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virt_flyのブログ

フライトシミュレーターソフトのFlightGearで仮想飛行を楽しむブログです。

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↑Buin飛行場は、滑走路が舗装されていないのかグリーンです

甘藷栽培が餓死を減らす

 
 FlightGearの世界での南太平洋の旅を続けます。今回は、F1M2でラバウルをたち、ブーゲンビル島のブインをめざすものです。
 
 先の大戦で、日本軍はブインに飛行場をもうけていました。ガダルカナルを失った日本軍にとって、次に攻撃を受けるのがブーゲンビルであることは明白でした。

 

 しかし、米軍が飛行場奪取の方法をとらず、適地を選び飛行場を建設するという作戦(秀吉の一夜城を彷彿させる堂々たるものですね)をとり、上陸地点が予測と異なったことは日本軍とって誤算でした。結果的に日本軍はガダルカナル同様、道もわからぬ不慣れなジャングルを越えて敵に迫るしかなく、ここでも補給を絶たれ飢えとマラリアに将兵は倒れ失敗を繰り返すことになりました。

 

 ガダルカナルの餓島にたいし、ブーゲンビル(当時日本軍はボーゲンビルと呼称)は墓島とよばれるようになったわけですが、ガダルカナルとは少し違った点もあったようです。

 

 日本軍には補給という考えは元来無く、すべて現地調達。現地住民にとっては紙切れでしかない軍票で支払うのはまだしも、飢えた日本兵の略奪がとってかわり、日本軍が嫌われる最大の理由だったといわれます。

 

 そんななかで、ブーゲンビルでは現地自活を見越した模索があり、現地住民の協力も得て甘藷栽培が広げられ、ガダルカナルほどの餓死をだすには至らなかったということです。


 現地自活の成功も、現地住民の協力があればこそであり、Wikipediaによれば「日本兵に略奪禁止を徹底され、日本式農園の作り方や塩、魚の取り方、ドラム缶からスコップやナイフ等を作る技術を教えて信頼関係を築き上げた」からとされています。「余剰した食料を日本軍に上納させ、労働力を提供してもらうことで先住民を後方支援部隊に仕立て上げた」点がどういうものだったかはわかりませんが。終戦後の現地での軍事裁判で日本軍側に対して恣意的な判決が出たときには、現地住民は日本軍将兵を擁護したそうですから、旧日本軍と現地住民との関係は、悪いものではなかったのでしょう。

 

 フィリピン戦線に米軍が移動し代わりに豪軍が進駐するまでの間の米軍の消極策もあったからでしょうが、終戦後までブーゲンビルの戦いが続いたのも、サツマイモのおかげだったんでしょうね。

 

 太平洋戦争のターニングポイントとなったガダルカナルの戦いとの扱われ方のちがいなのでしょうが、よく知らないことでした。FlightGearによる旅も、相変わらず結構勉強になります。

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↑FlightGearの世界のラバウル.手前がVulcan火山火口、Simpson湾をへだて右が Tavurvur火山

無力化された要衝

 

 ラバウルは、かつて多数の将兵を擁する日本軍の要衝で、終戦まで日本軍が確保した地でしたから、戦地としてはよく知られたところと思われます。飛行機好きなら、ラバウル航空隊を知らない人は少なくないことでしょう。

 

 現実には、ガダルカナルに米軍の上陸を許して以降の激しい消耗戦のなかで日本軍は制空権、制海権を失い、連合国側に島々を順次占領されたため、ラバウルの戦略的価値は急速に失われていきました。攻略せずとも無力化で事足れりとした連合国側の戦略で、補給も絶たれ包囲されたままラバウルは置いてきぼりにされ、戦線はフィリピン、沖縄へと北上、終戦を迎えることになったものです。

 

 孤立無援のラバウルでは、自力で壊れた機体を修理、改造して、攻撃にでるという涙ぐましい努力で一矢報いていたようです。終戦時には数機の戦闘機と攻撃機が残っていたと言う記述も見かけます。要衝だっただけに燃料や弾薬などの備蓄、技術者の技量は、そこそこのものがあったんでしょうね。

 

