到着時刻を知らせたメールに「迎えにこなくてもいいよ」と書いたのです。その後、弟から電話があり、彼が「迎えに行く」と言うので来るものと思っていたのですが、彼は電話の後でメールをみて「迎えに行かなくて良い」と判断したのかもしれない、ということです。ありえそうな話です。しかも私は地下鉄で間違って逆方向の電車に乗ってしまい、次の駅で乗り換え、病院のもより駅に着いたときも夜間入り口が見つからず大回りしてしまいました。


そしてやっと病室へ着くと、父と弟をはじめ親戚の人達が10数人待っていました。母が亡くなってから少し時間が経っていたので、皆それなりに落ち着いていました。

そのとき私は、「あぁ、私は修羅場に立ち会いたくなかったのだな」と思いました。もし、メールの行き違いがなかったら、もっと早く支度ができていたら、バスの時刻を間違えなかったら・・・。その全てが、私は皆が落ち着いてから登場したかったのだと思いました。実際、母は事故後一度も意識を取り戻さなかったので、死に目に会えなかったという感覚はありませんでした。


まだ、機械がついたままの母に会いましたが、どうにも亡くなったという実感が得られないのです。悲しいとかつらいとかの感情にもなりません。あまりにも突然ですし、亡くなったのだと思おうとしてもうまくいきません。

端から見たら、かなりあっさりした別れだったかもしれません。


担当の医師が来て臨終の宣言をしました。

交通事故のため、警察官による被害状況の記録があり、その後看護婦さんが清拭してくださるということで、別室で2時間近く待ちました。

その間に私は葬儀屋さんの連絡先を調べて連絡し、弟は家に戻って近所の人と母を迎える準備をします。


清拭が終わってから母と一緒に病院の霊安室へ移動して、簡単な見送りの儀式を行い車で実家に戻りました。夜11時をまわっていましたが、いつものおっさま(お坊さん)が待っていてくださり、お経をあげてもらいました。


そしてこれから葬儀屋さんとの打ち合わせが始まります。

つづきは次回(暗い話ですみません)ブタネコ

はぁ~、ほとんど七夕ブログですねぇ~。ブタネコ


あまりいないとは思うのですが・・・お待たせしていた方々、申し訳ありません!

約1年ぶりの更新です。


この1年、結構いろいろありました。

でも、結局1年前の7月7日に書いた「のんびり」のコップが手放せず、情けないことです。

怖くて、ブログを開くこともできませんでした。


でも、7月7日は2年前にブログスタートした日。

今日、再開しなければ砂時計と数日前から思っていました。


最近の懸案事項は四十肩叫び三月中旬から左肩が上がらず、いろいろ治療もしているのですが治りません。一時期は雨の日に痛みがあったのですが、今は普通にしていれば痛くはありません。でも、横には60度くらいしか上がらないし、前も90度くらいで、それ以上は痛くなります。それから、妙に家のドアとか柱とかに左肩をぶつけて、痛さに動けないこともあります。


この間は庭の草取りをしていて、ミミ○と遭遇(雨雨あがりだったからねぇ~)。びっくりすると人って腕を上げるんですねぇ(バンザ~イかに座となる)。無意識に左手を上げたものだから、肩の痛みが「ズッキーン」。草取りはとても続けられませんでした。

でも、やっぱり庭が気になるので、数時間後に草取りを再開。そして、またもや遭遇。しかもダブルで!我が家は田舎の方にあるので、ミミ○もすっごくでかいのです。長さは40cmくらいで濃い茶色でヌルヌルした感じのがダブルよ。

で、再び両手を上げてしまいましたかに座(痛いよ~)。


2度にわたる遭遇で、これは草取りをやめろというメッセージと理解しました。

確かにオステオパシーの先生には「炎症を起こしているから肩に力を入れないように。荷物も持たないように」と言われていたのですが・・・。

その後、草取りはできず、今年の我が家の庭は草ボウボウ状態ですクローバー

早く治って自由になりた~い!!


