反日の正体を見極めよ
「冷静」に「中立的」に比較して、思考すれば否定できないことではあろうが、愛知県のトリエンナーレ開催の意義と、週刊ポストの韓国特集が嫌韓を煽っているということからの批判、弾圧は、本来はどちらも表現の自由に関わることであるはずなのに、一週刊誌の記事内容は至ってまともで単に広告記事の見出しが、「韓国はいらない」などという多少は扇情的ではあるが普通に見られる表現が、差別的でヘイトであるとの理由で謝罪に追い込まれ、一方でトリエンナーレの慰安婦像や天皇の肖像を燃やす映像作品は公金を投入されてまで保護されなければならないことは、言論の在り方や政治意識の対称性を著しく欠いているものである。これは朝日新聞的にどのように斜めの視点から正当化する愚説の論陣を張ろうとも、日本国内で韓国を批判することは許されず、日本をひたすら卑しめ、貶める反日運動が公的に推進されていると見る以外の解釈は有り得ないものである。それでは一体、なぜ日本はそうなるのか、或いは結果的にそうなってしまっているのであろうか。普通に常識的に考えれば、国内の政治家や影響力の強いマスコミ組織が、ここまで自国を否定、弱体化させる活動に対して自らのレゾンデートルを見い出すようにエネルギーを傾注させることは有り得ないことである。世界的に見ても恐らくは日本だけであろう。これは単純にイデオロギーの問題なのであろうか、そうではないであろう。情けないことではあるが、このような国家、国民のアイデンティティーの在り方について今や日本は、一般大衆だけではなくて政治家や知識人さえも考える能力や意欲を喪失しているものである。日本全体が得体の知れない原理や呪縛に囚われて、身動きできなくなっている。政治家は保守、反保守に関わらず、タレント化した馬鹿ばかりなので何も期待できないし、また期待すべきではない。国民の一人一人が日本の真相を見極めていく努力が必要なのである。
それではなぜ、日本が「反日」にここまで埋め尽くされてしまっているのかについて述べることにする。これから述べることは、非常に重要なことなので心に刻むようによく考え、吟味していただきたいと願う。先ず最初に言わなければならないことは、私自身が日本国内の公的な反日の理由が最近までよくわかっていなかったということである。戦後のGHQによる占領政策の影響力が、未だに継承されていることが原因だと考えていた。終戦直後の日本は、出版、映画、新聞、雑誌などのあらゆる表現物が、厳しく検閲され、連合国だけでなく韓国や中国を批判することも許されていなかった。そしてWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける宣伝計画」が実施され、それが戦後の日本精神の中核として形成されてきたものである。戦後70年以上が経過し、日本の政治を取り巻く背景は様々な紆余曲折や変化があって、言論の中身も時代と共に変遷しつつあるが、基本的には日本は終戦直後のGHQによる言論統制が社会の深部に生きていて、それが国内で構造化されるように右、左の対立構図が作り上げられ、日本特有の民主主義の在り方として維持されてきたことは事実であろう。つまり分かりやすく言えば、朝日、毎日やTBSなどの日本の左翼は、戦後の社会構造の中で、極論すれば日本の政治の諸問題や日本人が生きていくことの意味を全て戦争についての罪悪感に結び付けて論じ、批判し続けるということだけに存在意義を有しているので、その姿勢から離れることは出来ないのである。そしてそれらの広範囲の影響力と感化力のせいで戦後何十年が経過しようとも、日本は諸外国を批判することは許されず、ひたすらに戦争責任の観点から日本人や日本を貶めようとする精神性に閉じ込められているものである。その運動の正体とは、終戦時のGHQの洗脳工作を日本の左翼が日本の国情や政局に適合するように内面化させ、ビジネス・スタイルとしても取り込んできたがゆえに、国内的には権威化され、外部的にも保護されてきたのであり、今も反日のプロパガンダとして生きているのだと考えていた。しかしその考えは大元を辿れば正しいのであろうが、現在の日本の状況を説明するには間違っていることが見えてきたものである。確かに今日の日本には日米同盟があって、米国の核の抑止力によって守られているのであるから、終戦直後の米国による洗脳工作の影響力が今尚、色濃く残存していることは当然である。しかし最近の韓国の常軌を逸した反日政治の過激化や、その韓国の反日政治を擁護する日本国内の反日擁護運動は、米国の覇権に起因しているものとは考えられない。寧ろその反対である。米国のアジア地域に対する覇権主義的な影響力、グリップが低下してきていることが原因なのではなかろうか。トランプ大統領の自国第一主義が決定的な転換点であろうが、その前のオバマ元大統領の時期からアメリカはこれまでの戦争の疲弊とでもいうか、軍事のグローバリズムや世界戦略の覇権が縮小してきているように考えられる。それがどうして、どのように韓国や日本の左翼の反日と関係しているのかおわかりであろうか。わかる人にはこれ以上、何も説明しなくともわかるであろうが、反日の正体とは、元々は米国の日本に対する占領政策の洗脳によるものであったのだが、今日にあっては反対に米国の影響力の低下によって勢いを増しているものと考えられる。