『貧困の経済学 上』 マーティン・ラヴァリオン著 柳原透監訳 (2018年9月20日第1刷)

 

 

 

◇ 第Ⅱ部 貧困の測定と評価 ◇

 

 

 

第3章 厚生の測定②

 

(第3章は①から⑤まで)

 

①   は↓

 

 

 

3・2  厚生の測定のための家計調査の利用

 

 

家計調査は、貧困比較を行う上での情報源として、最も重要である。実のところ、家計調査は、ある消費水準に達していない世帯がどれだけあるかなど、社会における生活水準の分布を直接に教えてくれる唯一の情報源である。

 

実際に行われている家計調査は、4つの側面から分類できる。

1.    標本抽出枠:調査が対象とするのは、一国全体の人口であったり、その一部である地域の居住者などであったりする。当然のことながら、調査の標本抽出枠が妥当であるかどうかは、そこから何を推測したいかによる。

 

2.    観測単位:世帯そのもの、もしくは世帯内の個人、あるいはその両方である。 「世帯」 とは通常、食事と生活を共にする集団として定義される。一夫多妻制をとる社会や(アフリカのサヘル地域の農村に見られるような)一般に複合共同生活が行われる社会など、しばしば世帯構成は複雑であり、1つの世帯とその他の世帯をはっきり区別することが難しい。ほとんどの家計調査は世帯構成員に関する何らかの情報を含むが、通常では消費は世帯レベルで集計されており、構成員それぞれの消費はめったに含まれない。世界銀行のLSMS調査などの例がある。

 

3.    時を経て観測の有無:短期間での1、2回のインタビューをもとにした1時点でのクロスセクションが最も普通である。パネル調査(経時調査ともいう)では、同じ世帯のメンバーがある期間にわたって再調査される。このような調査は実施するのが難しく、費用も多くかかるが、いつくかの利点がある。

 

4.    収集される主要な生活水準指標:実際に最もよく用いられる貧困指標は、世帯消費支出または世帯所得をもとにしている。いくつかの調査(例えば、インドネシアのSUSENASや世銀のLSMS)ではその両方を収集するが、その他の調査ではどちらか一方のみである (例えば、インドのNSSは所得源のすべては含まず、ラテンアメリカを対象とした利用可能な家計調査の大部分は消費を含まない)。所得の源泉や支出の項目について情報がないと、貧困に対する価格変化の影響の評価など、いくつかの目的に対して深刻な限界が生じる。

 

貧困分析に用いられる最も一般的な調査は、一国全体を代表とする標本を対象とし、世帯を観測単位とし (個人の情報も含まれることがある)、消費もしくは所得データを含む、1時点のクロスセクションである。

 

 

■ 調査の設計

調査が無作為でないとか、層化抽出などによるありうる偏りが是正されないとか、といった場合には、大きな標本でさえ貧困測定に関する偏りのある推計値を生じかねない。

 

無作為標本であるためには、全人口中で、もしくは層を構成する部分集団内で、標本に含まれる確率がすべての個人について等しくなければならない。この条件が満たされると、 「統計上の独立」 が保証される。統計上の独立は、標本調査に基づき母集団のパラメーターについての統計上の推測をする際に多く用いられる判断基準の大部分の基礎にある仮定である。

 

貧しい人々は、標本調査で適切にカバーされていないかもしれない。例えば、彼らは遠隔地に住んでいたり、あちこち移動したりするので、インタビューするのが難しいかもしれない。実際に、家計調査はホームレスのような貧困層の中の特定の部分集団を見落とすかもしれない。また、貧困の測定に用いられる調査のいくつかは、その目的のために設計されておらず、標本抽出枠が母集団全体に及ばない。例えば、労働力調査の標本抽出枠は一般に 「経済活動に従事している人口」 に制限されており、カバーされない貧困層が存在する。

 

