怒りは、○○を守るために必要な感情です☆
>>このブログへ初めてお越しの方は、こちら(自己紹介)をどうぞ~~☆
またまた、私の自己改革プロジェクトによる、内面の変化のお話☆
今日は、
感情(特に怒り)を抑圧してる自覚がなかった → 感情を取り戻した
を解説します♪
私が心理学を学んだきっかけは、
うつやパニック発作などを起こす、自分の傾向を知って対策をしたい
ってことからでした☆
学んでみて、
心が病むいちばんの要因は、感情の抑圧である
ってことに気がついた☆
感情の性質や、付き合い方、処理のしかた、というのを、カウンセリング技術として学んでみて。
これだ!!!って思ったんです☆
感情を抑圧している自覚がなかったんです(;´▽`A``
自制心とか理性とか倫理観とか。
大人として、人として当たり前のことだと思い込んでいたことが。
ちょっと行き過ぎていて、自分の手枷足枷になっているんだってわかった☆
私が初めて受けたカウンセリングは、たしか
人に気を使いすぎるのを止めたい
っていうテーマでした☆
人に気を使うことがいけないのではなくて、やりすぎることが自分の首を絞めていて。
いきなり気を使わなくなるってところはハードルが高すぎるけど、やりすぎるところが普通になれば、ストレスは減るだろうと。
おそるおそる、受けてみた☆
で、その後も何度かカウンセリングを受けたのですけど。
悲しむこと、恐がることはできるのに、怒りの感情がものすごく苦手だってことを自覚したんです☆
出せない、という以前に、自覚する・感じることすらできなかったから(;´▽`A``
それまでの人生経験の中で、怒りを封印しちゃうことが私の戦略だったんですね☆
「自分が我慢すれば上手くいく」っていう、強い強い思い込みがありました。
でも、授業の中で、怒りってどういう性質・役割なのか、ってことを知ったので。
ここがまず乗り越えるところだな~~と思って。
で、私が怒りを抑圧し始めたルーツをたどってみると。
怒りは人を傷つける っていう強い強い思い込みがありました。
それは、周りの大人がヒステリックに怒って、感情をぶつけてこられた時に。
恐いのと、どうすればいいのかわからないので、我慢してしまったことからだったんですね。
怒りをぶつけられたことで、傷ついた。
これ以上傷つきたくないし、こんな思いを人にさせたくもない。
そう強く心に思った瞬間に、私の中で、それは生きるうえでの戦略に変わったんです☆
ちなみに、これは小学生くらいの記憶でしたが。
そう思い込むベースは、もっと早期の幼児期にできていました☆
三つ子の魂百まで、なんです^^
何かの拍子に、怒りを我慢しようと無意識に決めて。
感情に蓋をして我慢するうちに、どんどん鈍くなっていった。
そして、怒りがわからない人になっていました☆
怒らない人って、温厚で良い人だと言われるけれど。
その実態は、
都合よく扱われる都合の良い人
なんですね(;´▽`A``
こちらの連載コラムも、お時間あれば読んでみてください♪ >>いい人をやめよう☆
何しても怒らないから、都合がいいんですよ( ̄▽+ ̄*)
何しても、何言ってもニコニコして、やり返すことをしないから。
これでも許してくれるんだ?これでも?って、どこまでも相手に変に学習をされちゃうんですね。
イヤだ!とかやめてよ!って言えることはもちろんなんですけど。
内側で怒りを抑圧せず、いつでもスタンバイOKにしてあると、それはオーラとしてかもしだされますので☆
この人に変なことしちゃいけない、丁寧に扱わないといけないっていう雰囲気を醸し出すんです☆
人と人とは支え合い関わり合って生きているけれども。
自分と他人は別の人格だから。
共感することは大切だけれども、
自他の区別、境界線 っていうのは必ず必要なんです☆
怒りの感情は、この境界線を守る役目があります。
ここから入って来ないで!だったり。
侵入しすぎ!境界線まで下がって!だったり。
自分の心の安全を守るために、自分の尊厳が侵されそうになったら戦闘態勢に入る
ということが、境界線を守るためには必要☆
