終戦の日・海上に浮いていた一等巡洋艦「高雄」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今日は艦艇について書こうかと思います。

昭和20年8月15日、大東亜戦争終結時に「浮いて」いた軍艦は殆どありませんでした。

【昭和20年8月15日に「浮いて」いた軍艦】

 戦艦:「長門」

 航空母艦:「鳳翔」「葛城」「龍鳳」「隼鷹」

 一等巡洋艦:「妙高」「高雄」「八雲」

 二等巡洋艦:「北上」「酒匂」

 練習巡洋艦:「鹿島」

 潜水母艦:「長鯨」

 敷設艦:「若鷹」「箕面」

 

このうち、「妙高」「高雄」はシンガポール、「若鷹」はスラバヤ沖にあり内地にはいませんでした。特に「妙高」「高雄」の2隻は、米海軍潜水艦の雷撃により行動できない状態でシンガポールにとどまっていました。

 

今回はこのうち「高雄」を取り上げたいと思います。

「高雄」は、昭和2年度艦艇補充計画により4隻の建造が計画された、「高雄」型のネームシップとして、昭和2年4月に横須賀海軍工廠で起工され、昭和7年5月に竣工、母港は横須賀とされます。

【要目】

 基準排水量:9,850トン、公試排水量:12,986トン、垂線間長:192.54m、水線長:201.67m

 水線幅:18.03m、水線下最大幅:18.999m、平均吃水:6.11m

 機関:艦本式オール・ギヤード・タービン機関×8、

     主缶:ロ号艦本式(重油専焼)×12、推進軸:4軸

 出力:130,000馬力、速力:35.5ノット、乗員数:760名

 兵装:20.3cm50口径連装砲×5、12cm単装高角砲×4、40mm連装機銃×2、

     61cm連装魚雷発射管(水上)×4、航空機:水上偵察機×3、射出機×2

 装甲:水線127㎜、甲板34mm

 ※引用:「日本海軍全艦艇史 資料編」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.39

 

一等巡洋艦「高雄」(引用:Wikipedia)

(海と空社 - 海軍雑誌『空と海』、第二巻第六号, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2159837による)

 

「高雄」型は、前型の「妙高」型と比較し、その巨大な艦橋構造物が目を引きます。これは、用兵側の様々な要求をまとめた結果であり、事前に実物大模型を製作して検討がなされています。

 

「高雄」の船体に組まれた実物大の艦橋模型

(引用:「写真 日本の軍艦 第6巻 重巡2」雑誌「丸」編集部、1989年12月、光人社、P.7)

 

竣工した「高雄」は、同型艦3隻と第二艦隊第四戦隊を編成し、さっそく上海近海の馬鞍列島へと進出し行動、台湾に寄った後南洋方面で行動しています。

その後も、旅順、青島、上海と各地へ向かい行動しています。

 

昭和13年5月から昭和14年8月にかけて、近代化改装を受け外観および要目に変化がありました。

庫の改装では、対空兵装および魚雷兵装の強化、航空兵装の換装、無線兵装の強化に伴う後檣の移設、艦橋構造物の縮小、バルジの追加などが行なわれています。

【要目】

 基準排水量:13,550トン、公試排水量:14,838トン、垂線間長:192.02m、水線長:201.72m

 水線幅:19.52m、水線下最大幅:20.73m、平均吃水:6.32m

 機関:艦本式オール・ギヤード・タービン機関×8、

     主缶:ロ号艦本式(重油専焼)×12、推進軸:4軸

 出力:133,100馬力、速力:34.25ノット、乗員数:835名

 兵装:20.3cm50口径連装砲×5、12.7cm蓮装高角砲×4、25mm連装機銃×4、

     13mm連装機銃×2、61cm4連装魚雷発射管(水上)×4、

     航空機:水上偵察機×3、射出機×2

 装甲:水線127㎜、甲板34mm

 ※引用:「日本海軍全艦艇史 資料編」福井静夫、1994年12月、KKベストセラーズ、P.40

 

