人類終焉の危機
スローキルか。恐ろしい。日本民族は地球上から消滅してしまうかも知れないな。今、世界ではこれまでの常識では計り知れないような常軌を逸する事態が進行している。TVなどのマスコミに洗脳されている圧倒的多数の大衆も、これは少しおかしいのではないかと気付き始めなければならない。しかしもう手遅れなのかも知れない。ここまできてしまうともう世界は後戻りはできないであろう。破滅に向かって、突き進むのみである。
これから述べることは、ある一定の意識レベルの人々にとっては、現実を直視する上での思考の対象となるのであろうが、政治やマスコミに洗脳されている大多数の大衆にとっては、心のどこかでおかしいとか怪しいと感じたとしても社会的にあるいは心理的に思考がブロックされ、ロボットのように管理、操作されるだけの存在になっているがゆえに、心に響かないのであろうし、心というものを失っているとも言い得る。ロボット化した人間は、入力されたコマンドに抵抗したり、世界を憂慮したり、問題を議論することはできないのである。圧倒的多数のそういう人々に向けてこれが真実だ、真相だと訴えても無駄である。政治やマスコミが発する情報が正しくて、それに反する情報は受け入れないようにプログラミングされてしまっているからだ。無駄であるだけでなく、仮にそういう人々を真実に目覚めさせることができたとしても、残酷な真実への覚醒は肉体に静かに深く突き刺した刃物のような精神的衝撃を及ぼし、犯罪者のように恨まれることにもなりかねない。それにこの期に及んでしまっては真実によって何がどう変化するものでもあり得ない。よって私はフィクションとして伝えることにする。ある意味で現実とはその人の意識や意識に伴う思考が生み出しているものであるといえる。騙されているとしても自分の意識や思考が生み出した現実とその現実の解釈にしがみつくように生きている人々とは実のある対話や議論は成り立たないのである。だからこのように手遅れになってしまうのだ。よって私は、今の世界の破滅的な進行に本当に危機感を有する意識を持っているごく少数の人間にはそういう認識の方向性で理解を深め、危機感を共有したいとも思うが、そうでない人々にはフィクションと考えていただきたいとしか言えない。議論などしても無意味である。議論をしてもその人の意識は変わらない。自分のそれまでの意識状態を維持するための思考しか出てこないからだ。その人にとっての世界観は、常に一対一の均衡で意識や思考と釣り合っている。時には命の危険性よりも、意識や思考様式の存続が自己アイデンティティーとして優先されるであろう。特に今、マスコミはTVだけでなくネット空間もほぼ同様の状態であるが、洗脳の嵐が吹き荒れている。風速50メートルの暴風である。風速50メートルの嵐で屋外で立っていられないのと同様に、洗脳が吹き荒れる言論空間で普通に思考したり、議論することなど不可能である。仮にこれまでの人生における意識や思考から離れて、何かの真実や真理にたどり着いたとしても、洗脳の暴風で家の瓦屋根のやように吹き飛ばされてゴミと化するであろう。今はそのような異常事態なのである。
フィクションとして述べるが、今、世界は本当に恐ろしいことが着々として進行している。信じられるか、信じられないかはあなたの意識次第である。2020年に新型コロナが発生したことは私は年代的に意味のある必然だと感じている。どういうことかと言えば、100年という歴史のスパンで区切って俯瞰してみると、その100年前の1920年頃がどういう世界であったかと考えると、20世紀は戦争の世紀と言われている通り、1914年から始まった第一次世界大戦が1918年に集結し、その後1941年に第二次世界大戦が開始されるまで、非常に不安定で失業者も多かったが、ロシア革命を経てソビエト連邦が成立するなど戦争の狭間で世界は大きく変貌していった。戦争の破壊力が世界が近代化していく上での原動力や胎動となったことは否定できないであろう。戦争で多くの人間が死亡したが、一方で科学技術の進歩や経済の発展を生み出し、平和運動や国際政治の起点となり、軍事力は国家間のパワーバランスの役割を担ってきたことから、いわば20世紀の歴史は良くも悪くも戦争によって形作られたと言えるものである。批判を恐れずに言えば、人類に必要であったから、世界戦争という大きなイベントが歴史に組み込まれたのである。今、21世紀を生きる我々が直面しているコロナという疫病は、20世紀における戦争みたいなものではなかろうか。なぜ21世紀が疫病なのかと言えば、はっきり言ってそれは20世紀的な世界の近代化に伴う科学や経済の進歩のためではなくて、人口問題の解消が最優先課題となっている。人口が増えすぎて、地球がもたなくなってきていることは明らかだ。2021年現在の世界人口が78億7500万人である。2000年度が60億7000万人なので約20年で30%相当の18億人が増加している。