『貧困の経済学 上』 マーティン・ラヴァリオン著 柳原透監訳 (2018年9月20日第1刷)

 

 

 

 

◇ 第Ⅱ部 貧困の測定と評価 ◇

 

 

 

第3章 厚生の測定⑤ (第3章は①から⑤まで)

 

厚生の測定①

厚生の測定②

厚生の測定③

厚生の測定④ のつづき

 

 

*   3・3  代替指標の理論と適用 からのつづき2

 

 

■ 厚生の自己評価

回答者に自身の 「経済厚生」 「生活への満足」 もしくは 「幸福」 の程度を順序尺度で訊ねる主観厚生指標が広く用いられている。これらの指標は、心理学や社会科学において極めて頻繁に適用され、近年には経済学でも受け入れられるようになった。

 

これらのデータを用いて答えを出そうとする問いとして最もよく知られているのは、 「お金で幸せは買える」 という命題の検証である。ある時点において、所得が高い人ほど自らを幸せであると報告する傾向がある。正確に言うと、所得の高い人々のほうが自身を 「非常に幸せ」 とみなす割合が高い。また、他の面でも高い主観厚生を報告する傾向がある。

 

しかし、リチャード・イースタリンによる有名な初期の研究は、いくつかの国において平均として幸福度は経済成長とともに上昇しなかった、と主張した (Easterlin 1974)。これは、イースタリンのパラドックスとして知られるようになった。イースタリンはこれを、幸福度は自身の所得と平均との比較に依存する、という厚生に対する相対欠乏の影響であると考えた。

 

おそらく、 「幸福」について訊ねる代わりに、回答者が自身を 「貧しい」 から 「豊か」 までのはしごの段に位置付ける 「経済はしご質問」(Economic Ladder Question:ELQ)のような、経済厚生に関する調査回答を用いる場合には、背景にある変数は、世帯人数と価格についての適切な標準化された、回答者の富あるいは適切に金銭表示された効用、と解釈できる。

 

幸福についての分布が知りようのないものであるのに対し、貧しいとか豊かであるといった変数については課されるべき制限を容易に思いつくことができ、そのため、調査回答での項目の選択に基づく平均値の比較が頑健なものでありうる。例えば、富は正規分布ではなく対数正規分布に従う、という傾向がかなり一般に妥当する。

 

それでも、もう1つの問題が現れる。 「貧しい」 とか 「豊か」 であるとか、人によって考えが異なるかもしれず、そのため、主観厚生に関する調査質問の解釈は人によって異なりうる。

 

例えば、 Young Lives Project は、ベトナム農村に住む6歳の子どもデュイの 「わたしたちは、新しい棚を持っているけれど洗濯機は持っていないので、豊かというにはちょっと足りない」 という言葉を報告している。デュイは明らかに何が 「豊か」 を意味するかについて、ベトナムで真に豊かな生活を送っている人とは違う考えを持っている。

 

調査回答者は、主観評価を求める質問を、彼ら自身の参照枠(frame-of-reference)に照らして解釈する。センが言うように、 「不満の多い金持ち」 のほうが 「満足した小農」 よりも貧しいと判断されるべきだろうか。

 

主観データが用いられる2つの場面に即してこの問題を検討しよう。その1つは、貧困の測定に必要な厚生の個人間比較での利用である。 「主観貧困」 の指標は普通に用いられるようになってきた。これらの指標は、何割の調査回答者が自身を 「貧しい」 から 「豊か」 までの 「厚生のはしご」 の最下段(あるいは下の二段)に位置付けるか、を示す。しかし、もし厚生のはしごの段が回答者によって同じように理解されていないとすると、それらの指標が持つ意味は不明確となる。

 

2つめは、主観厚生と連動する変数に数多くの研究に関連する。いまや慣行となったように、調査への回答を、年齢、性別、婚姻状況、所得、教育、就業状況、世帯構成、といった個人と世帯の属性に回帰する。

 

そのような回帰は、客観状況(例えば所得や消費)のみに頼る通常の方法の場合よりも、弱い識別仮定の下で、厚生へのさまざまな影響とトレードオフを特定する見通しを提供する。個人の経済厚生が、世帯の現在の消費または所得のみならず、家族の人数や構成や特徴(例えば教育や雇用)によっても影響されることに、原則として同意する。このような属性については 「価格」 情報は存在しない。主観データは、トレードオフを識別して回帰に基づく混合指数を限定するための解決策を提示する。

 

