悪いのはマスコミである。
諸悪の根源は、マスコミと政治の癒着にあると言えば、皆さんはどのように思われるであろうか。癒着というよりもむしろマスコミの報道を通じた政治活動とでも言うか、TVや新聞はほとんど政権の広報宣伝組織であると見做すべきなのだと考えられる。戦争と同じである。少なくともコロナの状況やワクチンに関して言えば戦時中の大本営発表と同じで、国民の生命や利益を無視して、都合の悪い情報は隠蔽したり、印象操作で目立たないようにして、製薬会社やマスコミ、政治など大きな利権を有する者のための宣伝、啓蒙をしているだけである。またそれを盲従して受け入れてしまう大衆の心理的反応や意識状態も、80年前の太平洋戦争突入の時と何の変化も進歩も見られないのかも知れない。日本の民主主義とは本質的に、政治家の失言や不適切な発言を弾劾したり、日々、日常的に発生している不倫報道や猥褻事犯に世間の注意と関心を集めさせる程度のもので、肝心の国民の健康や生命については莫大な利権の前では、髪の毛一本ほどの価値も重みも持ち得ていないのである。私に言わせれば、若者にワクチンを接種させるなどということは、特攻隊で突撃させたり、回天に搭乗させて人間魚雷を命ずるのと同じである。戦後の76年で進歩したものとは、政治の嘘とマスコミの偽善的正義の巧妙さだけではないのか。
TVを見ていると、キャスターが緊急事態宣言が出ているにも関わらず、休日にはこれだけの人流が見られますなどと危機感を訴えながら、どこかの街の風景が映し出されている。何度も何十回もTVで見せられ、聞かされている報道内容である。だから新型コロナの感染者数は終息するどころか、右肩上がりに増加しているのだと。それは良い。確かにその通りなのかも知れない。その一部分を切り取れば、正しいことを言っているのである。正義なのだ。しかしその報道の僅か30分後には、同じ局の違う番組でタレントが何人か連れ立ってどこかの飲食店や行楽地にロケでぞろぞろと訪問している様子が放映されている。画面に映っているタレントは2~3人であってもカメラマンや同行しているスタッフを含めればそれなりの人流と賑わいになっていることであろう。そういう楽しそうな映像を日常的に何度も見せられれば、緊急事態が出ているとか、すでに医療崩壊が発生しているなどと何度も繰り返し訴えられても、タレントの行楽や散策のロケ映像から受ける印象の方が圧倒的に心地よいので、誰だって若者なら特に普段通りに外出しようと思うであろう。悪いのはマスコミなのである。それを全く問題視しない政治も同罪である。実際にタレントや芸能人のコロナ感染率は、正確なところはわからないが、一般人の数倍どころか数十倍も高いのではないかと見られる。ということはマスコミの偽善的な姿勢が、直接的にも間接的にもコロナの終息を妨げている最大の要因であると言えるのではないのか。このコロナ禍の状況において、飲食店や零細小売業者が倒産、廃業などの深刻な危機に陥り、仕事を失っている人も多数存在しているというのに、マスコミだけは感染を増やす要因となる、能天気でくだらない内容の映像を公共の電波を使用して垂れ流し続けているものである。感染者が爆発的に増加しているとか、医療崩壊だなどと危機感を煽り立てながら、自分たちはどうでもいいような、少なくとも緊急事態においては何の価値も認められないような宣伝、経済行為を決して止めようとしないのである。小さな飲食店が自粛要請に従わずに営業しているのと果たしてどちらが問題なのであろうか。マスコミのための正義や解釈などはいらないのである。マスコミにほんのわずかでも良心というものがあるのであれば、危機を訴える前に、まず自分たちがバラエティー的な野外での撮影や行楽、散策などの企画の一切を中止すべきではないのか。
(吉川 玲)
新型コロナウイルスの不可解さについて