さぼり明けだと言うのに、年寄りの愚痴みたいなブログになってしまいました~。ごめんなさい。

再度、ブログ継続にチャレンジしますので、皆様よろしくお願いしま~すブタネコ

今日は散歩に出かけました。

我が家から車で10分くらいのところに多摩御陵があります。よく車で近くを通るのですが、中へ入ったのは初めてでした。

入り口を入ると両側に杉(らしき木)がまっすぐに伸びていて、なかなか良い感じの場所でした。

多摩御陵1


じゃり道をどんどん進んでいくと、道が二つに分かれていました。


御陵というくらいだからお墓があることはわかっていましたが、誰のお墓なのか全然知らなかったんですね。で、適当に一方の道を進むと、そこには大正天皇のお墓がありました。その隣には貞明皇后のお墓も。石作りの大きなドーム型のお墓で、手前に鳥居があり、周りは緑に包まれていました。


多摩御陵2

もう一方の道を行くと、そこには昭和天皇と香淳皇后のお墓がありました。上の写真は香淳皇后のお墓です。

なんとな~く、気の整った場所って感じがしました。明治天皇を祀った明治神宮(御陵ではないですが)と比較すると、落ち着いて優しい印象です。


遠くから雷鳴雷が聞こえてきました。

実は、私は”雷”が好きなんですよねぇ~。ちょっとワクワクラブラブしてしまうのです。

でも、しばらくすると今度は大粒の雨雨が!!傘もないので駐車場までずぶぬれで歩いたのですが、夏の雨ですからそれも心地いい気分でした。

雷は「天啓」、雨は「浄化」って感じ・・・むふふ音譜

だからどうということはないのだけど、なんだかとっても気持ちの良い散歩でしたブタネコ

週末に友人が泊まりに来ました。

彼女は数週間前に体調を崩して、病院で腸炎の診断を受けたそうです。その後4日間仕事を休み休養したのですが、熱が下がらず、解熱剤を飲みながら仕事をしている、と言うのです。

病院からは整腸剤も貰ったので、お腹の調子は少し良くなってきたらしいのですが、解熱剤を飲まないと毎日38.5℃くらいの熱が出てしまうとのこと。そんな熱が出てる状態で、解熱剤を飲みながら何日も仕事していたら大変ですよね~ガーン


私は39℃を超えるくらいでなければ解熱剤は飲みません。肩まで布団に入って寝て、いっぱい汗を出せば、翌日にはたいてい熱は下がります。逆に微熱の方が下げにくい(つい無理して仕事に行ってしまう)と思っていたので、話を聞いて驚きました。

熱がでるというのは、身体の免疫機能が病気(ウィルスとか)と闘っているからですよね。解熱剤を飲むというのは熱は下がりますが免疫機能を低下させてしまうのではないかしら?


でも、病院ホテルで薬を出されれば「飲まなきゃ!」って思っちゃいますよね~。それでも『症状を緩和する薬』って注意した方が良いと思います。それが本当に必要なのかどうか。

大病をして病院に詳しい友人の話では、お医者さんは「聞かない限り教えてくれない」のだそうです。まぁ、毎日たくさんの患者さんを相手にしてるんだから仕方ないとも言えますけどね。

解熱剤は頓服だからたぶん”熱が高いとき”に飲むよう指示があると思うんだけど、この”熱が高い”ってのはいったい何度以上なのかしら?


それから彼女は若い(20代)から薄着なのよねぇ~。だから、我が家では腰巻(夏の巻きスカートみたいなの)をつけ、靴下をはき、首にはスカーフを巻いて過ごしてもらいました。

腰と首と足首を暖めるのが重要なのよ~合格

病は”冷え”から来るって言うけど、つまり血行不良が原因。首と足首を暖めるのは、脂肪が付きにくいところだから冷えやすくて血行不良が起きやすいから。冷房の中で薄着をするのは本当に危険なことなのだ。気をつけようブタネコ


結局、彼女は解熱剤を飲まずにぐっすり眠ることにしました。翌朝、また熱が出そうだったので解熱剤を飲もうとしたのを止め、少し様子をみてもらったところ熱は上がらなかったようです。仕事が休めず熱が出れば解熱剤を飲むしかないから、どうなったかと後日メールで尋ねました。

帰って数日は身体がきつかったそうですが、薬は飲まなかったそうです。そしたら3日目には熱も出ず、すっかり具合が良くなって、食欲も出てきたそうです。彼女の免疫機能が頑張ってくれたんですね。ヨカッタ、ヨカッタビックリマーク

7月14、15、16日の三連休は、寝正月のような三日間でした。

実は、金曜日に車が車検切れということに気づき、あわてて車屋さんに連絡したのですが、今度の水曜日まで無理ということで、その間車に乗ることができなくなったのです。

我が家は郊外の住宅地(?)にあるため、車で3分くらいは走らないとコンビニもありません。まぁ、片道20分歩くつもりになら良いですが、台風で雨風も強くて結局丸三日、私は一歩も家をでませんでした(庭には少しでましたけど)。


