昨夜の国会前。
8時半頃、俳優の石田純一氏が突然登場し、スピーチをされた。
ネット上でもかなりの勢いで賛否が挙がり、twitterでもトレンド入りしてたっけ。(さすが元祖トレンディ俳優ということで)
さて、石田氏は青山高校のご出身。
その頃1960年代から1970年代初頭といえば、安田講堂事件など数々の大学で学園紛争が起こっていたが、石田氏もまた全学バリケード封鎖というラディカルな体験を高校時代にされている。
なんでもその間は通常授業がストップし、自主授業になったという。集会や討論、そして各科目では教師も含めた激論が日々交わされたそうだ。
勝手な想像だが、自分の頭で徹底的に考え抜くという、その当時の体験があるがゆえのスピーチなのだろうと思った次第だ。
今般、話題の筆頭のひとつにデモがある。特段、「若い、学生」というマスメディア受け良好な、そして、ネタ的な魅力もあるSEALDsが神輿に担がれているわけだが。
個人的にはデモに関し、こう思っている。デモとは、デモ以上でも、それ以下でもない。と。もちろん、頑張っている人を、その努力を否定できるはずもない。とも。(単なる動員者は除く)
ただ少し気になるのは、いやに二項対立的ではないか。マスコミ諸々による短絡的な映像、煽り系の言葉、そういった中である種の興奮を覚えたかのような事になっていないか、ということだ。
たとえば、デモ参加者に限ってあたかも国民の総意であるかのような発言もある。参加しない人を一方的に否定、攻撃する声を上げたりもしているが、「あんたが言う国民の中に俺を入れないでくれよ!」というような反発的な声もネット上では多数見受けられる。
ようするに、劇場型の思想によって極端な方向へと一気に傾いて行くようにも見える様は、どことなく怖さも、危なっかしさも覚えた次第だ。そういう意味では、これもまた全体主義的であるわけだから。
しかし、マスメディアは相変わらず大好きだね。「ぎりぎりの攻防」、「今日が正念場」とか、そういうお家芸的なノリが。
茶番的で、国会議員の運動会的な。単なる時間稼ぎでしかないことをよく知っているくせにね。俗にいう赤坂の料亭的なことも。
というか、法案とは多数決で成立するわけであって、前回選挙が終わった時点で明らかなのだよ。与党が勝つことなんて。
(とはいえ、読者や視聴者を惹きつけ盛り上げなくちゃいけないわけだけれど。野党のセンセイ方も含めてな)
ふむ。安保法案とデモを眺める中、大事なのは現象ではなく、その大本にある思想や哲学なのだよな。と、つくづく思う。
個人的には安保や憲法についてもっと勉強しながら、己の思想をより確実なものにしていかなきゃな。と、思う次第でもある。
余談的だけれど、自民党内の派閥って大事だったのだよね。こうして眺めると。それと小選挙区の弊害。まるで「株式会社 安倍組」だもの。
さ、ここ最近の日課、腹筋100回して休みましょうかね。そして、明日も頑張ろう。全速力で。
付加価値。
ご存知の通り、売上から「売上を上げるための費用」(外部から調達した商品やサービスの金額等)を差し引いたものだ。
たとえば、メーカーなら売上から原材料費を引いたもので、商社なら売上から仕入を引いたものね。ざっくり言えば。
さらにそこからは人件費、支払利息、賃借料、租税公課、減価償却費が差しひかれる。
ようするに、これら費用や税引前利益のすべてを含んだものが付加価値なわけで、これを創り続けられなければ、どんな事業も、企業も、尻窄み状態になってしまう。
何にしても、縮小、縮小的な。何でもかんでもコストダウン的な。そういう意味では必然的な現象だ。もちろん、規模を問わず。
その商品(サービス)にどの程度の価値があるか。これは作り手や提供者ではなく、生活者(お客さん)が決めることである。(当たり前すぎるけれど)
たとえば、決めた価格を生活者に見せた時、「それでは高すぎる。もっと安いのなら買う」となれば、値下げ後の価格が本当の付加価値となる。
つまり、企業(店舗)はこの創造に弛まぬ努力を惜しみなく注ぎ込まなければならない宿命があるとも言えるのだ。
さて、いまの時代、あらゆる商品(サービス)は一定水準以上のクオリティがある。
背景にはテクノロジーの進歩、競合他社の研究、諸々あるだろうけれど、生活者にとっては「普通に、不便なく、使える(利用できる)」というレベルにあると思う。どんなものでも。
