帝国陸軍の航空拠点・大刀洗の歴史 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

前回の続き、大刀洗平和記念館に訪れた話です。

 

前回は、映画「ゴジラ-1.0」からのつながりで、局地戦闘機「震電」を取り上げました。

 

帝国海軍・一八試局地戦闘機「震電」のレプリカ

 

大正8年、南方および大陸への中継地点として、九州・太刀洗の42万坪の土地に延長500m、幅200mの2本の滑走路と付帯する施設が建設され、帝国陸軍・航空第四中隊(後に大隊に昇格)が設置され、大刀洗飛行場が整備されます。

 

大正時代の大刀洗飛行場

(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂、P.10)

 

その後も拡張が進められ、総面積115万坪に及ぶ東洋一の航空基地と呼ばれる大規模な基地へと成長していきます。

 

大正10年には軽便鉄道の中央軌道が鹿児島本線田代駅との間に開業(後に朝倉軌道に合併)し、昭和14年には鉄道省が甘木線を開業させるなど、交通網も整備されます。

 

戦前の太刀洗周辺の鉄道網(引用:Wikipedia)

(Akaloli - Akaloli, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3863418による)

 

大正14年に航空第四大隊が飛行第四聯隊に昇格すると、それまで偵察部隊中心であったものに戦闘部隊が新設され、さらに九州一円の飛行部隊の司令部が集積されると、帝国陸軍の九州における一大中心地となります。

 

飛行第四聯隊の格納庫

(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂、P.30)

 

昭和4年になると、日本航空輸送が太刀洗支所を設置し、航空機による民間輸送の拠点にもなり、軍都として街も大きくなっていきます。

 

昭和12年に支那事変が勃発すると、抵抗陸軍の航空機整備技術者が不足することから、その育成機関として昭和14年に第五航空教育隊が設置され、さらには昭和15年に飛行兵要請のための大刀洗陸軍飛行学校が開校し、帝国陸軍の航空教育の中心地ともなっていきます。

 

大刀洗陸軍飛行学校

※写真の向きが誤っていたので、修正しています。

(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂、P.33)

 

また同じ昭和12年には、前年から渡辺鉄工所が建設していた野町工場を太刀洗製作所として独立させ、太刀洗での陸海軍の航空機製造を始めます。

 

大刀洗陸軍飛行学校は、目達原(佐賀)、筑後(福岡)、玉名・黒石原・健軍・熊之庄(熊本)、新田原・木脇・都城(宮崎)、知覧と九州一円に分教場が設置されたほか、岡山、京都、京城・大田・群山・大邱(朝鮮)にも分教場が設置され、計1万名にも及ぶ飛行兵を要請したとされています。

 

大東亜戦争開戦を迎えると飛行兵の不足が顕著となり、昭和18年には少年飛行兵2,000名が入隊し、兵士の早急な育成に尽力することとなります。


戦局が悪化した昭和20年3月27日および31日の2度にわたり、太刀洗では米国軍の爆撃機「B-29」の編隊による空襲を受け、600名から1,000名の犠牲者を出したと言われています。

中でも、3月27日の空襲では、立石国民学校で終業式に参加していた児童が逃げ込んだ「頓田の森」に爆弾が着弾し、児童24名が即死、負傷した7名も後に死亡するという大惨事となりました。

 

空襲で焼失した格納庫と四式重爆撃機「飛龍」

(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂、P.45)

 

なお、この空襲により帝国陸軍の施設は壊滅状態となる激しい空襲でしたが、第五航空教育隊の多くは部隊長の高村経人中佐の独断による命により、通常2,800~4,000名を数える駐屯者を疎開させていたことにより、教育隊の犠牲者を130名に抑えることができたと言います。

 

戦局の劣勢が明らかになってきた昭和19年4月には、特別攻撃隊の要員として特別幹部候補生3,000名が入校し、昭和20年2月に大刀洗陸軍飛行学校の教官・助教を中心とした特別攻撃隊として宮崎の新田原へ移動し、4月に出撃していきました。

 

更には、昭和20年5月25日に特別攻撃用に開発された「さくら弾」を搭載した飛行第六二戦隊の四式重爆撃機「飛龍」2機が出撃していきました。

 ・溝田機:溝田彦二少尉(21歳)、山中正八見習士官(22)、

      高尾峯望伍長(18)、田中弥一伍長(22)

 ・福島機:福島豊少尉(22歳)、大川實伍長(20)、

      永野和男伍長(19)、山下正辰伍長(19)

 

帝国陸軍・四式重爆撃機「飛龍」(引用:Wikipedia)