世界は狂っている。狂わされていると言うべきか。今、我々が見極めなければならない真実とは何なのか。それは新型コロナを終息させるためのワクチンなのか、ワクチンを接種させるために新型コロナが存在するのか、ということではないのか。政府やマスコミが、政府広報や報道を通じて躍起になって行っていることは、後者の見解や疑惑を何の根拠もない軽佻浮薄の陰謀史観によるデマやフェイクだと徹底して否定、消散させつつ、ワクチンの危険性や死者数などの否定的なデータの露出を抑制しながら、前者の立場で国内のワクチン接種を拡大させる姿勢を固持していることである。政府やマスコミは、陰謀論イコール、何のエビデンスもない軽佻浮薄なデマというレッテル貼りの印象操作で国民の思考から駆逐させようとしているが、果たしてそれが正しいのであろうか。私にはそうは思えない。陰謀論はともかくも、エビデンスの用法には要注意である。自分の頭で考えられる能力のある人々には、人類のためにさらに考えを進めて欲しいと願うものである。政府やマスコミの、または真実を追求しようとする人々を否定するために用いられるエビデンスという言葉は、恣意的な統計やデータあるいは政治権力に寄り添った御用学者、製薬会社から講演料で多額の収入を得ている医師などの著述、論文、TV出演での発言を指しているものである。政府やマスコミに都合の悪い真実は、陰謀史観によるデマ、フェイクにならざるを得ないのである。ワクチンを打つべきかどうかということは、副次的な問題である。本当に重要な追求は、新型コロナの正体とは何なのかということであるはずだ。なぜならそれがワクチンを打つか、打たないかという選択を決定する唯一の要因であるからだ。御用学者や権力の見解に寄り添う人々の分類では軽佻浮薄なデマということであっても、真実を追求している限り、こう考えることが自然であり、またそのように考えざるを得ないという一つの見解に到達する。そういう意味で言えば、新型コロナのウイルスは自然に発生したものではあり得ない。生物兵器か単なる研究目的のためかは不明であるが人為的に作られたものであることは間違いないであろう。なぜそう考えるのかと具体的に縷々、述べるまでもないと思われるが、常識的に考えてコロナ由来の一つの型のウイルスが1年以上の長期間に及んで勢力を消長させることなく、変異しながらモンスターのような生命力で存在し続けることがあり得ないことである。自然発生のものは季節性のインフルエンザのように一旦消滅して、次年度の新しい型の発生を待つ方が自然の摂理に適合しているものである。自然界が一時的にそこまで驚異的な生命力を持つウイルスを生み出す必然性を擁しているとは考えられない。大衆がメディア報道や政治の説明に騙される原因は、思考停止と時流への流されやすさが第一であろうが、過去の事実をすぐに忘れてしまって、現時点における過去と整合性の取れていない後付け的な現象の解釈を盲目的に受け入れてしまうことも大きいと考えられる。クルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号が2020年の2月上旬に横浜港に入港した当時は、新型コロナは中国の武漢では猛威を振るっていたが、その時点では日本国内も含めて中国以外では新型コロナの感染者は確認されていなかった。横浜港でクルーズ船の乗客乗員が下船を許可されずに船内で隔離されている時に検疫官が船内に入っていく映像を私は覚えているが、まるでアポロ11号の船員が月面で着ていた宇宙服のような防護具を着用していた。密室状態の中に潜入するとは言え、そこまで厳重に防護する必要があるのかと思ったが、それでも確か一人の検疫官が感染したのであった。厚生労働省は基本的な感染防護が徹底していなかったから検疫官が感染したのだなどと見え透いた言い訳をしていたが、発生当初の新型コロナはそれほどまでにモンスターのような感染力を有していたのであって、それゆえに武漢は地獄のような状態に陥っていたものである。その後、日本国内で徐々に感染者が確認されるに至って、感染の疑いがある人間を検査する指定医も同様に厳重な防護服を着用することとなり、気温が上昇する2020年の4月、5月ごろにはその恰好で一日に十人近くの検査をしていると暑さで体力が持たないのではないかなどとも報道されていた。要するに何が言いたいかと言えば、新型コロナウイルスであるSARS-COV2が発生した時点の感染力はそれほどまでに驚異的なものであって、デマかフェイクか知らないが武漢の研究所で生物兵器として開発されていたものが、何らかの原因で漏出されたに違いないと考える人も当然のように存在したということである。