結婚って、真冬・真夏以外は年中やってるんですね。

先週、一件9月の結婚式が明らかになり、きょうは5月半ばの披露宴の連絡が入った。


主なスケジュールは以下の通り。これから判明するのもあるんだろうな、とくに秋。

2月25日 @国分寺? 小学校時代の先輩

4月1日  @新潟 元会社の同僚

4月15日 @銀座 大学、サークルの同期

5月13日 @?  大学、研究室の同期

6月17日 @?  大学、サークルの後輩

9月9日  @横浜 大学、サークルの同期


けっこん大杉。


ちっちぇえこというと、お祝いにまつわる出費もバカにならない。

しかも半分は、やれ2次会の幹事だ、やれビデオだ・・・


まあ、基本的に誘われたり頼まれたりするのが大好きな寂しがりやなので、文句みたいに思われるような表現はよくない。だって、おまつり好きだし。


さて、ビデオのインスピレーションも徐々に湧いてきた。

エントリーシートも書かなきゃだし、これはこれで忙しいのう。

仕事も派手に忙しくなってきた。月末、タ、ターゲットが・・・。

私はぐうたらである。


昼間で寝たりするのが大好きである。

その意味で前の会社は最強の環境だった。


最近、忙しい。平日は100%寝不足だし、すなわち平日はプライベートにまつわる時間はほとんどないし、だから土日も忙しくなる。 だけれども、土日くらい派手に寝たい!


今週、久々に、2日間とも正午をまたいで寝た。きもちいい、ああ、本当に幸せだ。


ただ、忙しいが故に寝てしまったことに対しての罪悪感が生まれているのも事実。


寝る子は育つ。 対偶でいうと、 育たないのは寝ない子。 ということになるので、最も幸せな時間である眠りの時間すら、焦りにつながるというのなら、そんな仕事はやめちゃおう。


イエイイエイ。


Sさんから資料にと借りた、博●堂の人が作ったという寿V。

これがなかなかアフターエフェクツを駆使した高レベルのものだった。


まあ、私がN●K風のドキュメンタリ!?タッチだとするならば、あちらのはPV風で非常におしゃれだった。音楽に合わせて編集したり、フィルムムービータッチのエフェクトをつけてて、すごい。


よくもわるくも、N●K的な自分の作風がちょっと嫌にもなりますが。

アイデアと時間。それを追求したいのですが、そう考えれば考えるほど、仕事が重荷だわ。


よし、とりあえずがんばろう。 ははは。

営業もピンチなんだよな。

一個でいい。


一個でいいから、


メダルをとってくれ。



悲しいよ。



とはいうものの、オリンピックってそれそのものが私は楽しい。


ただ、あまりにも我々は五輪原理主義みたいなところがあって、普段からスケルトンとか、Sトラックとか応援しようよ、と思う。


だって選手たちも、どう考えても不遇じゃん。国がサポートしろ、とかじゃなくて、文化として根付けよと。


私みたいな運動音痴が言うのも変な話ですが、もっと「やる」スポーツ「見る」スポーツが増えればいいのにと。


だって、原田やミキティだけじゃないだろ~。変な期待というか過剰な表現はよしてもらいたい。原田も、変にそれによっかかってほしくないにゃあ。


私は、ナンバー読んだりだとか、割合にスポーツ全般が好きで、スピードスケートの解説に白幡さんとかが出ていると、「あっ、あの男子10000mで孤軍奮闘してた人だ」くらいの反応は出てきます。


そうはいっても、カーリングを見る場面って、今のところ日本ではどうしても4年に一回しかないですよな。で、もしも、好成績だったりすると、ワイドショーとかでも取り上げられちゃいます。だけれど、2週間もすると、また4年後まで誰も見向きもしなくなるでしょう。


