この続きです


朝ごはんは夜食べた食堂で出していました。一泊50€なのにかなり豪華。お腹空いてなくてそんなには取りませんでしたが。


さて、ウズベキスタン2日目は、高速鉄道、アフラシャブ号に乗って、最大の目的地。青の都と呼ばれるサマルカンドに向かいます。340キロの行程を2時間強で結ぶガチ高速鉄道で、今回の旅行では大きな移動は全てこの高速鉄道に頼ります。


予約はアプリで簡単に出来ましたが、発売と同時に半分が売り切れていて、後ろ向きの席しか空いていませんでした。買ったのは3クラスの真ん中のビジネスクラス。20ドルちょっとの運賃です。座席指定予約も可能です。


アプリは英語でも使えますが(クレカ可能。日本発行のカードで決済しましたが、怪しいとAIが判断して、一時クレカを止められました)チケットはキリル文字表記で焦ります。


乗る時は、調べたら早めに行ってチケット売り場で確認とか書いてあったりして構えましたが、このチケット画面を見せれば全く問題なく乗車できました。

ちなみに、5月に入るとシーズンに入り、発売即売り切れ状態。旅行会社が全て抑えるのだと思います。以下のスクショは発売1日以内の状況でサマルカンドを経由するブハラ-タシケント間は高速列車は残席一桁。時間がかかる急行はまだ空いているようですが。


さて高速列車が出るタシケント北駅です。右手に入場門があり、そこで荷物チェックと金属探知機を通ります。


改札でチケットのスクリーンを見せてすぐ前に止まっていた列車になります。20分前には入線していました。


どうも駅の撮影は禁止らしく、前の写真もやばかったのかもしれませんが、列車の撮影はやめておきました。もらい写真ですがこのような顔の列車です。


ビジネスクラスの車内。AVE ベースかEUROMEDベースか解りませんが(知ってる方教えてください)スペイン国鉄の高速列車のタイプだと思います。この1人席逆向きに乗りました。今回進行方向の席は発売即予約したつもりでしたが、もう予約不可でした。せっかく進行方向もアプリに出ているのに。


車内で軽食も配られました。運賃内のサービスでした。全てにロゴが入っています。お手拭きだけお土産に持ち帰りにしました。


車窓は基本こんな感じの景色が続きます。草原地帯ですね。


サマルカンド定刻到着。迎えに来てくれるはずのホテルの人がおらず焦りましたが、ブッキングコム経由でホテルに迎えの人いないんだけど、と、送ったら渋滞にハマってるから待っててくれとの返事。配車アプリでタクシー呼んでいたのをキャンセルして無事合流。


出口付近には観光タクシーや白タクの客引きが溢れていていますが、断るとそんなにしつこくないです。そこはインドあたりとは大違いでした。


宿は夜に撮ったのですが、こんな感じの入り口。ホテル自体はかなり前からの建物と思いましたが、部屋は改装されてて快適でした。


到着が午前中だったので、部屋を準備するのに15分ほど待ってくれとのこと。チェックインタイムは午後なのに、追加料金も請求されず、なんとありがたい。コーヒーとお茶菓子もサービスしてくれました。


ロビーはなんというか昭和な感じです。


この日は天気がイマイチで快晴予想の翌日に観光は回して軽く少し離れた天文台跡に行ってみることにしました。そこから古代遺跡博物館まで見て、あとはホテルでゆっくりするつもり。


ちょっと雨がぱらついてきました。タクシー15分程でウルグベク天文台跡到着です。1400年代に築かれた天文台跡でかなり精緻な天体観測がなされていたとのこと。当時のイスラム圏文化は世界最先端といいますが、実感させる遺跡です。


丘の上の天文台の入り口にウルグベクの像。


静かな公園の風情です。


階段を上り切ったところにチケットオフィスがあり、左手が小さな博物館、右手に有名な観測施設跡地があります。


こちらの学問所のようなファサードの中に、


このような地下施設があり、巨大な天頂儀の地下部分とのこと。天文台そのものは15世紀末にイスラム保守派により破壊されたそうですが、当時は数十人の天文学者がここで研究をし、極めて正確な恒星年や、1,000以上の星の軌跡を記録し、おそらくは当時は恐れられていたであろう日食の時期も予測していたそうです。


先鋭的な科学とそれを拒む勢力というのは現代でも変わらずある(アメリカ人の50%は今現在も進化論を否定して、20%は地球は平たいと信じている)事象なのかとしみじみ思ってしまいました。



昼過ぎだしこの辺りでランチにしようとチェックしていたら、口コミ評価の高いピラフ屋を発見したので行ってみます。


このような民家風の庭先にピラフ鍋があり、近づくと店主らしきおじさんが鍋に残ったピラフを見せてくれます(前日のピラフセンターはトレイで蓋をしていましたが布が被さっていた)。

頷いて中の席に座ると、カウンター裏の婦人が副菜のサラダとお茶を準備し、ナンを切って、店主がピラフと共に運んでくれました。


やはりかなりの量、しかも脂っこい。

客は入ってきて、警官コンビも来ていたし、本当に地元の食堂なのかと思います、が、お勘定はちょいと高め(70,000スム)。外人料金になった気はしなくはないけどまあ、許容範囲でしょう。ピラフは作り置きなので冷めていました。



店を出ると雨が本降りになってきました。
近くの博物館まで歩く予定でしたがタクシーで。
博物館は丘の麓にあって、丘全体が紀元前後から近世までの複合遺跡になっており、発掘調査が続いています。遺跡そのものは雨なので行けませんでした(念のためと持ってきた傘を忘れてホテルを出てしまった。予報は曇りだったので油断してました)。

ここのハイライトは8世紀頃の宮殿壁画。
高松塚の時代より少し下っていますが、中央アジアの真ん中でもこういった文化を持つ国家があったわけです。








15時半と早かったのですがホテルに一旦戻ります。タクシーGPSが効かないのか捕まえるのに苦労しました。駐車場で働いていた女性が一生懸命助けようとしてくれて、有り難かったです。がやはりウズベク語か最低ロシア語が出来ないと自力で旅すると少し困ることが出てくるのは実体験しました。