生物兵器というワードは、政治やマスコミにおいては絶対に口にしてはならないタブーだからであろうが、新聞やTVだけでなく週刊誌においてもそれを匂わせるような記事はまったく目にすることはなかった。それだけではなくて一部の週刊誌では、某女性週刊誌であるが、生物兵器などというようなことはあり得ないなどとご丁寧にも多数国民の疑問に答える形でそのような噂を打ち消す説明をしていたほどである。マスコミなどは所詮、その程度のレベルなのだからそれはよいとして、私の印象に強く残っていることは、新型コロナの発生起源が中国の武漢研究所である可能性を世界全体が認めている段階で英語圏5か国(アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)の機密情報共有の枠組みであるファイブ・アイズが足並みを揃えて、新型コロナウイルスが生物兵器や人為的なものであることを否定したことである。何で諜報機関が世界に向けてわざわざそのような声明を出す必要があるのであろうか。WHOの調査団が武漢の研究所に立ち入る1年近くも前の段階でである。アメリカの大統領やイギリスの首相がそう言うのであればまだしも英米の諜報機関がそういう声明を出すこと自体が、不自然でありまた事の真相を物語っているようにも思えたものである。ともかくもその後本流のSARS-COV2は感染拡大の中で弱まっていったことは否定しようのない事実である。もうあの宇宙服のような防護具を着用している医師や検疫官の姿を見ることはあり得ない。普通の風邪と同じようにマスクや手洗い、ソーシャル・ディスタンスで防げるレベルに弱毒化しているものである。本家本元の勢力がそうであるのに、何で傍流の変異種であるデルタ株が本家の発生当初の強さに迫るような感染力を復活させて登場してくるのかということである。これも自然の摂理から考えても、これまでの感染症の実態から見ても不可解としか言えないはずのものである。自然界の中においてウイルスや細菌の種類は無数にあるのであろうが、それゆえにその中の一つのウイルスの系統性が絶えることなく連綿とつながっていく必要性はないし、そういう状況は本来はあり得ないことである。その程度のことは専門の学者であればわかっているはずだが、恐らくは言えないのであろう。関連して言えばマスコミの報道も今や、やたらと感染者数の増加を強調し、変異株の脅威と合わせて危機感や不安を煽る一方である。遡って不可解な点を指摘すれば、日本で2020年に新型コロナの感染者数が増え始めた時期に、これはデマや陰謀論としてではなくエイズのワクチンが効くという情報が新聞等で報道された事実がある。実際に効いたのかどうかはわからないが、何で新型コロナにまったく別種のウイルスであるエイズのワクチンが効くなどということが一時的にではあれ思われたのかということである。これも私は記憶しているが2020年の2月ごろにインドの研究チームが新型コロナウイルスを分析した結果、自然界には見られない遺伝子の配列が見られてエイズ・ウイルス(HIV)の遺伝子コードが部分的に挿入されているとの論文を一旦は発表したものの、世界中から激しい反発と批判に遭って、その論文を撤回したということである。撤回されたもののエイズのワクチンが効くとされたことと符合しているではないか。今、推奨されている、そして多くの人々が何の疑いも持たずに接種しているmRNAワクチンはスパイク部分のタンパク質に限定されているとは言え、その新型コロナウイルスの遺伝子コードが設計図として組み込まれたものを体内の細胞に注入するものである。自己判断、自己責任とは言え、よくもそのような得体の知れないものを接種する了承をするものだなと、別にこれは反対派の意見とか陰謀論云々の話しを抜きにしても理性的、常識的に考えて率直にそう私は思うものである。この先、世界や人類がどうなろうと私の知ったことではないが、それが正直な感想なのだから仕方ない。 (吉川 玲)
権力と報道の素顔とは