(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1239926)

 

四式重爆撃機「飛龍」を改造した「さくら弾機」(キ167、陸軍試作攻撃機)

オレンジ色が「さくら弾」の装備位置

(引用:「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂、P.54)

 

続いて8月には特別攻撃隊4隊が出撃を待っていましたが、出撃前に終戦を迎えます。

 

記念館に展示されている「九七式戦闘機」は、第一〇五振武隊として出撃命令を受けた佐藤亨伍長の搭乗機で、途中の朝鮮・大邱で渡辺利廣少尉に引き継がれて内地へ向かう途中、博多湾で不時着したものを、平成8年に引き揚げ整備したものです。

 

博多湾で引き揚げられ整備された 帝国陸軍「九七式戦闘機」

 

不時着時に搭乗していた渡辺少尉は漁船に救助され、4月22日に第一〇五振武隊として知覧から出撃しています。

また、大邱までこの機に搭乗していた佐藤伍長も知覧から出撃したものの一命を取り留め、終戦を迎えています。

 

また、昭和20年春には空中特攻として「B-29」に体当たりする「回天航空隊」が設置され、太刀洗の上空でも4月18日に山本三男三郎少尉が二式複座戦闘機「屠龍」による体当たりを敢行し「B-29・ゴンナ・メーカー」機と運命を共にされています。

 

帝国陸軍・錦複座戦闘機「屠龍」(引用:Wikipedia)

(不明 - unknown, copyright situation unknown, パブリック・ドメイン,

 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6730914による)

 

記念館の館内には、特別攻撃隊として出撃された兵士の方々の遺書や家族への手紙が展示されています。

 

なお、子犬を抱いた写真で有名な荒木幸雄伍長(後少尉・17歳)も大刀洗飛行学校甘木生徒隊に入隊され、卒業時には航空総監賞を受賞しています。

そして、朝鮮・平壌で編成された特別攻撃隊・第七二振武隊の一員となり、昭和20年5月27日に鹿児島・万世より出撃されています。

 

昭和20年5月26日、万世飛行場にて子犬を抱く第72振武隊の隊員(引用:Wikipedia)

前列左より、早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長

後列左から、高橋要伍長、高橋峰好伍長

(uncredited - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3687980による)

 

今では比較的のどかな雰囲気な大刀洗周辺ですが、戦前から戦中にかけ「帝国陸軍の一大航空基地」となっていた歴史があること、そして空襲による犠牲、特別攻撃隊の教育機関にもなっていたことなど、初めて知ることが多かったです。

私は、どちらかというとこれまで帝国海軍専門で、帝国陸軍には詳しくなかったので勉強になりました。

 

大刀洗平和記念館は、大きな博物館ではないですが、展示内容は熟慮されたことを感じさせる丁寧なもので、思想的・政治的な表現はなされておらず、「史実を忠実に伝えていく」姿勢を見ることができるものでした。

 

そして、今回のブログのベースになったのが、記念館で購入した「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」でした。

 

「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」

 

この図録も、84ページオールカラーで展示内容に沿って詳しい説明がなされており、定価1,300円はとてもリーズナブルだと感じました。

 

一通り展示を見終わり、筋向いのラーメン屋さんで遅めの昼食としました。

 

極太麺ラーメン 太勝 大刀洗店

 

注文したのは、ミニラーメン・豚3枚、1,150円!

 

ミニラーメン・豚3枚

 

ミニラーメンでも満腹になり、太刀洗駅に向かいます。

太刀洗駅では、旧駅舎に「大刀洗レトロステーション」が設けられています。

旧駅舎は、昭和14年の甘木線が建設された際に建てられたもので、無人駅となり不要となったことから、昭和62年4月に旧大刀洗平和記念館が開館します。

平成21年10月に現在の記念館が開館すると、昭和レトロな品々が展示されカフェが併設された博物館になっており、戦時中に出征する兵士らが通ったホームに繋がる地下道が当時のまま残っているそうです。

 

また建物の前に展示されている、航空自衛隊築城基地から無償貸与された「T-33」練習機が目を引きます。

 

「大刀洗レトロステーション」と航空自衛隊「T-33」練習機

 

当日は、残念ながら臨時休館中。

ん、先週末にも臨時休館に当たったような…。

 

それでも大刀洗平和記念館に満足したので良しとします。

これにて福岡・太刀洗への旅を終了します。お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

記念館の入口に移設された「第五航空教育隊」の正門

 

【参考文献】

  Wikipedia および

 

 

【Web】

HP「筑前町立大刀洗平和記念館」