ご存知の通り、売上から「売上を上げるための費用」(外部から調達した商品やサービスの金額等)を差し引いたものだ。
たとえば、メーカーなら売上から原材料費を引いたもので、商社なら売上から仕入を引いたものね。ざっくり言えば。
さらにそこからは人件費、支払利息、賃借料、租税公課、減価償却費が差しひかれる。
ようするに、これら費用や税引前利益のすべてを含んだものが付加価値なわけで、これを創り続けられなければ、どんな事業も、企業も、尻窄み状態になってしまう。
何にしても、縮小、縮小的な。何でもかんでもコストダウン的な。そういう意味では必然的な現象だ。もちろん、規模を問わず。
巷には一定水準以上のクオリティが溢れている
その商品(サービス)にどの程度の価値があるか。これは作り手や提供者ではなく、生活者(お客さん)が決めることである。(当たり前すぎるけれど)
たとえば、決めた価格を生活者に見せた時、「それでは高すぎる。もっと安いのなら買う」となれば、値下げ後の価格が本当の付加価値となる。
つまり、企業(店舗)はこの創造に弛まぬ努力を惜しみなく注ぎ込まなければならない宿命があるとも言えるのだ。
さて、いまの時代、あらゆる商品(サービス)は一定水準以上のクオリティがある。
背景にはテクノロジーの進歩、競合他社の研究、諸々あるだろうけれど、生活者にとっては「普通に、不便なく、使える(利用できる)」というレベルにあると思う。どんなものでも。
また、標準的なサービスメニューにしても然りで、各社それなりだろう。
この同質、コモディティ現象が生み出す最大の問題は、価格以外の価値が分かりにくい点だ。
いや、生活者にとって判断基準が価格しかない状態とは、企業が付加価値を創り出せていない現実でもあり、生産性が上がらず何でもダウンしなければやっていけないという問題でもあるのだ。
付加価値の源泉
そもそも的だが、企業や商品(サービス)とは、なぜ存在しているのだろう。
おそらくは、「誰かのために」という優しさや温かみから誕生したはずである。
(秘話、経緯、動機、そういうものは各社異なるだろうけれど)
そう考えてみると、その業界的なカテゴリーは果たして正解か?という話に繋がったりもする。
たとえば、旅館。誕生秘話を紐解けば、部屋や温泉、食事とは、誰かへの温かく熱い想いが形になったものなのかもしれない。それを提供するためのツールであり、コンテンツに過ぎないかもしれない。
だとすれば、業界的なカテゴリーではなかなか括れないことになる。本質はハードではなく、ソフトにあるわけだから。
ふむ。他社にはなく、そこにしかないもの。独自のカテゴリー。それこそが付加価値の源泉なのだ。
先週末の静岡遠征。クライアント先でのミーティングでは、本来の源を考える、的な。そこから付加価値を創ろう、的な。そして、労働生産性を高めようぜ、的な。そういう事柄だった。
実に楽しくエキサイティングだったな。帰阪中も、つい頬が緩んでしまうほどに。
もし「価格競争なんてしたくない!値下げするなんて嫌だ!」と、思われているのなら、扱われている商品(サービス)を横に一旦置いてみると解決法が見つかりやすいと思う。
あなたの会社にしかない価値の源泉。そして、そこからのプロモーションシナリオの創造と実践を、ぜひ。
さ、今週も楽しく頑張ろう。全速力で。