不均衡で歪曲された嫌韓批判
その次に前回述べたAbemaTimesによる対談で、恵泉女学園大学の李泳采教授は、「日韓関係が最悪だといっても、中国や韓国の出版社には、日本との関係を断絶するとか、日本を批判するような本は1冊もないし、そういう本は売れない。読む人もいない。嫌韓、反中国の本がベストセラーになるのは日本しかない。」と発言している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00010000-abema-soci&p=2
さて、皆さんはこの教授の意見に対して、どのように感じられるであろうか。ざっと素読した時の印象と、しばらくよく考えて内容を吟味した時の理解を比べていただきたいのだ。洗脳とか印象操作というものがどういうものなのかと、よくわかるのではないかと思われる。おわかりであろうか。韓国に反日の本が1冊もないことは事実であろう。しかしそれは日本と単純に比較すべきことであろうか。比較できるのか。韓国国内では、日本の統治時代のことについて公に肯定的な発言をすれば、親日罪による親日派として認定され、投獄されたり財産を没収される可能性がある。また公教育においても子供たちは小さな頃から一貫して、反日思想が植え付けられている。今回のようにホワイト国除外などの日本に対する政治的な不満が高まった時には、政府主導のデモが各地で発生し、安倍総理の顔写真にキムチを投げつけたりする抗議行動が引き起こされ、日本製品の不買運動と共にNO JAPANの看板が至る所で掲げられることとなる。中国も韓国ほど、極端ではないが似たようなものであろう。そのような環境下において、反日の本が売れる需要があるであろうか、ということである。公的な情報が、反日で埋め尽くされているのである。反日の本が売れないのは当然ではないか。その理由は、反差別や倫理的な自粛ではなくて、国民が政治主導の反日に辟易としているからである。日本ではそのような公的な動きは一切ない。それを日本の左派の政治家やいわゆる知識人と称せられている人々は、嫌韓本や一部の雑誌だけを取り上げて、あたかも日本が差別を煽る差別的な国で、韓国は差別を否定する理性的な国であるかのような印象操作を行っているものである。立憲民主党や小西洋之議員の基本的な政治姿勢にしてもそうだが、日本にとっての真の問題は、左翼的イデオロギー拡散のために歴史認識だけではなくて、現状の社会的な背景であるとか文化的な土台について、未来を背負う日本の若者たちが正しく理解したり、考える能力を根こそぎに犠牲にしてしまっていることであろう。小西氏は日本の国会議員としてそういうことに良心の呵責を全く感じないのであろうか。李泳采氏も日本で大学生に何を教えているのかしらないが、学者の立場として政治的な対立の裁定よりも、教え子の純粋な知的判断能力が劣化することに忸怩たる思いはないのであろうか。またそのような姿勢が本当に将来的に韓国にとってプラスになると信じているのかと聞きたい。韓国人の個人的な能力が高いことは認めるが、国レベルで見ると未だに日本とは比較にならないほどの超過酷な受験戦争を勝ち抜いて大学に入っても、卒業すればコネがなければ就職先がなくて、祖国を見捨てるように日本に働きに来たり、アメリカでの永住権を獲得しようとする人間がたくさん存在する状況がある。それは韓国の政治が、反日政治ばかりをしていて根本的な国造りというものをこれまで疎かにしてきたからではないのか。反日政治の本当の被害者は韓国人、特に韓国の若者たちなのだと思われる。立憲民主党のような日本の反日政治や文化人たちはそのような韓国の不幸な政治体制を、自分たちの利己的な見栄や利益のために側面から支援しているだけのことである。朝日新聞や毎日新聞も同様である。そこには人間としての真の良心が欠落しているのだと私は思う。
立憲民主党は反日政党である
