龍のひげのブログ -57ページ目

TBSの精神構造は日本の弊害である

結局、TBSの「サンデーモーニング」に出演していた青木理氏が言っていた、TBSが青木氏に言わしめていた、韓国に対しては何を言っても良いという乱暴な論調があるということの真意は何かと言えば、自分が聞きたくない、受け入れたくないような報道機関の言論や世論の動向は、理性を逸した感情的で乱暴な主張であるから自制されるべきであり、反対に好ましく感じている反日的な内容の批判や主張はどれほど筋違いで支離滅裂なものであろうと正当的なものとして日本国民に受け入れさせるための世論操作であると言えよう。そのために問題全体の本筋とは直接、関係ないような些少な暴言や失言を言葉狩りのように捉えて、あたかもそれが日韓問題の本質であるかのように報道番組を通じて誘導しているものと見れる。たとえば日本人女性が観光で韓国に行っている時に髪の毛を引っ張られる暴行を受けた事件を受けて、某大学教授が、「日本男子も韓国女性が、(日本に)入ってきたら暴行しないといかん」などという発言は確かに失言であって、TV番組で言ってはいけないようなことではある。しかし客観的に見て韓国人女性観光客が日本で暴行を受けた実数や暴行を受ける可能性を、日本人女性観光客が韓国で被る暴行の実数、可能性と比較して見れば、具体的な統計データは政治的な理由で公表されていないであろうが、後者の方が前者よりも比較にならないほど多いことは明らかではないのか。というよりも日本人が、旅行で日本にやって来ている韓国人女性に対して暴行したような事件はこれまで一例もないのではないかとすら思えるほどである。本来はそういう事実が日韓問題の本質ではないのか。その状況を考慮すれば、暴行しないといかんなどという失言は、日本の品位のために戒められることが必要であるにせよ、それを韓国に対しては何を言っても良い風潮が蔓延しているなどと日本の言論全体に共通的な特徴であるとして一般化するような世論操作は、公共の放送局に求められる政治的な公平性や偏りの無さから考えてきわめて不適切であると言えるのではないかと言うことである。TBSとか朝日新聞などのいわゆる左派言論が、日常的に展開している主張はそういう論点のすり替えばかりではないか。まだ新聞は文字が記録として残るので、その気になれば後からその世論操作の痕跡を検証することができる。しかしTV番組の報道は視聴者の頭に対して映像と音声の情報だけなので、痕跡はたちまちに消滅してしまって、漠然とした印象だけが残ってしまうものである。そしてそれがTV報道による洗脳手法であると考えられる。放送法4条を厳密に捉えて、完全無欠の政治的な公平性であるとか中立をTV局に要求しているものではないし、またそのようなことは現実的に不可能であろう。全ての人間はどちらかに偏っているものである。神のような絶対的な超越など有り得ないものであるし、寸分の狂いもないような公平性を人間の精神に期待することは、人間性の否定に等しいものであるとも言えよう。すなわち多少の偏向は許されるし、仕方がないものであろうが、問題にされるべきはその程度である。TBSの偏向、世論誘導の程度は、私は明らかに限度を超えていて、放送法4条に抵触しているものと考える。物事の真相を180度裏返すような印象操作を平然と行っているではないか。日本の韓国に対する論調は全体的に見れば、極めて自制的で冷静な性質のものである。むしろ自制と冷静の度合いが強過ぎることが問題であると言えるほどである。日本の政治も世論も韓国に対しては感情的にはなっていない。韓国の日本に対する筋違いの激昂感情に巻き込まれているだけのことである。それを天地をひっくり返すように、日本は韓国に対して何を言ってもよい乱暴な論調が支配しているなどと決めつける態度は、一体、何事か、何様のつもりなのかと言わざるを得ない。TBSの偏向報道は余りにひどすぎるのではないのか。公共性に資するということの謙虚さや倫理観を一欠けらも持ち合わせていないのであろうか。自分が聞きたくない、直視したくないような事実は感情的な暴論だと言って退け、好ましい内容は嘘や難癖であっても理性的なものと認める。それが日本の左翼の精神構造である。言ってみれば、それは夫婦喧嘩に見られる思考回路である。本当の夫婦喧嘩であればそのようなレベルのやり取りであっても許されるのかも知れないが、ことは国民の生命、財産にも深く関わる国家間の対立であるのだから、TBSのような報道は日本にとって重大な障害、罪悪であると言えるのではないのか。日本のマスコミ権力の在り方を冷静に見つめ直すべき時である。

