安定って嫌ですか。いいものですか。

安定してるときほど人はアドベンチャーを求めませんか。

刺激がないと、なんか停滞しているような錯覚を覚えます。

アドベンチャーが成長の礎だとして、実際にそれで成長するわけだけど、やっぱり少しずつ年齢を重ねて、安定も大事だよなあとか思うわけ。

地に足がつくというのかな。僕の場合はわざわざフワフワしようとしたところに後悔を感じたりする。

けっこうみんな幸せに将来をえがいたりしている。フワフワした僕はなかなかえがけずにいる。

結婚したくても、いまいちできない。そんな感じ。相方の移籍も決まったため、自分がしっかりしなきゃ。考えている。

1年って長いのかな。短いのかな。

ぼくにとっては濃密な1年だった。


去年の今頃は、本当に本当に悩んでいて、●スペの制作で結構テンパっていたな。充実していたけど。


結局そういうことなんだ。充実しているか否か。それを決めるのは自分自身でしかなくて。だから後悔しないで今がある。それは自分がやってきたから言えることなんだよな。


何にせよ一生懸命やるって格好悪いかも知れないけど、もうそれでいいんだよって。言える自分は前よりもちょっと大人。ちょっと男。


そうしたときにおれがなぜ生まれたかなんて、些細すぎてちゃんちゃらおかしい。


しょうがないから濃密に生きて、人より得してやろうと思う。

思いだけは負けませんなんて中学生みたいなこと言いながら。


びば、おれ。

やらずに泣くより、やって泣く。


出戻り野郎に夜中までつきあってくれた元上司に感謝。


なかなかディープインパクトのようにはいかないっすけれど、

インパクトを残して、死にたいものです。


この無様な生き様を、自分だけは笑ったりしない。

心の底から「わし、あほやってん」と言える日まで。

それぐらい忙しい。また常にテンパった状態で働いており、ストレスはすごい。
月初めのため、それぞれの営業目標が設定されるわけだが、ご存知の通り、私は営業が好きでないらしい。
しかも担当している3つのイベントすべてで数字を追い掛ける。どれも全力を傾けてやっとこさ一つというような内容。

う~ん、嫌になるが、始めから投げ出すわけにもいかず悲しみを抱えながらまた一ヶ月を走り出す。

はい、不向き。

まあ、やるだけやってみますわい。
評価されるということ。生涯無縁ではいられないこと。

自分で思いもよらぬ自分についての好評、悪評があったりする。

自分では得意、長所と思っていることがまったく評価されないと、それは悲しいほど不本意だ。

またその逆もある。

私にはガッツがない。コツコツ努力することにむいてない。本当にそう思っている。

ところが同僚はまったく逆、根性が座っていて、やることをきっちりやる人だと思っていたらしい。自分が思う「ああ、この人はガッツあるよなあ」という人よりもむしろあるらしい。

このギャップがあるのはなぜだろう。根性ない私には「ある」と思われることがかえってせつない。

人は人から評価される。幸せか否かを決めるのは自分だとしても、人からよく評価されたほうがより幸せになるだろう。

そして人の評価はあやふやでもあるってことだ。だからそれをあまりに気にするのは心に毒だよね。

「僕は、どれほどの人間なのか。」それが人によってしか定まらないのは事実。
なのだが、それでは僕自身がどうありたいかがわからなくなってしまうので僕は僕なりにがんばる。


う~ん堂々巡り?

ときは平成30年くらい。小渕優子官房長官(本当にそうだったらイヤじゃなあ)は、おもむろに新元号の発表を行った。


俺様。 圧倒的な頼もしさを持つ響き。そんな御代が長く続きますようにという願いが込められているとか、誰か元号選定委員会の人がアバンギャルドになったとか。


翌日より、2028年(俺様元年)とかかれるようになる。

明治・大正・昭和・平成、そして俺様。

たしかに近代日本の他の元号と比べてもまったく遜色がない。


即位された現皇太子殿下の一人称も変わったのである。

「この深い悲しみを乗り越えて、国民とともにまた新しい未来を作っていきたいと俺様は決意を新たにしておるところでございます。」


んー、かっこいいぞ、俺様!


もっともっと自分勝手に生きよう!

みんなが、「何様だ?だと! 俺様だ、ばかやろう!」と吠えられるハッピーな感覚に。



「激動の昭和史」 「平成の名勝負」 「平成の怪物」 「昭和なつかしのメロディー」 「大正デモクラシー」

「明治維新」


↑これらすべてを俺様に変えたうえで、声に出して読むとそれなりに楽しくなってきた!


