龍のひげのブログ -56ページ目

朝日新聞の購読を止めます。

今日の朝日新聞、朝刊を見て長年購読してきたが、次の年度更新はしないことに決めた。その記事は、30面に掲載されていた「嫌韓」炎上 議論なき謝罪として週刊ポストの姿勢を批判したものである。今更ではあるが朝日新聞の反日は、目に余るものである。それは百も承知で、定期購読してきたものであるが、慰安婦問題で朝日の責任が追及されて以降は、その反日のやり方が卑怯になってきているように感じられる。これではちょっと読むに耐えないというよりも触るのも穢らわしいという思いで、とても金を払う気にはなれない。年度契約更新月の関係で来年の4月までは買わなければならないが、それは仕方ない。契約を止めても朝日の反日を誰かが監視しなければならない。そういう思いで20年近く購読料を支払い続けてきたが、今後は図書館にちょくちょくと本を借りに行っているのでそこでまとめて見ることにする。毎日新聞も含めてだ。ここまで卑怯でひどい世論誘導をする新聞にこれ以上、1円たりとも金を出したくはない。

具体的に言えば、朝日は「議論なき謝罪」と言うが、この記事内容では問題になっている週刊ポストの記事を読んでいない人(ほとんどの人がそうであろう)は、週刊ポストは今回の韓国特集の記事内容について全面的に謝罪しているような印象を受けるであろう。ところが実際にはそうではない。週刊ポスト側は、特集の中の一部の怒りを抑えられない「韓国人という病理」の記載が、誤解を生む可能性があったとして謝罪したものである。その他の記事については、週刊ポストは謝罪していないし、また謝罪しなければならないような内容のものでもない。それから今回の号について、発行元の小学館と今後は仕事をしないと絶縁表明をしている著述家たちは、週刊ポストの内容を読んでから批判しているのではなくて、新聞広告の見出しである、「嫌韓」ではなく「断韓」だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らないという内容がけしからんと条件反射的に反応しているものである。つまりわかりやすく整理すると、9月2日に発売された時点では、批判している人々は広告の文言を問題視しているのに対し、週刊ポストは広告を謝罪しているのではなくて特集記事の一部について、誤解を生む可能性があったことを認めて謝罪しているものである。その辺りのズレや食い違いについて、朝日新聞はまったく触れていないだけでなく、曖昧にごまかして、あたかも特集記事そのものに問題があったことを週刊ポストが即座に認めて謝罪しているように印象操作しているものである。このような卑怯なやり口が社会の公器とされている新聞社のすることなのであろうか。仮に本文の内容とは無関係に、広告内容がいけないと朝日が言いたいのであれば、韓国が日本製品の不買運動で町の至るところに掲げられていたNO JAPANの看板については問題はないのかということである。日本からの多くの観光客が韓国でそのような看板を見て不快感を感じていたことについても、新聞社とすれば公平に言及すべきではないのか。これでは国民の多くは一体何が問題なのかもわからずに、韓国の過激な反日運動は黙認されても、日本は韓国については一切の批判をしてはいけないのだという意識を深く植え付けられるだけであろう。長年、朝日新聞を見続けてきた者として、今、はっきりと言えることは、朝日の記事は日本を内部から破壊する反日工作を表面的には見え難く、わかり難くしているだけの内容であるということだ。監視する必要性はあっても、読むべき価値はない。

 

