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ドイツ・メアブッシュにて☆2人と2匹で暮らすドイツ

2012年3月末、
旦那様の転勤でチワワ2匹を連れて神奈川県から
ドイツ・メアブッシュ市へ引っ越してきました。
初の海外生活でわからないことだらけで
ドキドキの毎日です。。。
日々の珍道中、犬のことなど綴っていきます。

母とプラハ最終章です。


午後は旧市街広場から歩いて、ユダヤ人地区(ゲットー)へ。

この地区について簡単に「地球の歩き方」から抜粋しますね。

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ユダヤ人たちは隔離されたこの地区に密集して住み、キリスト教徒による迫害を受けていた。

18世紀後半ヨゼフ2世により差別は多少緩和。

19世紀半ば、正式にプラハ市の一部と認められ、

19世紀後半それまでの迷路のような細い路地、秘密の抜け道、不衛生な建物などが

取り壊され、現在のように整備される。

その際、ユダヤ人にとって大切なシナゴーグ(祈りの家、教会堂)や

墓地などはそのまま残された。

第二次世界大戦時にはナチスドイツに占拠され、ドイツ占領下の各国から

ユダヤ人が狩り集められ、ここからさらに強制収容所に送られた。

ここユダヤ人地区で戦後まで生き残ったのはわずか2500人にすぎなかった。

(地球の歩き方より)

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ドイツに来てから、改めてナチスドイツの歴史の勉強をしたり、

本を読んだりしていて、チェコのゲットーの話はいくつか

読んだことがあったので、とても興味深い場所でした。

ヨーロッパ最古のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)旧新シナゴーグ。


1270年ごろに建てられたものだそうです。


この後、旧ユダヤ人墓地や儀式の家など、この地区の


共通見学チケットを買って、見て回りました。


シナゴーグや墓地はいずれも内部撮影が禁止だったこと、


また、この地区は現在もユダヤ人が暮らしていて、


カメラを構えるのが失礼な気がしたため、


この地区の写真はほとんど撮っていません。


一番印象的だったのがピンカスシナゴーグという場所で、


ナチスによって命を奪われた8万人の姓名と


死亡場所が壁一面にびっしり書かれていたり、


ユダヤの子供たちが強制収容所で描いた絵が展示されていたりと


かなりショックの大きいものでした。



そして最後に訪れたスペインシナゴーグ。

他のユダヤ人地区のシナゴーグからは少し離れたところにあり、


見つけにくかったのですが、1868年に再建された現在の建物は


スペインのアルハンブラ宮殿に似ているためスペインシナゴーグと


呼ばれているそうです。


内装はオリエンタルな雰囲気で、キリスト教の教会とは全く異なり


本当に美しかったです。


そしてこのシナゴーグに来たもう一つの目的、


実はここのスペインシナゴーグも教会コンサートが開かれる場所で、


事前にチェックしてきたプログラムによると、本日は


スメタナ&ドヴォルザーク、2大チェコ作曲家が


聴けるプログラム!


これは絶対行きたいということで、シナゴーグ外の


チケット売り場でチケットを購入。


楽しみです。


ユダヤ人地区の後は、ショッピングなどをしてホテルに戻り、


また夕方プラプラとコンサートへ出かけます。


(2日連続行けるとは思わなかった!)