なんか悔しいので、きょうから公開されたという日本女子カーリングチームをえがいた「シムソンズ」なる映画でも見てみようか。



ただ、やっぱり五輪原理主義の国民ゆえ、メダルがほしい。できれば君が代が流れてほしい。

かえすがえすも、アテネのメダルラッシュは異常であったと。夏季五輪の種目はまだまだマシである、と。

一応、約5年つきあっている彼女の血液型が変更になったそうなので、お知らせします。


これまでA型だとお伝えしてまいりましたが、このたびO型RH+だと判明しましたので、この場を借りて、訂正いたします。 いやあ、経歴詐称ですねぇ。


って、オイ。


なぜ、違う血液型を信じ続けてきたのですか、あなた。

どうも彼女の生みの母親も「たぶんA型よ」と曖昧に教えていたらしいのだが、このほどドナー登録だかをしたときに、明らかになったらしい。


血を与える際にはきちんと検証されるでしょうからまだしも、もしこれまでの人生において輸血を必要としていたら、A型の血をドクドクと入れられていたのだろうか。


だとしたら・・・なんて話をしていました。おーこわ。



このあほな話から学べること。


自分が「こうだ」と思いこんでいることが、必ずしも真実でないことは間々ある?


あるいは、

親の言うことも疑ってかかれ?


ともかく、私はとりあえず「ご無事で何より」というほかないのでした。



ひょっとすると、こないだの日曜日は大きな転機かもしれないっす。


朝、たたき起こされて、母を新宿駅まで送る。のはずが、出発時刻が微妙に遅かったらしく、新潟行きの新幹線に間に合うように東京駅まで送らされる。母はかの地より、極寒のウラジオストクに行った。どうも彼女の旦那がひとりで暮らしているらしい。 その旦那のことを一般的に父という。56歳にして、単身赴任はかわいそうだ。


で、美容院に行く。地元の日大生らが利用してそうな感じ。とにかく軽く、透いてくれと要請。猿のような髪型だとは思うが、何しろ職場で髪型に難癖を付け続けられている私。ええ、そうです、私がだらしないんですとも。


午後、愛機のデジタルビデオカメラを携えて、南青山のSさん宅へ。初めて、婚約者と会う。某有名広告代理店の同僚らしい。どことなく、自分と同じにおいを感じたが、今のおいらはだらしなくないやい。

ぐうたらでもないやい。


6月に向けてのV製作の流れや、写真の選び方などを説明。またむこうの要望を聞いた。

かつてのビデオを見せたりもしたが、どうやら気に入ってもらえたらしい。


また、その後渋谷でQくんとも打ち合わせ。こちらは式が4月15日とあって、まいていかないといけない。こちらもインタビュー等々を要望されたので、なかなかの手間。

まあ、しかしヒアリングしてみても、やれフタマタがどうだとか、お泊まりができないから結婚しただとか、夢も希望もないエピソードばかり。ま、そんなもんかもしれませんが。


さらに、前の会社の上司に会いに。その十日くらい前に、前の会社の人々と飲んだがそのときはゆっくりと話ができてなかったので、ぜひ会いたかった。


そして、なんとなく何かがはじけた希ガス。

それからというのも、なんとなく、なんとなく。


世の中、好きなだけではことは上手く運ばない。いつからか私は言い訳にしていた。

だが好きなことを追っていれば、世の中は楽しい。

なんで私が、ここにいるか。こんな目に合うのか。私の場合はすべて自分が決めたので、自分に責任がある。

でも、新しい泥をかきわけながら、覚悟ができた。以前にもいた泥の中に戻って、もがきたいという覚悟が。

楽しみながらもがける。もっと遮二無二もがける。

できればもがくチャンスを私にください。
表参道ヒルズがきのうオープンしたそうです。表参道の駅までものすごい人でした。

それにしても、ヒルズという響きにはえもいわれぬ高級感、他を寄せ付けぬ選ばれた場所であるというイメージが植え付けられてますね。

私なぞは、東京育ちで満員電車もへっちゃらですが、田舎生活があったためか人込みは嫌いです。

いろんな人が集まる場所を敬遠する傾向にありますから、ケッ!という感じ。でも学生街とか、商店街とかゴミゴミしてるところは好きです。

違いは有機質か無機質かではないかと思います。簡単にいうと、人が主役なのか、建物だったり、ブランドだったりが主役なのか。
もっと人が主役の世の中へ。メディアも私たちもそんな視点をもつべきと考えます。