んー、人間って単純。こんな感じでウツを乗り越えていきたいと思うのです。

日曜日、一応仕事だったのですが、どうしても・・・体が動かずズル休みにしてしまった。やっぱり、考えれば考えるほどだめだ。


もう十分お仕置きされた気がする。後悔はしないはずだと思っていたけど、やっぱり軽はずみだった気がする。何度も何度も、朝、駅まで歩きながら「どうしてあのとき・・」って思ってしまった。口には出さないようにしている。あまりにも情けないから。


これが恋愛ごとだったら、ぐちぐちするなとか、次!次!で痛飲すればなんとかなるのかもしれない。けど、僕にとって仕事は大きい。「やればできる」 とはちょっと違う気がする。今の仕事をもっとすんなり好きになれると思っていた。


優劣ではない。合うか、合わないか。会社の姿勢だったり、腐り具合はともかく、割合に天職でした、と。やっぱ恥ずかしくてそんなこと言えない。


でも、今なら言えるかもしれない。恥をしのんで。自分の好奇心を言い訳にして。

届け。

多分に博●堂のVに影響されていると思うのだが、QくんのVのオープニングをかなり凝ってみている。まず、こないだ正月にやった古畑の特番を使って、古畑のオープニングを真似ることにした。PCに取り込んだ上で、田村正和が登場しないように、ふたりの写真やらVやらを上に重ねていく。


しかも、あの厳粛というか、独特なサスペンスチックな古畑の雰囲気を壊さないように、写真などにもモノクロ処理をしたり、気を遣う。


とくに困ったのは、田村正和という文字が右から左にワイプしてくるところ。そのスピードや大きさに合わせて、「牛Q●輔」と表示させるという技。


ひょっとすると私の苦手なCGソフトを使えば、割合に早くできるのかもしれない。が、私は相棒であるAdobe PREMIERE pro(編集ソフト)とともに戦ってみた。いや、本当に無駄に時間がかかったが、いい出来だと思っている。


難点は、結婚Vっぽくない。だってサスペンスだもの。

しかも、そのあと本物の古畑が出てきて、「んー、今回の犯人は・・・。古畑任三郎でした」とでもやってくれれば格好もつくが、まさか結婚Vで殺人事件を扱うわけにもいくまい。 そもそも、私は田村正和と知り合いではない。


ようは古畑テイストにしたかったのだよ! 誰でも知ってるし、たまたまDVDに録っておいたから、素材もあったし。さて、本当に無駄に時間がかかっているが、まずは生い立ちシーンを作り、そのうえでインタビューまでしなくてはならない。


いつだったか書いたように、スキャナがない拙宅では、一枚一枚の紙焼き写真をデジカメで撮影して、デジタイズするという手法を取っている。これまた、あほのように時間がかかる。


V一本作るごとに私はどれほど若さを浪費するのだろう。ただ、辞められないのである。


さて、某テレビ局のエントリーシートも書かなきゃ。

ミニディスク・・・。CDに代わるメディアとして注目を集めた割に、ほとんど市場に出回らなかったといっていいだろう。


だが、当時のCMではなんか格好良く見えたし、カセットテープと比べて頭出しができる、劣化しないなどの利便性は魅力的であった。 


高校2年だったか、私はポータブルMDプレーヤ(録音可能)を3万余りで買った。

今の実感値としてはだいたい10万円を超える買い物だった。かなり使い込んだし、オリジナルのディスクを編集したりというのは楽しかった。 今携帯電話などで使われているリチウムイオン電池が世に出始めた頃だったと思う。 充電による劣化が起こりにくいとされていたが、単1の乾電池くらい巨大だった。


その後、CD-Rの台頭とMP3に代表される圧縮技術の進化によって、「MDの時代」は結果的になかったと言えよう。SONYの独り相撲だったのかも。


だが、今もどういうわけだか放送の現場で使われていたりする。お手軽に使いたい曲を出せるからだろうか。音質はMP3とくらべて、いいものなのか。私はよく知らない。


で、だ。私はVAIOがめちゃくちゃ嫌いである。とにかくよく壊れるから。VAIOがあれば、MDの編集や、音源のデータ化も容易だろうと思う。


なんか、簡単にMD→PCの方法ないっすか。とくにそれぞれ、ミニコンポ、デスクトップ型なため、近づけるのも面倒くさいや。


ちなみに、PCにはマイク端子しかない。あー、めんどくさいなあ。


実は今、私が一番やってみたいスポーツの座に躍り出たカーリングについて、いろいろ書いておったのだが、このクソブログが「込み合っている」とかいう嘘で、書いてたテキストが消えた。ああ、不愉快。もう寝る。




ところで、カーリング見た人はどれくらいいるだろうか。いや、本当におもしろかった。体育館とかで、ストーンの裏にタイヤがついたものだったらできるとか・・・。でも、せっかくだから、たとえ寒くても本物をやってみたいなあ。




どれくらい体力使うのかな? どっちかというと精神的な部分が大きいように見えますが。




東京都カーリング協会によると、神宮でもできるらしい。そしてなんと、最近なにかの拍子で生まれたスポーツだろうと思っていたら、全然違うんですな。




1924年第1回冬季オリンピック大会(フランス・シャモニー)

1932年第3回冬季オリンピック大会(アメリカ・レークブラシッド)

1988年第15回冬季オリンピック大会(カナダ・カルガリー)

1992年第16回冬季オリンピック大会(フランス・アルベールビル)

1998年第18回冬季オリンピック大会 (長野)

2001年第19回冬季オリンピック大会(アメリカ ソルトレーク)




長野以前はデモンストレーションとはいえ、すごいではないか、歴史!!


レークプラシッドからカルガリーまでの半世紀の沈黙がなんともいえず素敵ですな。




そんなこんなで私が、日本代表の小野寺さんみたいにスキップをやって、勝敗のかぎを握りますので、ブラシでごしごしやってくれる方を急募します。先着2名まで。 夏には、次回五輪開催地のバンクーバーで合宿もしましょう。 




あほや、わし。