水の都、大阪。的な。グランフロント大阪にて。
ご存知の通り、大阪駅周辺は随分と変わった。
無機質なコンクリート的建造物が集結する都市型な顔と、水や緑という自然型な顔が調和した新しい場所に。
そして、沢山の人が思い思いに寛ぐような場所にもなった。緑のある水辺で、それを眺めるベンチで、階段で。
いいね。ドリンクを片手に、ちょっしたフードも一緒にだったりして。
JR跡地を中心にした変革的プロジェクトだったのだが、「人が安らぎ寛げる場所を創ろう」というような、むしろ原理原則に立ち戻ろうとするものであったように思う。個人的には。
変革とは「根本から変えて新しくすること」だが、何か特別で、壮大な、というイメージが付いて回りやすい。
ウルトラQを編み出す的な、真新しいコンテンツやシステムを作る的な、業界初の何かを世に送り出す的な、諸々と。
しかし、そうではなく、どちらかといえば「普通」というカテゴリーに属するのではないかと思う次第だ。
たとえば、面倒臭がって誰もやらないようなことを当たり前にやったり、自動思考的な習慣から「いや、待てよ」と、本質的なことに目を向けてみたり。と。
企業の立ち位置もそうだと思う。差別化という言葉があるけれど、その視線の先に存在するのは競合他社だ。
もちろん、その他社を見て、研究すること自体は必要だと思うのだが、あくまでも視線が向かう先は生活者(お客さん)なはずである。
企業とその商品(サービス)は、誰かを幸せにするために存在しているわけだから。
ようするに、自社や商品(サービス)を中心に据えたポジション、そこからの思考や習慣を生活者(お客さん)を中心に転換する。この原理原則に立ち戻ろうする様もまた、偉大なる変革だと思う次第である。
ふむ。まずは普通を頑張ろう。明日も全速力で。
ふむ。アウェイじゃなくホーム。スポーツ同様、ビジネス界でも大事だ。
ホームとは、その人、その企業(店舗)の支持者、応援者が沢山いる領域という意味だが、いいよね。どこか、何かしら、通じ合える人たちに包まれているわけで。
一方、アウェイとは、なんせシンドイ。
何かしらの圧、逆流、雰囲気を肌で感じ取れば、無意識的に萎縮してしまうだろうし、無難にしようとすれば空回りをしたりもして。
それこそ大事であるはずの自信や信念が揺らいでしまうことだってある。
打ち合わせ、商談という類は「必ずホーム的な場所でやる」という人を何人か知っているが、それも頷ける話である。
誰かが支持、応援してくれるファクターとは何だろう。あらゆることが複雑かつ密接に関わり合いそうだが、敢えてシンプルな言葉を用いれば、好感や信頼、共感を得ることは少なくとも外せそうもない。
なので、考え方や価値観、熱量や想いをはじめ、できる限りの情報を生活者(お客さん)へ出すこと、日々のように出し続けるボリュームは大事なわけだ。
とはいえ、「分かる人には分かる」という現実はある。「分からない人には決して分からない」という絶対的な領域もある。
もちろん、分かってもらえるよう諸々の努力は大事だと思うが、山崎まさよしが「セロリ」でも歌っているように、育ってきた環境も、好き嫌いも、歩んできた人生も、みんな違う。いわゆる価値観も、置かれている現状も違って当たり前なのだ。
ようするに「そうは思わない」という意思表示をされたとしても何ら気にしなくたっていい。めげなくてもいい。そもそも、人とはそういうものなのだから。
更に付け加えるなら、分かり合えない同志とは、辛い関係でもあると思うのだ。分かりようがない話を永遠に聞かされる側も、話す側も、相当に辛いはずなので。
ふむ。ホーム的領域とは、互いにとって優しくエコなのだ。無駄なストレスと疲労感を与え合わなくて済むのだから。
余談的だが「正解は一つじゃない」と、あたかも心の広さ、広角的な視野をアピールする人もいるけれど、その人の中での正解は概ね決まっていて、その他は認めない場合は意外にも多い。とはいえ、それもまた人間らしさなのだろう。
やや話が逸れてしまったが、ホーム的な領域。
その視点から自社のプロモーション、販促物を眺めて頂きたい。そして、互いに幸せなその領域を、ぜひ。
さ、今週は静岡遠征に、ミーティング資料づくり。それとご依頼頂いている原稿の締切があったり。頑張ろう。全速力で。
ホームとは、その人、その企業(店舗)の支持者、応援者が沢山いる領域という意味だが、いいよね。どこか、何かしら、通じ合える人たちに包まれているわけで。