それが米国の存在感が隠れ蓑になっていて真相が見え難くなっているのであろう。昔から日本はスパイ天国だと言われていた。日本には欧米のような本格的な諜報機関がなかったために、アメリカ以外のロシアや中国などの社会主義国の工作員が多数、日本国内で政治家や官僚を相手に水面下の活動してきたものである。重要な機密情報を入手するだけの活動ではなくて、スパイ天国であるということは、日本という国家を時間を掛けて内部崩壊させ、まったく別の体制に作り替えることも可能であると見做せることを意味している。結論を言えば、日本の反日活動を牛耳っている黒幕は、恐らくは中国である。ロシアがどのように、どの程度関与しているのかはわからないが、主体が中国であることは間違いないと私は見ている。中国の最終的な目的は、日本を中国に従属する社会主義陣営に組み入れようとしているのである。反日というものは、そのための洗脳工作活動なのだ。よって韓国の反日政治も当然、韓国が自発的に行っていることであるが、俯瞰して見れば中国が日本を社会主義化させて従属させる計画に組み込まれているものである。日本の左翼も同じである。中国の存在感が前面に出てくれば、さすがに拒絶反応が発生するであろうから、一応は日本と同盟関係にある韓国の反日政治や日本左翼の反日運動が、本当の目的を隠すようにして日本を内部解体しているものと見れる。スクラップアンドビルドではないが、日本を社会主義体制に組み替えるためには一旦、現状の体制を思想的に破壊する必要がある。反日運動はそのためのプロセスなのだと考えられる。この計画の巧妙なところは、私が長らく考えていたようにいわゆる戦後秩序の維持や米国の影響力によるものだとの見掛けを装っているので、真の目的が発覚しないように深く埋没してしまっていることであると考えられる。こういう計画は、中国が一党独裁の社会主義体制であるからこそ可能なのであろう。恐らくは30年とか50年の長期間に亘って、一歩一歩と進められている計画なのだと考えられる。アメリカは中国のようにはいかない。現に20年前のアメリカと今のアメリカを比較すれば、大きく様変わりしてきているものである。ここにおいて重要な認識は冷戦構造というものは軍事的には、沈静化しているが、思想的な対立構造は今尚、解消されないで見えない部分で洗脳工作の綱引きのようなバトルは展開されているのであろうということである。愛知県のトリエンナーレのような展示会もその一部なのである。このように日本を社会主義化させる工作活動は大分前から行われていたのであろうが、アメリカの存在感と抑止力のもとで均衡が保たれていたものが、ここにきてトランプ大統領の登場と共に急激にその重心が中国側に移ってきているのだと考えられる。韓国のGSOMIAの破棄もその影響なのであって同じ潮流の顕在化である。全ては水面下でつながっているということだ。それでは日本の左翼が、具体的には愛知県の大村知事や立憲民主党の議員や朝日新聞、TBSの記者たちがそういうことについてどの程度の自覚があるのかということであるが、恐らくはほとんど何も考えていないのではないかと私は見ている。日本の左翼自体が洗脳されていて、本質的な部分から目を逸らし続ける精神構造にある。そういう意味で日本の左翼は救いようのない馬鹿なのだ。日本の反日は、結果的には反自由主義の反米思想を意味するものである。そういうことを明確に自覚しながら運動や言論を展開しているのであればまだしも、日本の左翼は将棋の駒のように動かされているだけである。政治や言論機関だけではない。たとえば教育の分野においても、日本の大学は反日の影響力が増大している。たとえば東京大学などは日本の教育における権威の象徴として、早い時期から社会主義陣営にターゲットにされていたのであろうが、今や左翼思想の巣窟のようになっている。日本は今、非常に危険な分岐点を迎えているのである。
石破氏は自民党を離党せよ
自民党内で冷遇されていると不満だからなのか、石破茂議員がお得意の日本による韓国併合時代の創氏改名政策を持ち出して、「今日から君はスミスさんだと言われたらどう思うか」などと発言し、日韓連携を訴えることで間接的に安倍総理を批判しているようであるが、個人的な確執や恨みで韓国側にすり寄ったり、保守的な主張に切り替えたりするのであれば、自民党を離党して無所属で活動すべきである。今の日本の政治家は自民党だけの問題ではないのであろうが、小泉進次郎氏もそうだけれど、あまりにも勉強不足で言っていることが適当過ぎて、根本的には何も言っていないに等しいものばかりである。その程度の内容でも大衆は馬鹿だから簡単に誘導したり、ごまかせると普段から考えているからそうなるのであろうが、一体どちらがより馬鹿なのかということである。一概には言えないことであろうが小泉進次郎氏の発言を聞いている限り(耳を傾けるほどのレベルでもないが)、一般大衆でもあそこまで酷い者はなかなかいないであろうし、石破茂議員も同じ穴の貉とやらで、似たり寄ったりなのではなかろうか。結論から言えば、創氏改名は、任意のものであって強制されたものではない。