 

TBSの反日報道と放送法第4条について

放送法第4条の、政治的に公平であるとか、事実を曲げないという取り決めは、外交問題についてこそ正しく運用されるべきである。TBSの報道姿勢はこの指針から大きく逸脱しているように感じられる。「サンデーモーニング」で悪化する日韓関係を特集して、コメンテーターの青木理氏は今の日本の論調は韓国批判一色で、政治とメディアが嫌韓を煽っているせいで、韓国には何を言ってもいいような乱暴な言論状況になっていることが危惧されるというような発言をしたとのことである。青木氏が「冷静になって考えよ」という言い草は、左翼系の朝日新聞などの世論誘導に共通したものであるが、日本全体が冷静さを失って感情的になっているゆえに韓国への不当な批判に終始していると言いたいのであろうが、その見方なり見解は公平で、事実を曲げていないと言えるであろうか。日本人は、日本のTV局に対して日本に有利になるような報道を期待してはいない。そのようなケチな配慮をTVの報道に望んでいるような日本人は皆無に近いのではなかろうか。客観的に見てそれが韓国の日本に対する政治や報道と180度の隔たりがあることは左翼であろうが何であろうが、否定できないはずである。日本の韓国批判の原因がどこにあるのかと見れば、韓国の一貫した日本批判一色がそもそも日韓問題の基底をなしていて、韓国の日本に対しては何をしても許される、どのような嘘であっても正当化されるというような常軌を逸した政治、報道姿勢にあることは明らかであるはずだ。日本の政治は嫌韓を煽っているどころか、反対にこれまでずっと韓国との融和政策をかなりの無理、我慢をして推進してきたものである。それに対して韓国は国際協定を無視した徴用工判決を支持するだけではなくて、レーダー照射事件でも子供じみたような嘘の反論で反対に日本に謝罪を要求するし、産経新聞の元ソウル支局長、加藤達也氏がセウォル号沈没事故に対してパク・クネ大統領に批判的な記事を掲載して、削除要請に応じなかったことで名誉棄損容疑で起訴され、長期間の出国禁止処分になっていた問題でも同様である。その他の細かなことを列挙していけば切りがないであろうが、「冷静に」見れば韓国が常に、日本の対韓国融和姿勢を無視するように、反日政治を過激化させてきたことが、日韓問題の原因であることは歴然としている。今回のホワイト国除外の決定も、日本は安全保障上の世界基準の責任を粛々と履行しているだけであって、それに対して限度を超えた不買運動や対日批判の市民運動を韓国の政治が煽り立てていることが発端なのであり、日本の韓国へのきわめて常識的な怒りや批判が不当で限度を超えているかのようなTBSの報道は、明らかに放送法4条に抵触していると考えられるものである。それから青木理氏は、日本人女性が韓国に旅行した際に韓国人男性から声を掛けられたのを無視して髪の毛を引っ張られる暴行を受けた事件に対して、報道するほどの価値がないというような発言もしているようであるが、これも政治的に公平であると言えるであろうか。むしろ私は報道の実態は反対であると思う。髪の毛を引っ張る程度のことであるから、韓国や日本の報道機関は取り上げたのではないのか。韓国も民主主義的な対応をしているという対外的な宣伝になるからである。これが仮に日本人旅行者に対するレイプや詐欺などの重大犯罪であれば、日本の報道や外務省は問題として取り上げるであろうか。韓国の日本に対する強硬な政治姿勢から判断しても、外交問題に発展することを忌避して報道されることは有り得ないであろう。現実に私はそのような報道内容をこれまでに見たことが一度もない。それは日本人が韓国でそのような被害にあった事件が一度もなかったということを意味しているのであろうか。私には到底、そのようには考えられないものである。実際に身の回りでも、韓国でぼったくりの被害に遭遇したというような話しはいくらでも聞いている。ぼったくりや女性が路上で髪の毛を引っ張られる程度のことは大きく報道する価値がないというのであれば、それ以上の重大事件が政治的な圧力の元でもみ消しにされている可能性について言及することが、放送法第4条の政治的な公平性や、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにするということの趣旨ではないのか。結局、TBSが公共の放送を通じて行っていることは、日本の正当な感覚、主張を捻じ曲げて、言葉巧みに韓国への批判を展開し難い世論を作り上げているだけである。TBSの政治報道はそのような反日姿勢が一貫しているものである。反日でありながら権力と底流で結びついていることが悪質なのである。そのような報道機関に健全な権力の監視や民主主義の醸成などできる訳がない。私は日本の将来のためにはTBSから放送免許を剥奪すべきだと考えるものである。

