予言と現実について
ということでXデーが目前に迫ってきた。日本が滅亡するほどのカタストロフィが発生すると言われている2025年の7月5日のことである。隕石や地震による大津波で未曽有の被害がもたらされるということらしい。
これはいわゆる予言である。ところで皆さんに聞きたいが、予言には2種類が存在するがそれが何かお分かりであろうか。答えは簡単なことで、的中する予言と的中しない予言である。それではさらに聞くが、的中する予言と的中しない予言の違いは何なのかということである。予言者の能力によるのだろうか、それともたまたま当たったりするのだろうか、そもそも予言などというものは全ていい加減なものでまともに論評するに値しないものなのであろうか。そういうことも正しいのかも知れないし、人それぞれに考えはあるであろうが、私に言わせればそうではない。多くの人に注目されている予言は当たらないし、注目されていない予言は全てではないが当たったりするのである。漫画家のたつき諒さんが表紙に書いていた2011年3月大災害の予言も誰にも注目されていなかったから当たってしまったのである。ノストラダムスの予言集においても16世紀のフランス国王アンリ2世の妹と娘がそれぞれ結婚することを祝う宴で行われた馬上槍試合でアンリ2世は対戦相手の貴族の槍が右目に刺さって致命傷を負いその10日後ぐらいに死亡してしまったことを予言詩で見事に的中させているのだが、それもそういう出来事が発生してから予言が的中していたことが後からわかったことであって、事前に予言が注目されていたことではないのである。ということでノストラダムスの1999年7の月人類滅亡の大予言も多くの人々が注目しているゆえに外れたのである。では何で予言は誰にも知られていない埋もれたようなものは的中するのに、多くの人々に注目されるような事態となると外れるのかということであるが、そもそも予言というものの性質や真贋についてよりも、我々がよく見極めなければならないことは、その予言が当たったり外れたりするところのこの目の前の現実とは何なのかということなのである。よく知られているように量子論的に考察すれば現実というものに実体性はないのである。ミクロの量子は観察者の視線を意識したように出現したり、消失したりするということである。ということは我々が日ごろの生活の中で当たり前のようにその存在を絶対的に感受している物質の集合としての現実は、ミクロ世界の量子レベルにおいては観察者の意識が映し出している映像かホログラムのようなものであると言えるのである。ここにおいて重要な認識は我々一個人の意識と映し出された映像、ホログラムとしての現実は、1対1の関係性で均衡が保たれているということである。よって誰にも知られていないような予言は、分かり難いかも知れないが、その予言者にとっての個人的な固有の現実であるということである。その個人的で固有の現実が多くの人の目に晒され、注目されるようになると意識と宇宙の1対1の関係性が壊れてしまうこととなるので、その通りには、つまりは予言された通りにならないということである。現実という言葉を使うから分かり難いのかも知れないが、現実とは夢のようなものなのである。夢とはどこまでいってもプライベートで個人的なものであって、多数の人間が同じ夢を見る(生きる)ことはできないのである。また当然のことであるが一人一人が自分の夢を見ているので、夢としての現実は一つではなくて無限に存在するということとなる。我々人間は自分の固有の夢を見ているだけなのに、それを唯一の現実として錯覚し、執着しながら生きているだけなのであろう。しかしそういうことを言うと、次のような反論が出てくるであろうと思われる。それは現実が夢であろうが幻であろうが、いざ実際に天変地異の大災害が発生すれば、多くの人々が否定しようのない悲惨な同じ現実の中に陥って、死や多大な苦しみを被ることとなるではないかと。確かにその通りである。現実がプライベートで個人的な夢であったとしても、我々の人生は他者とまったく別個で無関係の夢を見ている訳ではない。物質世界の堅固な基盤を共有しながら、その全体性のストーリーの中で、他者と類似した夢を見ているということである。だから大切なことは我々の身体も物質であるのであるし、その物質の物質性を否定したり、神秘主義や信仰に救いを求めるのではなくて、これまた分かり難い提言になるかも知れないが、自分が無慈悲で悲惨な現実の夢を選択することに同意しないということだと思われる。