夢のような妄想の話しはともかくとして、冷静に現実の話しに戻りたい。前々回の「朝新聞の購読を止めます」の記事内容について補足的に説明するが、朝日新聞が週刊ポストの韓国特集を「嫌韓」炎上 議論なき謝罪の見出しで批判的に述べていたが、謝罪の前に議論が必要だという意味で言っている訳ではなくて、倫理観の欠如した売れればよいという商法でこのような嫌韓なり断韓の特集を組んでいるので、炎上すると議論の余地もなく謝罪に追い込まれるような低俗な内容であるというように印象操作されたものであるという文脈である。全般的には本文でそのように誘導しておきながら、新聞社としての中立性を保険的に示すために、「表現があっという間に炎上し、謝罪に至るプロセスが繰り返される言論状況を懸念する声もある」とか、「「何が問題か共有されず」懸念も」などと付け加えているような姿勢が、私に言わせれば卑怯なのである。新聞と言う情報媒体の劣化が著しいように危惧される。恐らくはこの記事を書いた朝日新聞の記者は、週刊ポストの特集記事を読んでいないのではないかと思われる。自分自身が何が問題なのかについて思考停止したままに、週刊ポストを批判する声に迎合しているからこのような記事になるのではないのか。特集記事の内容は、読んだ人にはわかるであろうが、軽々しく嫌韓を煽り立てて商法にするような低俗なものではない。きわめて真っ当な韓国批判の内容であって、これを否定するのであれば言論の自由を否定していることと同じである。言論の自由を否定しているということは言論弾圧に他ならない。怒りを抑制できない「韓国人という病理」の内容について、差別やヘイトを指摘する声があるが、大韓神経精神医学会という韓国国内で発表されている論文のエビデンスを元に書かれているのであるから、それを引用してはならないという論拠がどこにあるのかということである。但し韓国人の国民性や気質が、韓国の反日政治の要因になっているとは必ずしも言えないものであり、それを結びつける内容には誤解を生む可能性があったとして週刊ポストは謝罪をしたのであって、単にそれだけのことである。朝日新聞や左翼の論者は、そのエビデンスの引用が韓国特集の全てであるように言っているがそれは事実ではない。左翼の手法はいつも自分たちに都合のよい一部の情報を、全体の性質であるかのように述べ立てるものであるが、そのような姿勢は事実に対して感情的なだけで科学的ではないし、不誠実である。立憲民主党の小西洋之参議院議員は、週刊ポストの韓国人の10人に1人は治療が必要であるとの内容についてAbemaTimesの対談で作家の門田隆将氏が謝罪の必要なかったと発言したことに対して「それがもそ虚偽だったとしたら、韓国への侮辱にはならないのか。作家であるにも関わらず、調べもせずに表現の自由の名のもとに一方的に擁護するのは、表現の自由を遂行する社会的立場としては極めて幼稚だと思う。確認もせずに煽るだけ煽って、あなたは何をしているのか。日韓問題を煽るのが、作家や社会人の仕事ではない。」などと激しく批判しているものである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00010000-abema-soci&p=1
この小西議員の発言内容に対して、多くの人はどのような感想を持たれるのであろうか。賛同する人もいるのかも知れないが、普通に考えれば言っていることが反対ではないか。それでよく国会議員が務まるものだと感心するものである。韓国国内のエビデンスがあって、それが虚偽の可能性があるというのであれば、調べるのは擁護する門田氏ではなくて、小西議員の方であろう。疑いを持つ側が、その論文なり学説が虚偽であることを反証して侮辱であることを証明しなければ、虚偽であることの仮定や可能性のもとで何をどのように批判しても難癖をつけていることと同じではないのか。作家であるのに調べもせずなどというが、作家は権力を持ってはいない。既にエビデンスとして存在するものを否定するのであれば、それこそが国会議員の仕事ではないのか。ろくに仕事もせずに口先だけで何を偉そうなことを言っているのかと思う。小西議員に限ったことではないが、「極めて幼稚」なのは立憲民主党の議員たちの特徴である。口だけで中身が何一つとしてないのだ。門田隆将氏の著書は何冊か読んでいるが、彼には人間としての中身や良心が確かに存在する。その差はあまりにも大きい。