調査について特に注意すべきなのは、標本抽出枠が母集団全体をカバーしているか、回答者に偏りはないか、すなわち、調査に協力するかどうか何らかの要因が影響していないか、ということである。

 

貧困や不平等を測定するときに深刻な問題となりうるのが、自然な反応としてある種の世帯が調査にあまり協力しないという 「回答者の偏り」(selective response)の問題である。富裕な人のほうが、調査に参加したがらない傾向があると予想され、その偏りを修正しないと、貧困率は過大に推計されてしまう。

 

単純無作為抽出法よりも費用効率の高いさまざまな標本抽出方法がある。層化無作為抽出法では、母集団中の部分集団が異なる(既知の)確率で選ばれ、各部分集団での標本抽出確率は等しい。インタビュー数を所与として、例えば、貧困が集中する地域において多くの世帯が標本に含まれるようにすることで、この方法で得られる貧困指標の推定値のほうが高い精度を持つようにしうる。これに対して、クラスター抽出法のほうは、クラスター内の調査対象世帯が独立であるとは言えないため、精度は低い。

 

同一の標本であっても質問票の設計によって得られる指標が影響を受ける。定性調査や予備検討(パイロットテスト)を行うことで、質問の内容、言い回し、順番、などが検証されるべき仮説に相応しくなるよう、調査設計を改善することができる。フォーカスグループでの討議も、適切な質問の作成など調査の設計段階で有効な方法である。素案を予備検討することは、質問票の設計においても不可欠である。

 

一般に注意されるべきことが一つある。貧困比較にあたり、標本抽出枠や質問票など調査の設計が、比較の対象により異なることがないかどうかに、注意を向けなければならない。質問の言い回しの違いや質問票の中で置かれる位置の違いがあると、結果は違ったものとなりうる。

 

 

■   財の範囲と価値付け

調査が対象とする財と所得源の範囲は、消費の測定には食料および非食料の両方を含み、所得の測定ではすべての所得源を対象にするなど、全体を含まなければならない。消費したすべての財・サービスへの金銭支出に加えて、家庭菜園で作られた食料や共有資源から得られたもの、自分の住む家の帰属家賃など、すべての現物所得からの消費の金銭価値も含められるべきである。同様に、所得の定義でも、現物で得られた所得も含むべきである。

 

現金給付以外の公共サービスの価値付けは、重要な場合もあるが、しばしば困難である。市場財の現物移転に関しては、実勢価格を価値付けに用いることが一般に考えられる。 (無料の公立の医療機関や学校のような)非市場財の問題はより深刻であり、広く受け入れられている方法はない。貧しい人々による公共サービスの利用を別にモニタリングすることが必要であろう。

 

家計調査が用いる厚生分析がよく直面する問題は、異なる分類基準が用いられ対応がつけられないなど、一貫した調査がなされていないことである。例えば、食料生産国における主要価格の変化が厚生に及ぼす影響を評価するには、世帯の消費支出の内訳を知るのみでは十分ではなく、世帯の食料生産についても知る必要がある。食料価格の変化が世帯の利益となるのか損失となるのかは、生産と消費のどちらが大きいかによる。もし、ある財を生産する以上に消費しているならば、その財の価格が上昇すると生活状況は悪くなる。

 

しかし、農村地域での家計調査では、農業生産のデータが含まれていない、あるいは、消費と生産で分類が異なっている、といったことが極めてよくある。このため、貿易改革のような政策の分析にとって、それらの調査は実際には何の役にも立たない (第9章で貿易政策についてさらに論じる)。

 

 

■   変動と測定の期間

時間に伴って所得が変動することが、一部の分析者が経済厚生の指標として現在の収入よりも現在の消費を好む理由の1つである。貧困層の実質所得は変動する (予想できる場合もできない場合もある)。これは、特に天水農業に依存する低発展の農村経済で顕著である。ある条件の下では、消費により、長期の富の収益によって与えられる恒常所得が明らかにされる。これはミルトン・フリードマンの恒常所得仮説の合意である (Friedman 1957)。

