実力行使でございます-アジア流血巡礼紀行- -6ページ目
<< 前のページへ最新 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6

無精がたたり.....。

前回の更新から早四ヶ月でございます(汗)。実はこれには理由がございまして、このわたくし、恥ずかしながら体調を崩して長期療養していたのでございます。色々なことがありすぎましてなぁ...。
それはそうと、このブログを書いている今、なぜかわたくしは台湾の桃園空港におります。これからマレーシアに入り、数日中にインドネシアを目指す予定でございます。目的はもちろん、歴史及び宗教研究。期間は十一月いっぱい。このために職場を逃げ出してしまいました。
現在テーマに取り上げてるマラッカにもまた赴くつもりでおります。日記も兼ねて毎日更新できたら...と考えている次第でございます。

東インドの門・一回目

今回のレポートは、2008年10月のことでございます。わたくしはウェストマレーシアにおりました。
目的は東南アジアの宗教混在地・マラッカへ出向くこと。何しろこの町は、東洋史において大変に重要な意味を帯びている所でございます。
まずは下の地図をご覧ください。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--280px-Map_of_the_Strait_of_Malacca-de.jpg
マレー半島はお分かりの通り、南のスマトラ島(インドネシア)と共に海上の壁となっています。マラッカはスマトラ島を臨むマレー半島西海岸に位置しております。
すなわちこの町は、船にとっての「門」なのでございます。
そしてマラッカがその歴史的役割をより発揮したのは、ポルトガルが口火を切った大航海時代からでございます。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10001.jpg
この像の人物はお分かりでございましょうか?
日本でも有名な、聖フランシスコ・ザビエル師でございます。
ザビエル師が日本に来られる以前は、このマラッカを拠点に宣教活動をしておられました。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル1.jpg
こちらは英語名聖ポール教会、ポルトガル名では「丘の上のマリア教会」と申します、十六世紀のカトリック教会でございます。今は廃墟になっておりますが、それでも往年の優美さはまったく失っておりません。
名前の通り丘の上でございますから、このような美しい景色を見ることができます。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10009.jpg
ここで皆様、お気づきでございましょうか?
実は今回示した画像の中で、何とも不思議な-神の啓示とも思える-現象が写し出されているものがあります。幾分小さい画像でございますから、なかなかお気づきにならないかもしれませんが…。
では、今回はこの辺りで。

アジアという宝石箱

わたくしでございますか?
わたくしは洗礼名をダミアンと申す、一介のカトリック信徒でございます。以後、お見知り置きを。
突然ではございますが、下の写真をご覧ください。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10007.jpg
これは、とある町のカトリック教会でございます。
それではこの建物は?
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10004.jpg
これは先ほどの教会と同じ町にある、道教の寺院でございます。
そしてそこからさほど遠くない所に、
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10005.jpg
このような建物も存在しております。こちらはイスラム教のモスクでございますな。
どこの国にある町か、お分かりでございますか?
マレーシアのマラッカでございます。マレー半島の西海岸に位置し、大航海時代にはマラッカ海峡を渡る各国の船で賑わっておりました。従って、このようなあらゆる宗教の住処となったのでございます。
アジアは宗教の宝石箱と呼んでも過言ではないでしょう。
神々の足跡-アジア宗教研究紀行--ファイル10003.jpg
新たな宗教闘争の時代が来たと言われている昨今、インド以東の地域の風景は我々人類の行くべき道を示しているのかもしれません。
さあ、今こそ立ち上がる時でございます。わたくしと共に神々の足跡を追いかけましょう。そこにあるのは…。
<< 前のページへ最新 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6