アテネは阿呆のようにメダルをとれましたが、今回はかなり苦戦すると思います。

長野は地元ということで金メダルだけで5個とりましたが、ソルトレークは銀1、銅1でした。


まじめに分析しても仕方がありませんが、ノルディックジャンプ、スピードスケート、ショートトラック、モーグルで5つの金メダルを獲得したのが長野でしたが、うーん、今やどれもこれも。


さて、以下、期待も込めてのメダル候補者。


スピードスケート 清水、加藤、岡崎、大菅

ショートトラック  神野、リレー(なんとかっていう正式な名前があったはず)

ジャンプ      岡部

フィギュア     村主、荒川、安藤

モーグル      上村、里谷

スノーボード    国母、今井


基本的に多めに、読みます。

ボード、国母と今井メロで銀1銅1で。


モーグル、上村愛子にメダルを取らせたい!ので、銅1。


ショートトラックは、フィーリングで銅2。個人1と団体1。


ジャンプは・・・ない、かなあ・・・。


スピードスケートは、来るとしたら加藤でなく、清水の予感。ここは派手に金1、銅1でいきますか。

そして女子で銀1。


最後にフィギュア。これは村主に、メダルを取らせたい。スルツカヤがこければ、荒川との1・2もありえますよね。願望なので、金1銀1でいきます。


合計 金2 銀3 銅5   ・・・これは厳しい。



とにかく応援しますわい。


まずはモーグルですね!

第一次政権時は、江川卓、西本聖。第二次政権時は、斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己。

巨人軍における80年以降の投手王国とは、藤田監督によって作られたものであった。

hujita ダンディで、温和で、球界の紳士と呼ばれていたが、若いころは相当な悪だったようである。


巨人のOB会長をやったり、沢村賞の選考委員をやったり、巨人の監督を七年やったり(日本一2回)球界の重鎮なのだが、現役時代の通算勝利数は113と決して多くない。


だが、これ、実働八年での数字である。ノンプロを経て25歳でプロ入りなので、当時としてはプロ入りそのものが遅い。そして、年間で29勝、27勝などを積み重ねた結果、登板過多で・・・・というパターンである。


長島のあと、王のあとに監督を務めた。いわば、原の合間に「つなぎ」をやらされた堀内と状況は似ているのである。だが彼は結果を出し、また遺産を次世代に残していった。


私にとって、一番印象に残っているのは、89年の近鉄との日本シリーズである。

3連敗の後に、なんとか香田の粘投で一勝をあげたあとの第5戦。後がない状況に変わりなし、という中、当時の4番、原辰徳はなんと4試合ノーヒット。


そしてこの5戦、斎藤雅樹、阿波野秀幸という両エースの投げ合いで、2-1とG1点リードの緊迫した状況で、シリーズの流れを決定づける打席が原に回ってくる。 目の前で、クロマティが敬遠されての二死満塁。原は自身で生涯最高の本塁打と語る一発を、吉井理人から放つのである。


短期決戦の中で、原を信じ続けた藤田。それに応えた原。このとき、藤田監督が「絶対打てる」と何度も暗示をかけたという逸話も残っている。


結局、巨人は奇跡の4連勝をとげ、自身2度目の日本一に輝いたのだった。


翌90年は、斎藤、桑田を中心にぶっちぎりのリーグ優勝も、西武の前に4連敗の屈辱。これが藤田監督が最後に優勝した年であった。


まあ、とにかく原現監督や大ベテラン・桑田が藤田氏から受けた影響を考えると、この恩師が亡くなった年に、原監督は日本一で、桑田は一年間先発ローテを守るとか、そういうことで応えるしかないわけである。本当に、藤田監督に捧げる優勝を、今年は見せてほしいものである。


ちなみに、藤田氏が監督をつとめたころは補強といえば、中尾やガリクソンくらいなもので、今の大砲ブームから比べると、「育成」が巨人の現場でもきちんと行われていた。古き良き?巨人を育てた名将といえよう。


ご冥福をお祈りします。


hujita2  ←89年のリーグ優勝@横浜スタジアム

(上部の顔写真とも毎日新聞社)