フィリピン・マニラ湾に今も残る「浮沈艦」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

ゴールデンウイーク前からトラブっていたシステムの対応で、少々お疲れ気味です。

 

今回は、今も残る「浮沈艦」を取り上げてみます。

「浮沈艦」と言えば、まず浮かぶのが帝国海軍の戦艦「大和」ですね。

 

戦艦「大和」(引用:Wikipedia)

(Yamatotrials.jpg: Unknownderivative work: 0607crp (talk) - Archives of the Kure Maritime Museum, Yamatotrials.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11082956による)

 

今回取り上げるのは「浮沈艦」といっても「船」ではありません。「軍艦」とそっくりのコンクリート製の構造物で、フィリピン・マニラ湾の入口に建設された砲台要塞です。

「フォート・ドラム」と名付けられており、元は「エル・フレイル島」と呼ばれる島でした。

 

「フォート・ドラム」になる前の「エル・フレイル島」(引用:Wikipedia)

(Photo taken by U.S. Army - Morton, Louis (1953年) "CHAPTER XXVII: The Siege of Corregidor" in The Fall of the Philippines, United States Army in World War II: War in the Pacific, ワシントンD.C.: Office of the Chief of Military History, Department of the Army, pp. 476, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71552470による)

 

「エル・フレイル島」にはスペインの植民地時代に砲兵陣地が設置されていましたが、米西戦争により米国の植民地となった後、米国はマニラ・スービック湾沿岸防衛施設の建設を計画します。

 

この計画では、当初「エル・フレイル島」には掩蔽された機雷管制施設が設置が計画されますが、一帯の防衛施設が不足しているとされたことから、島全体を平坦な形としてコンクリートで覆い、30.5cm(12インチ)連装砲塔2基を設置する要塞の建設する計画に変更されます。

その後、陸軍省の指示により30.5cm砲は主武装には35.6cm(14インチ)砲に変更され、明治42年4月に着工されます。その構造図は次のようなものです。

 

「フォート・ドラム」の構造図(引用:Wikipedia:一部加工)

(US Army Corps of Engineers - http://www.concretebattleship.org, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48700998による)

 

起工から5年かけて「軍艦」と似た構造物が完成、「フォート・ドラム」と名付けられます。

 

【要目】

 全長:110m、全幅:44m、トップデッキの高:12m(干潮時)

 兵装:35.6cm連装砲×2、15.2cm単装砲×4、7.7cm高射砲×2

 

左舷後部側から見た「フォート・ドラム」(引用:Wikipedia)

(http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/5-2/5-2_27.htm, パブリック・ドメイン,

 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6194967による)

 

「フォート・ドラム」のデッキ部は厚さ6.1mの鉄筋コンクリートで覆われ、周囲も7.6~11.0m程度のコンクリートで構成されており、敵艦船からのあらゆる攻撃に耐え得るとされていました。

また、「フォート・ドラム」の砲にはそれぞれ、35.6cm連装砲は1番砲塔が「マーシャル」、2番砲塔が「ウィルソン」、ケースメート式の副砲は左舷が「ロバーツ」、右舷が「マクレアー」の名称が付けられました。

 

主砲塔「マーシャル」の砲撃訓練(引用:Wikipedia)

(U.S. Army - National Archives SC-102455 as cited in Allen, Francis J. (1999年4月) The concrete battleship : Fort Drum, El Fraile Island, Manila bay (Second Revised Printing ed.), Missoula, Mont.: Pictorial Histories Publishing Company, p. 35 ISBN: 0-929521-06-4., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71656958による)

 

大東亜戦争の開戦を迎えると、「フォート・ドラム」のトップデッキに設けられていた木造兵舎はウィルソン砲塔の射界を確保するため解体され、昭和17年1月には帝国海軍による空襲を受けますが、「フォート・ドラム」はこれに耐え、艦尾に「ホイル」と名付けられた7.6cm砲が設置されます。

 

昭和17年2月初めには、帝国陸軍の96式15cm榴弾砲陣地からの激しい砲撃を受け、3月中頃には帝国陸軍の砲撃にさらされ、7.6cm高射砲陣地と15.2cm砲1門および掩蔽壕の一部が破壊され、コンクリートの大部分が剥ぎ取られます。