嫌韓批判は政治的な世論誘導である

何が嫌韓なのかわからないが、巷に嫌韓が溢れて問題だという意見は、日本の左翼のお決まりの印象操作ではないのか。印象操作で、日本が韓国に対して正当な意見や批判をすることを妨害工作しているものである。そして行き着くところは、全ては日本が悪い、日本が韓国を批判するようなことは許されない、ということになるのである。日本の左翼がやっていることは、日本の国家権力を否定するための世論誘導でしかない。日本が嫌韓に溢れているのが異常事態だと指摘する前に、左翼は嫌韓の原因を作っていて、一向に改めようとはしない韓国の政治を批判すべきであろう。そうでなければ嫌韓が流れ出す蛇口の元栓が、緩みっぱなしの状態なのだから、日本から嫌韓がなくなる訳がないではないか。原因と結果を転倒させて、あたかも結果が原因を生み出しているかのような批判を展開させるのが、左翼の思考回路の特徴である。日本はそのような左翼運動のために、これまで一体どれほどの国家的な損失と国民全体が国際社会の中で日本人として生きていくことの精神的な被害を被ってきたものであろうか。左翼だから悪いという意味ではない。右とか左などという区分そのものが無意味である。大方の日本人は、最低限の知性も節度も持っているので、アメリカのトランプ大統領が唱えるような愛国心や自国第一主義で、日本の政治手法や対外的な要求を肯定するような精神性は持ってはいない。思想や支持政党に関係なく、正しいものは正しい、間違っていることは間違っていると主張し、適切な政治行為として履行すること、ただそれだけの当たり前の政治を求めているだけである。だから本来はその当たり前の政治の範疇において右と左の区分が位置付けられなければならないもののはずである。ところが日本の左翼は、何でもかんでも日本が悪いとして、物事の道理や筋道とは無関係に、日本の自主的な判断、決定を破壊するところに目的があるので、当然のことではあるが、そのような日本全体の潮流は、特定の政治や思想に無関係に、良心的に真面目に生きている圧倒的多数の日本人にとって、物心両面においてプラスになるものは何一つとしてないものである。反日を中核の存在意義にしているような民間団体や、立憲民主党などの野党、韓国とのビジネスの交流で利益を得ているような法人組織が、自分たちのエゴイスティックな都合で日本が自主性を保持することを否定し続けているだけのことである。そこには正義も良心もない。週刊ポストの記事を左翼連中が一斉に叩いているが、「韓国は要らない」という見出しは、大方の日本国民の率直な感想を代弁しているものであって否定すべき筋合いのものではない。記事内容が不満で発行元の小学館との付き合いを止めるというのであれば、それは一個人の判断なのだから勝手に黙ってそうすればよいだけのことであって、それを政治運動にするのであれば言論の弾圧である。むしろそちらの方が問題が大きいと言えるのではないのか。日本では言論、出版の自由は認められているものであって、記事内容が適切かどうかはその雑誌をお金を出して買った読者である。文化人か知識人か知らないが、ろくに読みもしないで、新聞の広告画像を見ただけで批判しているのでは、やっていることは日本の言論空間の健全性を損なっているだけであろう。改めて聞くが、嫌韓が日韓問題の根本なのか。ホワイト国除外に関するパブリックコメントが通常の政令であれば、数十件程度の数であるのに、私も初めて応募したが4万件以上集まって、賛成が95%超であったということである。これだけの国民の強い関心が集まっているのであるから、週刊ポストの韓国特集は需要に応えた当然のものであって、嫌韓に媚びた低俗なものであるという批判が間違っていることは歴然としているものである。週刊ポストの記事を激しく批判している人々は、ホワイト国除外のパブリックコメントが4万件集まったことも、低俗な嫌韓現象だと言えるのであろうか。ともかくも日本の左翼の道理や筋道を一切無視して、自分たちの都合の悪いことや見たくない傾向には、言論弾圧や印象操作で激しく批判するような運動は、日本にとって有害の一言である。それは左翼というべきものでもなくて、単なる日本の破壊運動である。それから名前を出すのも気が滅入るが、あまりにも酷いので言っておくが立憲民主党の蓮舫さんは週刊ポストを批判して「仕事誇れるのか」と言っているようだが、その言葉をそのまま蓮舫さんに返したい。蓮舫さんだけでなく、党首の枝野氏にしても同様だが、国会議員として自分たちの仕事が誇れるのか。というよりも誇れる云々以前の問題として仕事を何もしていないではないか。与党や雑誌の批判をしているだけであろう。莫大な政党助成金や多額の歳費を得ていながらそれが国会議員の仕事と言えるのであろうか。呆れて物も言えないとはこのことである。日本の政治から旧民主党系の議員を排除していかなければならない。それが我々日本国民の仕事である。

 