因みに1900年度が16億5000万人なので20世紀の100年間で3.6倍の増加率である。1800年度は9億8000万人で19世紀は、1,6倍の増加率となっている。21世紀の百年間を見据えた時に今の増加率では、西暦2100年を人類が迎えることは不可能であると見做されることはタブーとして公的に発表されることはなくとも当然であると言える。現に今の時点で既に世界各国は異常気象に見舞われていて、夏の気温は殺人的に上昇しているし、大雨や竜巻など数十年前には考えられなかったような規模の災害が頻繁に発生している。北極や南極の氷が解け、永久凍土から数万年前のマンモスの化石が当たり前のように出土し、海面水位は上昇してきている。もう本当にいつノアの箱舟状態になってもおかしくはないという状況なのだ。よって21世紀に人類が地球上で存続し続けるためには人口削減のための疫病が、20世紀に科学技術や経済の進歩のために戦争が必要であったのと同様に、世界各国の政府に必要であると見做され、恐らくはダボス会議のような場で非公式に合意されているであろうことは、ほぼ間違いのないことである。よってコロナとワクチンは計画され、周到に準備されてきたものである。どの程度の人口削減が目標とされているのかということに関して言えば、何とも言えないが、今の各国の政府やマスコミの動きを見ている限り、1800年度の10億人弱ぐらいにまで減らそうとしているのではないかと思われてならない。70億人減の約8分の1である。世界戦争や災害ではとてもそこまでは無理である。よって新型コロナという疫病と遺伝子ワクチンは、それ以外に方法はないという必然性により、選択された人口削減政策なのだ。実際にそのレベルまで世界人口を減少させれば、地球上のあらゆる問題は消滅するのである。二酸化炭素排出による環境問題や、食糧問題、水資源問題だけでなく、領土問題や戦争の危機もなくなるであろう。戦争どころか人口が激減し、世界が単一の政府に収められることとなれば、地球上の天然資源をこれまでよりも有効かつクリーンに活用することが出来るであろうし、労働力の不足はAIロボットが代替してくこととなるであろう。映画ターミネーターではないが、もう世界は本当に映画やSF小説で描かれるような風景に移行していく準備がなされているとも言える。そこが果たして新人類にとってユートピアとなるのか、新しい支配者のための牢獄となるのかはわからないにせよ。実際にもう既に世界の実態はワンワールドなのである。独立した国家と言う概念は形骸化してきている。新型コロナの発生源が中国の武漢研究所であるとアメリカが発表し、中国がそれに対して反発するなどという構図は茶番以外の何物でもない。新型コロナはアメリカの資金と特許技術で中国で研究開発されてきたものだ。裏側ではつながっているのである。アメリカのCDC(疾病予防管理センター)がコロナ(サーズ)の遺伝子配列情報を特許として取得しているがゆえに、アメリカの製薬会社がワクチンを製造して世界に強制する流れになったものだ。先に断った通り、これは一応はフィクションとして述べているが、仮にそれが事実であるとしてもどうして人類を騙してまで非人道的な大虐殺をなさなければならないのか、大幅な人口削減が必要であるなら世界全体が協調する出産制限などで可能なのではないかと言う疑問も当然のように出てくることであろう。それに対する答えも、簡単には述べにくいが、先ず国連とかWHOという組織が機能不全に陥っているというよりも、それ以前にそれらが民主的、人道的に維持されているのではなくて、特定の者の意思や利益を中、長期的に反映させながら運営されているのであろうということと、何よりも根本的な問題は人間が、人間という種全体を管理できるほどには進化し得ていないということであろうと思われる。それが人間の不幸を生み出している原因なのである。また人間は戦争とか、疫病による破滅というカタストロフィを通過しなければ、人類全体が飛躍する次の段階に進んでいけないのである。それは突き詰めれば、人間が人間とは何なのかということについて深いところで理解できていないからだと考えられる。
さてフィクションであってもこのようなデマやフェイクの話しには、耐え難いという河野大臣のような類の人に聞きたいが、ファイザー社の元副社長で技術部門の責任者でもあったマイケル・イードン氏が、内部告発でワクチンは人口削減計画の一部であり、接種者は2年以内に死亡するなどという主張をしていること自体はデマやフェイクではなく、また解釈の問題でもなく歴然とした事実である。また女性の不妊症の原因となる可能性があるとも主張している。この人の告発動画は何度、公開されてもすぐに削除され、また違うサイトで公開されるということを鼬ごっこのように繰り返しているので、その情報を知らない人が多いであろうが、果たしてこの内部告発の事実を知った上で、決死の覚悟をしてワクチンを接種する人がどれほどいるのであろうかということである。
