心事の棚卸 -4ページ目

夏休み 神戸と明石

朝6時半に起きる。


夜中に目が覚めてしまうし、一晩中眠りが浅かった。こういう旅の初日はいつもそうだ。でも体調はわるくない。


朝食前に舞子の海岸を疾走してみる。たくさんのランナーがいた。


ついでに五式塚古墳を見に行ってみた。走りながらの立ち寄りなので、大昔の王様に思いを馳せる余裕もない。


妻のお姉さんいわく、パワースポットらしい。


午前中、次女(10才)、三女(8才)とホテル内のプールで遊ぶ。幸せな時間だ。


長女(14才)はもう入ろうとはしない。


ホテルをチェックアウトし、三ノ宮に向かう。妻のお目当てのパン屋さんでパンを買う。


そのあとは、三ノ宮センタープラザのアニメイトでお買い物。僕以外。


神戸のMosaicをぶらつくが、娘たちはショッピングに興味なし。まあ、そうだろう。


そうだ、人生で2回目のタピオカドリンクを飲んだ。


早々にMosaicをあとにし、妻のお姉さん宅に向かう。新幹線が台風で運休になってしまい、泊めてもらうことになったのだ。


次女と三女は、お義姉さんの旦那さんにサーティワンアイスクリームをおごってもらった(トリプル!)。


夕飯は、たこ焼きや、豚肉の蒸し料理など。おいしかった。


妻の親族の思い出話に耳をかたむける。インコや文鳥を飼っていた話など。


僕の知らない妻の話。


夜も更けたので、僕だけ近隣のホテルに向かう。さすがにうちの家族全員がお世話になるわけにはいかないので。


ホテルについてひとりになると、ふぅと一息つける感じがした。

夏休み 神戸にいく

朝5時半に起きて、家族全員で神戸に向かう。


11時過ぎに須磨の水族館に到着。いとこたちと合流。


この水族館には、学生の頃に妻(当時は彼女)と来た。


ここの砂浜で、僕がノラ猫を全力で追いかけた思い出がある。妻に話したが、妻は記憶になし。そんなことするなんて、「ひどい!」とのこと。


シャチとイルカのショーは、妻も子どもたちも喜んでいて、よかった。


ショーが終わる頃に雷鳴がとどろき、突然の夕立の気配。逃げるように水族館を退散。


今晩の宿であるホテル舞子ビラにむかう。


舞子ビラ。20年前に僕が仕事で通っていたホテル。まさかそのホテルに、妻子と宿泊することになるとは。


しかもその最上階のすばらしい部屋が予約されていた。明石海峡大橋が見渡せる。


こんな未来がくるとは、びっくりですね、20年前の私よ。


夕飯前に明石駅のほうまで走ってみた。ときどき、20年前と同じ景色や建物にであう。


夕飯はすてきなビュッフェ。娘たちはアイスやスイーツばかり食べている。



ジョコビッチ対アルカラス

パリでオリンピックが開催されている。


男子テニスシングルスの決勝戦をみた。ジョコビッチ対アルカラス。


ほぼ3時間、片時も目を離せない熱戦だった。


互いにサービスゲームをすべてキープ。互いにブレークポイントを何度もしのぐ。ミスがあっても崩れない。


彼らの桁外れの集中力に全観客がのみこまれていく。


プレイが華やかだったのは、アルカラスだ。決まった、と思ったショットを何度も拾う。カウンターで見事なドロップショットを決める。相手が一歩も動けないウィナーで観客の喝采を浴びる。


でも、新進気鋭たる21歳のアルカラスに勝ったのは、37歳のジョコビッチだった。


何度アルカラスが拾っても、冷酷にすら見えるショットを正確に打ち込む。時にミスしても、吠えない。じっと、自制しているように見える。


マッチポイントで、ジョコビッチの鋭いフォアハンドがアルカラスの身体の横を通過した。


息の根をとめる、といった様相の瞬間だった。


ジョコビッチは天を仰ぎ、コートに崩れて身を震わす。しばらく動かない。


やがて、観客席に駆け上がり、家族のもとに向かい、娘を抱きしめて雄叫びをあげた。


圧倒されるシーンだった。


ジョコビッチの母国セルビアは旧ユーゴスラビアであり、長らく政情が不安定だったときく。


ジョコビッチ自身も砲弾の音を耳にしながらテニスの練習に明け暮れたと、何かの記事で読んだ。


この瞬間にたどりつくまでに、どれだけの困難を乗り越え、どれだけの犠牲を払い、どれだけの努力を積み重ねてきたのか。


試合は日本時間の夜12時過ぎにおわった。なかなか寝つけなかった。