近代化改装後の一等巡洋艦「高雄」(引用:Wikipedia)

(Unknown, maybe the Imperial Japanese Navy official photo. - 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。 ISBN 4-478-95059-8 p98; 福井静夫(編)著『日本の軍艦 : 写真集 ありし日のわが海軍艦艇』ベストセラーズ、1970年、p.64, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7346688による)

 

近代化改装後の「高雄」は、第二艦隊第四戦隊に復帰し、台湾を基地として南支方面で行動します。

 

大東亜戦争開戦時には台湾・馬公から仏印(現・ベトナム)のカムラン湾に向かい、マレー上陸作戦やフィリピン・ルソン島のリンガエン上陸作戦を支援し、17年に入ると機動部隊に随行し豪州ポート・ダーウィン空襲、ジャワ島南方での機動部隊の作戦を支援します。

 

昭和17年5月にはアリューシャン方面へ移動し、ダッチハーバー攻撃やキスカ島上陸作戦を支援しています。

 

昭和17年8月には再び南方に移り、トラック島を基地に第二次・第三次ソロモン海戦および南太平洋海戦に参加、昭和18年1月のガダルカナル島撤退作戦も支援しています。

 

昭和17年11月14日・ガダルカナル島砲撃のためソロモン海を航海中の「高雄」(引用:Wikipedia)

(不明 - 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第6巻 重巡II』光人社、1989年。 ISBN 4-7698-0456-3 33頁, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7346717による)

 

昭和18年に入ると、トラック島とラバウル島の間での哨戒に当たりますが、11月5日にラバウルで空襲に遭い、二番砲塔右側に爆弾2発を受け右前部水線部に大破孔を生じ、たまたま一番砲塔の扉が開いていたことから爆風で炸薬が引火し爆発、戦死者23名を出す被害を受けます。

このため横須賀へ帰還し修理を受けます。

 

損傷修理が終わり、昭和19年に入るとフィリピン・ルソン島のリンガ泊地を拠点に活動し、6月19日にはマリアナ沖海戦に参加しています。

 

昭和19年3月・パラオに入泊した「高雄」

(引用:「丸スペシャル 戦時中の日本巡洋艦3」No.125、1987年7月、潮書房、P.30)

 

そして、昭和19年11月22日には捷一号作戦に参加するため、栗田艦隊に属してレイテ湾に向かいますが、翌23日にパラワン水道で米海軍潜水艦「ダーター」の雷撃を受け、魚雷2本が右舷魚雷発射管真下と右舷後甲板に命中します。

「高雄」は、第三・第四罐室を破壊されたほか、外軸推進軸を失って大破し一時は洋上に停止してしまいますが、その後応急処置により6~11ノットでの航行が可能となり、ブルネイに引き返します。

 

また、この時本「高雄」と共に同型艦の「愛宕」と「摩耶」も米海軍潜水艦の雷撃により沈没し、第四戦隊も事実上壊滅します

 

進水する米海軍潜水艦「ダーター(SS-227)」(引用:Wikipedia)

(Unknown, maybe the Imperial Japanese Navy official photo. - 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。 ISBN 4-478-95059-8 p98; 福井静夫(編)著『日本の軍艦 : 写真集 ありし日のわが海軍艦艇』ベストセラーズ、1970年、p.64, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7346688による)

 

「高雄」はブルネイを経由し昭和19年11月11日にはシンガポールに到着、昭和20年1月よりシンガポールの船渠で修理を行いますが、舵取機室の油圧ポンプの修理ができず、内地への回航による本格修理断念され、3月にはシンガポール防衛に当たることが決まります。

昭和20年5月初旬には、艦尾を切断し応急防水処置と迷彩塗装を行ったうえ、港務部桟橋のそばに固定繋留され、対空砲台として使用されます。

 

昭和20年7月31日には英国海軍の小型潜水艇「XE3」と、同行した潜水隊員により吸着式時限機雷による攻撃が行なわれ、「高雄」の第三砲塔右舷艦底で爆発、幅3m、長さ8mの亀裂が生じ、下部電信室に浸水があったものの、死傷者はなく軽微な損傷に留まりました。