それから虚偽の可能性があるから、虚偽であれば韓国人を傷つけるものであるとの理由で、エビデンスを引用してはいけないという主張は、セウォル号沈没事故についてのパククネ元大統領の空白の7時間とかで産経新聞元ソウル支局長であった加藤達也氏が、「根拠のない噂」であると断った上で、韓国紙が書いていることを引用したことで、名誉棄損で名誉棄損で訴えられ、長期間の出国禁止になされた件と同じではないのか。その韓国側の措置は妥当なものであったと小西議員は考えるのか答えていただきたい。常識的に考えれば不当な言論弾圧である。今、小西議員が週刊ポストを批判する姿勢も同じではないのかということである。虚偽の可能性があるから言ってはいけないというのであれば、表現者や報道者は何一つとして口にできなくなるではないか。否定する立場の側が、虚偽であることを証明しなければならないことは当然である。そういうことを理解できていない小西議員が、幼稚極まりないのである。実態とすれば韓国の感情に沿わないようなことを日本の言論が言ってはいけないということである。日本の政治や報道が、韓国へのご機嫌伺いばかりに傾倒するような世論を立憲民主党は望んでいるのか。国民の税金を湯水のように費消して、そのような反日政治に邁進することが許されると思っているのか。
狂おしい雷鳴と妄想が針路を示す
大阪に住んでいる人はわかるであろうが、今日の昼の3時ごろに天地が裂けるような激しい雷鳴が響き渡った。古代人があのような雷の音を聞けば、間違いなく神の怒りだと震え上がることであろう。私が生まれてからこれまでに聞いた雷で、その激しさ、恐ろしさは3番以内に入るのではなかろうか。或いは1番かも知れない。私は会社の事務所で、前回、投稿したブログ記事をパソコンで執筆している最中であったが、自転車で通りがかりの女性が、しばらく事務所テントの下で雨宿りをしていたのだが、雷の音が恐ろしいから止むまで中に入れさせて欲しいと言ってきた。それで私は快く承諾して、立っているとしんどいであろうからとパイプ椅子を出してきて事務所の中で座ってもらった。それで私はまたブログの作成に戻ったのであるが、何が言いたいのかと言えば、あの雷は、こんなことを言えば笑われるであろうが、私の朝日新聞に対する怒りと関係しているように思えるのである。はっきりと言えば、私の怒りがあの雷鳴の原因になっていたということだ。もちろん妄想ではあるが、私の精神は天とつながっているのである。直接的につながっているのではなくて、あのような激しい雷の背後にはUFOの存在が関与しているのだと私は何の根拠もなく信じている。UFOは地球の雷からなんらかのテクノロジーでエネルギーを取り込んでいる。恐らくは私が朝日新聞の反日に怒っている波長が、異次元世界からUFOを呼び寄せることとなって、UFOが意図的にエネルギー源となる雷を発生させたのだと思う。そして同時にその雷鳴が私に対する何らかのメッセージにもなっているということだ。そういう風にして私は間接的に雷の原因になっている。これが意味するところは。私は朝日新聞の監視をしているつもりであるが、私もまた宇宙的な何らかの存在か意思によって監視されているということだ。黙って監視されているばかりではなくて、時には私の精神と感応した雷鳴のメッセージが、共時性のように眼前に立ち現れることもある。それを私はどのように解釈すればよいのかわからない。好意的に見守られているのか、悪意の下で恫喝されているのかすらもわからない。ただ漠然と感じることは、善悪は別にしても、日本を変革していくにはこの雷鳴のような精神の激しさが必要なのであろうということである。安穏と暮らしているだけでは、何も変わり得ないのである。そういうメッセージであったように私は感じている。宇宙人の魂を持つ者は表面上は大人しそうに見えても、内面深くには雷を引き起こすような激しさが絶えず渦巻いているのだ。私はこの激しさをうまくコントロールしながら、地球(日本)の現状と調和して生きていかなければならない。そして我々の子供たちの将来のために日本を、そして韓国をも少しずつ変えていかなければならない。困難な、きわめて困難な歩みの道のりは、今、始まったばかりである。