怒りをぶつける、というよりも、怒りをちゃんと感じて、自分を中心にドカーンと爆発させることで、自分を守る用意があるかどうか。
怒りの感情に対して、良くないイメージを持っていて。
抑圧して感じないようにしていたら。
境界線を守ることができなくて、どんどん侵略されて(させて)しまいます(;´▽`A``
さすがに我慢の限界がきたら、なんとかストレスの対象を排除することができたとしても。
もとはといえば、
自分の中にある怒りというものへのイメージ、扱い方、が原因
だから、そこが変わらない限り同じことを繰り返します☆
場所を替え、相手を替え、それでもやっぱり都合よく扱われ、怒りを抑圧してストレスMAXな状態まで自分を追い込む。
やっぱり、相手のせいにしていては、何も変わらないのです( ̄▽+ ̄*)
怒りは、自分の尊厳と境界線を守るために、必要な感情なのです☆
以前、暴言を吐く練習をしたってことを書きましたが。
>>正しい暴言の吐き方(笑)と、本当の「大人の対応」について☆
これはだいぶ後の話で。
怒りを感じないほどまでに抑圧していたので、まずは感じるところから、でした☆
リハビリみたいなものだから、形から入りました☆
体を使って表現する。
カウンセリングの中では、バットを使って、椅子やクッションを殴る、というやり方。
家では、壊れないもの(クッションとか)を投げる、など。
不思議と、体を使うと、感覚戻ってくるんですよ☆
まずは、安心安全な空間で、感覚を取り戻して。
日常生活に戻って、湧いてきた怒りにどう対処するのか、新たに学習し習慣として取り入れていく☆
地道な作業でした( ̄▽+ ̄*)
そうやって、怒りの感情を取り戻した私は。
都合よく扱われることはなくなりました☆
都合よく扱われそうになったら、しっかり察知して。 イヤなことはイヤだと表現するし。
境界線を侵されそうになったら、怒りを爆発させて守ります。
今となっては、私がいちばんの私の味方です♡
境界線については、またいつかお話ししてみたいと思います♪
怒り、大切ですよ~~!!!
またまた、私の自己改革プロジェクトによる、内面の変化のお話☆
今日は、
感情(特に怒り)を抑圧してる自覚がなかった → 感情を取り戻した
を解説します♪
私が心理学を学んだきっかけは、
うつやパニック発作などを起こす、自分の傾向を知って対策をしたい
ってことからでした☆
学んでみて、
心が病むいちばんの要因は、感情の抑圧である
ってことに気がついた☆
感情の性質や、付き合い方、処理のしかた、というのを、カウンセリング技術として学んでみて。
これだ!!!って思ったんです☆
感情を抑圧している自覚がなかったんです(;´▽`A``
自制心とか理性とか倫理観とか。
大人として、人として当たり前のことだと思い込んでいたことが。
ちょっと行き過ぎていて、自分の手枷足枷になっているんだってわかった☆
私が初めて受けたカウンセリングは、たしか
人に気を使いすぎるのを止めたい
っていうテーマでした☆
人に気を使うことがいけないのではなくて、やりすぎることが自分の首を絞めていて。
いきなり気を使わなくなるってところはハードルが高すぎるけど、やりすぎるところが普通になれば、ストレスは減るだろうと。
おそるおそる、受けてみた☆
で、その後も何度かカウンセリングを受けたのですけど。
悲しむこと、恐がることはできるのに、怒りの感情がものすごく苦手だってことを自覚したんです☆
出せない、という以前に、自覚する・感じることすらできなかったから(;´▽`A``
それまでの人生経験の中で、怒りを封印しちゃうことが私の戦略だったんですね☆
「自分が我慢すれば上手くいく」っていう、強い強い思い込みがありました。
でも、授業の中で、怒りってどういう性質・役割なのか、ってことを知ったので。
ここがまず乗り越えるところだな~~と思って。
で、私が怒りを抑圧し始めたルーツをたどってみると。
怒りは人を傷つける っていう強い強い思い込みがありました。