 

しかし、例えば、信用市場が十分に働かないなど、上記の条件が満たされないときでも、所得や直面する価格の変化に対して人々が消費を平準化する方法がある。貯金の取り崩しや、友人や家族に頼ること、などである。

 

この見解には、厚生の測定への2つの異なる合意がある。 ①現在の生活水準の指標として、現在の消費は、ほぼ間違いなく、現在の所得よりも優れている。そして、 ②長期にわたる厚生の指標として、現在の消費は理想とは言えないが、現在の所得よりは望ましい。消費は、過去、未来の他の時点における所得に関する何らかの情報を示すからである。

 

厚生の測定に所得よりも消費を用いる確たる根拠があるとしても、いくつかの要因のために現在の消費はノイズを含む厚生指標であることを忘れるべきではない。理想の平準化が起こる場合でさえ、消費はライフサイクル上で変化する傾向は残る。したがって、異なる一生涯の資産を持つ 「若者」 と 「老人」 の2つの世帯が、調査時においてたまたま同じ消費水準であることが起こりうる。

 

現在の消費と長期の生活水準の関係にノイズを持ち込む、その他の要因もある。世帯によって消費平準化の機会への制約は異なるかもしれない。一般に、非貧困層と比べて、貧困層は借入に関する選択肢が制限されている、と考えられている。

 

消費平準化とリスク分担の取決めは確かに存在するが、貧しい人々にとってどれだけ役に立っているかには議論の余地がある。貧しい農村経済におけるリスクと保険に関する文献は、3つの定型化された事実を示す。 ①所得リスクは広く存在する。 ②世帯の行動の一部は、所得リスクに対して消費を維持することに向けられている。 ③そのメカニズムには個人でのものと集団でのものの両方があり、後者は複数の世帯間での非公式なリスク分担の取決めからなる。

 

注意深い調査設計により、消費を推計する際の制度を高めることができる。購入頻度ごとに異なる対象期間を採用することで、一般により良い推定値が得られる。例えば、食料に関しては1週間、衣類に関しては3か月についての消費を訊ねるのが適切であろう。パネルデータがあれば、複数の時点における消費や所得の観測値を平均することができ、生活水準の推計にあたっての制度が高めることができる。

 

 

■   調査における測定誤差

所得や支出の調査に系統だった誤差があると、それらの調査に基づく貧困や不平等の指標が大きな影響を受けかねない。標本中の世帯により報告される所得に測定誤差があると、通常の不平等指標は過大に推計される。

 

統計調査では2種類の測定誤差が区別される。第一は 「項目無回答」 である。これは、調査への参加に合意した標本世帯が、例えば、公にしたくない所得項目など、特定の質問への回答をしないときに起こる。

 

第二の種類の測定誤差は 「世帯無回答」 である。一般に、拒否するか不在かで標本に含まれる世帯のうちある割合は調査に参加しない。調査によっては、無回答世帯に対する 「再訪」 や回答者に対する謝礼により、世帯無回答を避ける努力をする。にもかかわらず、この問題は実際には避けられず、無回答率が10%以上であることが普通である。

 

ある条件の下で、データを収集した後に、回答率の違いを勘案して調査結果を修正することができる。アントン・コリネックらにより提案された方法は、次のようなものである (Korinek et al. 2007)。調査に同意する確率が所得その他の変数によりどのように変わるかを推計するために、無作為抽出された標本中での調査回答率の地域による違いを用いる。地域により回答率が異なるために所得の推計値に偏りがありうることを考慮して、いくつかの条件の下で、それらの確率を推計することができる。確率が推計されると、データを再びウェイト付けすることにより修正することができる。

 

コリネックらは、調査に同意する確率は、所得が上がるにつれ単調に下がり、最貧十分位では95%以上であるが、最富裕層ではわずか50%である、ことを明らかにした。したがって、富裕世帯の観測値に対しては、貧しい世帯よりもウェイトを大きくする必要がある。この方法がうまくいく鍵となる条件は、各所得階層で、少なくとも誰か1人は調査に同意することである。