TVやDVDを観たり本を読んだり、動かないのでお腹もあまり減らず、さすがに最終日に食料がなくなって、夫が原付バイクで近所のスーパーへ行きました。私はバイクに乗れないので買い物を頼んだのですが、スーパーのポイントカードを渡して「あれと、これと・・・」と言ってると、なんかアッシー(もう古い?)気分音譜

でも、よく考えたら彼はペーパードライバーなので、普段は私がアッシーでした・・・ブタネコ


催眠療法で美肌作りのワークのおかげか、5月の中旬から6月中旬の1ヶ月で3kg体重が減って、ずーっと維持していたのに、この3連休で1kg増えてしまいました。叫び 早く戻さなくちゃ!!




私は仕事に行くとき、1時間近く電車に乗っています。ほとんど熟睡状態なのですが、時には本を読みます。最近読んでいるのは、『「神」に迫るサイエンス BRAIN VALLEY研究序説』です。

これは、『パラサイト・イブ』を書いた瀬名秀明氏の小説『BRAIN VALLEY』に書かれた「科学」の各ジャンルを第一級の研究者達が最新の知見ととにも解説したガイドブック・・・なのだそうです。


実は、私は『BRAIN VALLEY』を読んでいません。読んでいない本のガイドブックを読むってのも変ですが、なぜか家にあった(夫のもの?)本をかばんに入れて仕事にでかけたので、他に読む本もなく読み始めてしまいました。

目次からジャンル(?)を書き出すと「脳科学・・・」「心の遺伝子」「人工生命」「霊長類学」「脳型コンピュータ」「UFO」「臨死体験」とあります。

まだ、「脳科学・・・」を読んで「心の遺伝子」の途中ですが、専門の研究者が書いているのですから、専門用語とかがあって難しいです。まぁ、眠りに入るには丁度良いかも・・・ですが。


その「脳科学・・・」を読んでおもしろかったところがありました。それは『心・意識は脳の特殊な活動である』と定義している点です。つまり「心・意識と脳は別なもので、互いに独立している」という二元論的な考え方は古いと捉えています。そこを読んで、科学者にはこういう人が多いんだろうなぁ、と少々否定的に感じました。つまり、形あるもの、証明できるものだけを正しいと考える。


ただ、読み進めていくと次のような文章がありました。

『自由意志と脳活動の関係に関するデータ。1980年代初期に行われた研究だが、その実験では「手を動かそう」という自由意志と脳活動との時間関係が調べられた。もし脳とは独立した「何か」(魂・霊?)が脳の活動を引き起こすとすれば、「手を動かそう」という意思は、脳活動に先立つはずである。しかし、事実は逆で、「手を動かそう」という意思とは、手の動きに関する脳活動が現れてから、しかも、あるレベル以上に大きくなった後に現れることがわかったのだ。「後に」であって「前に」ではないのだ。』


どうです?まず脳が手を動かす信号を出し、それから「手を動かそう」と人は想うのだから、想いは脳活動の結果現れるものということでしょうか。なるほど~、ですよね。

でも、どこか違う気がしてボーッと考えてみました。


そして想ったんです。

ここで「手を動かそう」と想ったのは顕在意識と考えて良いでしょう。では、潜在意識はどうでしょう?「手を動かそう」とする場合、それなりの理由があると思うんですよね。その理由は顕在意識では気づいていないことかもしれないけど、私達の身体はいつもいろいろなことを感じて、それに反応しています。確かに顕在意識で「手を動かそう」と自覚したのは脳より後でも、それが『心・意識は脳の特殊な活動である』とは思えないんですよねぇ~。


また、心や意識が脳より上位にあるとも想っていないんです。以前、ある人が「DNAは見える魂、魂は見えないDNA」とおっしゃったのを聞いたことがあります。その正否はわかりませんけど、物質と非物質が別次元で共鳴しているって感覚に妙に納得してしまうんですよね。


私は学者じゃないから、「なんとな~くそう想う」ってことを大切にしても良いですね。でも、いろいろ考えてたら最初は否定的に感じた学者さんの意見も、「そういう考え方からみつかる何かもあるんだろうな」と想うようになりました。ブタネコ


去年の7月7日にブログをスタートして、丸1年経ちました。

と言っても、4月、5月、6月は全く記事を書かずに過ごしてしまいました。その間もいろいろあったのですが、書く気持ちになれなくて・・・。でも、今日からまた、少しずつ書いていこうと思います。


