今日は午前中、梅田まで買物に行ってきました。
昼は帰る途中のJR難波駅のサイゼリヤで昼食。
サイゼリヤでの昼食
これ、ワインも付けて850円です。さすがサイゼリヤ、安い!
話は変わって、今回は先日訪れた「太刀洗平和記念館」について書いていきます。
新大阪駅から新幹線に乗り、博多駅へ向かい、博多駅からはJR九州・鹿児島本線の区間快速に乗り基山駅へ。
JRの基山駅のホームから東側を見ると、甘木鉄道の基山駅が見えます。
甘木鉄道・基山駅
甘木鉄道は、国鉄改革により第一次特定地方交通線に指定された国鉄甘木線を第三セクターに転換した鉄道で、福岡都市圏から比較的近く、増便や西日本鉄道天神大牟田線との接続改善により、赤字ではあるものの第三セクター営業成績は比較的良い鉄道です。
甘木鉄道・AR300型ディーゼル気動車
基山駅から20分ほどで太刀洗駅に到着。
甘木鉄道太刀洗駅
駅から歩いてすぐ、交差点を渡ると「筑前町立大刀洗平和記念館」に到着します。
「大刀洗平和記念館」
ここには、以前ブログで取り上げた「ゴジラ -1.0」の撮影で使用された、帝国海軍の局地戦闘機「震電」の実物大レプリカが展示されているというので、今年早々に見に行きたかったのですが、五十肩が落ち着くまで我慢してました。(ゴジラ-1.0 帝国海軍の残存艦艇と掃海船「新生丸」)
「大刀洗平和記念館」の館内は、原則写真不可ですが、展示されている航空機「零式艦上機三二型」「九七式戦闘機」「震電」のみは撮影可能です。
さっそく、「震電」の写真を。
帝国海軍・一八試局地戦闘機「震電」のレプリカ
まず、局地戦闘機とは何か?
これは帝国海軍の呼称で、帝国海軍にとって最重要な軍港や付属基地などの特定区域(局地)を、敵の爆撃機による空襲から守るための戦闘機で、昼間に陸上の飛行場から発進するものになります。
特に、大東亜戦争後半では、米国の爆撃機「B-29」が飛ぶ高高度へ素早く到達できるよう、強力な大型機用のエンジンを採用しているのが特徴で、「雷電」「紫電」「紫電改(紫電二一型)」などがあります。
それまで設計・建造された戦闘機は、機首にエンジンを取り付けた形をしていましたが、空気力学的に見てこの形態では最高速度は700キロ超が限界と言われていました。
このため、機首の空気抵抗を低減させ速度向上を図るべく、世界各国で胴体後部にエンジンを配置する形(エンテ型)の航空機の研究が進められます。
日本でも、海軍航空技術廠(空技廠)の鶴野正敬技術大尉が取り組んでおり、昭和18年3月には「MXY-6」という小型滑空機(モーターグライダー)を試作します。
帝国海軍・小型滑空機「MXY-6」(引用:Wikipedia)
(San Diego Air and Space Museum Archive -
https://www.flickr.com/photos/sdasmarchives/6313290798/in/photolist-aBTgpm, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=88645914による)
昭和19年1月には、木更津基地で「MXY-6」は試験飛行を行い実用性が証明されます。
そして、早くも昭和19年5月には試作戦闘機の発注が決定されますが、大手の航空機メーカーは他の航空機の建造に多忙であったことから、中堅メーカーで太刀洗に工場を持つ九州飛行機に白羽の矢が立ちます。
設計は九州飛行機に鶴野技術大尉が出向する形で進められ、技術者の不眠不休による努力により、昭和20年6月には福岡・雑餉隈にあった九州飛行機の向上において、早くも試作1号機が完成します。
【要目】
全長:9.66m、全幅:11.1m、全高:4.43m、全備重量:4,928kg
発動機:三菱「ハ四三」四二型空冷星型複列18気筒、出力:2,130馬力
最大速力:746km/h、航続時間:2.5時間、搭乗員:1名
兵装:7.92mm機銃×2、30mm機銃×4、爆弾:240kg
※引用:日本軍用機事典1910~1945 海軍編 新装版」茂原茂、2018年5月、イカロス出版、P.153
戦後に撮影された「震電」(引用:Wikipedia)
(http://www.warbirdphotographs.com/NavyJB&W4/J7W-20s.jpg,