東京五輪の関係者が、数十年前のいじめ告白やホロコーストを揶揄するコント、或いは女性蔑視発言などでこれまでに次々と解任されてきたことが大きく報じられている。ホロコースト揶揄の件に関しては、日本の政治家がわざわざ騒動の火勢を煽り立てるように、直接ユダヤ人人権団体にご注進に及んでいる。これらの情報に接して、日本の大衆はどのような印象が刷り込まれるのであろうか。日本の政治やマスコミは人道主義や差別撤廃の意識が高くて、気高い精神性を持っている。いつまで経っても時代にそぐわない間違った発言や意見を述べる愚かな人間は跡を絶たないが、そういう人々に対しては政治やマスコミがしっかりと監視をして、糾弾し罰してくれるので任せていれば安心だ、日本は色々な問題を抱えているにはせよ、基本的には善良で正義の国だ、とでも思っているのであろうか。どのような印象を持とうが、その人の勝手なのかも知れない。しかしその一方ではコロナのワクチンで僅か5か月の間に700人以上の人間が死亡していることについては、厚労省のHPに報告されているとはいえマスコミは全くと言っていいほど報道しないし、政治も与野党が一致団結して問題にしようとはしない。この二つの様相を日本の大衆はどのようなバランス感覚で自らの精神に情報、知識として取り入れて、解釈しているのかと言えば、ほとんどの人は何も考えていないし、何も感じてはいないのである。自分とは関係のない人ごとのような光景として見ているのかも知れない。それで日本の治安や秩序が保たれている面もあるのであろうが、だからこそ政治やマスコミは同じ手口で国民の目や意識の焦点を操作するようなことを年十年も延々と繰り返しているのである。それに無思考、無批判の大衆にとっても本当は人ごとではないはずなのである。新型コロナのワクチンによる死亡確率は大体、10万人に一人、10万接種に一人以上の割合である。重篤者の割合となれば、当然その何倍かの確率となる。厚労省の報告はそれを、「0.00%」としてあたかも0として見做すべきであるかの印象操作のデータで示しているものであるが、700人の死者数は統計学上は0なのであろうか。今後10年、20年単位でのスパンで見れば、予測はできないが副作用として何十倍、何百倍もの規模で膨らんでいく潜在的な可能性のある直近の数値なのである。0.00%などと切り捨てるような取り扱いは出来ないはずだ。因みに宝くじの1等の当選確率はどの程度か、ご存じであろうか。1等の2億円で約1千万分の一、5億とか7億円の高額配当だと約2千万分の一である。それをTVCMなどで万人が1枚300円の出費で夢を簡単に手に入れられるかのように日常的に流されているものである。仮にその宝くじの中に、何かの人体実験で国に自らの命を提供して死ななければならないことを承諾するものが、10万枚に1枚含まれているとすれば誰が買うのかという話しである。しかしそういう割の合わない取引であっても、政治とマスコミが一体となって群集心理が刺激されれば、ほとんどの人がその死の宝くじを購入してしまうという恐怖が我々の日常には伝染病のように蔓延していることを知るべきである。本当は凶悪なウイルスなどよりも、人間が統制され権威付けられた情報によって簡単に操作されるということの方が何倍も恐ろしいことなのである。特に日本人は、このコロナ関連の大衆の反応を見ていると、この国でこれだけ注意喚起がなされていてもいつまで経っても特殊詐欺の被害がなくならない理由がよくわかるように思えてならない。はっきりと言うが、特殊詐欺に騙されるのも、政治やマスコミに騙されることも原理は同じなのだ。善とか正義という問題ではない。善や正義とはこの世の法則で見れば多数決で決定される観念なのだ。あり得ないことではあるが、極論で例えれば、特殊詐欺のグループが政党を結成して、次の衆議院選挙で過半数の議席を獲得すれば、彼らの悪行が正義となるのである。今の政治がやっていることもある意味ではそれと同じである。自分たちの悪行、悪業を隠すために差別や人権侵害に結びつくネタや対象をどこからか探し出してきて、それを徹底的に叩くパフォーマンスによって善や正義の仮面をかぶっているということである。我々国民はその仮面を無理やりでも取り払って、権力や報道の素顔を直視する必要性があるということだ。 (吉川 玲)