祖父の軍歴証明が届く | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は在宅勤務。 先週3日間休んだので、約300件の未読メールを整理するのに一日かかりました。

 

本日、祖父の軍歴証明が届きました。

以前にブログ(祖父の形見)で取り上げた祖父の履歴については、不明なことばかりであったため何か知る方法はないかとネットで調べたところ、帝国陸海軍に所属していた軍人の履歴は、証明を取得できることが判りました。

 

帝国海軍は厚生労働省 社会・援護局援護・業務課調査資料室 が管理しており、帝国陸軍は終戦(戦没)当時の本籍地を管轄する都道府県が管理しています。

祖父の没時の本籍は鳥取県でしたので、鳥取県のHPで検索すると、福祉保健部ささえあい福祉局福祉保健課が窓口でした。

 

窓口へ電話連絡をすると、申請書と必要書類が記載された書面が郵送されてきました。

必要書類には戸籍がありましたので、当該の役所へ郵送申請により取得し、その他の書類も合わせてポストへ投函したのが18日の土曜日でした。

 

軍歴証明書の一部

 

これによって、祖父の帝国陸軍における経歴の謎が解けました。

以前取り上げた「戦史の記録 第七集」で、祖母の語った祖父の入隊した部隊である「鳥取四十七部隊」ですが、当時鳥取に「歩兵第百二十一連隊」の前身が「中部第四十七部隊」のであったことから、あながち間違っていませんでした。

 

「戦史の記録 第七集」

 

しかし、「歩兵第百二十一連隊」が鳥取から出征したのは昭和18年4月、彼らが向かうのはビルマ(現・ミャンマー)なので「北支に行って病気になって帰ってきた」という話と合いませんでした。

 

ですが、この軍歴証明に「昭和17年1月歩兵第百二十一連隊第一中隊に入営、昭和17年4月に歩兵第六十三連隊に転出」と書かれており、「歩兵第六十三連隊」は、昭和15年8月から満州興山鎮に駐屯していたことから、ようやく話が繋がりました。

 

その後、祖父は体調を崩して満州・関東州の病院を転々とし内地に戻っています。

 

この辺りの話は、また調べてみてからにしたいと思います。