その9、万世一系1300年の嘘と二つのヤマト(日本) | Violet monkey 紫門のブログ

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十字架の国  1998 不思議の国、ZIPANG

 

或 いは云ふ、

日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり」

 
「日本中央の碑」
 

 

正統派日本である天武天皇の血筋は770年に称徳天皇で途絶える。

 

百済系天智天皇の孫の光仁天皇が即位する

光仁天皇(百済人)と高野新笠(百済人)から生まれた百済人の子が桓武天皇になる😀

その桓武天皇が東北蝦夷を目の敵にして征討軍を派遣した。

最後の正統派日本を潰してこそ、日本の乗っ取り完了です。

 

 

征夷大将軍坂上田村麻呂と東北蝦夷との戦いと結末は以下に記しました。

 

 

 

「壺の碑」とも書き

「遠くにあること」や「どこにあるか分からない」

ということをテーマに

数多くの人がこの碑のことを詠ったため、

有名な石であったが、どこにあるか不明であった

 

 

12世紀末に編纂された顕昭作の『袖中抄』19巻に「顕昭云(いわく)。

いしぶみとはみちのくの奥につものいしぶみあり、日本のはてといへり。但し、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしをかきつけたれば、石文といふといへり。

 

青森県東北町の坪(つぼ)という集落の近くに、千曳神社(ちびきじんじゃ)があり、この神社の伝説に 1000 人の人間で石碑を引っぱり、神社の地下に埋めたとするものがあった。

 

明治天皇が東北地方を巡幸する1876年(明治9年)に、この神社の地下を発掘するように命令が政府から下った。神社の周囲はすっかり地面が掘られてしまったが、石を発掘することはできなかった。

 

1949年(昭和24年)6月、東北町の千曳神社の近くにある千曳集落の川村種吉は、千曳集落と石文(いしぶみ)集落の間の谷底に落ちていた巨石を、伝説を確かめてみようと大人数でひっくり返してみると、石の地面に埋まっていたところの面には「日本中央」という文面が彫られていたという。

 

この地区には田村麻呂は到着していないし、実際に都母(つも)に行ったとされる武将は文屋綿麻呂である。しかし、多くの古い事柄を有名な英雄である坂上田村麻呂に関係づける傾向がこの地方に多い。もしも実際に文屋綿麻呂が書いたとすれば811年(弘仁2年)頃の出来事になる。

 

発見後、新聞社や学者が調査を行うが、本物の「つぼのいしぶみ」であるとする鑑定がはっきりと出されていないのが現状である。これは、『袖中抄』の記述とは一致するが、常識とは異なる「日本中央」という文面や、多賀城碑の存在、田村麻呂が現地に到達していないという問題、一見して達筆であるとは言えない字の形、発見時に学者らの調査以前に拓本をとるため表面を必要以上に綺麗にしてしまった問題などが鑑定に影響を及ぼしている。

 

在、日本中央の碑保存館の中にこの石碑は保存されている。

 

 

 

明治天皇は田布施の百済系なので、

「つぼのいしぶみ」が発見されては困るのです。

「つぼのいしぶみ」は日本の歴史をひっくり返す力があります。

だから歴代の歌人は歌の中にヒントを置いた。

柿本人麻呂も日本書紀の中で蝦夷を「愛瀰詩」とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WW2終戦直後のことです。

1949年の青森県、およそ70年前、、、

当時甲地村であった石文集落近くの赤川上流で

「日本中央の碑」が発見されました。

 

 

 
 
 
 

日本中央の碑が発見されたのは、

「千曳集落」と「石文集落」の中間あたりです

近隣の十和田市と三沢市を含めて「上十三地方」と呼びます。

そこはかつて都母村(つもむら)と呼ばれていたそうです。

「つぼのいしぶみ」とは「都母の碑」とも考えられるわけです。

そして「都母(つぼ)」が

アテルイの「大墓(たぼ)」ならば・・・

 

 

 

 

 

「†」が見えてきませんか?

母なる都=「都母(つぼ)」=「大墓(たぼ)」

 

「大墓公阿弖利爲」の本拠地に「日本中央の碑」が?

 

南部地方(なんぶちほう)は、

青森県東部を指して言う地域呼称。

 

 

 

伝承では坂上田村麻呂が

蝦夷平定を記念し

大石に弓の矢筈で

「日本中央」

・・・と記したということです。

 

 

 

記録としては田村麻呂は胆沢城の先へ行った文献がありません。

802年に胆沢城を築き、811年に53歳で亡くなりました。

その間、田村麻呂のアテルイ恩赦の願いは叶わず、

アテルイとモレは処刑されました。

「日本」は奥州の奥へと移動し南部のさらに小さな国になりました。

一番北なのに南部?

