海自創設時のトップナンバー・掃海艇「ちよづる」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日からゴールデンウイークですね。

とはいうものの、今日は朝から娘が「しまむら」に行くと言うので車を出し、昼前には家に帰って撮り溜めたTVのドキュメンタリーを見て、夕方に散髪に行ってきたぐらいで、いつもの休日と変わらない一日でした。

 

昨日の4月26日は「海上自衛隊の日」でした。

海上自衛隊 の前身にあたる海上警備隊が昭和27年4月26日に創設されたことに由来しているそうです。

 

今回は久しぶりに船の話で、海上警備隊創設時のトップナンバーを冠した艦艇を見てみたいと思います。

 

海上警備隊は創設された時には固有の艦艇を持っておらず、昭和27年8月1日に海上保安庁から掃海部隊とともに掃海艦艇(旧帝国海軍駆潜特務艇22隻、同哨戒特務艇10隻、同飛行機救難船1隻、2TM型戦時標準船1隻)が移管され「掃海船」に分類されます。

 

海上保安庁から掃海船として海上警備隊に移管され、

その後掃海艦に分類された「桑栄(GP)」

(「丸スペシャル・機雷艦艇1」No.72、1983年2月、潮書房、P36)

海上自衛隊歴史の中で稀有な漢字の艦名・掃海艦「桑栄」

 

その中で艇番号「MS-01」を与えられたのが、「ちよづる」でした。

「ちよづる」は静岡の小柳造船所で起工され、昭和19年4月に船体が完成し横須賀海軍工廠に引き渡され、「第百七十一号」駆潜特務艇として同年5月に竣工しています。

【要目(「第一号」駆潜特務艇)】

 基準排水量:130トン、全長:29.20m、水線幅:5.65m、吃水:1.97m

 機関:中速400馬力ディーゼル機関×1、推進軸:1軸

 出力:400馬力、速力:11.0ノット、乗員数:32名、航続力:10ノットで1,000浬

 兵装:7.7mm単装機銃×1、爆雷投下軌条×2、爆雷×22、

    吊下式水中聴音機×1、軽便式水中探信儀×1

 ※引用:世界の艦船「日本海軍護衛艦艇史」増刊第45集、

     No.507、1996年2月、海人社、P.80

 

「第一号」型駆潜特務艇(艇名不明、引用:Wikipedia)

(不明 - Japanese magazine "Ships of the world - Escort vessels of the Imperial Japanese Navy", p126., 

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6558051による)

 

竣工した「第百七十一号」駆潜特務艇は、横須賀鎮守府の横須賀防備隊に配属され、八丈島への船団護衛を行ったこともありますが、東京湾から伊豆方面で活動します。

昭和19年10月からは宮城・女川へ移動し三陸方面で活動し、終戦は女川で迎えます。

終戦後の昭和20年12月には、横須賀地方復員局に移管され掃海艦とされ「駆潜特第百七十一号」と改称されます。

 

更に昭和21年6月には大阪地方復興局掃海部大阪支部に転属し、京阪神の掃海を行った後、昭和22年8月には下関掃海部に移り関門地区の掃海を行い、昭和22年10月には大阪地方復興局に戻ります。

 

昭和23年8月には掃海船に類別され、「駆特第一七一号(MS01)」へ改称と合わせて船番号の付与が行われます。

更に同年年11月には海上保安庁へ移管・広島海上保安本部に配属され、昭和26年12月には船名を「ちよづる(MS01)」と改称されます。

【要目(海上保安庁・掃海船「ちよづる」)】

 常備排水量:135トン、全長:29.2m、最大幅:5.7m、深さ:2.8m

 機関:中速400馬力ディーゼル機関×1、推進軸:1軸

 出力:400馬力、速力:11ノット

 兵装:掃海具一式

 ※引用:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、

     No.613、2003年7月、海人社、P.65

 

「ちよづる(MS01)」型・掃海船「駆特第二百二十二号」

(引用:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P.65)

 

朝鮮戦争では、国連軍に徴傭され昭和25年6月に朝鮮半島に派遣され掃海に従事しており、実戦を経験しています。(戦時に急造された木造特務艇の戦後の活躍と朝鮮戦争における悲劇

 

昭和27年8月に海上警備隊に移管されると、「ちよづる(MS01)」の名を引き継ぎ掃海船に分類される(昭和29年7月には掃海艇に変更)とともに呉航路啓開隊に配属されます。

【要目(海上自衛隊・掃海艇「ちよづる」)】

 基準排水量:130トン、満載排水量:140トン、

 全長:29.0m、最大幅:5.5m、深さ:2.8m、吃水:2.0m

 機関:中速400馬力ディーゼル機関×1、推進軸:1軸

 出力:400馬力、速力:11ノット、乗員:24名

 兵装:掃海具一式

 ※引用:世界の艦船「海上自衛隊全艦艇史」増刊第146集、

     No.869、2017年11月、海人社、P.41

 

「ちよづる」型・掃海艇「はやとり(MSI-699)」

(引用:丸スペシャル「機雷艦艇1」No.72、1983年2月、潮書房、P.41)

 

昭和29年4月には舞鶴へ、昭和33年には下関に転属した後、昭和32年9月には艇番号が「MSI-695」に変更されます。

そして、昭和36年3月に艦艇から除籍され支援船に転出し「特務雑船28号(YAS-28)」に改称され、1年後の昭和37年3月に除籍されました。

 

また、護衛艦(旧・警備艦・DD)のトップナンバーは、昭和29年10月に米国海軍「フレッチャー」型駆逐艦の「エリソン(DD-454)」を貸与さえた「あさかぜ(DD-181)」でした。

 

護衛艦「あさかぜ(DD-181)」(引用:Wikipedia)

(USN - U.S. Navy photo [1] from the USS Shangri-La (CVA-38) 1959 cruise book available at Navysite.de, 

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24676017による)

 

また、DDのトップナンバーである「DD-101」は、海上自衛隊甲型(DD)警備艦で初の国産艦である「はるかぜ(DD-101)」でした。(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」

 

今回、「ちよづる(MS-01)」の写真を探しましたが、ネットにUPされていないようですし、手元の資料にもありませんでした。

この時期の海上保安庁の船艇や海上自衛隊の艦艇の写真は、物資不足なのか敬遠されていたのか、なかなか発見することができませんでした。

 

今では、航空母艦として改装されたヘリコプター搭載護衛艦「かが(DDH-184)」など、旧帝国海軍の航空母艦と変わらない巨大な艦艇を擁している海上自衛隊ですが、創設時には旧帝国海軍が大東亜戦争末期に建造した基準排水量130トンという小型・木造の「特設駆潜艇」や「特設哨戒艇」が中心でした。

隔世の感がありますね。

 

航空母艦化改装前のヘリコプター搭載護衛艦「かが(DDH-184)」

 

【参考文献】

 Wikipedia および

 

 

 

 

 

 

【Web】

 HP「大日本帝國海軍 特設艦船DATA BASE」戸田S.源五郎氏

大日本帝國海軍特設艦船データベース (tokusetsukansen.jpn.org)