大阪で出土した古墳時代の「独木舟」 | 艦艇・船舶つれづれ

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「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は肩の調子が今一つなため、外出せず大人しくしています。

そこで、ちょっと船の歴史について遡って調べてみました。

 

現存する世界最古の舟は、オランダ・ドレンテ州のペッセで1955年に出土したカヌーで、「ペッセ・カヌー」と呼ばれています。

【要目】

 材質:ヨーロッパ・アカマツ、長さ:2.98m、幅:0.44m

 

「ペッセ・カヌー」(引用:Wikipedia英語版)

(http://museaindrenthe.nl/collectie/object/27368409-69dc-0888-ab8e-252b1d4f5760, CC 表示 3.0,

 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48144340による)

 

このカヌーが建造されたのは、紀元前8040年から紀元前7510年の中石器時代初期とされており、オランダのアッセンにあるドレンテ博物館に展示されています。


これは、丸太をくり抜いた「独木舟(まるきぶね)」で、この形態の舟は世界各地で出土しています。

また、日本各地でも同様の「独木舟」は各地で出土しています。明治11年には、大阪市浪速区船出町の鼬川から出土した「独木船」は、2つの部材を前後に接合した大型の「複材刳舟(くりぶね)」となっています。

【要目】

 材質:楠、長さ:11.6m、幅:1.2m、深さ:0.55m

 

鼬川から出土した「複材刳船」

(引用:「日本の船 和船編」安達裕之、1998年3月、船の科学館、P.12)

 

この刳舟は、3世紀中頃から7世紀にかけての古墳時代と推定されており、1.73mもある接合部は、横梁を2本渡して横梁と船底の間に太い直材を閂のように入れて締付をしています。

また、水止めには槙皮が使用されていました。

この刳船は、大阪城公園で展示されていましたが、大東亜戦争の空襲により焼失してしまい、現存していません。

 

また、大阪ではあと3艘の「複材刳船」が出土しています。

大正6年には、東成区今福町の鯰江川から一回り大きな「複材刳船」が出土しています。

【要目】

 材質:楠、長さ:13.46m、幅:1.89m、深さ:0.82m

 

鯰江川での「独木船」発掘風景

(引用:「Journal of the Archaeological Society of Nippon 8(1)(216)」

 日本考古学会、1917年9月、P.44、国会図書館書誌ID:000000007687)


昭和12年には東淀川区豊里町で小型の刳船が出土します。

【要目】

 材質:杉、長さ:4.5m、幅:0.99m

 

これらの刳船も大東亜戦争の空襲により焼失してしまいました。

 

戦後10年を経た昭和30年には、大今里本町で再び刳船が出土します。

【要目】

 材質:楠、長さ:10.21m、幅:1.149m、深さ:0.56m

 

大今里で出土した「独木船」

(引用:HP「大阪市/東成区の魅力発見」)

 

 

 

こうやって見ると、大阪でも古代人の建造した「独木船」が出土していることが分かりました。

 

これらの「独木船」は、川船または沿岸を行き来する船でしたが、7世紀初頭からは大陸の技術を取り入れた大陸方面への航行が可能な大型船を建造し、大阪の住吉大社近くの住吉津から遣隋使・遣唐使が大陸に向け出港していきます。

 

住吉大社の「遣唐使進発の地」の碑

 

「独木舟」は、世界的に古代人が使用した「船」ですので、皆さんの居住地の近くでも出土しているかもしれません。

近くの歴史館・博物館で展示されているかもしれませんので、興味を持たれた方はネットで検索すれば、ヒットするかもしれません。

 

「船」は、飛行機・自動車・鉄道などと異なり、今から1万年前には既に実用化されていた長い歴史を持つ「乗物」です。もう少し、脚光が当たっても良いと思うんですけどね…。

 

【参考文献】

 「日本の船 和船編」安達裕之、1998年3月、船の科学館

 

【Web】

 HP「国会図書館デジタルコレクション」

 HP「大阪市」