80年前のトラック大空襲・轟沈した「伯耆丸」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

このところ、両肩が痛みます。

特に右肩が痛く、寝返りで右肩が下になると、刺すような痛みで目が覚めてしまい、寝不足が続いていました。

我慢できなくなり、本日は有給休暇を取り朝から整形外科へ向かいました。

診療結果は、「型関節周囲炎」、いわゆる「五十肩」!

 

確かに53歳になるので、罹ってもおかしくないですが…。

湿布・痛み止めの処方と、こんなパンフレットをもらってきました。

 

 

話は変わって、明日は2月17日。

80年前の2月17日から18日にかけて、南洋における帝国海軍の拠点であった「トラック諸島」に対して、米国海軍機動部隊による大空襲が行われました。

 

事前に空襲を察知していた帝国海軍は、事前に艦隊の主力を撤退させていたため、当時在泊していた艦艇は、二等巡洋艦「阿賀野」「那珂」、練習巡洋艦「香取」他、駆逐艦等が数隻のみで、大半が徴傭した民間船舶でした。

 

そして、次に挙げる特設艦艇を含む民間船33隻が犠牲となりました。

 「赤城丸」「平安丸」「第十五昭南丸」「第三図南丸」「神国丸」「富士山丸」「宝洋丸」

 「日豊丸」「愛国丸」「清澄丸」「りおでじゃねろ丸」「伯耆丸」「富士川丸」「乾祥丸」

 「山霧丸」「天城山丸」「壽満丸」「瑞海丸」「花川丸」「桃川丸」「松丹丸」「麗洋丸」

 「大邦丸」「西江丸」「北洋丸」「桑港丸」「五星丸」「第六雲海丸」「山鬼山丸」

 「暁天丸」「辰羽丸」「夕映丸」「長野丸」

 

以前から、このブログで何隻か取り上げています。

もうひとつの氷川丸 「平安丸」の最期

特設輸送船として撃沈されるも 戦後甦った捕鯨母船「第三図南丸」

ダイビングスポットとなった特設航空機運搬艦「富士川丸」

移民船「りおでじやねろ丸」・トラック大空襲と今の姿

いのち眠る海・国際汽船「清澄丸」

 

この中で、一隻の船名が気になっていました。

それは「伯耆丸」という船で、私事ですが「伯耆」は出身地に当たります。

「伯耆」とは鳥取県西部の旧国名で、中国地方最高峰の「大山」は別名「伯耆富士」とも呼ばれています。

 

JR伯備線・特急「やくも」車内より見た「大山」

 

そこで、ちょっと調べてみることにしました。

「伯耆丸」は、英国・ダンバートンのウィリアム・デニー・アンド・ブラザーズ造船所で建造され、ロンドンに本社を置くユニオン・スチームシップ・オブ・ニュージーランド社の貨物船「ハウラキ(HAURAKI)」として1922年3月に竣工します。

【要目】

 総トン数:7,112トン、長さ:137m、幅:18m

 主機:ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:4,000馬力、速力:12.4ノット

 乗客数:1~9名

 ※引用:HP「Scottish Built Ships」

スコットランドの造船データベースへようこそ (clydeships.co.uk)

 

ユニオン・スチームシップ・オブ・ニュージーランド・貨物船「ハウラキ」

(引用:HP「Scottish Built Ships」)

 

竣工後の「ハウラキ」は、豪州シドニー~フィジー~加州バンクーバー~クック諸島~シドニーの太平洋横断航路に就航し、その後もオセアニアを中心とした太平洋航路で運用されます。

この間の1934年8月には、ニュージーランド・オークランドの近くで座礁事故を起こしています。

 

昭和15年には英国陸軍運輸省に徴傭されますが、引き続き太平洋航路で運用されます。

大東亜戦争開戦後は太平洋およびインド洋での輸送任務にあたり、昭和17年7月4日には豪州西部のフリーマントルからスリランカのコロンボへ向けて出港します。

 

そして、昭和17年7月13日にインド洋で通商破壊作戦に就いていた特設巡洋艦「報國丸」と遭遇します。

この時、「報國丸」は「ハウラキ」の乗組員が吸っていたタバコの火によりその存在を確認したと言われています。

 

特設巡洋艦「報國丸」(引用:Wikipedia)

(日本海軍 - 潮書房 丸スペシャル No.53 『日本の小艦艇』10P, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6932461による)

 

「ハウラキ」は「報國丸」により拿捕され、「報國丸」の乗組員が移乗し、同型の特設巡洋艦「愛國丸」の2隻に伴われて現・マレーシアのペナン島に到着、第十特別根拠地隊に引き継がれ、三井船舶の運航する「伯耆丸」と改名されます。

 

特設巡洋艦「愛國丸」(引用:Wikipedia)

(日本海軍 - 潮書房 丸スペシャル No.53 『日本の小艦艇』11P, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6932432による)

 

なお、「伯耆丸」の船名は、「ハウラキ」の発音と類似していたため、とされています。

 

昭和17年の大晦日に帝国海軍の特設運送船(雑用船)として徴傭され、昭和18年1月中旬に横須賀へ到着、6月から10月にかけて横浜の浅野船渠で整備工事を受けます。

 

整備が終わった「伯耆丸」は、北海道・室蘭を往復し川崎へ帰投、続いて福岡・門司に向かう途中、愛媛・釣島灯台沖で「大栄丸」と衝突し損傷してしまいます。

 

それでも「伯耆丸」は門司・大連などへの輸送任務に従事し、昭和19年1月20日に「第4120船団」に加わり横須賀からトラック諸島に向けて出港していきます。

昭和19年2月4日にトラックへ到着、荷揚げのため待機中の2月17日に空襲に襲われ、夏島の東南沖で23名の乗組員とともに、ほぼ轟沈の状況で海底に沈んでいきました。

 

 

左舷船尾側から見た貨物船「ハウラキ」

(引用:HP「Scottish Built Ships」)

 

「伯耆丸」の近くには、拿捕後にペナンへ同行した「愛國丸」も同じ空襲により沈没しており、運命のいたずらを感じます。

 

現在の「伯耆丸」は、船橋は原形をとどめておらず、船首付近も破壊され、後部60mほどが原形を残した状態で水深51mの海底に横たわっており、後部の船艙には原形を保ったままのトラックなどがあることから、ダイビングスポットとなっています。

 

海底の「伯耆丸」に残る自動車

(引用:HP「SCUBA DIVING EARTH」)

 

ですが、これらの船舶の中には犠牲者の遺骨が残っており、その遺骨を記念撮影するダイバーもいることから、犠牲者の尊厳を守ることからも遺骨収集が課題となっています。

 

ただ単に私の出身地の名を持った船として調べてみましたが、結構波乱の船生を辿った船のようでした。

「伯耆丸」を含め、80年前のトラック大空襲で亡くなられた日米の兵士、そして軍属として従事した船員の方々、トラックから避難しようとしていた民間人の方々、すべての犠牲者に対して哀悼の誠を捧げます。


【引用文献】

 Wikipedia および

 

 

「外国籍拿捕船要覧」宮田幸彦、2015年12月、自費出版

 

【Web】

 HP「Scottish Built Ships」

スコットランドの造船データベースへようこそ (clydeships.co.uk)