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10016870による)
完成した試作1号機は、工場に隣接した帝国陸軍の蓆田飛行場(現・福岡空港)に運ばれ、各種整備を行った後、昭和20年8月3日に初飛行を行います。
更に8月6日・8日にも試験飛行を行い、時速240~259km/hで計45分間の飛行を行った所で終戦を迎え、以降の開発は中止されたことから、計画されていた速力740km/hが実現できたかは不明のままとなりました。
その後、この1号機は米国に引き渡され、現在はスティーブン F. ユードバー=ハジー・センター(国立航空宇宙博物館別館)で操縦席から前の部分のみが展示されています。
米国で展示されている「震電」胴体前部(引用:Wikipedia)
(Ducatipierre - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82552994による)
「震電」の設計では「ガスタービン(ジェット)エンジン」の搭載も考慮されていたようで、確かに機体後部にジェットエンジンを積んだ姿を想像しても、違和感はないように見えます。
また、局地戦闘機として高高度を飛行する「B-29」の迎撃のため、零式艦上戦闘機に搭載されている20mm機銃より大口径の30mm機銃4門という重武装を機首に集中配置しており、高速で目標に接近し一撃で敵機を撃墜する「局地戦闘機」という思想が見られます。
機首に30mm機銃の2門の銃眼が見える
「ゴジラ-1.0」では、「震電」は機首片側の30mm機銃2門を降ろして爆弾を積んでいましたが、これは機首部分の左側?になり、ゴジラとの戦闘で使用したのは、右側?残った機銃と思われます。
また、この映画の中で重要な装置となるドイツ製の搭乗員の射出装置ですが、実機には設けられておらず、代わりに脱出時プロペラに巻き込まれることを防ぐため、プロペラの駆動軸を爆破しプロペラを外した後で脱出するよう設計されていました。
大刀洗平和記念館・後部から見た「震電」
「震電」のような「エンテ型」の航空機を発展させたのが、前部にカナード(補助)翼を持ったジェット戦闘機に発展していきます。
カナード翼を持つスウェーデン空軍・戦闘機「サーブ37ビゲン」(引用:Wikipedia)
(Alan Wilson - Saab AJS-37 Viggen '37098/ 52'
(SE-DXN)Uploaded by High Contrast, CC 表示-継承 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27216763による)
大東亜戦争末期に、先進的な設計の戦闘機が、発注から設計・試作機の完成まで1年ほどで行われた当時の日本航空界の技術の高さ、そして鶴野技術大尉の熱意の賜物であった「震電」。
実物はわずか45分しか飛行できなかった「震電」ですが、映画「ゴジラ -1.0」の主要登場機器のひとつとして活躍する姿を見ることができただけでも、嬉しいことですね。
私は「震電」の履歴を知っていたので、映画で見た空を舞う「震電」の姿に感動しました。
今回見ることができたレプリカは非常に精巧な作りで、隣に展示されていた「零式艦上戦闘機三二型」の実物と比べても遜色ない仕上がりでした。
大刀洗平和記念館の「零式艦上戦闘機三二型」
なお、大刀洗平和記念館では『開館15周年記念企画展『異端の翼「震電(J7W1)」福岡で開発された局地戦闘機』と題して、「震電」の開発経緯やその特徴、使命感を持って進めた技術者の思い、『ゴジラ-1.0』コーナーでは、撮影風景のパネルなどが展示される企画展が5月9日まで開催されています。
興味のある方は、ゴールデンウイークを利用するなどして、訪れてはいかがでしょうか。
後部右側から見た「震電」
垂直翼の可動部分に「オスナ」と書いてあります
次回は、常設展示されている大東亜戦争の記憶を取り上げます。
【参考文献】
Wikipedia および
「筑前町立大刀洗平和記念館 常設展示案内」筑前町、2022年12月改訂
【Web】
HP「筑前町立大刀洗平和記念館」