また、標準的なサービスメニューにしても然りで、各社それなりだろう。
この同質、コモディティ現象が生み出す最大の問題は、価格以外の価値が分かりにくい点だ。
いや、生活者にとって判断基準が価格しかない状態とは、企業が付加価値を創り出せていない現実でもあり、生産性が上がらず何でもダウンしなければやっていけないという問題でもあるのだ。
そもそも的だが、企業や商品(サービス)とは、なぜ存在しているのだろう。
おそらくは、「誰かのために」という優しさや温かみから誕生したはずである。
(秘話、経緯、動機、そういうものは各社異なるだろうけれど)
そう考えてみると、その業界的なカテゴリーは果たして正解か?という話に繋がったりもする。
たとえば、旅館。誕生秘話を紐解けば、部屋や温泉、食事とは、誰かへの温かく熱い想いが形になったものなのかもしれない。それを提供するためのツールであり、コンテンツに過ぎないかもしれない。
だとすれば、業界的なカテゴリーではなかなか括れないことになる。本質はハードではなく、ソフトにあるわけだから。
ふむ。他社にはなく、そこにしかないもの。独自のカテゴリー。それこそが付加価値の源泉なのだ。
先週末の静岡遠征。クライアント先でのミーティングでは、本来の源を考える、的な。そこから付加価値を創ろう、的な。そして、労働生産性を高めようぜ、的な。そういう事柄だった。
実に楽しくエキサイティングだったな。帰阪中も、つい頬が緩んでしまうほどに。
もし「価格競争なんてしたくない!値下げするなんて嫌だ!」と、思われているのなら、扱われている商品(サービス)を横に一旦置いてみると解決法が見つかりやすいと思う。
あなたの会社にしかない価値の源泉。そして、そこからのプロモーションシナリオの創造と実践を、ぜひ。
さ、今週も楽しく頑張ろう。全速力で。
ご存知の通り、売上から「売上を上げるための費用」(外部から調達した商品やサービスの金額等)を差し引いたものだ。
たとえば、メーカーなら売上から原材料費を引いたもので、商社なら売上から仕入を引いたものね。ざっくり言えば。
さらにそこからは人件費、支払利息、賃借料、租税公課、減価償却費が差しひかれる。
ようするに、これら費用や税引前利益のすべてを含んだものが付加価値なわけで、これを創り続けられなければ、どんな事業も、企業も、尻窄み状態になってしまう。
何にしても、縮小、縮小的な。何でもかんでもコストダウン的な。そういう意味では必然的な現象だ。もちろん、規模を問わず。
巷には一定水準以上のクオリティが溢れている
その商品(サービス)にどの程度の価値があるか。これは作り手や提供者ではなく、生活者(お客さん)が決めることである。(当たり前すぎるけれど)
たとえば、決めた価格を生活者に見せた時、「それでは高すぎる。もっと安いのなら買う」となれば、値下げ後の価格が本当の付加価値となる。
つまり、企業(店舗)はこの創造に弛まぬ努力を惜しみなく注ぎ込まなければならない宿命があるとも言えるのだ。
さて、いまの時代、あらゆる商品(サービス)は一定水準以上のクオリティがある。
背景にはテクノロジーの進歩、競合他社の研究、諸々あるだろうけれど、生活者にとっては「普通に、不便なく、使える(利用できる)」というレベルにあると思う。どんなものでも。
また、標準的なサービスメニューにしても然りで、各社それなりだろう。
この同質、コモディティ現象が生み出す最大の問題は、価格以外の価値が分かりにくい点だ。
いや、生活者にとって判断基準が価格しかない状態とは、企業が付加価値を創り出せていない現実でもあり、生産性が上がらず何でもダウンしなければやっていけないという問題でもあるのだ。
付加価値の源泉
そもそも的だが、企業や商品(サービス)とは、なぜ存在しているのだろう。
おそらくは、「誰かのために」という優しさや温かみから誕生したはずである。
(秘話、経緯、動機、そういうものは各社異なるだろうけれど)
そう考えてみると、その業界的なカテゴリーは果たして正解か?という話に繋がったりもする。
たとえば、旅館。誕生秘話を紐解けば、部屋や温泉、食事とは、誰かへの温かく熱い想いが形になったものなのかもしれない。それを提供するためのツールであり、コンテンツに過ぎないかもしれない。