それは、周りの大人がヒステリックに怒って、感情をぶつけてこられた時に。
恐いのと、どうすればいいのかわからないので、我慢してしまったことからだったんですね。
怒りをぶつけられたことで、傷ついた。
これ以上傷つきたくないし、こんな思いを人にさせたくもない。
そう強く心に思った瞬間に、私の中で、それは生きるうえでの戦略に変わったんです☆
ちなみに、これは小学生くらいの記憶でしたが。
そう思い込むベースは、もっと早期の幼児期にできていました☆
三つ子の魂百まで、なんです^^
何かの拍子に、怒りを我慢しようと無意識に決めて。
感情に蓋をして我慢するうちに、どんどん鈍くなっていった。
そして、怒りがわからない人になっていました☆
怒らない人って、温厚で良い人だと言われるけれど。
その実態は、
都合よく扱われる都合の良い人
なんですね(;´▽`A``
こちらの連載コラムも、お時間あれば読んでみてください♪ >>いい人をやめよう☆
何しても怒らないから、都合がいいんですよ( ̄▽+ ̄*)
何しても、何言ってもニコニコして、やり返すことをしないから。
これでも許してくれるんだ?これでも?って、どこまでも相手に変に学習をされちゃうんですね。
イヤだ!とかやめてよ!って言えることはもちろんなんですけど。
内側で怒りを抑圧せず、いつでもスタンバイOKにしてあると、それはオーラとしてかもしだされますので☆
この人に変なことしちゃいけない、丁寧に扱わないといけないっていう雰囲気を醸し出すんです☆
人と人とは支え合い関わり合って生きているけれども。
自分と他人は別の人格だから。
共感することは大切だけれども、
自他の区別、境界線 っていうのは必ず必要なんです☆
怒りの感情は、この境界線を守る役目があります。
ここから入って来ないで!だったり。
侵入しすぎ!境界線まで下がって!だったり。
自分の心の安全を守るために、自分の尊厳が侵されそうになったら戦闘態勢に入る
ということが、境界線を守るためには必要☆
怒りをぶつける、というよりも、怒りをちゃんと感じて、自分を中心にドカーンと爆発させることで、自分を守る用意があるかどうか。
怒りの感情に対して、良くないイメージを持っていて。
抑圧して感じないようにしていたら。
境界線を守ることができなくて、どんどん侵略されて(させて)しまいます(;´▽`A``
さすがに我慢の限界がきたら、なんとかストレスの対象を排除することができたとしても。
もとはといえば、
自分の中にある怒りというものへのイメージ、扱い方、が原因
だから、そこが変わらない限り同じことを繰り返します☆
場所を替え、相手を替え、それでもやっぱり都合よく扱われ、怒りを抑圧してストレスMAXな状態まで自分を追い込む。
やっぱり、相手のせいにしていては、何も変わらないのです( ̄▽+ ̄*)
怒りは、自分の尊厳と境界線を守るために、必要な感情なのです☆
以前、暴言を吐く練習をしたってことを書きましたが。
>>正しい暴言の吐き方(笑)と、本当の「大人の対応」について☆
これはだいぶ後の話で。
怒りを感じないほどまでに抑圧していたので、まずは感じるところから、でした☆
リハビリみたいなものだから、形から入りました☆
体を使って表現する。
カウンセリングの中では、バットを使って、椅子やクッションを殴る、というやり方。
家では、壊れないもの(クッションとか)を投げる、など。
不思議と、体を使うと、感覚戻ってくるんですよ☆
まずは、安心安全な空間で、感覚を取り戻して。
日常生活に戻って、湧いてきた怒りにどう対処するのか、新たに学習し習慣として取り入れていく☆
地道な作業でした( ̄▽+ ̄*)
そうやって、怒りの感情を取り戻した私は。
都合よく扱われることはなくなりました☆
都合よく扱われそうになったら、しっかり察知して。 イヤなことはイヤだと表現するし。
境界線を侵されそうになったら、怒りを爆発させて守ります。
今となっては、私がいちばんの私の味方です♡
境界線については、またいつかお話ししてみたいと思います♪
怒り、大切ですよ~~!!!