厚生の自己評価による実証研究は、いくつかの標準の経済モデルやその政策上の合意に疑問を投げかけた。その例としては、所得が同じであるとして、失業中のほうが主観厚生は低い、といういくつかの論文から得られた結果がある。これは、労働と余暇の間の選択について標準の経済モデルが示すことではない。

 

標準モデルでは、失業の厚生上のマイナスは所得の損失からのみ生じるとされ、所得が同じであるなら、失業中のほうが余暇時間は多くそれだけ効用水準は高い、と考えられている。しかし、標準モデルが見逃している失業の不効用があるのかもしれない。非自発失業に伴い選択の幅が狭まる、仕事が社会での地位を与える、といったことかもしれない。また、失業が心理面の不調を生む、という証拠もある。

 

個人に内在し時間を通じて安定した属性が、厚生の自己評価に体系立った影響を及ぼす、という証拠が心理学研究で得られている。心理学研究のメタ分析では、主観厚生と相関する137の個人特性が特定され、心理学でよく用いられる5つの表題(「外向」 [extraversion]、 「協調」 [agreeableness]、 「誠実」 [conscientiousness]、 「神経症傾向」 [neuroticism]、 「経験への開かれた態度」 [openness to experience])の下に分類された。

 

これらの心理特性は、主観厚生のモデルで用いられているようには、標準の社会経済調査において測定されることはない。しかし、これから見るように、このようなデータを失業の厚生への影響を評価するために用いる際に、それらの存在は関心事項となる。

 

心理学での研究に目を向け、どのような個人特性が関係するのかを探ろう。上記の総括研究において5つの表題の下に特定された137の個人特性のうち、主観厚生と最も強い相関を示すのは次のものである。「外向」 では 「対人能力」、 「協調」 では 「集合自尊心」 「親交への恐れ」 「個人間での統制感」 「対人感情」 「対人関心」 「対人歩調」 「信頼」、 「誠実」 では 「自律欲求」 「自己抑制」 「可逆」、 「神経症傾向」 では 「苦悩」 「情緒安定」 「反抗・不信」 「抑圧型防御」 「対人不安」 「緊張」、 「経験への開かれた態度」 では 「自信」 「自尊」。

 

これらは、個人の違いのもとになるものとして、厚生の個人間比較をする大多数の場合にコントロールされるべきである。例えば、自己抑制、反抗、自信のなさ、といったことは税制優遇措置の対象者を選定する基準とはされないであろう。これらの心理要因が関心の対象とされる他の変数と無相関であるのであれば、例えば失業が厚生に及ぼす影響を測るときに、これらをコントロールする必要はない。説明力は弱まるが、それらの潜在心理要因が偏った結果をもたらすことはない。

 

しかし、厚生の自己評価を高める個人特性の中には、所得とプラスに、失業とはマイナスに、相関しているものがあるであろう。先に列記した中で、主観厚生を高めると考えられている特性は、採用候補者との面談で人事担当者が望ましい特性として注目するものとかなり重なる。幸せな労働者はさまざまな点で生産への貢献が大きいという証拠があり、これには納得がいく。

 

例えば、さまざまな個人特性が労働者の常習欠勤に影響することを示唆する心理学の研究が数多くある。それらの特性の一部(例えば、外向、誠実、情緒安定)は、主観厚生に影響すると考えられているものと重なるところがある。特定の個人特性により、幸福度が高められるのと同時に、調査への回答で自らが病んでいると認めるのをためらう、と憶測することもできる。ここでの検討が意味するところは明白である。主観厚生の回帰分析において、例えば失業の影響が統計上で強く検出されたとしても、それは分析に含まれなかった個人特性の影響を反映しているだけかもしれないのである。

 

同様の偏りは、(所得、健康、家族人数など)その他の要因の影響の推定においても生じる。例えば、主観厚生のデータを用いると、客観データを用いた前述の方法よりも、消費における規模の経済が大きな値を示す。

 

しかし、クロスセクション研究では規模(特に、1人当たり所得を同一としたときの世帯人数)の影響が頑健に示されることはなかった。個人の主観厚生において世帯人数による規模の経済がいくつかの研究で見出されているが、それは回答者の個人特性が世帯人数に影響しているのを反映しているのかもしれない。クロスセクション分析の結果は、そもそも幸せな人々は大家族を形成しがちであるという傾向があるために、大きな偏りを含んでいるかもしれない。

 

もう1つの懸念は、主観についての質問の解釈が回答者によって異なることである。回帰式の推定では、閾値が、すべての回答者に共通の一定値のパラメーターであることが仮定されている。 「尺度の不均一」 は、この仮定が成り立たない何らかの状況(例えば、閾値が人により異なる場合)として定義される。そのような不均一があり、それが主観厚生の回帰式の説明変数と相関しているならば、既存研究での回帰内生であるために、背景にある主観厚生の連続変数の誤差項との相関を生じさせる、という一般の懸念も妥当する。