昭和17年5月5日夜、「フォート・ドラム」の35.6cm砲はコレヒドール攻撃を試みる日本軍を攻撃し、複数の荷船を撃沈したものの、5月6日に米軍のコレヒドール要塞が陥落したことから「フォート・ドラム」も降伏します。

 

大日本帝国の所有となった「フォート・ドラム」を含むマニラ湾の沿岸防衛施設に残されていた沿岸砲は、操砲に多くの兵員が必要で、差し当たって利用の価値がないとされたことから、放置されるか廃砲として解体されました。

「フォート・ドラム」でも15.2cm砲2門を除き全ての砲は使用不可と判断されますが、35.6cm連装砲は偽砲台として存置されました。

 

昭和20年2月頃の「フォート・ドラム」(引用:Wikipedia)

(U.S. Army - Smith, Robert Ross (1963年) "Chapter XIX: Manila Bay--Minor Operations" in Triumph in the Philippines, United States Army in World War II: War in the Pacific, ワシントンD.C.: Office of the Chief of Military History, p. 355 OCLC: 1038429292., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71669170による)

 

昭和20年になると、連合国軍の反攻により「フォート・ドラム」はマニラ湾における帝国陸海軍の最後の抵抗拠点となり、戦艦「武蔵」の元乗員ら65名が守備隊として配置されていました。

これは、帝国海軍の最新鋭艦であり、浮沈艦と言われていた戦艦「武蔵」の沈没を秘匿するため、乗組員は内地に返さなかったから、とも言われています。

 

戦艦「武蔵」(引用:Wikipedia:一部加工)

(Lieutenant Tobei Shiraishi - U.S. Navy photo NH 63473, パブリック・ドメイン, 

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11080714による)

 

米国軍によって包囲された「フォート・ドラム」は降伏を拒否し、小火器や迫撃砲を用いて抗戦を続けていましたが、昭和20年4月14日に米国陸軍による上陸が開始され、帝国海軍の守備隊は要塞の奥深くへと追い込まれます。

そして米国陸軍は、トップデッキの通気孔から5,000ガロンのガソリン混合燃料を投入し、600ポンドの爆薬により爆破・炎上させ、戦艦「武蔵」の沈没から生き延びた守備隊は全滅する悲劇となります。

 

爆破された「フォート・ドラム」(引用:Wikipedia)

(U.S. Army - National Archives SC-266258 as cited in Allen, Francis J. (1999年4月) The concrete battleship : Fort Drum, El Fraile Island, Manila bay (Second Revised Printing ed.), Missoula, Mont.: Pictorial Histories Publishing Company, p. 51 ISBN: 0-929521-06-4., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71686537による)

 

「フォート・ドラム」は、大東亜戦争後は使用されていませんが、現在でも35.6cm砲塔など、その威容を残しています。

 

昭和58年の「フォート・ドラム」と米国海軍戦艦「ニュー・ジャージー(BB-62)」(引用:Wikipedia)

(Paul Soutar - http://www.dodmedia.osd.mil/Assets/Still/1983/Navy/DN-SN-83-09891.JPEG, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3434948による)

 

今でも「フォート・ドラム」には35.6cm砲塔が残されていますが、砲身は一部が失われて、また航路の安全確保のための白い灯台が設置されています。それでも、大東亜戦争当時の威容を保っています。

 

平成23年の「フォート・ドラム」(引用:Wikipedia:一部加工)

(Bayronnoel - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21774351による)

 

「フォート・ドラム」の場所をgoogle Mapで見てみます。赤いピンのある場所で、マニラ湾の入口の要衝にあることが判ります。

 

「フォート・ドラム」の位置(引用:google Map:一部加工)

 

「フォート・ドラム」の姿は、砲塔の数は異なるものの、後に建造された英国海軍の戦艦「ネルソン」に似ていますね。

 

英国海軍・戦艦「ネルソン」(引用:HP「MaritimeQuest」)

 

「フォート・ドラム」の全景(引用:HP「Fronta.cz」)

 

今回は、「船」ではなく、「船」に似た要塞と、大東亜戦争における悲惨な歴史を取り上げました。

「フォート・ドラム」で亡くなられた戦艦「武蔵」の乗組員の方々に哀悼の誠を捧げ、今回のブログを終わります。

 

【参考文献】

 Wikipedia

 

【Web】

 HP「MaritimeQuest」

 HP「Fronta.cz」