無意識なのか超意識なのか、何と呼ぶべきかはわからないが、日常意識とは別のところで同意しているか、或いは同意させられていることの内容によって同一現実世界の、同一時空間においても生と死の、そして悲惨と安泰の違いが生じるのではないかと考えられる。そしてそれは政治的に見れば日本全体の凋落や貧困と深く関連しているように考えられる。予言ではないが、連日のようにTVや新聞のマスコミが南海トラフ地震が数十年以内に確実に発生し、数百万人の人間が死亡し、1千兆円規模の被害が生じるなどと報道されていることの真意がお分かりであろうか。それは時間を掛けてそういう現実に遭遇することを多くの日本人が無意識に同意するように仕向けるための工作活動のようなものなのである。何でそういう工作活動をしているのかと言えば、そうするように命じている存在がいるからであろう。日本の政治やマスコミなどは会社で言えば、中間管理職のようなもので命じられた通りに動いているだけなのである。それで時に不規則的にこれまでの筋書きと異なるトランプ大統領のような人物が登場すると日本の政治やマスコミはどのように対応してよいのか分からなくなってしまって混乱するのである。それが今の自民党の姿である。ともかくも今の日本は全体として悪夢を見ることに同意させる力が強く働いていることは事実だと思われる。現実が夢だとしても、周りの多くの人が不幸で悲しい夢の中で苦しんでいる中で、自分一人だけが楽しい夢を見ることは難しいのである。あなたは今、どのような夢の中で、何を想って生きているのであろうか。
(吉川 玲)
ライジン男祭りを見て我思う。
ライジン男祭りを見終わった。GW中もずっと仕事でどこにも行かない私にとってはいい刺激でストレスの発散になった。どうでもいいけれど、格闘技に何の関係もないホリエモンを登場させるなよ。自民党と裏でつながっている大衆陽動の広告塔(のようにしか私には見えない)に場違いな登場のさせ方をして、持ち歌の演歌を歌わせるようなこと自体が格闘技という興行もまた戦後の3S政策の一つでしかないことを如実に物語っているものである。くだらないとしか言えない。朝倉未来については多くの人が予想していた通りに私もまた当初、鈴木千裕に勝てるイメージがまったく湧かなかった。ところが後出しジャンケンのような言及になるが、二日ほど前から未来が勝てる世間的にはまったく注目されていない細やかな要因があるように私は感じていた。それが何かと言うと、未来はこの1か月ほどグルテンフリーの生活をしていたという情報であった。未来はYA-MANや平本蓮にKO負けされたダメージが脳に残っていてパンチに対する反応が100分の1秒程度のレベルで悪くなっているのではないかと私には素人ながら感じていたが、前田日明氏も同じようなことを今回の鈴木千裕戦の予想の中で触れていたのであながち見当違いではないと思われる。それで私はその100分の1秒程度の反応の悪さを未来自身が自覚していないであろうことが決定的な敗因になるであろうと予想していたのだが、グルテンフリーに切り替えて体質の改善に努め始めたということは、未来が身体や脳に蓄積されたダメージを認識した結果なのではないかと思えてきて、もしかすれば勝つのではないかと思えてきたということである。それで今日の試合を見ていると開始当初から鈴木千裕の稲妻パンチにあっけなく被弾して、やられてしまうのではないかとひやひやしながら見ていたが、反応は悪くはなかった。ということで因果関係の程度などわかりようもないが、私にはそのパフォーマンスの向上にグルテンフリーが少なからず影響していたのではないかと思えるということである。大谷翔平もグルテンフリーを実践しているという。人間の限界を追求するようなプロスポーツの世界において最終的には食事の内容というか、何を身体に取り入れて、何を絶つかということは勝敗やパフォーマンスにおいて重大な影響を及ぼすのではなかろうか。ということはプロのスポーツ選手ではない普通の人々においても食事の内容は少なからず健康や生活の質に関係しているということである。そういう私も1年ほど前からグルテンフリーを実践していてパニック障害がなくなった。