 

ブルーノ・フレイとアロワ・シュトゥッツァーによる信頼できる展望論文では、厚生についての自己申告回答に 「尺度の不均一」 の問題がありうることの指摘はなされるが、そのデータを用いる回帰モデルは有効でありうると主張される (Frey and Stutzer 2002)。このような見解は広く受け入れられているようであるが、先に述べた偏りについての懸念がある以上は、一般論としては擁護しがたい。問題を無視するのも、偏りがありうる以上は主観貧困ないし主観厚生の回帰は放棄すべきと判断するのも、早計であるようである。

 

最近の研究の中には、主観厚生の回帰分析がこれら諸問題に対して頑健であるかどうか、を明らかにしようとするものがある。1つの研究では、ロシアのパネルデータを用いて、(モデルでは付加要因と解釈される)潜在する個人特性の影響を取り除くことが試みられた。この研究からは、これまでのクロスセクション研究では失業による厚生の損失を大幅に過大推計している、ことが明らかになった。これは恐らく、存在する個人の特性の影響によるものであろう。それにもかかわらず、所得の損失をコントロールしても失業による厚生の損失があることが見出された。

 

 「尺度の不均一」 の問題に対処するため、アンケートの回答者に家庭や状況についての仮想のエピソードを同一の尺度で位置付けてもらう方法が、健康状態、政治関与能力、仕事への満足度、などについての主観データを用いた研究で用いられている。これに倣って、主観厚生における参照枠の影響につきエピソード法を用いて研究することに関心が高まり、データを用いて 「尺度の不均一」 の影響を検証するさまざまな手法が提示された。エピソード法を用いたこれまでの研究によって、尺度の不均一の影響は大きいことが明らかにされ、それによって、一般に用いられている主観貧困指標は信頼できないものであることが示された。

 

しかし、心強いことに、尺度の不均一を無視した主観厚生の回帰からも、それに対処したものと同様の結果が得られている。尺度の不均一は、主観厚生や主観貧困のデータを用いたときに深刻な問題を生じかねないが、一定の尺度を仮定するほかはない場合には、このようなデータを従属変数として用いることで有用な結果を得ることができる。したがって、主観データは、直接の厚生指標としてよりも(とりわけ非市場財が含まれるときに)厚生の諸側面間のトレードオフを明らかにする上で、大きな価値を有するかもしれない。次章では、貧困線の設定にあたっての主観データの使用について述べる。

 

 

 

3・4  3つの質問

 

この章では、貧困の測定を目的とした個人の厚生の評価が価値判断を必要とすることと、重要な点に関して常にデータに欠陥があること、を強調した。こうした認識に立ち、私の考えでは、実際における測定の選択を導くべき3つの原則がある。

 

 

■   原則①:個人の厚生につき絶対基準を用いる

1つの指針として、貧困の評価では常に、個人の厚生については絶対基準を用いなければならない。これは貧困を測定するどんな経済アプローチにおいても基礎となっている。このように定めることによって、貧困の測定は、十分に明確な定義された個人の厚生の概念と適合することが求められる。

 

ここで重要なのは、われわれが 「厚生」 という言葉で何を意味するかである。主な学派の間で共通の基盤をしばしば見つけることができるが、異なる概念アプローチも存在する。ケイパビリティは絶対基準であると見ることができるが、多くの側面を有するので、トレードオフがあるときには、評価のためにはファンクショニングで定義される効用関数が必要とされる。

 

あるレベルの分析では、厚生の決定要素として、自家で供給される財とサービスの消費が重要な役割を持つ。民間消費を唯一の厚生指標とすることの限界はとてもよく認識されている。例えば、公共部門により提供される財へのアクセスも考慮に入れるべきであることは広く合意されている。

 

原則①を実行する上で中心の問題は、貧困を測定する目的で厚生の個人間比較を行うときに用いられる情報である。財に対する選好を尊重するアプローチでは一般に、(可能であれば家計に固有の)価格を用いて消費された量を集計することによって得られる総消費の指標を重視する。

 

しかし、同一の消費バンドルは、(個人の特徴によって異なる)多数の効用関数についての予算制約下での最大化に対応するもの、と解釈しうる。ケイパビリティ・アプローチは、人々が何ができて何ができないかに関係するさらに広い情報の集合を、厚生を直接に生み出すものとして活用する。しかし、ここでも、その考えと整合する複数の指数が存在するので、価値判断が必要とされるであろう。

