うそわらい。
娘に「写真撮るから笑って」と言われた
とっても中途半端なほほ笑み。
大人になったらウソ笑いが出来るようになった
学生時代の私は
どこかツンッとしていた。
ある時代においては
ベリーショートというか
もはや坊主かもしれない髪型で
ピンヒール履いている
どこからどう切り取っても
近寄り難いオーラをぷんぷん出していた。
いつかトンガリは削られ丸くなる
今思い返せば、その強さは
弱い私であったり
1人でも生きていけるんだと強さを誇示してみたり
そういった
見せかけのカッコ良さであり、強さだったかな。
だって
安室ちゃんと宇多田ヒカルの時代
1人って素敵でしたよね?笑
それがどうしたものか
あの頃のトンガリは角が削られ、丸くなった。
私たちの生き様も
いろんなしがらみや遠慮、
大人なりの謙虚さや相手を慮る気持ち、
移り行く生活環境、
そして
大なり小なりの人との別れを繰り返すうちに
鉛筆の先と同じように
どんどん角が取れていった。
そしてなによりも自分よりも守りたい人ができたから
大人になり
守りたい人ができた。
そして
「じぶん」を大切にすることを学べば学ぶほど
大切にしたい人を
大切にすることの
大切さ
をより深く知っていくことになる。
「じぶん中心」の生ぬるさと、わたし
大切な人が困っていたら
「自分を大切に」
「私の境界線はここ」
「私の時間も大事」
なんて
そんな「じぶん中心」の生ぬるさはどこへやら
必死の形相で
なりふり構わず
助けに行ってしまう私は
まだまだセルフラブが足りないのか?
一瞬、頭に過ぎることもあるけれど
その後ゆっくり
コーヒー片手に
1日を振り返る時間があると
心から満たされた気持ちにすぐ戻れる。
ああ、なんて自由自在なわたし。
子育てとは、
こういう気持ちの繰り返し。
立ち返る場所は、どこ?
ウソでも笑えない。
そういう時ってある
でも、実際は
私たちはウソでも笑えるし
笑ってやらなきゃいけない時が頻繁にある。
そのほほ笑みが誰かの力になるなら
時に、大切な誰かのために
温かなエネルギーを送ることも
大事だなぁって感じる。
だからこそ、
やっぱりこころが立ち返る場所が必要だ。
外見で自己を大きく見せようとしても、
ウソ笑いをしたとしても、
身を粉にして助けようとしても、
立ち返る場所。
そして、その気持ち。
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今夜、コーヒータイムに
一口味わってふぅっと息をついた時に
『なんか、幸せだなぁ』
そう感じられたなら
もうすでに
心が立ち返る場所を
知っているのかもしれないね。

