https://www.subculture.at/michael-yeadon/
私が動画を見た率直な印象においても、よこしまな理由で嘘をついたり、何らかの利益のために不安を煽っているようには見えないだけでなく、自らの良心に従った、誠実で非常に勇気のある発言をしているようにしか感じられない。この告発を批判することも自由なのかも知れないが、どれほど批判を集中させ、また動画を徹底的に削除して、なかったことにしようとしても、それでも尚、衝撃的な内部告発が存在すると言う事実は消滅させられないのである。陰謀論だから無視すればよいという話しではないはずだ。仮に製薬会社ではなく、航空会社の内部告発で、ある旅客機がエンジントラブルの可能性が高いからその出発を中止せよという内容の主張があった時に、航空会社の上層部と政治やマスコミ内部の判断で、その主張は陰謀論の虚偽だからとして乗客に知らせずに離陸したとすれば、もしあなたやあなたの家族がその航空機に搭乗していたとすればどのように感じるであろうかということである。数時間後に死ぬ可能性があるか、数年後に死ぬ可能性があるかの差があるだけなのではなかろうか。
またこのマイケル・イードン氏の主張を裏付けるように次のような報道が一部でなされている。それは同じくファイザー社からの内部告発でワクチン接種後、1週間で20万人の死者が出たというものである。
http://takahata521.livedoor.blog/archives/10213118.html
さてこの情報も虚偽なのであろうか。虚偽だと断定するのであれば、一体何の根拠があってそう言い切れるのか。マスコミや政治が喧伝する通りに、鼻で笑って無視すればよい程度のくだらない陰謀論の一つに過ぎないのであろうか。私には到底、そうは思えないのだが。まあどのように感じるかはひとそれぞれなので私にはそれ以上のことは言えない。繰り返しにはなるが、私個人の想像によるフィクションと事実を織り交ぜた意見として、マイケル・イードン氏も語っていたように、自分の頭で考えられる人間が一人でも多く増えるようにとの願いというか祈りを込めてここに述べておく。
(吉川 玲)
国会議員はワクチンを打っているのか。
国会でのワクチン職場接種が始まったのは良いが、衆参国会議員計700人超に対して、申し込みが8月16日時点の報道で約100人に止まったとは、一体どういうことなのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed533d48c7b32ffdd4e2ab02719a2291c00c39c9
地元で接種を済ませたケースが多いとみられる、ということだが永田町界隈で在住しているべき国会議員が、選挙でもないのにわざわざ地元に帰省して、ワクチン接種を済ませているなどという見方は不自然であろう。ここにおいて「~とみられる」という言い回しに注意していただきたい。マスコミ報道で頻繁に使われている伝え方であるが、取材や調査で確認すればわかることをしないで、「とみられる」と報道することは印象操作による誘導以外の何物でもない。マスコミ報道は事実を述べている部分は全体のごく一部で、その他ほとんどの部分は印象操作である。マスコミのしていることは実質的には報道と言う名の政治工作活動であり、それによる大衆への世論操作なのである。コロナやワクチンの問題でマスコミの本質が鮮明に顕在化しているものである。どのようにみられているかなど、どうでもよいことであって、実際にどうであるかを調べて国民に伝えることが公共に資するマスコミの本来の使命であり、役割ではないのか。とみられる、などという怠慢かつ無責任な言葉をマスコミは使うな。そして国民はマスコミの誘導や言い回しに対してもっと鋭敏な感覚を持たなければならない。政治とマスコミは一蓮托生に腐敗の極みにある。国会議員はワクチン接種を忌避しているようにしか考えられない。権威筋はそのような見方をまたデマやフェイクなどと決めつけて排除しようとするのであろうが、そもそもきちんとした情報公開がされていないことが問題なのであって、隠蔽されているのであれば疑惑が生じることは必然なのである。閣僚で見れば、菅総理大臣と河野大臣がワクチン接種をしたことは報道されているが、それ以外については、したのかしていないのかよくわからない状態に伏せられている。伏せられているということを別の表現で言えば、これだけ国民に強引に勧めているのだから閣僚はいくら何でも間違いなくしているのであろうと思わせる印象操作に止め置かれているということである。果たして本当にそうなのであろうか。日本の政治家に共通する卑劣さを甘く考えてはいけない。