 

原則として、厚生の個人間比較をするときに、消費可能性を超えて広い範囲の要因を考慮に入れ包括する厚生主義アプローチを考えることができる。理論上は、この広い概念としての厚生の金銭表示は、個人の実際の所得と属性により決まる実際の厚生水準を、ある基準の属性の場合に達成するのに要するであろう所得、として定義することができる。この考えを実際に適用する際には、外部からの判断が常に求められる。

 

ケイパビリティの考えは、財の消費のみを見ることから知りうることを超えて、厚生に関連する情報を提供する源と見なすことができる。これは、観察される消費パターンと一致する諸厚生指標の中から1つを特定するのに役に立つことがありうる。

 

 

■   原則②:パターナリズムを避ける

この原則は、分析者に、貧しい人の顕示された選好を重んじることを求める。価格が存在するときには、厚生の集計指数を形作る際に、観察された財の消費に重み付けするのに価格を用いる強い論拠がある。確かに、しばしば、観察された価格に消費の機会費用を適切に反映させるために調整を要するかもしれない。貧しい人々が非合理であるとの主張は、証明するのが難しい。そのような主張は、人々の関心をあまりにも単純に捉えすぎているとか、人々が間違いを犯しうることを認めないとか、調整期のコストを考慮していないとか、に起因しているかもしれない。選択に際して当人が必ずしも十分な情報を有するとは限らないが、それは部外者とて同じことである。

 

挙証責任は、外からの見方を押し付ける側にある。当人の自由意志により、外部者の推奨するリストにないものに乏しい所得の一部が充てられるとすれば、その個人を尊重するのなら、リストのほうを疑うことが求められる。それ以上に情報がないときには、ある人が何を必要とするかは他の誰よりも当人がよくわかっている、と考えるのが筆者の立場である。

 

既存の市場が十分によく機能する(とりわけ、誰でも望むだけの量を買うことができる)ならば、市場価格が存在するときには、それが評価に用いられるべきである。(予算制約以外の)制約がない場合には、消費者の合理選択として、自身の評価を相対価格に一致させる。

 

このように考えると、価格、世帯人数、世帯構成の違いが適切に標準化された、十分に広範な財への支出の集計指標に、貧困と不平等の指標が基づくべきことは明らかである。厚生主義以外のアプローチでは、厚生の諸側面がどのように集計されるべきかについて、実際上の指針を提供することはない。

 

そして、用いうるときでも、市場価格はしばしば無視される。貧しい人々の厚生がどのように変わったかについての外部者による評価と、貧しい人自身による評価との間で、不一致が生じてしまうであろう。私の考えでは、(市場経済での)実務者が価値付けにおいて市場価格を用いないとすれば、それなりの正当な理由がなければならない。集計にあたり市場価格は(選択に制限があれば)完璧とは言えないかもしれないが、それでも無視されるべきではない。

 

 

■   原則③:データの限界を認識する

異なる属性を持つ人々の間で厚生を比較するためには、市場の財に対する顕示された選好のみからは十分な情報が得られない。他のデータに頼る必要があり、ここでは、ケイパビリティの考え方が効用と財の間の中間項として極めて有用でありうる。

 

しばしば、ケイパビリティに関する情報は、貧困指標の調整の指針となる。例えば、貧困指標が通常の活動を維持するのに必要な栄養摂取量に基づく場合などである。貧困指標の外部にある、他の情報が必要な状況がしばしばある。

 

これには、家計調査ではなかなか捉えることのできない重要な非市場財へのアクセス(例えば、公共サービスへのアクセスや家庭内の不平等の指標)に関するデータ、がしばしば含まれる。この原則は、付け足しではなく肝心なことであるが、貧困を測定する標準のアプローチでは時として忘れられている。われわれは、用いられている指標の限界に常に気を配る必要があり、1つの指標のみに頼ることについて慎重でなければならない。

 

財の消費を十分にカバーする指標があれば、生活水準について多くを知ることができる。それでも、そのような指標には反映されない厚生の諸側面がある。このため、公共サービスへのアクセスや家庭内の不平等などの欠落変数をよりよく反映するその他の指標を用いて、世帯消費の分布に基づく貧困指標を補完する必要がある。

 

 

※ この 『貧困の経済学 上』 は残り 「第4章 貧困線」、 「第5章 不平等指標」、 「第6章 インパクト評価」 があり 『貧困の経済学 下』 へと続くが、ここで一度中断し、 『アジア開発史』 アジア開発銀行著か 『最底辺のポートフォリオ 新装版』 ジョナサン・モーダック他著のいずれかに変更する予定