過ぎたるは猶及ばざるが如し・瑞国戦列艦「ヴァーサ」の処女航海 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

処女航海で沈没した船と言うと、有名なのが英国・ホワイトスターラインの巨大客船「タイタニック」を思い浮かべる方も多いと思います。

 

軍艦においても、「タイタニック」のように国の威信をかけて建造した巨大艦にもかかわらず、処女航海であっけなく沈没した艦があります。

この艦は、「タイタニック」より280年ほど前の帆船時代にスウェーデンで建造されたもので、その名を「ヴァーサ」と言います。

 

「ヴァーサ」は、当時のスウェーデン(以下:瑞国)国王のグスタフ・アドルフの命により、ポーランド・リトアニアとの戦争(1621年~1629年)において優位に立つための軍事拡張の一環として建造されたもので、1626年から1627年にかけて民間企業家との契約に基づいてストックホルムの海軍工廠で建造されました。

【要目】

 船型:3檣ガレオン船

 排水量:1,210トン、長さ:69m、垂線間長:47.5m、

 幅:11.7m、高さ:52.5m、吃水:4.8m

 兵装:24ポンド砲×48、3ポンド砲×2、1ポンド砲×2、榴弾砲×6

 

瑞国海軍・戦列艦「ヴァーサ」の模型

(引用:Wikipedia Commons・スウェーデン語版)

(By Bengt Nyman from Vaxholm, Sweden - Vasa D81_2674, CC BY 2.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75352478)

 

ガレオン船とは、小さめの船首楼と大きい1〜2層の船尾楼を持ち、3〜5本の帆柱を備え、1殻列の砲列を備えた船を指します。

 

ガレオン船の例・仏国海軍・戦列艦「ラ・クローヌ」

(引用:「船の歴史事典 コンパクト版」アティリオ・クカーリ/エンツォ・アンジェルッチ

訳・堀元美、2002年6月、原書房、P.94)

 

「ヴァーサ」は、その設計において大きな欠陥を有していました。

 

水面に浮いている船は、起き上がりこぼしと同じで風や波で傾いても元に戻ろうとする「復原性」を持っています。

この「復原性」は、船の重心が低い(ボトムヘビー)と揺れに対して強くなり安定しますが、重心が高くなる(トップヘビー)と少しの波や風で大きく揺れてしまいます。

この時、船体内が浸水すると。船は起き上がることができずに転覆・沈没することとなります。

 

「ヴァーサ」は、もともと砲甲板は一層の予定であったものを、建造途中で二層に増やすなどの無理な設計変更を行ったため、トップヘビーの状態であったとされます。

実際には、砲甲板は当初から二層として建造されたとの検証もありますが、砲甲板を二層にすると、重量物である大砲が船の高い位置に配置されるため、船の重心が高くなるトップヘビーとなります。

 

「ヴァーサ」は、1628 年の春に艦艇にバラストを搭載した状態で復原性のテストを行いますが、船が大きく傾き始めたため、早々に試験が中止されたとの記録があります。

 

「ヴァーサ」の船体断面模型(引用:Wikipedia・スウェーデン語版)

(Av Peter Isotalo - Eget arbete, Public Domain, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2324637)


「ヴァーサ」には君主の権威、知恵、技能を称賛し称賛する多数の彫刻で飾られており、この彫刻は船の総建造費のかなりの部分を占めたうえに、非常に重かったので船の操縦性にも影響を与えることとなります。

 

「ヴァーサ」模型の艦尾彫刻(引用:Wikipedia・スウェーデン語版)

(Av Peter Isotalo - Eget arbete, CC BY 3.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4370666)

 

グスタフ・アドルフ国王は、「ヴァーサ」の建造時にはポーランドの戦場で多忙を極めており、頻繁に船を戦闘準備を整えておくべきだと要求する手紙を送り建造を急がせました。

 

ハイスピードで行われた「ヴァーサ」は、1628年8月10日にソーフリング・ハンソン艦長は、兵士と食料を乗せてストックホルム港からストックホルム諸島のエルスナッベン泊地に向けて処女航海を始めるよう命じます。

この日は快晴で穏やかで、風は南西の微風のみが吹いていました。

「ヴァーサ」は海岸に沿い、10枚の帆のうち4枚を展張した状態で港の南側まで曳航されますが、この時「ヴァーサ」の砲台下部甲板の砲門は開いていました。

 

