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virt_flyのブログ

フライトシミュレーターソフトのFlightGearで仮想飛行を楽しむブログです。

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↑FlightGearのグラナダ空港は滑走路があるだけ。アルハンブラ宮殿もありません。

イスラム文化の影響
 西はイベリア半島から東は中央アジアまでに広がったイスラム帝国は、アラビア、ペルシャ、ギリシャ、中国のなどの諸文明が融合され、さらに学問が重視されたことで発展し、科学や哲学、医学の知識で世界の中心地でした。ギリシャ哲学も、アラビア語に翻訳されラテン語に翻訳されてヨーロッパにもたらされました。こうした最先端の文明の西欧への窓口となったのがイベリア半島でした。

 レコンキスタ(国土回復運動)でキリスト教徒が再び支配するまで、イベリア半島はイスラム教徒が支配していましたから、その影響なんでしょうか、スペインには独特な文化的雰囲気があって人を虜にする魅力が感じられます。あのフラメンコも、アンダルシアのヒスターノ(スペインジプシー)がモリスコ(改宗イスラム教徒・隠れイスラム教徒)の歌舞音曲を取り入れて生まれた芸能と聞きます。伝統料理のパエリアだってコメとサフランが持ち込まれていなかったら生まれてなかったかも。

 ギターの名曲のタイトルから知ったアルハンブラ宮殿は、当ブログ開設者にとってはいつしかこうした魅力を代表するものになっていて、行くことがかなえば見てみたい場所でした。
 ということで、今回のスペイン仮想旅行では、アルハンブラ宮殿も訪れてみたのですが、うーん、FlightGearの世界には存在していなかったようです。

 もよりの空港はグラナダ空港。こちらも残念なことに空港ビルもなく、ただ滑走路があるだけでした。

 余談です。
 ICAOを調べるためにインターネット検索していて知ったのですが、グラナダ空港の現在の正式な名称は、フェデリコ・ガルシア・ロルカ・グラナダ=ハエン空港だそうです。有名な詩人で劇作家の名前を冠してるじゃないですか。ガルシア・ロルカは、スペイン内戦時にフランコ派に銃殺された人ですが、生きていたらノーベル文学賞をとっただろうにという人もあるくらいです。
 
 そういえば、今ひとつマラガ空港も、マラガ=コスタ・デル・ソル空港という正式名称のほか、パブロ・ルイス・ピカソ空港という名前がついています。ゲルニカを描いた巨匠ピカソの生誕の地がマラガだったからでしょうか。

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↑ピカソの名前を関したマラガ空港も、旅客機が並ぶだけで空港ビルはなし

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↑なかなか趣のあるFlightGearの世界のビルバオ空港

ゲルニカ爆撃
 今回訪れたのは、バスク地方第1の都市ビルバオです。
 歴史ある町ですが、残念ながらランドマークになるようなものが少ないのか、見あたりません。
 けれどビルバオ空港は良いですね。画像に見られるように、空港ビルや駐機中の旅客機なども再現されていて、山間の空港の趣を引き立たせています。最近のFlightGearでは、滑走路だけに終わらずターミナルビルなどの設備もある空港がふえてきて、うれしいですね。

 バスクといえば、カタルーニャとともに、スペインからの分離独立運動で知られた地域です。過激なテロ活動により「バスク祖国と自由」の名を記憶の方も多いことでしょう。

 バスクもカタルーニャもスペイン内戦時には自治権を求めて人民戦線政府側についたため、内戦に勝利したフランコ側により、バスク語やカタルーニャ語の公的な場での使用は禁止され、自治要求は圧殺されたそうです。

 ビルバオの30㎞北東にあるのがゲルニカ(合併して現在はゲルニカ=ルモ)です。ドイツから送り込まれたコンドル兵団の航空部隊が市街地を無差別爆撃したことで有名です。

 空爆は政府側も反乱側も行っていたことであり、ドゥランゴへの爆撃のほうが先でしたから、史上初の都市無差別爆撃とも言えません。死者の数もその後のイタリア空軍によるバルセロナ爆撃のほうが多かったですし、やはりピカソが壁画に描いたことの影響が大きかったのでしょうか。