韓国政府による反日文脈の主張はともかくとしても、事実は事実であって、事実を正しく直視することは「歴史修正」とは言えないであろう。確かに創氏改名が「同化政策」であったことは事実であるが、当時の時代背景の中で、同化政策が果たして本当に非人道的で間違ったものであったのであろうか。韓国政府や日本の左翼は、徴兵や徴用のために日本の名前を朝鮮人に無理やり押し付けたと主張するものであるが、日本政府とすれば当時の朝鮮人に対して日本式の名前に変更させる必要性はなかったはずである。むしろ日本政府は、朝鮮人に対して日本式の名前を名乗る「特権」を付与したものであって、その権利を利用した朝鮮人が、日本の法令に従ってあくまでも「任意」で創氏改名したものである。今の時代感覚では決して認められないことであろうが、当時の朝鮮人の考えでは日本の名前を持っていた方が、日本に仕事を探しに行ったり、日本で居住する場合に有利であろうと考えたからそのようにしたものであって、石破氏が言うように役所が、ある日いきなり君は今日からスミスさんだと命じたものではあり得ない。プライド意識の高い貴族階級の両班は、日本の創氏改名政策に猛烈に抵抗したのであろうが、多くの朝鮮人は自ら希望して日本の名前を名乗ったということである。もちろん同化政策による創氏改名が、戦後の在日韓国人への差別の原因になったことは事実であろうが、それは戦前、戦中の日本の朝鮮への同化政策が非人道的で間違ったものであったのかどうかとは別の問題であるはずだ。時代背景が異なるものを単純に比較して、戦前戦中に日本が統治下の朝鮮に略奪や暴虐の限りを尽くしていたなどという主張を、日本の政治家がそれも与党の重鎮が、いとも簡単に自らの政治信条の拠り所とすることが、日本の不幸であり、間違いの根本なのである。韓国は勝手に自国に都合の良い歴史認識を訴え、日本に押し付けるであろうが、それはそれで、日本は韓国寄りでも、日韓連携の必要性を鑑みた外交上の要請からでもなく、純粋に歴史の真実と言うものを見つめる必要性があるはずだ。本当に正しい歴史を追及することは、歴史修正主義などというイデオロギー上の問題ではないはずである。そういうことを石破氏に言いたいが、とにかく歴史認識や日本の立場を切売りすることで党内の派閥闘争をしたいのであれば、先ず自民党を離れることが筋道ではないのか。自民党を離党して安倍批判をすべきである。
日本人よ、危機感を持て
予想された通り、あいちトリエンナーレは大村知事の意向で再開されることになった。表現の自由の大義を大上段に構えて、多くの国民の不快感や不信は取るに足りないものと考えているようである。芸術だと言えば、どのような政治プロパガンダであっても、実質的な反日活動であっても保護されなければならないのであろうか。ましてやトリエンナーレの展示において、問題とされた慰安婦像などの作品については来場者のための「エデュケーション(教育)プログラム」が用意されているという。大村知事や国の補助金中止を批判している人々は、芸術というものを理解していないのではなかろうか。芸術は鑑賞する者が、政治的な文脈の解釈を離れて、心を飛翔させるように自由に感じるものではないのか。製作者や主催者側が、その作品についての制作意図や正当性を鑑賞者に「教育」してまで押し付けるのであれば、それは最早、芸術とは呼べないものであろう。芸術ではなくて単なる政治運動、或いは洗脳行為である。行政や自治体が、表現の自由の名の下に、非常に危険な芸術の政治利用に踏み込んでいるものである。愛知県の検証委員会は、大村知事の再開への意向を代弁、擁護するようにその内容の危険性を「政治・ジャーナリズムとアートの融合という先端領域に挑戦」したとして津田監督を評価していたものであった。政治とアートの融合も何も、それは単に洗脳行為を体裁良く言い換えているだけのことである。そのような洗脳に国民の税金が投入されることに対して多くの反発の声が上がるのは当然のことである。それに慰安婦問題にしても、朝日新聞が報道していた強制性の証拠が虚偽であったことが判明したように、その歴史的な真実や信憑性は未だ確定されたとは言えないものである。韓国政府が日本に対する政治圧力の材料として利用し続けていることは誰の目にも明らかなことであって、それを日本の国内で公金を投入し、芸術行為として展示公開することは、表現の自由の問題ではなくて、エデュケーション(教育)という名の日本国民への政治洗脳工作に他ならないものである。日本という国家の他国には決して例の見られない特殊性とは、公的な機関が公然と反日活動を行うことが習慣化し、それが民主主義の一端として強固に根付いてしまっていることである。朝日新聞やTBSなどの報道姿勢や、立憲民主党などの政治ベクトルも正にそのような反日活動そのものであろう。それだけでも非常に問題性が深刻であるが、今や、その反日洗脳工作の日本国民に対する浸透度がステップアップするように深まってきて、マスメディアや国政政治から地方の自治体レベルのイベントにまで移行してきているものである。その行き着く先にどのような未来が待ち受けているのか、日本という国が内部から解体され尽くせばどうなるのか、日本人はもっと危機感を持たなければならない。