左翼的な対話について

「対話」という言葉に拘りたい。対話の継続が必要と言われれば、それをあからさまに否定し難い無言の強制力がある。朝日新聞は、日韓問題に対してこの対話が必要という主張で日本の政治や世論に対して、影響力を一貫して行使し続けてきたものである。今も朝日の基本的な論調は、変わってはいない。日本の左翼の本質とは何なのか、なぜ韓国の立場に寄り添い続けなければならないのかということは、短く簡単に説明できることではないが、この朝日新聞的な韓国との対話が必要であると主張し続けるプロパガンダの日本全体に及ぼす呪縛というか、グリップ力が、戦後の日韓関係を底流から規定してきたものであることは確かである。言葉というものはそれほどまでに大きな力を持っているのである。左翼の言葉の用い方は、言葉に本来的に内在する中身や意味を殺して、言葉の外殻の強制力を最大限に発揮させる方向性に向かうものである。言葉の操作で人々の思考様式を異空間世界に誘うように歪めたり、バランス感覚を突き崩して価値観や評価を反転させようとする。よって左翼が反日と結びつくことは、現実社会の見方を鏡像化させる精神性から当然のことであって、イデオロギーや理想などとは何の関係性もないものである。対話の継続が必要と一言、朝日新聞が書くだけで、日本は『鏡の国のアリス』のように反転した世界の中に閉じ込められてしまう。もちろんそこには政治の脆弱性や主体性の欠如が要因として認められるにせよだ。極論すれば戦後の日本や日本人は、朝日新聞の左翼的な魔法の力で世界を正しく考えたり、感じたりすることを妨害されてきたものである。それが左翼的な反日商法の正体である。対話と言っても、朝日新聞や毎日新聞が使う場合の用法なり意図は、まっすぐで健やかなものではあり得ない。なぜなら対話が成り立たないことがはっきりしているにも関わらず、対話を要求しているからだ。たとえば朝日新聞の論説委員や記者に聞きたいが、自分自身が何かのトラブルに巻き込まれてその相手が、非常にタチの悪い人間で、平気で嘘をつく、約束したことは守らない、自分の非は一切認めず、こちら側の責任を一方的に責め立てるばかりでまともな話し合いが到底、成立しないような状態にある時に、何よりも対話が第一だなどという「信念」を守って話し合いによる解決の姿勢を延々と続けるであろうか。そんなことは有り得ないであろう。それが個人的な問題でなくて朝日新聞社と誰かの紛争であっても同じである。また自分自身の問題ではなくて、自分と仲の良い友人や或いは家族がそのような困難な状態にある時に、本当に対話し続けろとアドバイスするであろうか。しないだろう。だから朝日新聞は偽善だと言うものである。国と個人は違うと反論するかも知れないが、そのようなことはない。国家間の外交交渉も結局は、政治家や役人の人と人の交渉であることに変わりはない。もちろん国家と個人や法人では抱えている背景の重みが違うので同じレベルの議論でないことは当然であるが、行き着くところは同じである。日本は朝日新聞のおかげで何十年間も延々と韓国と無意味で無駄な対話を続けさせられてきたのである。そこに費やされた時間や労力、補償的な性質の金は莫大なものであろう。現実的に対話が成立しないのに対話しろということは、相手(韓国)の要求がどれほど理不尽で筋違いのものであっても、受け入れろと言っていることと同義であるからだ。それが朝日新聞的な、左翼的な対話という言葉の真意である。そして今尚、朝日や毎日は日本の政治に韓国との対話を要求している。我々はいつまでそのような反日商法を黙認しなければならないのであろうか。