北九州市若松区・軍艦防波堤への旅(後編) | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

前回のブログの続きです。

軍艦防波堤にたどり着きました。

 

「軍艦防波堤」

 

艦首の左舷側には説明版が設置されています。

 

軍艦防波堤の説明版

 

「軍艦防波堤

 この護岸に出ている船体は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」です。

 戦後間もない昭和二三年九月他の駆逐艦「冬月」「涼月」とともに、洞海湾の響灘の荒波から守る防波堤として沈められました。

 北側の海面は埋め立てられ防波堤の役割は終わりましたが、今でも「軍艦防波堤」と市民に呼ばれています。

 「冬月」「涼月」の二隻はこの手前の互換の中に埋没していますが、この両艦は昭和二十年四月「沖縄特攻作戦」の戦艦大和の護衛艦として出撃し大破しながらも奇跡の生還を果たした艦です。

 なお、高塔山中腹にこの三艦の戦没者慰霊碑が建立されており、詳しく説明されています。

 北九州市港湾空港局」

 

ここに顔を出しているのは、旧二等駆逐艦「柳」の船体です。

 

右舷艦首側から見た「柳」の船体

 

艦首から艦中央付近までは、船体の崩壊防止のためコンクリートが巻かれています。

以前にこのブログでも取り上げましたが(軍艦防波堤となった駆逐艦「柳」・間違われる駆逐艦「柳」)、設置時から艦首部分は原形を保っていましたが、今は先端部分に当初の高さに近い部材が残るのみで、外板は内部に充填されたコンクリートの高さまでしか残っていません。

 

船体の右舷を艦尾方向に見ていくと、途中で船体が損傷している箇所があります。

 

右舷にある船体の損傷箇所

 

ここから艦尾に向けて、下がっているように見えます。

現役時代の写真を見ると、「柳」は船主楼型で船体の前部1/4より艦尾側は直線の上甲板となっています。

 

この部分で船体が折れているかもしれませんね。

艦尾側まで回ってみます。

 

「柳」の艦尾から艦首側を望む

 

艦尾側はほぼ護岸に埋まっています。

上甲板(船体の上部を蓋をするように張られた甲板)はなくなっており、その上端をコンクリートで蓋をしてある状態のようで、見えるのは隔壁(船体内を前後左右に仕切る鉄板で、船体の強度部材)が見えるのみです。

 

次は、「柳」を艦尾左舷側から見てみます。

こちらも船体中央付近から艦尾にかけてなだらかに下がっているのが分かります。

 

左舷艦尾側から見た「柳」の船体

 

この写真には、前回取り上げた「パシフィック・パイオニア」が写っていますね。

船体の上には、護岸の安定を図るためかコンクリートブロックが多数並べられています。

 

左舷側の船体損傷個所と船体上に並べられたコンクリートブロック

 

船体上から艦尾方向を見ると、遠くに若戸大橋が見えます。

 

護岸の先端側に向けて両側にある窪んだラインが船体外板の位置

 

若戸大橋のアップ

 

また、対岸には日本製鉄八幡地区(見える部分戸畑区内ですが)の製鉄所が見えます。

 

対岸に見える日本製鉄八幡地区の製鉄所

 

「柳」の艦首方向に戻ります。

艦首側越しに見るのは「涼月」の埋まっている護岸になります。

当時の写真を見ると、「涼月」と「冬月」は艦首を合わせた形で設置されているので、「柳」の艦首は「涼月」の艦尾と向かい合っている形になります。

 

「柳」の艦首越しに見る護岸・「涼月」が埋設してある付近

 

HP「軍艦防波堤連絡会」によると、「柳」「涼月」「冬月」の設置位置は下図のような形となります。

 

3駆逐艦の埋設位置図(引用:HP「軍艦防波堤連絡会」)

 

金網越しに埠頭を見ると、「涼月」の船体あたりに暗渠のようなものがありました。

上の写真と比較してみると「涼月」の船体中央から艦橋部付近に達しているような位置だと思われ、先端は船体右舷の外版がある場所かもしれませんね。

 