多数の国民がそのように思っているのであれば、実際にワクチン接種をする必要はないと考えることが国会議員の思考回路なのである。言ってみれば選挙公約と同じなのだ。国民がそうであろうと考えてくれることが政治家に絶大な力を付与するのであって、現実に国民が信じてくれたり考えている通りに公約やワクチン接種を実施する必要性は政治家にとってはないのである。そうでないと反論するのであれば、少なくとも全閣僚は一覧にして明瞭、明確にワクチン接種の履歴を国民に公表すべきであろう。それをしないのはなぜなのかということにならざるを得ないものである。子供や妊婦にまでワクチンを無理強いしておきながら自分たちはワクチンの危険性を知っているか、危険であると思っているゆえに忌避しているとしか考えられないものである。見落としている部分もあるかも知れないが、私が調べた範囲で見れば、たとえば萩生田文部科学大臣は、6月1日時点での報道によると「閣僚は堂々接種を」などと立派というか、まあ当たり前のことを発言している。見てください。
https://www.asahi.com/articles/ASP613WHMP61UTIL00X.html
記事を読めばわかる通り、その一方で自分自身の接種については「打っていないし、予定もない」などとした上で、東京五輪・パラリンピック開催時期に訪日する関係者との会談が予定されていることから「可能だったらその前に接種した方がいいと自分では思っている」などと、結局打つのか打たないのか、よくわからないような発言をしている。それで現在、オリンピックは閉幕し、パラリンピックは始まっているが、同氏の秘書が書いていると見られるブログ「はぎうだ光一の永田町見聞録」を見てもどこにもワクチン接種をしたという報告が見られないのである。
https://www.asahi.com/articles/ASP613WHMP61UTIL00X.html
これはどう考えても接種していないであろう。常識的に考えてもわかることではないか。TVやネットなどでもそれなりの金を掛けて国民にワクチン接種を勧める広告が流されているものである。大臣がワクチンを打ったのであれば、その報告は何よりも説得力と訴求効果のある宣伝になるのだから、その事実を黙っている理由などないではずである。ただ普通の従順な一般国民はそこまで踏み込んでは追求しないし、マスコミの印象操作で打っているであろうと思い込んでくれているから、実際に打つことから逃げているとしか考えられないものである。
田村厚労相も同様である。この人も非常にインチキ臭いと言うか、TVなどではワクチン確保や接種を進めることについて、存在感を誇示するように積極的に発言し、自分自身も当然のようにワクチンを接種していますというような「顔付き」だけはしているのだが、同氏の公式ホームページを探して見てもワクチン接種の報告がなされていない。都合が悪いからなのか活動報告は2月26日で止まってしまっていて、そこから先の報告は記載されていない。
https://tamura-norihisa.jp/?cat=21
さてこれはどういうことなのであろうか。厚生労働省大臣の立場としておかしいであろう。自分の個人的なことは公表したくないし、またする必要もないと考えているのであろうか。接種しているならしているで、自分は何月何日にどこのメーカーのワクチンを接種したのか国民にきちんと報告する責任と義務があるのではないのか。
加藤官房長官も同様である。この人は元々「俺は打たないよ」と身近な人間には明言していたものだが、ワクチンパスポートを推進する立場からそれではまずいと判断したのであろうが、6月11日時点の記者会見では「自衛隊の大規模接種センターを予約している」と言っていた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021061100994&g=pol
ところが実際に何月何日にワクチン接種を済ませましたという報告は、どこにも見当たらないのである。私の探し方が悪いのであろうか。そうではないであろう。恐らくは打ってはいないし、打つつもりもないのである。その他の国会議員なども推して知るべきであろう。閣僚だけでなくほとんどの議員は、地方議員はともかくも国会議員(地方議員とは入手している情報のレベルの差も大きいと思われるが)は、全員ではないにせよワクチンを打つことから逃げているのである。そう推測される国会議員の動静がワクチンの危険性を何よりも雄弁に物語っているのではないのか。またそれでいながらにして国民に対しては、子供や妊婦にまで無理強いするように勧めているのであるから日本の政治の邪悪さを証しているとしか私には思えないのであるが、いかがであろうか。違うというのであれば、マスコミなど外野の声はいらないから政治家本人が自分の声で反論してみろと言いたい。出来ないであろう。そういう卑怯な政治家の類が、多くの国民がコロナ禍で経済苦に喘いでいる中で、歳費として多額の給金を支給され、日本の支配者のように振舞っているのである。現世はともかくも、死後は地獄に堕ちゆくべき人々である。