一方、アウェイとは、なんせシンドイ。
何かしらの圧、逆流、雰囲気を肌で感じ取れば、無意識的に萎縮してしまうだろうし、無難にしようとすれば空回りをしたりもして。
それこそ大事であるはずの自信や信念が揺らいでしまうことだってある。
打ち合わせ、商談という類は「必ずホーム的な場所でやる」という人を何人か知っているが、それも頷ける話である。
ホーム的領域の創造
誰かが支持、応援してくれるファクターとは何だろう。あらゆることが複雑かつ密接に関わり合いそうだが、敢えてシンプルな言葉を用いれば、好感や信頼、共感を得ることは少なくとも外せそうもない。
なので、考え方や価値観、熱量や想いをはじめ、できる限りの情報を生活者(お客さん)へ出すこと、日々のように出し続けるボリュームは大事なわけだ。
とはいえ、「分かる人には分かる」という現実はある。「分からない人には決して分からない」という絶対的な領域もある。
もちろん、分かってもらえるよう諸々の努力は大事だと思うが、山崎まさよしが「セロリ」でも歌っているように、育ってきた環境も、好き嫌いも、歩んできた人生も、みんな違う。いわゆる価値観も、置かれている現状も違って当たり前なのだ。
ようするに「そうは思わない」という意思表示をされたとしても何ら気にしなくたっていい。めげなくてもいい。そもそも、人とはそういうものなのだから。
更に付け加えるなら、分かり合えない同志とは、辛い関係でもあると思うのだ。分かりようがない話を永遠に聞かされる側も、話す側も、相当に辛いはずなので。
ふむ。ホーム的領域とは、互いにとって優しくエコなのだ。無駄なストレスと疲労感を与え合わなくて済むのだから。
余談的だが「正解は一つじゃない」と、あたかも心の広さ、広角的な視野をアピールする人もいるけれど、その人の中での正解は概ね決まっていて、その他は認めない場合は意外にも多い。とはいえ、それもまた人間らしさなのだろう。
やや話が逸れてしまったが、ホーム的な領域。
その視点から自社のプロモーション、販促物を眺めて頂きたい。そして、互いに幸せなその領域を、ぜひ。
さ、今週は静岡遠征に、ミーティング資料づくり。それとご依頼頂いている原稿の締切があったり。頑張ろう。全速力で。
昨日の広島遠征。
ミーティングでは「ホーム的領域(支持、声援、応援される領域)で勝負しよう」というテーマで話をさせて頂いた。
その後は、お洒落な、大人的なお店でご馳走を頂き、お腹がいっぱい。(いつもありがとうございます)
そして、何人かのメンバーの方も合流されて、わいわい的な。
いや、こっちの方が楽しげな画だな。おばちゃんの繰り返される撮影ミスに、みな笑う、の巻。
そして、エスカルゴ的な。
お肉的な。
スィーツ的な。
さらに、お誕生日的な。いいね。サプライズ的な計らいって。(お誕生日、おめでとうございます)
楽しい場と美味なるお料理で言うまでもなく大満足だけれど、熱き漲るパワー。それ以上に印象的だった。
いいね。ロジックという論、根性論も大事だが、熱さがなければ何も始まらなかったりもするわけだから。
また、仕事の原点的な、良い仕事をしようぜ的な。そういう勢い、ノリからはボク自身も励みを頂いたような気がする次第だ。
さ、今日は神戸。頑張ろう。全速力で。
ミーティングでは「ホーム的領域(支持、声援、応援される領域)で勝負しよう」というテーマで話をさせて頂いた。
その後は、お洒落な、大人的なお店でご馳走を頂き、お腹がいっぱい。(いつもありがとうございます)
そして、何人かのメンバーの方も合流されて、わいわい的な。
いや、こっちの方が楽しげな画だな。おばちゃんの繰り返される撮影ミスに、みな笑う、の巻。
そして、エスカルゴ的な。
お肉的な。
スィーツ的な。
さらに、お誕生日的な。いいね。サプライズ的な計らいって。(お誕生日、おめでとうございます)
楽しい場と美味なるお料理で言うまでもなく大満足だけれど、熱き漲るパワー。それ以上に印象的だった。
いいね。ロジックという論、根性論も大事だが、熱さがなければ何も始まらなかったりもするわけだから。
また、仕事の原点的な、良い仕事をしようぜ的な。そういう勢い、ノリからはボク自身も励みを頂いたような気がする次第だ。
さ、今日は神戸。頑張ろう。全速力で。








