「分かる人には分かる」という現実と「分からない人には決して分からない」という絶対的な領域 | No Rice,No Life! 佐藤琢也公式ブログサイト

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企業論、人財論、労働論、マーケティング論、プロモーション論。
時事問題、関心事、個人的な日常など、徒然なるままに綴ります。

ふむ。アウェイじゃなくホーム。スポーツ同様、ビジネス界でも大事だ。

ホームとは、その人、その企業(店舗)の支持者、応援者が沢山いる領域という意味だが、いいよね。どこか、何かしら、通じ合える人たちに包まれているわけで。

一方、アウェイとは、なんせシンドイ。
何かしらの圧、逆流、雰囲気を肌で感じ取れば、無意識的に萎縮してしまうだろうし、無難にしようとすれば空回りをしたりもして。

それこそ大事であるはずの自信や信念が揺らいでしまうことだってある。

打ち合わせ、商談という類は「必ずホーム的な場所でやる」という人を何人か知っているが、それも頷ける話である。




ホーム的領域の創造


誰かが支持、応援してくれるファクターとは何だろう。あらゆることが複雑かつ密接に関わり合いそうだが、敢えてシンプルな言葉を用いれば、好感や信頼、共感を得ることは少なくとも外せそうもない。

なので、考え方や価値観、熱量や想いをはじめ、できる限りの情報を生活者(お客さん)へ出すこと、日々のように出し続けるボリュームは大事なわけだ。

とはいえ、「分かる人には分かる」という現実はある。「分からない人には決して分からない」という絶対的な領域もある。

もちろん、分かってもらえるよう諸々の努力は大事だと思うが、山崎まさよしが「セロリ」でも歌っているように、育ってきた環境も、好き嫌いも、歩んできた人生も、みんな違う。いわゆる価値観も、置かれている現状も違って当たり前なのだ。

ようするに「そうは思わない」という意思表示をされたとしても何ら気にしなくたっていい。めげなくてもいい。そもそも、人とはそういうものなのだから。

更に付け加えるなら、分かり合えない同志とは、辛い関係でもあると思うのだ。分かりようがない話を永遠に聞かされる側も、話す側も、相当に辛いはずなので。

ふむ。ホーム的領域とは、互いにとって優しくエコなのだ。無駄なストレスと疲労感を与え合わなくて済むのだから。

余談的だが「正解は一つじゃない」と、あたかも心の広さ、広角的な視野をアピールする人もいるけれど、その人の中での正解は概ね決まっていて、その他は認めない場合は意外にも多い。とはいえ、それもまた人間らしさなのだろう。

やや話が逸れてしまったが、ホーム的な領域。
その視点から自社のプロモーション、販促物を眺めて頂きたい。そして、互いに幸せなその領域を、ぜひ。

さ、今週は静岡遠征に、ミーティング資料づくり。それとご依頼頂いている原稿の締切があったり。頑張ろう。全速力で。