埠頭の金網越し・「涼月」の船体中央部付近を横切る暗渠?が伸びている

 

当日は天気が良かったので、「軍艦防波堤」が目的の方、また釣り人も何組か見られ、軍艦防波堤は「忘れられた場所」ではなく今でも存在感を示している場所であることを認識しました。

 

軍艦防波堤での滞在時間は約30分、また1時間かけて歩きます。

30分のために往復2時間をかける、若干自分に呆れながらの帰り道です。

歩いていると「エコタウンセンター前」バス停があったので、時刻表を見てみました。

 

「エコタウンセンター前」バス停とその時刻表

 

戸畑駅行の上り線側になりますが、平日は17時48分、18時15分、土曜日は17時45分、日祝日は運休となっています。

やはり公共交通機関で来る場所ではないですね(笑)。

往路と同じ「東小石町」から戸畑駅行きのバスに乗ります。

 

北九州市営バス「東小石町」バス停

 

戸畑駅行きのバスからは、JR九州の若松駅が見えました。

 

JR九州・筑豊本線若松駅

 

若松駅は、JR九州のメインルートである鹿児島本線ではなく、戸畑駅からさらに6駅博多方に進んだ折尾駅から筑豊本線(若松線)に乗り換え、ディーゼル車で5駅進んだ所になります。

このため小倉方面から若松へ来る場合、小倉または戸畑から若戸大橋を通るバスで30分程度ですが、列車を乗り継ぐと45分から1時間程度かかるためJR九州は分が悪い状況です。

若戸大橋の恩恵が大きいですね。

 

帰りのバスの中、若戸大橋の上から洞海湾の入口側をみると、「パシフィック・パイオニア」が小さく見えました。

 

若戸大橋の上から見る洞海湾の入口側

黄色い丸の中が「パシフィック・パイオニア」

 

この後JR戸畑駅で荷物をピックアップし、JR鹿児島本線の快速電車で博多駅へ向かいましたが、ここでひとつトピックスを。

 

私は、当初「大阪市内-福岡市内(新幹線経由)」のJR乗車券を購入していたのですが、小倉-博多間の在来線駅である戸畑駅で途中下車しました。

小倉-博多間の在来線を使うと、切符に書かれた「新幹線経由」ではなくなります。

このため、今回は途中下車した戸畑駅で「区間変更券」140円を購入しました。

これは、新幹線を運行しているJR西日本の小倉-博多間の乗車券が1,170円に対し、在来線を運行しているJR九州の小倉-博多間が1,310円と割高になっており、その差額を支払う必要があるためです。

平成8年1月に行われたJR三島会社(北海道・四国・九州)の運賃値上げにより、JR全国一律の運賃計算ではなくなったことから、このような状況が発生しています。

 

大阪市内→福岡市内・新幹線経由の乗車券(左)と区間変更券(右)

 

17時過ぎに博多に到着しホテルにチェックインした後、会社の中堅社員3人と駅前の「もつ鍋」屋さんで「もつ鍋」をつつきながら「会議の前夜祭」で22時まで飲み会をしましたとさ。

 

軍艦防波堤は、正式には「響灘沈艦護岸」と命名されているそうです。

戦前から戦中にかけての帝国海軍「艦艇」が残る貴重な遺構ですが、常に潮風に吹かれ、波が高いときは海水を被る環境下では保存し続けることは難しいように思います。

形あるものいつかは壊れる…仕方のないことですが、少しでも長く残ってくれることを願いたいです。

 

もうひとつの説明版

 

これにて、「北九州市若松区・軍艦防波堤への旅」を終了します。

お付き合いいただき、ありがとうございました!

 

腐食が進行した「柳」の船首部

 

 

【参考文献】

 Wikipedia および

 

 

【Web】

 HP「軍艦防波堤連絡会」

 

 HP「北九州港」