(吉川 玲)
コロナワクチンは本当に重症化を防ぐ効果があるのか
コロナ重症者数が過去最多という厚労省の発表であるが、それはそれで良い。良いという意味は、事実であると受け止めることにやぶさかでないということだ。8月14日時点の重症者数は、1,521人となっている。陽性者数や死亡者数と比べて、集中治療室への入室や人工呼吸器での対応が必要とされる患者数は、恣意的な判断やデータ操作で改竄される余地が少ないと思われるので信憑性があると考えられる。しかしである。その重症者数がワクチン接種との関連性ということになると、途端に怪しくなる。怪しいというよりも厚労省のHPのあちこちを探しても、様々な統計やグラフがあるのに、直近の重症者数におけるワクチン接種の内訳が存在しないのである。これはおかしな話しであろう。コロナのワクチンは、罹ったとしても重症化が防げるという理由で国民は国やマスコミに強引に勧められているものである。ということは重症者数における未接種者、1回接種、2回接種の具体的な構成人数は、ワクチンの効果を確認、判断し、将来的に蒙る可能性のある副作用のリスクを両天秤に掛けて国民の一人一人が自己責任、自己判断の決定をする上で最も重要で、欠かすことのできない情報であるはずだからである。どうしてその肝心、要の情報が伏せられていて、コロナに関する枝葉のデータは見ていてうんざりするような量の資料やグラフで埋め尽くされているのであろうか。
厚労省が作成している資料で、「ワクチン接種状況と新規感染者数等の動向について」資料2-4があるのだが、見ていただきたい。
file:///C:/Users/oosak/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/YF9F4825/000809571.pdf
冒頭で述べられている、三段論法のような要約が、厚労省の言いたいことなのであろうが、官僚の押し付け的な論理展開と緻密な統計データは面妖というか、迷宮を徘徊させられて疲労困憊し、自主的な思考を放擲せざるを得ないような内容である。
曰く、冒頭部分を抜粋すると
1、 国内の新規感染者の多くは、65歳未満のワクチン未接種者となっている。
2、 国内の新規感染者数をワクチン接種歴別にみると、7月にワクチン未接種者 (65歳以上)は10万人当たり13.0だが、ワクチン2回接種者(65歳以上)は0.9となっている。未接種者と2回接種者を比較して65歳以上の高齢者の感染が10分の1以下になっている。
3、 東京都の新規感染者に占める65歳以上の割合は4%程度にとどまっており、これまでのところ、重症者や死亡者の増加が抑えられている。
そのあとにたくさんの量のグラフやデータが掲載されているのであるが、全ては陽性者数やワクチン接種率、重症者数、入院者数、死亡者数などの独立した数値の推移を様々な様式で一つのグラフの中に表したものであって、直接的にワクチンの効果を確認できる類のものは一つもないのである。厚労省の官僚は、ここまで手間暇を掛けて一体、どういう意図でこのような資料を作成しているのであろうか。簡単なことではないか。一つのグラフすら必要ないのである。コロナのワクチンは重症化を防げるということが政府が国民に説明するメリットなのだから、重症者数の中のワクチン接種者数の内訳を示せばよいだけのことである。敢えてグラフにするのであれば月別の時系列的な推移を一つ作成すれば済むことである。あるレベル以上(といっても大したものではないが)の知性の持ち主であれば、厚労省が作っているこのような夥しい量の資料やデータは本質的には、国民への印象操作に過ぎないものであることを理解することであろう。国民の一人一人に考えさせないために、見切れないほどのたくさんの資料を作成して、国が国民に期待する理解や答えを植え付けているのである。大衆が特殊詐欺に騙されるのも、政治やマスコミに騙されるのも構図とすれば同様であると私が主張するのはそういうことである。人間は処理しきれないほどの情報を提示されて説得されると、思考を放棄してしまって全面的に受け入れてしまう傾向がある。弁護士や警察などの知的な仕事に従事している人種は、それぞれの職務内においては印象操作されないために、主体的に情報を取捨選択する技術を持っているが、我々一般国民も政治やマスコミの提示する圧倒的な量の情報に対してそういう意識と姿勢で立ち向かう必要性があると言えよう。政治やマスコミ、官僚は所詮は利権の元でしか物事の善悪や可否を考えていないのだから。そういう認識がなければ簡単に誘導、洗脳されるだけのことである。10の情報を提示されれば、その内の9ないしは10の全てを無視して、残りの1か、関連した10以外の情報の1を追求していけば、嘘やごまかしの全体像が見えてくることであろう。今の時代はそれをしなければ自分の身を守れないのである。もう破滅のスイッチは入ってしまっているのである。誘導やミスリードさせるための情報はことごとく無視しなければならない。そうしなければ選択すべき、核心的な1が見えてこないのである。