だとすれば、業界的なカテゴリーではなかなか括れないことになる。本質はハードではなく、ソフトにあるわけだから。
ふむ。他社にはなく、そこにしかないもの。独自のカテゴリー。それこそが付加価値の源泉なのだ。
先週末の静岡遠征。クライアント先でのミーティングでは、本来の源を考える、的な。そこから付加価値を創ろう、的な。そして、労働生産性を高めようぜ、的な。そういう事柄だった。
実に楽しくエキサイティングだったな。帰阪中も、つい頬が緩んでしまうほどに。
もし「価格競争なんてしたくない!値下げするなんて嫌だ!」と、思われているのなら、扱われている商品(サービス)を横に一旦置いてみると解決法が見つかりやすいと思う。
あなたの会社にしかない価値の源泉。そして、そこからのプロモーションシナリオの創造と実践を、ぜひ。
さ、今週も楽しく頑張ろう。全速力で。
疲れた。もう無理だ。
けっこう我慢強い派だとは思うのだが、これ以上はさすがに。
実は、人に会う時、クライアント先でのミーティングや研修で話をしている時、グっとお腹に力を入れている。それもかなりの力で、可能な限り引っ込めようと努力をしているのだ。(立っている時も、座っている時も、地味に)
経験者なら分かって頂けると思うのだが、これがなんせキツイ。短時間ならまだしも、弱った腹筋に力を入れ続けるとは苦行に近いわけで。
時々、気分が悪くなったりもするし健康的にもよろしくないのだ。(トイレへ行った時、休憩の際には、脱力感満開だけどね)
特段、美食家ではないけれど、「食べる量を減らせば、必ず痩せる」という、これまで最も効果が高い方法で引き続きダイエットに励もう。これ以上、無駄な努力をしないために。日常に欠かせないラーメンも控えましょうかね。
美食といえば、今年はウナギ釣りへ行かずにシーズンが終わりそうだ。
例年、5月頃から9月一杯までがシーズンなのだけれど、どうしても美味な蒲焼きが作れない。
蒸してから焼いても、そのまま焼いても、タレの加減を調整してみてもダメ。お店で頂くような、あの食感、あの味には近づけないのだ。何度試してみても。
唯一「ジックリ炭火で焼く」は、試したことがないのだけれど、どうだろ。この敗北感ではテンションも上がらないしで。
ま、アオリイカの新子シーズンがこれから始まる。刺身は大変甘く、柔らかくて、もう絶品で、ウナギよりも断然に低カロリー。
ふむ。アオリイカだな。ダイエット向きだし、ロッドとリール、エギ(疑似餌)さえあればお手軽にできるし、1時間だけという短時間釣行も可能だしで。
さ、明日は静岡遠征。食べる量とカロリーを気にしつつも、楽しくいこう。全速力で。
けっこう我慢強い派だとは思うのだが、これ以上はさすがに。
実は、人に会う時、クライアント先でのミーティングや研修で話をしている時、グっとお腹に力を入れている。それもかなりの力で、可能な限り引っ込めようと努力をしているのだ。(立っている時も、座っている時も、地味に)
経験者なら分かって頂けると思うのだが、これがなんせキツイ。短時間ならまだしも、弱った腹筋に力を入れ続けるとは苦行に近いわけで。
時々、気分が悪くなったりもするし健康的にもよろしくないのだ。(トイレへ行った時、休憩の際には、脱力感満開だけどね)
特段、美食家ではないけれど、「食べる量を減らせば、必ず痩せる」という、これまで最も効果が高い方法で引き続きダイエットに励もう。これ以上、無駄な努力をしないために。日常に欠かせないラーメンも控えましょうかね。
美食といえば、今年はウナギ釣りへ行かずにシーズンが終わりそうだ。
例年、5月頃から9月一杯までがシーズンなのだけれど、どうしても美味な蒲焼きが作れない。
蒸してから焼いても、そのまま焼いても、タレの加減を調整してみてもダメ。お店で頂くような、あの食感、あの味には近づけないのだ。何度試してみても。
唯一「ジックリ炭火で焼く」は、試したことがないのだけれど、どうだろ。この敗北感ではテンションも上がらないしで。
ま、アオリイカの新子シーズンがこれから始まる。刺身は大変甘く、柔らかくて、もう絶品で、ウナギよりも断然に低カロリー。
ふむ。アオリイカだな。ダイエット向きだし、ロッドとリール、エギ(疑似餌)さえあればお手軽にできるし、1時間だけという短時間釣行も可能だしで。
さ、明日は静岡遠征。食べる量とカロリーを気にしつつも、楽しくいこう。全速力で。