「ヴァーサ」は東に進路を変えた際、一陣の風が帆を満たし突然左舷へと傾きますが、強風が収まると艦は立ち直ります。

しかし、直後に吹いた突風により艦は大きく左舷に傾き、開いた砲門から水が流れ込み始め「ヴァーサ」の傾斜は増大、艦底のバラストが移動してしまったことから復原できず転覆し、海岸から120mの地点で沈没し、水深32mの地点に着底してしまいます。

 

「ヴァーサ」の航跡(引用:Wikipedia・スウェーデン語版)

造船所①から、艤装が行われた城②を経て、ベックホルメンの南にある沈没現場③まで

(Av MapMaster - Eget arbete, CC BY-SA 3.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2776422)


「ヴァーサ」の沈没は、出航を見るために集まった数百人に達するストックホルム市民の目の前での出来事であり、沈没により乗組員30人~50人が犠牲となりました。

 

「ヴァーサ」に搭載された大砲や貴重品は1664年までにほぼ回収されたものの、船体の回収にはことごとく失敗し、海底に沈んだ状態で長年放置されていました。

 

ところが、1950年代に入ると、バルト海は水温や酸素濃度が低いためフナクイムシが生息しておらず、「ヴァーサ」の船体が朽ちることなく復元可能な状態で沈んでいる可能性が持ち上がります。

これに対し、瑞国アマチュア考古学者アンデシュ フランゼンの尽力により「ヴァーサ」は沈没から333年を経た1961年に引揚げられ、海面に姿を現します。

 

「ヴァーサ」の浮揚作業(引用:Wikipedia・スウェーデン語版)

(Av Vasamuseet - Vasamuseet, Public Domain, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10947127)

 

引揚げられた「ヴァーサ」は、船体や調度などが非常に良く原形を残しており、当時の戦列艦の姿・建造方法・設備などを知る貴重な資料として長期にわたる復元作業が行われ、1988年12月からストックホルムに建設されたヴァーサ博物館にて展示されています。

 

復元された「ヴァーサ」を艦首左舷側から見る(引用:Wikipedia)

(Nick Lott (Nicklott 19:13, 20 Apr 2005 (UTC)) - 投稿者自身による著作物, CC 表示 2.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114757による)

 

「ヴァーサ」は、戦列艦の設計において「武装や特徴を盛り込みすぎたことで、とても航海に耐えられない船」を建造した結果を示し、大きな教訓を与えた艦となりました。

 

それでも後年、帝国海軍で新鋭の水雷艇「友鶴」が訓練中に転覆する事件が発生します(事件後の水雷艇「友鶴」)。

この転覆も、海軍軍縮条約で大型艦が建造できないことから小型艦に重武装を施した結果、トップヘビーとなり転覆したものとされ、「友鶴」と同時期に建造された艦艇は復原性改善の大規模な工事を受ける大きな出来事となりました。

 

竣工時の水雷艇「友鶴」(引用:Wikipedia)

(日本海軍 - 丸スペシャル日本海軍艦艇シリーズ第39号「水雷艇」13P, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5884917による)

 

また、2014年4月16日に大韓民国の大型旅客船「セウォル(世越)」が全羅南道珍島郡の観梅島沖海上で転覆・沈没した事故でも、2012年にマルエーフェリーの「フェリーなみのうえ」を購入した清海鎮海運により最上階の船体後方への客室増設を行う大規模な改装が行われ、トップヘビーとなった状態で、さらに過積載とバラスト水の操作ミスが重なり、急激な旋回により船体が転覆したものとされています。

 

横倒しとなったフェリー「セウォル」(引用:Wikipedia・ハングル語版)

(By 로이터/한국 해안 경비병/연합뉴스 (REUTERS/Korea Coast Guard/Yonhap), 공정 이용, 

https://ko.wikipedia.org/w/index.php?curid=1373981)

 

犠牲になった方々を忘れず、また艦船の設計においては肝に銘じなければならない、重要な海難事象です。

また、いつの時代においても「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という諺の典型のような、日々の生活にも通じる事象として、取り上げてみました。

 

艦首側から見た「ヴァーサ」の甲板(引用:Wikipedia)

(I, Peter Isotalo, CC 表示-継承 3.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2502592による)

 

「ヴァーサ」の左舷舷側を艦尾側から艦首側を望む(引用:Wikipedia)

(CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39123)

 

なお、2019年まで箱根・芦ノ湖で運航されていた箱根海賊船の「バーサ」は、この戦列艦「ヴァーサ」をモデルとしていました。

 

箱根海賊船・遊覧船「バーサ」(引用:Wikipedia)

(掬茶 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19212466による)

 

【参考文献】

 Wikipedia(英語版・スウェーデン語版を含む)