 

調査における所得の過少申告や無回答は、貧困と不平等を測定する上で重大な懸念事項である。誤差の程度が所得に関わらず一定であることはありそうもないので、相対不平等の推計に影響が出るであろう。豊かな世帯のほうが中間層や貧しい世帯よりも過少申告を行う傾向があるならば、均一倍率法を用いると分布の下側が 「過度に修正」 され、貧困が過少に推計されてしまう。

 

また、豊かな世帯のほうが調査に回答しない傾向があるようでもある。先に述べたように、このことが不平等の推計にどのように影響するかは、理論上は確定できない。アメリカに関する実証では、そのために全体の不平等が無視できないほどに過少推計されたことが示されている。これに対し、回答率が(所得に関わりなく)一定であると仮定すると、貧困率が大幅に過少推計される一方で、不平等指標における偏りは一切修正されない。

 

 

■   個人間の厚生比較

それぞれの世帯は、規模や構成、そして直面する価格、が異なる。このため、世帯支出が同一であっても厚生の水準は異なる。需要分析に基づいてこれらの違いを標準化するためのさまざまな方法がある。等価尺度、生活費指数、等価所得指標、などである。

 

厚生の測定についてのこれらの考え方の基本には、市場財への消費者の選好を明らかにするために需要パターンを用いることがある。消費者は効用を最大化すると仮定され、効用指標は、消費を価格、所得、世帯の規模と構成とに関連付ける。観測された需要行動と一致するように導出される。得られる世帯効用指標の値は、一般に世帯の総支出が大きいほど大きく、世帯規模が大きく、また直面する価格が高いほど小さい。

 

この方法の最も一般の定式化は 「等価所得」(equivalent income)の概念であり、消費者が実際の効用水準に到達するために必要とされる最低総支出として定義され、すべての世帯の効用は共通の基準価格と基準世帯構成に即して評価される。これは効用の厳密な金銭指標を与え、実際に、 「金銭表示効用」(money-metric utility:MMU)と呼ばれる。

 

極めて一般には、等価所得は、(貧困比較の対象領域で価格が異なる場合には)適切な価格指数と(世帯の規模と構成が異なるので)等価尺度の二つのデフレーターで標準化された(自家生産物の価格を含む)貨幣支出と考えられる。これらのデフレーターについて次節でさらに論じる。

 

行動に基づくこれらすべての厚生指標については、心すべきことがいくつかある。3・1節で論じたように、非市場財(環境特性、公共サービス利用、人口特性)が世帯間で異なるとき、深刻な問題が生じる。

 

市場財の消費は、これらの非市場財を条件としてのみ選好を明らかにするのであり、一般には、市場財および非市場財の両方の無条件の選好を明らかにすることはない (例えば、質が良くて無料の公共保健施設のある場所に住んでいるならば、民間保険機関に費やすお金は少ないであろう)。

 

市場財への条件付きの選好が観察されるとき、(非市場財を含む)すべての財への選好を表す効用関数でそれと整合するものは無数にある。したがって、観察された消費行動が特定の効用関数での最適解として説明されるとしても、その効用関数が厚生の測定にあたっても用いられるべきであるとする主張には、大きな無理がある。

 

家計調査の消費と支出は、消費をもとにした厚生指標を作成するときに最も広く用いられる基本のデータである。別個のコミュニティー調査(個別質問と同時に実施され、しばしば選ばれた調査地域で同じ面接員によって行われる)は、その地域におけるさまざまな財の価格や公共サービスの提供といった有益な補足データを提供してくれる。世帯レベルのデータと合致するコミュニティー・レベルのデータがあることによって、世帯の厚生を評価する上での正確さと範囲が格段に改善する。

 

 

3・3につづく