治療の必要な左翼の病理

批判の矛先にされている週刊ポストの韓国特集を買って読んだ。時間を掛けて熟読したが、週刊誌としてそれほど特異な内容であるとは到底思えないし、何がそれほど問題なのかひたすら疑問である。「嫌韓」と言われれば、そういうカテゴリーに分類されるのかも知れないが、客観的に見て嫌韓を煽っているものではないし、嫌韓に媚びているとも思えない。当然、記事を読む人の立場や思想によって受ける印象は異なるであろうが、一般的に見れば極めて妥当で、真っ当な内容のものである。嘘や誇張を書いているようなものでもない。但し敢えて言えば、特集の最後に掲載されていた、韓国人の精神病理学的な怒りを抑えられない「火病」についての記述だけは、週刊ポストが誤解を与えかねないと謝罪をしたことは賢明な判断であったと思われる。なぜなら韓国人の国民性というものと韓国の異常な反日政治は、私の見解では、因果関係の関連性はゼロではないであろうが、それほど大きいとは思えないからである。表面的に見ていると確かに韓国人的な火病がそのまま反日を生み出しているように思えるであろうが、そうではないと言いたい。どういうことかと言えば、単に民度の低さが問題なのである。権力と国民の関係性は、韓国だけではなくて日本も或いは欧米諸国も同じなのであろうが、言ってみれば親と子供の親子関係に近いものだと言える。小さな子供は精神的に自立していないし、正しく物事を判断する能力も持ち得ていないから、親の感情に振り回されてしまうものである。親の感情に適応しないと一人では生きていけないのであるから当然のことである。それが韓国の国民感情としての反日の正体であり、本質だと考えられる。小さな子供は親の感情の呪縛がないところでは、あっけらかんとしてそれまで親が交遊を禁止していた友達と仲良く、楽しそうに遊んだりするものである。日韓関係もそれと同じではないのか。火病は、韓国人全体の性質というよりも韓国の政治や報道など一部の支配者階層の特性であると考えられる。韓国の政治や報道の火病が、親のヒステリーのように子供のような弱者としての韓国人全体を巻き込んで、日韓問題という騒動を引き起こしていることは明らかである。日本の嫌韓が日韓の騒動の原因になっているのではない。日本の嫌韓は、韓国政治の日本に対する火病的な攻撃性と不誠実さが決して改められないことが原因なのであって、商業主義的にマーケットとして嫌韓ブームが維持されているようなことなど有り得ない。それは単なる左翼の歪んだ精神構造が生み出している妄想に過ぎない。小さな子供も成長していけば、自分の親であっても間違いや未熟さをたくさん抱えて生きていることを理解するように変化してくるであろう。それがすなわち民主主義の進歩というものではないのか。青年期には反抗期を向かえて子供は親と深刻な対立を経験することにもなるであろう。しかし子供はその通過儀礼を経験しないことには、精神的に大人にはなれないものである。いつまでも親の言いなりであれば、30歳になっても40歳になっても中身は5~6歳の子供と変わらないということになりかねない。国家の歴史的な時間軸で見た民主主義の進捗もそれと同じではないのかということである。日本もあまり、よその国のことは言えないが、韓国は5~6歳の子供のように親である政治のヒステリー感情に巻き込まれて反日に同調しているものと見れる。それがすなわち現在の韓国の民度だからだ。しかし韓国人そのものが、10人に1人であっても、精神医学的に治療の必要がある病理だと言えば、それは差別やヘイトを指摘されても仕方がないという論理を韓国に与えてしまうこととなるので、誤解を生む原因になったとして一応の謝罪をしておけばよい。その他の記事内容に関しては何の問題もない。そもそもこの週刊ポストの韓国特集について批判している文化人と称せられる人々は、きちんと記事を読んでいるのであろうか。少なくとも私は買って、読んで、自分の頭で考えてからこの記事を作成している。新聞広告画像の「韓国なんて要らない」という見出しだけを見て批判しているのでは、文章やコメントを生業としている職業人として、あまりにもお粗末すぎるのではないのか。敢えて名前は出さないが、日本の女性野党政治家にしても同じである。そのような調子では日本が嫌韓に染まってしまっているなどと危惧する以前の問題ではないのか。自己批判できない者に他者を批判する資質はない。恥を知れと言いたい。