今日は艦艇のブログを、と思いながら、8月14日の大阪の惨事を取り上げます。
昭和20年3月10日の東京大空襲に始まった、大日本帝国の主要都市への無差別爆撃は、大東亜戦争が終結する8月15日の未明まで続きました。
このブログでもいくつか取り上げましたが、私の住む大阪でも昭和20年3月13日の夜に始まり、計8回に渡って大規模空襲を受けています。
大空襲後の大阪なんば界隈・左端が南海難波駅(引用:Wikipedia)
(不明 - 毎日新聞社「一億人の昭和史 日本占領2」より。, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4024192による)
そして大阪への最後の大空襲は、8月14日の日中に行われました。
主な目標は大阪城の東側にあった大阪砲兵工廠(現・大阪城公園、大阪ビジネスパーク、大阪電気軌道・森之宮検車場周辺)で、戦略爆撃機B29の編隊による1トン爆弾を用いた爆撃でした。
当時の大阪砲兵工廠付近の配置図・ピンク色が大阪砲兵工廠(引用:Wikipedia)
(ja:User:Inoue-hiro - Inkscapeを用いて自作, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=102468285による)
8月14日の正午過ぎ、約150機のB29が大阪飛来します。そして大阪砲兵工廠を狙い、約700個の1トン爆弾を集中的に投下しますが、目標から外れて周囲にも多数の1トン爆弾が降り注ぎます。
大阪国際平和センター(ピースおおさか)の1トン爆弾の模型(右端)(引用:「ピースおおさか」HP)
この空襲が始まった時、大阪砲兵工廠の北端に位置する省線(現JR)京橋駅には、ちょうど城東線(現在の大阪環状線)の上り列車・下り列車の2本が入線したところでした。
京橋駅は南側で片町線(学研都市線)と立体交差(城東線が上、片町線が下)となっているため、城東線列車の乗客を含み居合わせた多くの乗客が、階下の片町線ホームに避難していました。
JR京橋駅構内図(引用:JR西日本・JRおでかけネット)
京橋駅片町線ホーム・左に写る階段を昇ると大阪環状線(旧・城東線)ホーム(引用:Wikipedia)
(CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=514670)
この時、1発の1トン爆弾が城東線の高架に落下します。
この爆弾は城東線の高架を突き破り片町線ホームで爆発、避難していた乗客らを直撃します。
爆発により駅舎は吹き飛び、石垣や柱・壁などが乗客を押しつぶしたと言います。
犠牲者は身元がわかっているだけで210人、家族全員が亡くなったケースもあり、犠牲者は500人とも600人とも言われる大惨事となりました。
大東亜戦争の終結まで僅か24時間弱の大惨事で、もう一日爆撃計画が遅ければ、また終戦が早ければ亡くなることの無かった多くの命でした。
立体交差側の出入口である京橋駅の南口には昭和22年に慰霊碑が建立され、昭和35年から毎年8月14日に京橋駅南口で慰霊祭が行われています。
京橋駅南口の大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑(引用:Wikipedia)
(CC 表示-継承 3.0, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=740945)
城東線は、この爆撃により線路構造物が大破し8月14日から京橋-森ノ宮間で運休しますが、懸命な復旧作業により僅か9日後の23日には列車の運行が再開されました。当時の鉄道に携わる方々の「鉄道魂」には感服します。
昭和21年6月の京橋駅・城東線ホームから片町線を望む(引用:Wikipedia)
(不明 - 『日本国有鉄道百年写真史』P303, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16058783による)
大阪国際平和センター(ピースおおさか)のHPによると、先の大東亜戦争では、8回にわたる一連の大阪大空襲を中心に、大阪府内では死者1万2620人、行方不明者2173人(1945(昭和20)年10月大阪府警察局調べ)、計約1万5000人の犠牲者が出たといわれています。
大阪大空襲や隣の兵庫県・神戸大空襲などは、昭和20年3月10日の東京大空襲ほどは話題になりませんし、昭和20年8月14日の終戦のわずか24時間前に起こった大阪の悲惨な歴史が忘れ去られようとしています。
また、同じ8月14日には山口県岩国・光への大規模な空襲、また8月14日の夜には群馬県伊勢崎、埼玉県熊谷、神奈川県小田原、秋田県秋田市(土崎)への空襲も行われていますが、これらもその地元以外に余り知られていないのではないかと思います。
ですが、語り継がなければならない歴史だと思い取り上げてみました。
明日は、8月15日・終戦祈念日となります。大東亜戦争で亡くなられた方々、戦争による病により戦病死した私の祖父に対する鎮魂を心に留めた一日にしようと思います。