やはり地図が逆さなのでしょうか。

 

一戸、二戸と彼らの関所は九戸まであります。

最終地点は「十」ですから「十和田」でしょう。

 

 

 

 

 

清水寺

京都清水寺は田村麻呂を本願としています。

田村麻呂は蝦夷平定後、本堂を大規模に改築し、

観音像の脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩の像を造り、共に祀りました。

清水寺の両脇侍が別名「勝軍地蔵」「勝敵毘沙門」と呼ばれます。

 

「通常、地蔵菩薩は右手に錫杖、左手に宝珠を手にしています。そのお姿は、柔らかな表情をしたやさしいお坊さんといったイメージですよね。しかし、清水寺の本尊脇侍の地蔵菩薩像は右手に剣を持ち、頭部には獅子頭の兜をかぶり鎧に身を包んでいます。さながら武人のような勇壮な出で立ちです」

一方の毘沙門天は、北方を守護する武神として知られる四天王の一尊。甲冑を着て立つその足で邪鬼を踏む勇ましい姿だ。

 

毘沙門天は、仏教における四天王の一尊に数えられる北方の守護神です。

 

地蔵菩薩とは、

釈迦が亡くなってから、弥勒菩薩が現れるまでの無仏になる間、

すべての生き物を救うといわれている菩薩で、道端などによく見られるお地蔵さまのことです

 

清水寺奥の院の髭面の毘沙門天画です。

秘仏だそうです。

紫門には田村麻呂がアテルイとモレを祀ったように思えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

千曳神社

 

青森県内最古といわれている千曳神社

案内板によれば

大同2年(807年)坂上田村麻呂の創始と伝えられる。

 

田村麻呂はここへ来た・・・と紫門は感じます。

朝廷にバレないように隠密行動で、

朝廷にバレないような伝説で、

アテルイを祀る神社を建てた。

そして山伏に守らせた。

 

千曳神社の伝説:

神代の時に石の札を建て、其石を限りに北方の国より渡り来る鬼をば追い返せし事になる。悪鬼の来りて其の石を土中へ深く隠せしを、神々達の集まり探し出し給ひし所こそ、石文村にて其石を建し所は坪村に有りしを、坂上田村麻呂来たり給ひ、鬼を残りなく殺し給ふ故に、此石は無用とて此所を七尺掘て埋め給ひ、其上に社を建立なされし事にて、其石を坪村より是迄引とるに人数千人にて引しを以て千引大明神と申なり

(東遊雑記 古川古松軒著 天明8年(1788年)より

 

 

「北方の国より渡り来る鬼」・・・

地図が逆さなら「南方からの鬼」ですね。

 

 

「其石を千人にて引しを以て千引大明神」・・・

土中に埋められ鋸引きの刑で殺されたアテルイ・・・

血引き神社なのではあるまいか?

 

方角も逆さまなら物語も逆さまに読みましょう😀

 

 

 

 

 

町の古い文献に、

千曳の石文は、

参拝が頻繁なためにここらへんの農民の仕事が進まず、

困り果て、誤って落ちたこととしたらしいとありました。

 

 

 

 

紫門は高橋克彦の長編歴史小説『火怨~北の耀星アテルイ』を読んで、

感動のあまり東北へ旅しました。

多賀城跡の近くにある東北歴史博物館を見学し、

古の東北蝦夷の生活文化を知るに付け、同じ日本人の血を感じました。

自分の知っている日本の歴史は正しいのだろうか?

神話も歴史も何かがおかしい・・・

 

 

河北新報社主であり祭主でもあった一力一夫氏は、阿弖流為らの戦いぶりとその処刑について次のように述べている。

 

「楽土は、やがて大和朝廷の覇道が侵すところとなり……

日高見国は、卓越した行政機構、軍事組織を持ち、その独立と自尊とを誇り得る国でした。

朝廷軍の侵攻に対しても、四度にわたってこれを撃破、敗走させましたが、……坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、……東国の各族長は朝廷の軍に投じ、公(阿弖流為)も、磐具公母礼と共に、民を安んぜんがため十余年に及ぶ矛を収め、和議に応じたのであります。

 

将よく将を知り、田村麻呂は、朝廷に、楽土東国の山河、人身の全きを期さんとする公の意を汲み、公と共に京に赴いたのでありましたが……母礼ともども斬刑に遭ったのであります。

公の無念さ、東国の人々の怒りは如何ばかりであったか。

公の首級が遥か千里を飛んで楽土を潤す北上河畔に帰ったという言い伝えが、やり場のない往時の人々の心情を物語っております。」(社主祭文より)

 

 

 

 

 

さて、田村麻呂とアテルイが死闘を繰り広げていた頃、

都の桓武天皇は・・・

26人以上の女性を相手に子作りに励んでいました😀

生まれた子供も35人以上!!!

天皇の仕事ってなんでしょう?

后妃・皇子女[編集]

ほか、多数(宮人、女嬬が数10人との説あり)

 

 

 

 

 

或 いは云ふ、

日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり」

 

 

 

 

旅を続けます・・・

次回で完結しましょう😀