練習的にもう一つの例を挙げれば、NHKが報じた2回接種済の高齢者致死率が未接種の人の約5分の1という厚労省調査がある。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210812/k10013196751000.html
65歳以上で亡くなった人は
▽ ワクチン接種を受けていない人では、感染した5387人中、232人で致死率は4.31%だったのに対し、
▽ 1回接種を受けた人では857人中26人で3.03%、
▽ 2回の接種を受けた人では112人中1人で0.89%と、致死率は接種を受けていない人のおよそ5分の1でした。この結果から「ワクチン接種によって重症化を予防し、死亡を抑える効果が見てとれる。」
ということだが皆さんはどのように感じられるであろうか。正直に言って私には小学生相手の説明のように思われてならない。冒頭でも言ったように致死率では測れないのである。致死率などはどうでもよいのだ。何が原因で死亡しているのかわからないではないか。65歳以上の高齢者になれば分母の数が大きくなれば死亡者が増えるのは当然である。ワクチン接種を受けていない5387人と2回接種の112人だと、48倍もの開きがある。それを単純に比較して致死率が5分の1の効果があるなどとは呆れて言葉を失うものである。それをまた「重症化を予防し、死亡を抑える効果」などとは詭弁以外の何物でもない。何度も繰り返すが、そんな回りくどいことをせずに、ワクチンの効果は重症化を防ぐことだとされているのだから、重症者数の中のワクチン2回接種の人数を公表すればよいだけのことではないか。分母が大きく異なる比較のできない二つのデータで、致死率が5分の1に減っているからすなわち重症化の予防にもなっているなどという理屈は、小学生でも少し利口な子なら首を傾げるのではなかろうか。苦笑を禁じ得ないとはまさにこのことである。
私は仮にワクチンに重症化を防ぐ効果があるとしても、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は人工的に作られたものであり、その遺伝子コードが埋め込まれたワクチンを人体に注入することなど危険極まりないものであると考えているものである。デマだフェイクだと言われようが、断定はできないもののSARS-CoV-2がコロナとエイズウイルス(HIV)とのハイブリッドで作られた可能性があるとも私は考えているので、もし万が一でもそうであるならば大変なことである。エイズは潜伏期間が長いので5年先、10年先にエイズと同様の免疫不全の症状を発症するのではないかと大きな声では言えないが、内心では本気でそう考えている。政府やマスコミが説明するようにワクチンによって体内に作られた抗原が本当に2~3週間で体外に排出されるかどうかも疑わしい。遺伝子の転写はDNAからRNAへの一方通行でその反対はあり得ないものであるが、エイズはレトロウイルスなので逆転写酵素を持っていてDNAに侵入し書き換える可能性があるものである。人体とは数十万年もの歴史のなかでその繰り返しによって進化してきたのである。今、我々人類はワクチンによって新しい種へ進化していくごく一部の選抜組と、その進化の流れから脱落して絶滅してゆく多数組への分岐のとば口に立たされているような気がしてならない。もちろん私が勝手にそう思っているだけのことなので実際のところはわからないものである。間違っているのかも知れない。しかしそれでも政府やマスコミを注意深く観察していると私はその主張や説明はどうしても信用できないものだ。信用出来ないなら出来ないで黙っていればよいのかも知れないが、私は自分のためだけではなく、将来のある若者や人類全体のために何か言わなければならないというある種の使命感に突き動かされていることもまた否定できないものである。ともかくも私にはワクチンが安心、安全なものとは到底思えないし、実際に既に900人以上の人間が亡くなっていることは事実であるが、それでもなお権威筋の人々がワクチンを接種するメリットの方が大きいと主張する最大の根拠である重症化を防ぐ効果があるということ、陰謀論的な見方を全く抜きにしてその観点からのみ考察したとしても、厚労省やマスコミの説明には隠蔽や誤魔化しが多いと言う以上にほとんどがそうであるように感じられて、やはり信用ならないということなのだ。信用しない私と信用されない権力のどちらが悪いのであろうか。(吉川 玲)