告別式の話ですが、かなり飽きてきたので今回で終わりにします。
告別式の前に親族の写真撮影をしました。一軒だけ、私が時間の連絡を忘れていたため遅れてきましたが、なんとか間に合い、全員で撮影できました。ちょうと全員集まっていたので、その場で私から、今日の焼香順と座席の説明をしました。
告別式は滞りなく進みました。
最後のお別れをして棺を閉じ、バスで火葬場へ向かいます。
お骨になるまで、火葬場の控え室で待つのですが、そこには附属の飲食所があります。ちょっとした料理や甘味、飲み物などが無料で食べられます。
父は前日からほとんど食事がのどを通らず、朝食もあまり取っていなかったのですが、なぜかこのときばかりは飲食所へ行きました。帰ってくると「カレーとラーメンを食べた。○○さんがところてんも持ってきてくれたが、さすがに全部は食べられなかった。」と言います。控え室に残っていた私と弟は、それを聞いてちょっとあきれてしまいました。火葬場から帰ったら、すぐ初七日の料理が待っているので私達は食べにいかなかったのですが、父はとても嬉しそうです。確かにこういうときは、カレーやラーメンの方が食欲がでるのかもしれません。
炉から出た骨をみても、あまり感情はありませんでした。ただ、以前手術で埋め込んだボルトが右足のあたりにあって、それがとても大きかったのが印象的でした。それから生まれて初めての骨上げをしましたが、人が多くてあわただしく、儀式というより手順という感じです。
バスで斎場に戻って、初七日の法要を営みます。その後、皆で食事をしました。夜中に選んだスナップ写真は大きく引き伸ばして、来客の控え室に貼ってあり、皆でそれを見ながら思い出話をしました。
食事が一段落したころ、ある伯母にこんなことを言われました。写真撮影の後、私が大声で全員を引きとめ、その後焼香順と座席の説明をしたことについて、「普通、あんなことは斎場の人がやると思っていたわ」。
・・・・絶句してしまいました。
私は葬儀を滞りなく行うために走り回っていたので、「全員集まったところで伝えれば効率が良い」と考えたのですが、端からみたら家族は悲しみに打ちひしがれているものであって、取り仕切るものではないのかもしれません。
なんだか、一気に疲れてしまいました。
葬儀は無事にすべて終了しました。
でも、最後の一件だけは私の心に残りました。
数日後、自宅に戻っていろいろ考えました。
私は今、TAW理論という心理理論を勉強しています。そこでは、気になったニュースや事柄を読み解く『LDP』という手法があります。
そこから分析した結果、どうやら私は「自分のステージかどうかをちゃんと確認せずに、そこへ上がってしまう癖」があるとわかりました。
つまり、『場をわきまえる』ということです。
どこかで、「自分はこんなにやっているんだから、みんな認めて!」という思いがあったのでしょう。
これは癖なので、これからも注意する必要があります。
こんな気付きを残して、葬儀は終わりました。
私は、TAW理論を使って母の事故死についても分析をしました。それについて書くのはちょっと難しいので、いつか機会があればということにします。
もし、TAW理論に関心があったら、下記のHPを参考にしてください。
http://www.taw.ac/