 

英国海軍小型潜水艇「X24」

(Geni - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3994010による)

 

そして「高雄」は、主缶と補機類は使用可能であり、自力での投揚錨、通信、電力供給などが可能な状態で終戦を迎えます。

終戦後の「高雄」は第十方面艦隊司令部がホテルシップとして使用し、昭和20年9月12日には降伏調印式が行われます。その後「高雄」は英国海軍に接収されますが、英国海軍は「高雄」を「妙高」とともに自沈処分することを決定します。

 

「高雄」昭和21年10月27日に英国期軍によりマラッカ海峡に曳航され、艦底に爆薬を設置されます。

そして、10月29日夕刻にはキングストン弁を開き機関室への注水を開始し、午後6時30分に爆薬に点火したのち、軽巡洋艦「ニューファンドランド(HMS-C59)」 の砲撃により午後6時38分に艦尾から沈没し姿を消します。

 

英国海軍・軽巡洋艦「ニューファンドランド(HMS-C59)」(引用:Wikipedia)

(Beadell, S J (Lt) Royal Navy official photographer - This is photograph A 23435 from the collections of the Imperial War Museums (collection no. 4700-01), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2391322による)

 

昭和21年10月29日・マラッカ海峡一尋礁付近で自沈処分を待つ「高雄」

(引用:「丸スペシャル 戦時中の日本巡洋艦3」No.125、1987年7月、潮書房、P.30)

 

なお、「高雄型」には幻の5番艦が存在します。

一昨年には「乗りものニュース」で取りあげられましたので、御存知の方もいらっしゃると思いますが、米国・カリフォルニア州の東部にあるモハーヴェ砂漠のロジャース乾湖にあったアメリカ陸軍のミューロック陸軍飛行場(現・米国空軍・エドワーズ空軍基地)に「5番艦」は存在していました。

この「5番艦」は、「高雄」型を模した攻撃標的として木材と金網で構築されたターゲットNo799(T-799)という構造物で、同地の名前から「Muroc Maru(ミューロック丸)」と通称されていました。

 

米国陸軍ターゲットNo,799・通称「ミューロック丸」(引用:Wikipedia)

(Unknown U.S. Army Air Forces photographer - Edwards Air Force Base History Office [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64511778による)

 

砂漠の乾湖に浮かぶその姿は、海を行く「高雄」型に酷似し、米国陸軍航空軍の飛行訓練・技術練習や試験のターゲットとして反跳爆撃の試験などに使用されました。

 

なぜモデルとして「高雄」型が選ばれたのかは不明で、太平洋戦争後もこの構造物は放置されていたが、昭和25年に空軍エドワーズ基地として長大な滑走路などの設備が増強された際に、運用を妨害する遮蔽物であることから撤去されたとされています。

 

また、昭和5年から9年の間に「高雄」型を改良した1万トン型巡洋艦の建造計画がありました。

これは、米国海軍が英国海軍と同数の1万トン型巡洋艦を整備するとしたことから、帝国海軍では4隻の「改高雄」型の建造を計画していました。

しかし、ロンドン海軍軍縮条約の締結に伴い建造は中止されました。

「高雄」型に対して、高角砲が12.7cm40口径連装砲4基へ変更され、対弾防御と水中防御の強化が計画された反面、機関は変更されなかったことから、速力は約33ノットに低下するとされていました。

 

 

外地では「高雄」のように自沈処分された艦艇がいくつか見られます。また、内地でも潜水艦が多数自沈処分されています。

これらの艦艇は、敗戦国日本の悲哀を象徴するかのように、解体・再利用されることもなく海底で眠っています。

終戦の日に際し、大東亜戦争で犠牲になられた方々へ哀悼の誠を捧げるとともに、戦没した艦船・破壊された航空機・先頭車両等へ思いを寄せる日としたいです。

 

【参考文献】

 Wikipedia および