 ゲルニカにはバスク地方の自治の象徴であるバスク議事堂と「ゲルニカの木」と呼ばれる樫の木があり、Wikipediaによれば、ジャン=ジャック・ルソーが「ゲルニカには地上で一番幸せな人々が住んでいる。聖なる樫の木の下に集う農夫たちがみずから治め…」と書いているそうですから、日本人にはわからない思い入れが西欧の人々にはあるのかも知れません。

 なお、爆撃機が輸送機であるJu52の改造であり、正確な爆撃を期せないことから、市街地への爆撃は輸送網破壊のかわりに交通を麻痺させることを目的としたもので、戦意喪失をめざした戦略爆撃を目的としたものではないとする見解も見られます。爆撃機の内訳については諸説がありますが、Ju52がもっぱらであったことは確かなようですが、少し苦しい見解のような…。

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↑広くね!マドリード=バラハス空港

「ノー・パサラン(奴らを通すな)」
 スペインならば、やはりマドリードを避けて通るわけにはいかない、ということでやって来ました。

 上空からは、近代的なビルのほか、競技場も見えます。レアル・マドリッドが本拠地を置くスタジアムのようですね。
 お互いに向かって斜めに伸びた対のビルが目立ちますが、何というビルなんでしょう。地図ではカスティーリャ広場近くです。
 いくつか変わったビルも見られますが、FlightGearの世界のマドリードには、思ったほどランドマークがありません。

 それよりも驚いたのが、マドリードの玄関口バラハス空港。意外と広くないですか。実際に行ったことはないですから、わかりませんが(^_^?)

 この空港は、正式名称がアドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港だそうです。聞いたことのある名前だと思ったら、フランコ亡き後の民主化期に首相を務めた政治家の名前だったんですね。
 同じ頃、カーネーション革命後のお隣ポルトガルにソアレスという首相がいましたから、紛らわしいこと。

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 いうまでもなく、第2次大戦前のスペインで、政権についた左派の人民戦線政府に対して、反乱を起こした右派の中心人物がフランコ将軍。反乱側をドイツ、イタリアが支援、イギリス、フランスが不干渉政策をとるなかで、共和国政府側を支援したのはソ連、メキシコ、国際旅団(義勇兵)でした。第2次大戦の前哨戦ともいわれ、激しく闘われたスペイン内戦は、共和国政府側で参加した米国の作家ヘミングウェイが小説に描いたことで、我が国でもよく知られているように思います。

 自由主義者から社会主義者、共産主義者、トロツキスト、無政府主義者までが加わる共和国政府側は足並みがそろわず(注)、守勢に追い込まれていきます。

  ラ・パッショナリアと呼ばれたスペイン共産党の女性指導者ドロレス・イバルリがラジオを通じてよびかけた「ノー・パサラン(奴らを通すな)」の言葉は有名です。これにこたえ、老若男女が武器を取り防衛に立ち上がったマドリードもついに陥落し、1939年に内戦が終息します。以来、迫害の嵐が吹きすさぶフランコ独裁が彼の死で終わりを迎え、民主化が実現したのは1977年のことでした。長かったのか短かったのか?

 それにしても、第2次大戦をうまくスペインは回避したものです。エンジンは換装されることになりエアインテークなどの形状が一部変わることになったもののライセンス生産のHe-111が1973年まで現役配備されていたおかげで、塗装しなおしたHe-111が映画「空軍大戦略」に登場し、それは見事な空撮でCGとは違うリアルなバトル・オブ・ブリテンが再現されました。

注)
 勝手に地方政権で社会主義を実行する党派があったり、共産党が勢力を伸ばせた裏には、軍事顧問などを装いソ連からやってきた秘密警察の暗躍があったことも、どうやら事実だったようです。内輪もめは大規模な武力衝突にまでいたる始末。