祖父の形見 | 艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

このゴールデンウイークは、久しぶりに5月3日から8日までの6連休!

とはいうものの、5日の夜に3時間ほど在宅で仕事しましたが。

明日から仕事だと思うとゾッとします(笑)

 

実家から持って帰ったものに、以前も載せましたが、靖国神社と祖父を飾った額がありました。

 

 

また、これとは別に昭和43年に「勲八等」を授かった際の証書があります。

 

 

証書があれば、勲章もありました。

 

 

また、「戦史の記録 第七集」昭和史刊行会、1984年11月 に祖父が載っています。

 

 

これによると、

「昭和17年1月 鳥取47部隊へ現役入隊し、同年3月に支那派遣軍に加わり興山鎮、牡丹港へ上陸、同地一帯の実戦に参加。

そのうち過労のため発病し、昭和18年9月に内地送還され鳥取陸軍病院に入院、昭和19年3月に岡山陸軍病院に転院、昭和19年6月18日に逝去する。」

 

となっており、祖父は内地で戦病死していることが判ります。

 

鳥取47部隊なるものが良く判りませんが、鳥取第四十連隊が北支方面で関東軍隷下となって国境警備などの行動をしていたことから、ここにいたのではないかと思います。

 

これらの品は、祖父が生きていたこと、大東亜戦争により体を壊し亡くなったことの証だと思います。

 

私の興味は帝国海軍や民間船舶にありますが、私の郷土の連隊であった鳥取第40連隊、また書籍に記載されていた「鳥取47部隊」についても調べてみたいと思います。

祖父の鎮魂のために。