昼間のシナゴーグ見学のときには、カメラは絶対ダメ、


と厳重だったシナゴーグ内。


コンサート開催時には緩くなるのか、コンサート客の


写真撮影に関してはなんのお咎めもなし。


みんな開演までの間、大きな一眼レフでバシャバシャと


シナゴーグ内を撮影しまくりです。


もちろん私も撮っちゃいました。



本当に美しい教会の中。


ユダヤ教の教会内に入るのも初めてなら、


コンサートを聴くのももちろん初めて。


いや、これはもう2度と経験できないかもしれない。


この空間にいることだけで感動してしまい、始まる前からなんだか


泣きそうです。


コンサートも大変素晴らしく、昨日の教会とはまた違った響きで


本当に美しく、鳥肌立ちっぱなしでした。


ドヴォルザークの「新世界より」、スメタナの「モルダウ」、チェコの2大作曲家の


代表曲をここで聞くことができ、一生の思い出になりました。


チェコ音楽以外にも、ソプラノの女性が出てきて、ハバネラとか歌ったり、


ウェストサイドストーリーや、ガーシュインのラプソディ・イン・ブルーなど


幅広い選曲で飽きさせません。


さらに、このオーケストラにはトランペットのおじいちゃんが


いたのですが、そのかたのトランペットが本当に素晴らしくて・・・


いつまでもいつまでも聴いて居たかった。


右から2番目、トランペットのおじいちゃん。


このシナゴーグでのコンサートが、この度一番の思い出となりました。


プラハを訪れる機会がありましたら是非このコンサートに


出かけてみてください。本当におすすめです。


帰りは日暮れのカレル橋をもう一度通りたいと向かいましたが、


かなり真っ暗になっていて・・・

酔っ払って物乞いのひとを蹴り飛ばしている若者や、


カレル橋の上を全速力で走り去る男性(おそらくスリ)など、


かなり危険な雰囲気・・・


怖くなって足早に渡りきり、ホテルへ戻りました。


やっぱりプラハ、治安の方はあまりよろしくないようです。


お気を付けください。 (何もなくてよかった・・・・)


翌日は午後のフライトだったため、


チェックアウトしたあと、ホテルのフロントに荷物を預けて


午前中はホテルの近くでお土産を買ったり、ランチをしたり。


ホテルのお兄さんはとっても気さくなひとで、


AAAの優良タクシーをお願いして呼んでもらったので


チップを渡そうとしたら、「そんなのいらないよ~」と


笑顔で跳ね返されてしまいました。


そして無事AAAのタクシーで割引クーポンを使って空港まで


1500円ほどで到着。



さようなら、プラハ。またいつか来れたらいいなぁ・・・・


母とも2人きりで貴重な時間を過ごすことができて、


いい思い出になりました。


外国をアテンドすることにもちょっと自信がついたし。


お留守番してくれたKさんとワンコたちに感謝です。


そしてデュッセルドルフ空港までお迎えに来てもらって


Kさん本当にいつもありがとうございます!


今度は犬連れでまたプラハに来れたらいいな。


~母とプラハ 終わり。~


3日目です。

4日目は帰るだけなので、観光はこの日がラスト。


午前中は旧市街方面へ向かいます。


この日はトラムではなく地下鉄に初挑戦したのですが、

プラハの地下鉄はドイツとちょっと違いました。


駅に改札がないところはドイツと一緒。

ですが、プラハの場合、地上にある券売機でキップを買って

エスカレーターで地下に降りる前に、打刻機にキップを通して

日時を打刻。

地下ホームに降りた時点で有効期限内のキップを持っていなかったら

アウトです。

ホームにて、抜き打ちのキップチェックが行われている場面を

何度か見ました。

(ドイツの場合、打刻機は券売機付近や地上にもありますが、

電車の中にもあり、乗車後に打刻してもOK。

抜き打ちチェックは電車内で行われます)


これは、プラハの交通システムがドイツと異なるせいで、

ドイツでは日本のように目的地によってキップの値段が違うのに対し、

プラハでは30分券、90分券といったように、時間制なのです。

つまり、90分以内ならどこまで乗ってもOK。

そのため、駅のホームにて、時間を過ぎたキップでうろうろしてたら

不正乗車扱いとなってしまうようなのです。


そして、プラハの地下鉄、すべての駅ではないと思いますが、

ときどきエスカレーターがめちゃくちゃ速い!


距離も長いのですが、スピードがとても速く、乗るのが怖かった。


そして生まれて初めてエスカレーター酔いしました・・・・


速いのと、揺れるのと、斜度があるせいか平衡感覚がなくなり、


気持ち悪くなりました・・・


(最寄りのアンデル駅が一番こわかった)




地下鉄に乗ってまずはヴァーツラフ広場に向かいました。



旧チェコスロバキアで1960年代に起こった民主化運動”プラハの春”を


弾圧するため、ワルシャワ条約機構軍が軍事介入。


旧ソ連軍の戦車によってこの広場は占拠されました。


奥に見える国立博物館の壁にはその時の弾痕が今も残っています。


美しい街並みだけではなく、チェコが自由を手にするまでの歴史を


見ることができるのもプラハの魅力のひとつです。


ヴァーツラフ広場の後は、歩いてすぐそばの、ムハ美術館へ。


アパートの1階部分という感じの、こじんまりした美術館で、


面積はそれほど広くないですが、ムハの家族が保管してきた


コレクションの数々、下絵やスケッチなども展示されています。


また、有名なパリ時代の作品だけではなく、チェコに戻ってから


描かれた地元のイベントのポスターや、奥さんをモデルにした油絵、


フリーメイソンに関する資料(ムハはフリーメイソンのメンバーだったそうです)


