海上自衛隊歴史の中で稀有な漢字の艦名・掃海艦「桑栄」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

先日、潮書房(現・潮書房光人新社)の古い雑誌「丸スペシャル」の「海上自衛隊艦艇シリーズ」を数冊購入しました。1981年から1983年にかけて発行された月刊誌で、自衛隊創設時からの艦艇の写真がたくさん掲載されており、今となっては貴重な資料だと思います。

その中で1983年2月号の「機雷艦艇1」を見るなかで、目に留まった艦がありました。掃海艦「桑栄」という船です。なんといっても、海上自衛隊の主要艦艇の中で艦名が「漢字」です。非常に珍しい。

 

調べてみますと、「桑栄」は戦時中に建造された船でした。戦時標準船のうち2TM型油槽船として昭和19年10月に浦賀船渠で起工され、昭和20年1月に日東商船所属の「桑栄丸」として竣工しました。

「桑栄丸」は大東亜戦争後、米国海軍から掃海作業を実施した後の確認航行するための船で編成スタ「試航船隊」の1隻として選定されます。

 

「桑栄丸」は、その危険な任務のため触雷時に乗員を保護するための緩衝材および浮力材としての木材、舷外電路等を設置し、機関の遠隔操作のための改装が行われ、昭和21年1月末に工事が完了、第二復員省呉地方復員局(旧・呉鎮守府)に配属され、昭和21年2月中旬から本格的に試航を始めます。

 

昭和23年1月に復員庁が廃止されると、掃海業務は運輸省に移管されると「桑栄丸」も移管されます。さらに昭和23年5月に「海上保安庁」の開設に伴い、掃海業務も合わせて移管されることとなり、「桑栄丸」も移管されます。昭和23年11月に呉掃海部に配属され「掃海船(MS-32)」の船番号が付与されます。

 

【要目(掃海船:桑栄丸)】

 総トン数:2,835トン、常備排水量:6,145トン、船質:鋼、全長:99.0m、最大幅:13.8m、深さ:7.6m

 機関:タービン×1、推進軸:1軸、出力:1,200馬力、速力:11.5ノット

 ※出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P68

 

海上保安庁 掃海船「桑栄丸(MS-32)」

(出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P68)

 

昭和25年6月に海上保安庁に航路啓開本部が設置されると、「桑栄丸」は呉航路啓開部の所属となり、7月からは日本海側の航路、港湾の試航任務に従事しますが、昭和25年8月には台風に遭遇し秋田県船川港で座礁する事故を起こしています。

座礁の損傷修理後の昭和26年4月には極東米海軍の要請で朝鮮戦争中の朝鮮水域での試航任務に派遣され、釜山・仁川など各地で試航任務に従事しています。

 

昭和27年8月に保安庁警備隊が発足し、海上保安庁航路啓開本部および各航路啓開部は保安庁に移管されることとなり、「桑栄丸」を含めた掃海船53隻も合わせて移管されます。

これまで日東商船から傭船契約されていた「桑栄丸」は、昭和28年初頭に傭船契約を解除しタイへ売却する意向を持っていましたが、保安庁警備隊は「桑栄丸」を試航任務に必要としていたことから、昭和28年3月に購入します。

 

昭和29年7月に防衛庁および海上自衛隊の発足に伴い、艦種類別が改正され「掃海艦」の類別が設けられます。「桑栄丸」はこの「掃海艦」に分類され、12月には艦名を「桑栄」に改めます。昭和32年9月には艦種記号および番号が付与されることとなり、掃海艦には「GP」の符号が付与され鵜rこととなりますが、掃海艦に類別された艦は「桑栄」1隻のみであったことから、この時には番号は付与されませんでした。

 

【要目(掃海艦:桑栄)】

 総トン数:2,850トン、満載排水量:4,300トン、船質:鋼、

 全長:99.0m、最大幅:13.8m、深さ:7.6m、吃水:3.0m

 機関:タービン×1、推進軸:1軸、主缶:円缶×1、出力:1,200馬力、速力:9ノット、乗員数:75名

 ※出典:世界の艦船「海上自衛隊全艦艇史」増刊第66集、No.630、2004年8月、海人社、P35

 

海上自衛隊 掃海艦「桑栄(GP)」

(「丸スペシャル・機雷艦艇1」No.72、1983年2月、潮書房、P36)

 

その後、昭和35年10月に海上自衛隊艦船の類別区分が改正されたことから、「桑栄」の艦番号は「PG-441」とされました。

 

海上自衛隊 掃海艦「桑栄(GP-441)」

(「丸スペシャル・機雷艦艇1」No.72、1983年2月、潮書房、P36)

 

「桑栄(PG-441)」は掃海母艦としての支援任務のほか、輸送任務、潮流観測任務など多様な任務に従事しましたが、元々が第二次戦時標準船として急増された船であったことから、建造後18年も経過すると船体・機関の老朽化が顕著となり、昭和38年3月に自衛艦籍から除籍されました。

晩年の「桑栄」は、他の自衛艦と同じく艦中央両舷にひらがなで「そうえい」と記されていましたが、正式名称は最後まで漢字の「桑栄」で通されました。

なお、「桑栄」の名は商船時代の船名をそのまま採用したもので、現在の海上自衛隊艦艇の命名基準から外れているため、今後も二代目は現れないと思います。

 

海上自衛隊における自衛艦のなかで漢字の艦名で通した「桑栄」は、海上自衛隊創世期の船名に「丸」の付く小型掃海船艇を除くと他になく、特に「艦」に類別された中では唯一の存在でした。

その危険と波瀾に満ちた生涯と合わせてお伝えしたいと思い取り上げてみました。