花粉症の症状もなくなったが、花粉症は元々加齢と共に症状が減じていくと言われているので関係性はよくわからないが、パニック障害が治ったことはグルテンフリーが要因であるとしか考えられない。グルテン(小麦)は内臓を疲労させるのである。日本人は体質的に特にそうだと言われている。それで脳もまた内臓みたいなものだから、グルテンフリーでパニック障害や鬱の症状は治ったり、改善するのである。信じる、信じないはその人の自由なので勝手にすれば良い。また身体に良くないとわかっていても小麦を止められない人がほとんどである。だから大谷翔平や朝倉未来や私のように、自分の意志でぴたっと小麦を止められるという、ただそれだけのことでも平均的な人々よりもはるかに優れているのである。プロのスポーツ選手はそういう自己管理の上でさらに結果を残していかなければならないので大変な世界である。さらに言えばメインイベントのフェザー級タイトルマッチでシェイドゥラエフがコレベル・コイケにKO勝利を収めたことで、私は早速アマゾンで、私の分と高齢の母の分のキルギス産蜂蜜を注文した。何の関係もないので宣伝するつもりはないが、キルギス産の白い蜂蜜は高価だが栄養価が高くてとても美味しい。標高1000メートル以上の高山地帯に生息する蜂は生命力が強いのだという。キルギス出身のシェイドゥラエフの強さには化学物質や添加物に汚染されていない、山岳の自然の中で育まれた純粋な生命力の結晶のようなものが感じられるからだ。未来の勝利でグルテンフリーの効果を確認して、シェイドゥラエフの勝利でキルギス産蜂蜜を注文する。どうだ、私は格闘技を見て興奮しアドレナリンを放出させていても、国民全体を無能化させる3S政策の術中には陥っていないぞ。だから私は自分の意志の自己決定で有害なグルテンを絶つことも簡単に出来るのである。
(吉川 玲)
偽善を打ち破るトランプ大統領の改革
トランプ大統領のディール(取引)が素晴らしいのは、そこに偽善の要素がまったく感じられないことである。高圧的であっても、打算的であろうと、偽善の無さというものが世界を透明に変えるのである。これまでの世界というものは極めて不透明で、偽善に満ち溢れていた。何が真実で、何が善なのか全くわからない暗闇の中で地上の人間は、怖ず怖ずと悪魔的な悪意に導かれるように生きていくしか選択肢はなかったものである。もちろん偽善がないからという理由だけで絶対的に正当化されたり、信奉されるべきではないことは言うまでもないことである。しかし地上世界における人間生活の圧倒的な苦しみとなる戦争や貧困、不健康、災害などは偽善の企てで意図的に作られ、生み出されてきたものであるということは、ほぼ間違いのないことなのである。具体例を一つ上げれば、先日のトランプ大統領の演説の中でアメリカの自閉症の子供の数が元々10万人に一人の割合であったものが、いつの間にか36人に一人の割合にまで増加しているのが不自然であるということが述べられていた。その演説では直接的に触れられていなかったかも知れないが、トランプ大統領はケムトレイルという化学物質が散布されていた可能性についての調査を公式に命じているということである。これが世界を透明に変えていくということである。それでいつものことではあるが、日本の報道は全くそのような事を報道する気配がない。政治も同様である。そのような日本の不動の姿勢が正に世界を不透明なままに、つまりは暗黒の苦しみの状態に止め置こうとしていることを意味するものである。一人の日本人としてこの世に生きていく上で非常に重要なことなのではっきりと述べるが、日本人は極めて精神性の高い民族であると思われるが、日本という国家権力と統治の在り方は偽善そのものなのである。民衆の精神性の高さと権力機構の偽善が見事に同居していることが日本という国家の世界に類を見ない特徴であると言えるのではなかろうか。自国のことをあまり悪しざまに言いたくはないが、仮に偽善の巧みさを争う国際大会というものがあれば、日本は間違いなく断トツで優勝することであろう。日本のマスコミや政治家が世界一優秀な偽善の統率集団として称えられ、金メダルを授与されて肩を叩きながら喜び合っている光景が目に浮かぶようである。皮肉はこれぐらいにして、では何で日本人は優秀な精神性を持っているのに、そのような偽善が蔓延るのかと言えば、敗戦国家ゆえの外圧の影響ということは当然あるが、元々の日本人の精神性の性質というものが、善悪や白黒をはっきりとつけるというようなものではなくて、権力の偽善を許容し、消化していく寛容性というべきものを持っていたからではなかろうか。