2月と3月に書いた「催眠療法で美肌作り」のグループワークは4月に終了し、自分で言うのも何ですが、少し綺麗になった気がしますラブラブ 

グループワークがとっても良かったので、催眠療法の初級セミナーを受講することにしました。月に2日ずつの全6回、3ヶ月コースです。


一番面白かったのは、自由と愛と物質(物とかお金とか地位とかね!)のコップの話ワイン

人は自分が本当に欲しいものがわかっていなくて、物質のコップにお水を貯めているのに、愛のコップにもお水が欲しくなる。愛が欲しいなら、物質のコップをどかして愛のコップに注げば良いのだけど、本当は物質も欲しいから、結局どっちも満足できない・・・って話です。

例えば、仕事を頑張っててキャリアを積んでるときに、友達の結婚式なんかにでて「私このままで良いのかしら?結婚したいな~」なんて思うとかね。

そんなときは、自分が今欲しいのは「自由か愛か物質か?」って思うと良いらしい音譜

仕事を頑張って物質に満足してから、次の愛(または自由)を求めたっていいわけ。つまり順番にコップをいっぱいに満たしていくの。

まぁ、世の中には愛や自由の方が物質より価値があると思っている人もいるけど、物質に満足することもとっても大事なことよね。


でも、私は自分が今どのコップに水を貯めているのかよくわからなくて・・・。そしたら、もう1つコップカクテルグラスがあるって!?

それはね、「のんびり」ってコップなの。この「のんびり」ってコップは曲者で、底に穴があいているらしいのです。だから、「のんびり」のコップはどんなに水を貯めようと思っても量が増えない。何も起こらないコップなの。

「げぇ~、私、のんびりのコップを差し出してる!」って思ったわ。


セミナーが終わってもなかなかのんびりのコップから脱出できなくて、特に梅雨時雨は気圧が低くて体調が良くないんだけど、だら~っとしています。

でも、一昨日友人と食事をしたら、別れた後に「久しぶりに会ったけど雰囲気が変わった。優しくなったみたい。薄皮が一皮向けた感じ。」ってメールが来ました。友人も「セミナーに参加したせいかも」と書いてましたが、とっても敏感な人なので彼女の言葉は信頼できます。その日は体調もいまいちだったので、予期せぬ言葉ですっごく嬉しかったです。


本当に変化したかはこれからの私次第だと思うけど、もっと勉強していこうと思っています。

では、これからもよろしくブタネコ

今日は良いお天気だったので、草取りをしました。

我が家の東側は7mの高さの石垣になっていて、落下防止のために柵が取り付けられています。ただ、その向こう側にすっごく草が生えるんですよね~叫び

去年の夏には背丈より高い草が生えてしまったのですが、柵があるために抜くこともできず、結局業者さんに頼んで処理してもらいました。でも、業者さんも根っこから処理することができず、カッターのようなもので出ている茎を切って処分してくれただけでした。

そのままじゃ、今年の夏もまた同じことの繰り返し。。。除草剤はあまり使いたくないし。ずーっと対処法を考えていたんです。


草あり2
この柵の向こうに手が入らないところが問題なんですよねぇ~。今年は暖かいから、まだ3月なのにこんなに生えてます。でも、ほうっておくとどんどんひどくなるので、いよいよ手をつけることにしました。


冬中考えていた方法は、手前の土をスコップで掘って、柵の下から草を根こそぎ取る作戦です。ひらめき電球

ただ、それもすっごく大変でした。家の土地は粘土質でしかも大小の石が土に混ざっているので、すぐ石に当たってしまいます。それでも頑張って掘っていくと、草の根っこがでてくるのですが、それが絡み合ってなかなか抜くことができません。力を入れて土を掘り起こすので、右手の手のひらの皮が丸く剥けてしまいました。あせる


それでも、最初1時間くらいで止めようと思っていたのが、もうちょっと、もうちょっとと進めるうちに、結局2時間くらい草取り(土堀り?)を続けてしまいました。単純作業ってはまるんですよねぇ~。ちょっと瞑想的になってたかも音譜

ただ、私は土の中にいる「みみ○(フルネームで呼びたくないので、しゃべるときも「みーちゃん」って言うのです)」って生物が非常に苦手なのです。細長い動物が駄目みたい。ブタネコ

だから、土の中から太目の根っこがでてくると、「もしや?」と思って凝視します。今にも動き出すような気がして・・・。

以前、庭の草取りをしているときは、巨大な(30cmくらい)のが出てきて、飛んで逃げたこともあるんですが、最近あまり雨が降ってなかったせいか、対面することはありませんでした。ちっちゃな虫むしや団子虫はいっぱいいましたけどね


