令和3年7月31日に、京都・丸太町へお出かけした時期を書きました。
では、京都・丸太町に何をしに行ったのか。丸太町といえば「京都御所」の南端に当たります。が、目指すのはそんなメジャーな場所ではなく、小さな神社でした。
その神社は「護王神社」といいます。
京都御所周辺の地図(引用:google Map:一部編集)
小さな神社ですが、護王神社のHPによると、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしており、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されてた、由緒正しい神社です。
明治19年に明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営したそうです。
「護王神社」の表門と鳥居
表門をくぐるとすぐに大きな拝殿が姿を現します。
「護王神社」拝殿
表門をくぐり向かって右側には末社が並んでいます。
「護王神社」末社
「護王神社」は、この地に造営された後に崇敬者により境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれています。手水舎にも猪が。
「護王神社」の手水舎
拝殿の奥には中門があり、ここで参拝します。奥には本殿が見えます。ただ、中門から本殿をうかがうことはできませんでした。
「護王神社」中門・本殿
今回は、猪を目指してきたわけではありません。
この神社は元々は洛西の高雄山神護寺の境内にありました。ということは、そうです、一等巡洋艦「高雄」の艦内神社を分祀した神社なのです。
拝殿の北面には「海往く牙狼」という題名の奉納額がかかっており、右舷側に主砲と魚雷発射管を向け高速で航行中の勇壮な「高雄」の姿が描かれています。
奉納額「海往く牙狼」
また、この奉納額の横には軍艦高雄乗員一同の「忠烈」の額が掲げられています。
「忠烈」の額
この「忠烈」の額の下には次のような解説文が書かれています。
『軍艦「高雄」=の名前を聞いて、回顧の念を懐く方は少なくはないだろうと思うが、軍艦「高雄」と護王神社との関係は、昭和七年、当時の乗組員の請願により、護王神社の御分霊が、艦内に祀られたことに始まる。
「高雄」の御祭神の御加護により、武運に恵まれて、沈没する事なく、その任を全うした旧日本海軍の数少ない艦艇の一つでもあり、当時は乗組員が幾度となく護王神社に参拝し、祈願したことも資料にみられる。』
また、境内には「高雄」に関する品々が展示されています。
軍艦「高雄」に関する品々
ケース内の「高雄」と昭和天皇の写真と「高雄」に関する社務日誌の記載
「いのしし神社」らしく、境内には狛犬ならぬ「狛いのしし」が鎮座しています。
護王神社の「狛いのしし」
「高雄」の品々の横には「いのししコレクション」が飾られていました。
「いのししコレクション」
祭神である「和気清麻呂公」像もあります。
「和気清麻呂公」像
もう一つ、芽を引いたのが巨大な「さざれ石」です。
「さざれ石」
この「さざれ石」は、岐阜県揖斐郡春日村の産で、学名を石灰質角礫岩と言うそうで、国歌である「君が代」に歌われる「さざれ石」の一部が祀られています。
お参りした後は、地下鉄「丸太町駅」から徒歩6分の「お食事処 やまびこ」へ。
「お食事処 やまびこ」
ここの名物は「すじカレーうどん」。さっそく注文します。
「お食事処 やまびこ」の「すじカレーうどん」
京風の細麺で、牛筋の存在感もあり非常においしかったです。
この日は、このまま京都駅に戻って新大阪の職場へデータを取りに行くことに。
京都駅前の「京都タワー」
京都では結局「護王神社」にしか行ってない・・・。
このまま真っすぐ帰るのはつまらないので、大阪であと一か所寄っています。
そのうち、またブログに上げたいと思います。
という事で、前回から一等巡洋艦「高雄」つながりで「高雄」の艦内神社を取り上げてみました。