 いくつかあった日本軍の飛行場のうち、東の飛行場は戦後も空港として使用されていましたが、1994年にTavurvur、Vulcanの両火山の同時噴火による降灰で埋まり、市街地とともに放棄され、ココポに移転となったそうです。建物の頑丈だったホテルは、その後も営業しているとか。自然の力はあなどれませんね。

 

 Google Earthで旧飛行場の跡が見つからないいかと思ったのですが、無理でした。


イケメンに修正
 

 件の日本軍飛行士ですが、服装をそれらしくしてみたものの顔が…。

 

 目など顔のパーツがが顔の中心線に寄り、目尻がたれ、鼻の頭が黒ずみ、鼻の下が伸びた顔は、貧相で弱々しくあわれっぽく、3Dモデルの製作者にその意図がなかったにしても、人種差別的な印象を受けておかしくない感じです。西洋人のモデルに東アジア系の広がった顔面のパーツをそのまま当てはめたら、顔は寄りそうですが。

 

 あまりにかわいそうなので、顔を広げたり、目尻を上げたり、まぶたもつり上げ、下がり過ぎた唇を3Dモデルにあわせたりと、イケメンに修正してみました。

 下の画像がそれです。少しはきりりとしたでしょうか。

 

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↑Port MoresbyのJacksons国際空港
 

スタンレー作戦=悲惨を極めた東部ニューギニア戦のはじまり

 

 前置きばかり長くなりましたが、ようやく出発の話になります。

 

 オーストラリア空襲関連で、出発地は太平洋戦争中日本軍がついに落とすことができなかったポートモレスビーとすることにしました。今日、オーストラリアの委任統治から独立したパプアニューギニアの首都だというのに、治安はよくないらしいですね。

 

 それでというわけでもないのですが、水上機ですから海上からの発進をFlightGearで選択したら、ポートモレスビーより海をはさんだ東、大きな河口のデルタに近い側から発進することになりました。一旦西進し、陸が見えたら海岸伝いにポートモレスビーに向かうことにしたところ、燃料が全然たりません。航続距離は零戦の半分としても、1,000キロメートルはあるはずなのですが。プログラムのチェックが必要かも。

 

 給油の上、一路目指したFlightGearのポートモレスビーは、画像のとおり。

 

 この後、機を北上させ、オーエンスタンレー山脈を日本軍とは逆に南から越え、ラエをめざします。

 

 辻政信の独断専行がとがめられることなくはじまったポートモレスビー攻略作戦=スタンレー作戦は、豪軍の焦土戦略もあって、多くの将兵が飢えとマラリアに苦しめられて敗退。東部ニューギニア戦は、悲惨を極めたものとなります。

 

 「無謀は承知。やるしかない」的な狭隘な思考は、狂信しているのならおろかとするしかありませんが、それに異議を唱えずただ容認するのではいささか無責任に思われます。しかし、ごまかすにはあまりに都合のよいことばだけに、こうしたずるさが改まることはむずかしいようです。この間の原発再稼動や景気に影響する消費税増税の論議でも、やむを得ない的意見が流布されています。禍根を残すことにならなければよいのですが。

 

 余計なことを言っている場合ではありませんでした。スタンレーの4,000m級の峰をチューニングのできていない我が愛機で飛び越せるかどうかの大問題が待ち構えていました。FlightGear用に自作したF1M2の上昇限度は8,000フィートほど。

 

 「スタンレーの魔女」(松本零士)が、今回の飛行で峰を越えるのを許してくれたのは、10中2回。その2回もPC画面を見ていないときがあったので、多分に機体を峰々にこすりつけての飛行だったのではと思います。

 

 なんとか給油もしてたどりついたラエは、かつて日本軍が占領したところであるとともに、有名な女流飛行家アメリア・イアハートが行方不明になる直前に飛びたった地でもあったんですね。

 

 ラエを後にし、機はラバウルに向かいました。新幹線並のスピードしかでないF1M2の旅はかなり時間を要します。だましだまし給油しながらの飛行も、連休中にはシンプソン湾にまで進出することができず、ココポの新ラバウル空港近くの洋上に到達するのがやっとでした。