草なし

そして、草を抜いただけではまた生えてしまうので、そこにレンガを敷き詰めます。これがまた結構重くて・・・。以前、ホームセンターで買ったのですが、草取りが面倒で、ずーっと車の中に積んだままだったんです。それを駐車場から運んで、傾いたり隙間が空いたりしないように並べるのに1時間かかりました。

造園業者さんから「草クローバーが生えるのは、日が当たるから」と言われたので、こうして土を覆ってしまえば、生えてこないはず!!!と思ってるんですけど、夏になってみないとわかりません。

草なし全体

今日は本当によく頑張りました。草取り2時間、レンガ並べに1時間・・・。

でも、失敗が2つブタネコ

ひとつは、草取りに出る前に洗濯を始めていたんです。ちょうど1時間くらいで終わる予定だったから、草取りが終わったら干そうと思っていたのですが、コロッと忘れてしまって3時間。セーターがしわしわになってしまいましたしょぼん

もうひとつは、頑張りすぎて腕が痛い痛い。部屋に戻って水分補給をすると同時に、腕を冷やしながらストレッチビックリマークでも、今もまだ痛いんです。


柵の向こうには桜のつぼみがほんのりピンク色になっていました(写真は距離が遠くてうまくとれなかったのですが)。

もうすぐ春ですね~。我が家のまわりにはソメイヨシノ桜や八重桜がいっぱいなので、今年も楽しみです。

この柵は家の東側で、ものすごく日当たりが良いのです。春になったらこのスペースに花を植えようかと思っています黄色い花ヒマワリチューリップ赤



「催眠療法で美肌作り」の2回目のグループワークに行ってきました~。


今回は、具体的な肌のトラブルや悩みがどこからきているのかをみつめるワークでした。肌のトラブルも、自分に対するメッセージ手紙という考え方ですね。


まず、自分の顔の悩みからひとつを選びます。問題がいっぱいありすぎて迷ったのですが、最終的に目の下の隈にしました。

セラピストの誘導が始まって、自分の中に小さな自分をイメージし、その小さな自分が顔の裏側から目の下の隈を観察します。私の場合は、”こんにゃく”のように弾力があってこげ茶色の塊が左右の目の下にあるように感じました。そこから扉を開いて中に入ります。

すると小さな子供が膝をかかえて座り込んでいました。その子を観察してから、こんどは前世への扉を開きます。


最初よくわからなかったのですが、竹林の中にいるような気がしてきました。どうやら前世の私は武士で、その竹林の中でこれから切腹するところのようです。(なかなかドラマチックでしょブタネコ


なぜそのような状況になったか、時間を遡っていくことになりました。

お城の中なので、どこかの大名に仕えている武士のようです。自分では国のために正しいと想うことを信念を持ってやっていたのですが、同僚や上司に疎まれ、何かの失敗の責任を押し付けられてしまったようです。彼は自分に責任があるとは思っていないのですが、両親やまわりから責任を取って切腹するよう説得されます。自分をわかってくれない、かばってくれないと、親を恨む感情も感じられました。


そのときセラピストから、まわりにいる自分以外の誰かに入って、客観的に自分をみるという誘導がありました。私は、悩んでいる自分をみつめる父親の中に入ることにしました。父親は、口では「家のために死んでくれ」と言っていますが、心の中ではとてもつらい想いをしています。そして「お前がもう少し周りをよくみて、相手の気持ちを感じていれば、こんなことにはならなかったろうに・・・」と言う気持ちで私をみつめていました。


また自分に戻ると「自分は間違っていない」「どうしてわかってもらえないのか」「助けてくれないのか」という気持ちでいっぱいでしたが、結局その時代のしきたりやまわりの意思に流されて、切腹することに同意しました。そして最初の竹林のシーンに繋がります。その時の悔しさや悲しさ、辛さを感じて、少し涙ぐんでしまいました。汗


最後に、前世の自分から今の自分へのメッセージは、「まわりの力に屈して、あきらめてはいけない」というものでした。

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目の下の隈から、こんな深~いメッセージがもらえるなんて、おもしろいでしょうビックリマーク

目の下の隈は、やはり仕事と繋がりがあるようにも感じます。

前世の自分からのメッセージ、また父親からのメッセージを大切にしていきたいと思いました。

でも、やっぱりセラピストさんの誘導がうまいなぁ~コスモス