帝国海軍雑役船から海上保安庁へ 惨事もあった測量船「海洋」三代記 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

海人社の「世界の艦船」第202号から第227号にかけて掲載された、高須広一氏の「旧日本海軍・海上自衛隊 艦船名考」を少しずつ電子データ化する作業をしています。

この中には、小型の雑役船の名称も拾われており、あまり聞いたことのない艦船の名前も出てきます。

今回は「か」の部にあった「海洋(かいよう)」という名前に目が留まりました。

帝国海軍に所属する船ですが、当然ながら有名な艦艇の名ではなく、小艦艇の名でもありません。雑役船にその名があります。実は「海洋」の名を冠した船は1隻ではなく、6隻存在します。

これらの船は、昭和14年度から16年度にかけて各2隻の建造が計画された、200瓲海洋観測船に当たります。

「世界の艦船」第206号、1974年10月 の「艦船名考」によりますと、

雑役船 第一海洋 昭和14年度計画 昭和14年(?)命名、昭和19年10月19日被爆沈没。

雑役船 第二海洋 昭和14年度計画 昭和15年1月20日命名、昭和19年10月15日被弾沈没。

雑役船 第三海洋 昭和15年度計画 昭和17年7月17日命名、昭和19年10月29日亡失認定。

雑役船 第四海洋 昭和15年度計画 昭和17年7月17日命名。戦後、海上保安庁測量船第4海洋。

雑役船 第五海洋 昭和16年度計画 昭和18年6月9日命名。戦後、海上保安庁測量船第5海洋。

雑役船 第六海洋 昭和16年度計画 昭和18年6月9日命名、昭和19年10月31日被雷沈没。

 

となっています。

他に情報がないかと探してみると、「残存帝国艦艇」木俣滋郎著、昭和47年12月、図書出版社 に少し記載がありました。

これらの「海洋」は、海軍水路部が潮流の強さや方向、水深、海底の具合を調査し、記録するために建造したものです。なお海軍水路部は、戦後海上保安庁の水路部(現・海洋情報部)となっています。

【要目】

 排水量:277トン、全長:37.00m、垂線間長:34.00m、幅:6.85m、深さ:3.25、吃水:2.35m

 機関:ディーゼル機関×1、推進軸:1軸、出力:400馬力、速力:11ノット

 兵装:13㎜単装機銃×3、7.7mm単装機銃×2

※出典;「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR」第二復員局、1947.4、p177

 

雑役船(観測船)「第四海洋」

(出典;「JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR」第二復員局、1947.4、p177)

 

「海洋」はいずれも三菱重工下関造船所で建造されています。

「第四海洋」は就役後、横須賀海軍水路部に配属され、東京や静岡・清水を基地として本土南方の海洋観測を行っています。

また、「第五海洋」は、就役後に千葉・館山を基地として講習生・臨海実習生の実習を行います。昭和18年7月には千島列島・占守島に進出し、キスカ島撤退作戦における気象観測を行ったようで、米軍機の空襲を受けています。その後、昭和18年11月には函館-館山間の船団護衛にも就いています。

 

「第四海洋」「第五海洋」の2隻は、昭和20年11月29日に運輸省へ編入された後、昭和23年5月1日に海上保安庁へ移され測量船とされます。

昭和24年10月20日には船名を「第四海洋丸(HM-01)」「第五海洋丸(HM-02)」に変更されます。

 

測量船「海洋」(旧「第四海洋(HM-01)」)

(出典:「残存帝国艦艇」木俣滋郎、昭和47年12月、図書出版社、P364)

 

そして、「第五海洋丸」は、昭和27年9月17日に噴火した「明神礁」の観測のため、9月23日に東京を立ちますが突然消息を絶ちます。捜索の結果、9月27日に噴火に巻き込まれたことを示す遺留品や船体の断片が見つかり、田山利三郎測量課長を始めとする31名が遭難、全員殉職したものと認定される惨事となります。後に津波の観測結果などにより沈没日時は24日正午頃であると推定されています。

 

噴煙を上げる明神礁とそれを眺める巡視船「しきね(PM-21)」船員

(Maritime Safety Agency - 中日新聞社「戦後50年」より。なお、この写真は既に公表済である。ファイルはあばさーによりスキャンおよび編集されました。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3996750による)

 

「第五海洋」の喪失により、「第四海洋」は昭和31年12月に「海洋」と改名した後、昭和39年4月に解役されます。

 

「海洋」の代船として、昭和38年に計画され名古屋造船で建造、昭和39年10月に就役したのが二代目の「海洋(HM-06)」です。

【要目】

 総トン数:300トン、常備排水量:378トン、船質:鋼、全長:44.5m、最大幅:8.0m、深さ:3.8m

 機関:ディーゼル×1、推進軸:1軸、出力:450馬力、速力:11.9ノット、乗員数:36名

 ※出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P117

 

観測船「海洋(HM-06)」

(出典:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P117)

 

「海洋」は船の前部に測量作業甲板を持ち、深度3,500mに対応可能な捲揚機を配置していました。平成5年9月に改役されています。

 

そして「海洋」は三代目を迎えます。測量船「明洋」型の2番船として平成3年に計画され、初代「海洋」と同じ三菱重工下関造船所で平成5年10月に竣工した中型の測量船「海洋(HL-05)」です。

【要目】

 総トン数:621トン、常備排水量:1,035トン、船質:鋼、全長:60.0m、最大幅:10.5m、深さ:5.0m

 機関:ディーゼル×2、推進軸:2軸、出力:2,200馬力、速力:15.8ノット、乗員数:386名

 ※出典:「世界の艦船」No.881、2018年7月、海人社、P95

 

測量船「海洋(HL-05)」

(出典:海上保安庁海洋情報部HP、https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/JCG/msa.html

 

三代目「海洋」は、海洋測量装置として船底に設置されたシービーム2000/12型マルチビーム音響測深機(MBES)、水深測量自動集録処理装置(SYSTEM 900)、多素子音響測深機、浅海音響測深機(アトラス・デソ20)、海上磁力計、海上重力計、複合測位装置、精密電波誘導装置を備えています。

 

就役後は、港湾周辺や沿岸域を主な行動範囲として、海図作成のためのデータ収集や潮汐・潮流の観測を主な任務としますが、南海トラフ海域の海洋地殻変動観測や、自然災害や海難時の救援物資陸揚げ拠点となる港湾の緊急測量や流出した油などの拡散状況調査も行っています。

 

大東亜戦争から、戦後の海洋測量、明神礁での惨事、そして現在まで日本の海洋測量による海の安全確保を行っている「海洋」の名は、歴史のある船名として今後も代々受け継がれていくことを願いたいと思います。