など、興味深いものがたくさんありました。


ムハ美術館の後はまた歩いて旧市街広場の方へ。


向かう途中の火薬塔(手前)と、市民会館(奥)。


市民会館はプラハを代表するアールヌーヴォー建築で、内部は


ムハなどのチェコ芸術家によって装飾が施されていて、


ガイドツアーで見学することもできます。


また、有名なコンサートホール「スメタナ・ホール」もこの中にあります。


火薬塔をくぐってしばらく進むと旧市街広場につきあたります。


2本の塔が美しいティーン教会。


ヤン・フス像と、観光用の馬車。


聖ミクラーシュ教会。


旧市庁舎。向かって左側に天文時計があります。


市庁舎の天文時計。15世紀ごろに造られたもの。


仕掛けが動くところはタイミングが合わず見られず。


広場では、シャボン玉のパフォーマンスをしているお兄さんがいて、


ちょうど、結婚式を挙げたカップルが記念に一緒にシャボン玉を


作らせてもらっていました。


花嫁さんきれいだった~!


そして、旧市街広場、本当に美しい広場です。


写真を撮る手が止まりませんでした。



3日目午後&最終日につづきます。





2日目後半です。

プラハ城から街へ降りてきました。

そのままカレル橋へと向かいます。

観光名所のカレル橋の上は人でいっぱい。


お土産物の露店もたくさん出ています。



一際にぎわっているこちらの像は、聖ヤン・ネポムツキー。


台座の銅板に触ると幸福になると言われています。


王様の拷問を受けてカレル橋から川に投げ込まれたネポムツキーさん。


その様子が描かれた銅版です。



さわると幸福になるスポット、ヨーロッパ中にあるんですが・・・


あんまりいろいろ触りすぎると、どれが御利益あったのか、わかりません。 笑


カレル橋を渡って、旧市街でウィンドウショッピングしたり、


ぶらぶらしたり。



カレル橋にいちばん近い信号は、カウントダウン付き!


こんなの、日本だけかと思ってたら、あるんですね。


プラハっ子もせっかちなのでしょうか? 笑


この日も気温30度越えで、汗もいっぱいかいたので、


一旦ホテルに戻って着替えて、夕方またプラハ城に向かいました。



本日教会コンサートを聴くプラハ城内の聖イジー教会。


赤くてかわいい教会。


開場10分前。


オーケストラのメンバーがぞくぞく集まってきました。


ずいぶんゆっくりの会場入りです。 笑


聖イジー教会はプラハ城内最古の教会で、920年に完成。


その後火事があり、現在の姿は1142年に再建されたもの。


って、それでも十分古い!


音響の良さから、プラハの春国際音楽祭の会場にもなっていて、


頻繁にコンサートが開かれているそうです。


普段のコンサートは、主に観光客向けのもので、


モーツァルトやヴィヴァルディなど、だれでも知っている名曲を


演奏してくれるため、クラシック通でなくても楽しめます。



座席はVIPシート、A席、B席という感じでブロック分けされている以外は


自由席で、先着順に座れます。


私たちは真ん中のA席でしたが、早く入ったため、VIP席の一つ後ろの、


好位置をゲット。(ほぼVIPと変わらず)


教会は本当に古い石造りのもので、フレスコ画も消えてしまっていますが、


たしかにすばらしい音響です。照明、雰囲気も最高。


ふわっと包み込まれるような柔らかい音色にうっとりでした。


終演後、そそくさと衣装のままで帰っていくヴァイオリンソリストの女性。


だいぶ急いでいたようで、これから別のコンサートでもあるのかな?


町じゅうで毎日コンサートが聴けるプラハ、


演奏家のお仕事も結構忙しいのでしょうね。


日本でもこんな風にカジュアルにクラシックを楽しめる場所が


たくさんあったらいいのに。



この日は、帰りも遅かったので、スーパーで買い出しをして


ホテルの部屋で夕飯にしました。


遅い時間には、突如激しい雷雨になり、救急車やパトカーのサイレンの音が


鳴り響いたり、何事かと外を見ていると・・・



トラムが停電か何かで動かなくなり、レッカー車で移動させられていました。


その後すぐに復旧していたようですが。


大きな事故・火災などにならなくてよかったです。



プラハ3日目につづきます。