家族意識とでも言うのか、村社会的な考えなのか、必要以上に波風を立てても、誰にとっても得にならないということはあるのかも知れない。社会が偽善や虚偽の巣窟であったとしても、一番大切なことは何かといえば、共同体の構成員全体の生活が安寧で、飢えずに子供や弱者を支えて生きていくことが出来るということなのである。それゆえに日本人の他者への慈しみなどの精神性の高さと偽善や虚偽を許容する寛容性は裏表の一体的な関係性にあると考えられるものである。そして当然の帰結ではあるが、政治やマスコミの統治手法は日本人のそういう精神性を利用するようにして、「生かさず、殺さず」というような性質のものになっていくのである。そこにさらに外圧が絡んでくるとその構図はより強固なものになってしまうということであろう。選挙に行きましょうとか、そういう政治家を選んでいる国民が悪いのだという理屈は表層的な見せ掛けの正義であって、誰を選んでも同じなのである。というよりもはっきりと言えば日本の民主主義そのものが偽善のシステムであるといえよう。どこまで行っても本当の民主主義ではあり得ないということだ。もちろん様々な声はある。色々な主張やイデオロギーもあるし、複数の政党も存在する。しかしそれ自体が民主主義を構成している訳ではないということが分からない人があまりにも多過ぎる。根幹でコントロールされていればそれはいくら面子が変わったところで、それは民主主義などと言えるものではなくて単なる茶番に過ぎないものなのだ。トランプ政権が進めているUSAIDの解体ということもそこに深く絡んでくることなので日本のマスコミは無視して報道しようとしない。日本の政治やマスコミはこれまでの世界の偽善にあまりにも深く適合し過ぎてきたためにトランプ大統領の激烈な改革に対応する能力を喪失してしまっている。石破総理がトランプ大統領との首脳会談の場でアメリカの記者に、アメリカが日本に対して関税を課したならばどうするかと聞かれて、「仮定の質問には答えられない」などと日本の国会答弁でしか通用しない馬鹿な回答をして会場の記者たちの失笑を招き、あきれたトランプ大統領が「Very good answer」と言いながら通訳のイヤホンを外して会場から出て行ってしまったことが日本が直面している今の事態を象徴している。さらに日本のマスコミはこの石破総理とトランプ大統領の会談を100点満点の素晴らしいものであったなどと称賛しているのである。政治もマスコミも同じ穴の狢で、同レベルなのである。本当は日本にとってこのようなトランプ政権の復活は千載一遇のチャンスなのだ。まさに字義通りに1000年に1回しかないような日本が生まれ変われるタイミングであるということが何でわからないのか。偽善のないディールこそが平和と繁栄の基礎となるものであることが、偽善に染まり過ぎている日本の政治家やマスコミには理解できないのであろうか。日米安全保障条約が、日本がアメリカを守ることがないゆえに片務的で不公平であるというのであれば、今こそ日本はアメリカに対して本当の公平性の在り方を交渉できる千年に一度のチャンスであるということを分からなければならない。憲法9条を改正する、核の装備をアメリカに承認してもらう、日米地位協定の公平な在り方を要求する、米軍による日本政治への内政干渉である日米合同委員会の廃止を求める、そういうことが出来るのは今しかないではないか。大国のトランプ大統領が命を掛けてアメリカのための改革を断行しているのであるから、日本の政治家もそれと同等以上の覚悟で日本のための政治を志さなければ、そもそも同じ土俵の上にも立てないということだ。それから我々日本人は、もうこれまでのようにこの国の偽善の在り方に寛容であるような精神を完全に捨て去る必要性に迫られている。時代の移り変わりと状況の変化、国内政治の最大限の劣化で、生かさず、殺さずの生かさずのウエイトが高まってきて日本の貧困化が進み国民が食べれなくなってしまっている。財務省解体デモという社会現象も数千年の日本人の精神性を変革しなければならないほどに国民が追い込まれてしまっていることの現われである。全ての現象はつながっているのである。世界が透明性を増すほどに、隠れていた悪は炙り出されてくる。今はその過渡期なのであろう。
(吉川 玲)