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芥屋

ワンピースの王下七武海と歴史上の織田信長公を愛する自己満ブログ!!

上様関連の本を三冊連続でアマゾンで注文&購入しました。
まだ、どれも届いていません。
◎安土 信長の城と城下町―発掘調査20年の記録/滋賀県教育委員会
◎増訂織田信長文書の研究・下巻/奥野高広氏
◎織田信長ー中世最後の覇者ー/脇田修氏

「安土 信長の城と城下町―発掘調査20年の記録」は今度、安土城跡地に行くので少し勉強しておこうと思いまして…。
「増訂織田信長文書の研究・下巻」は高いので中々手が出せなかったのですが、余裕が持てたので、いよいよ買います。
もちろん上巻は購入済みですよw
伊達輝宗から立派な鷹や馬を貰ってすごく喜んでいる様子が伺える上様の手紙とか読んでいて和みます(*^^*)
「織田信長ー中世最後の覇者ー」これには織田政権が実際どのような政治を施行していたかという事が書かれているみたいですね。
題名にあるように「織田信長=最後の中世の覇者」なので脇田修氏は「信長までは中世的、秀吉から近世的になる」と唱える歴史研究家の様ですね。
谷口克広氏の新書にも名前が乗っていた気がします。
1987年と書物自体は古いですが、織田政権を知るためには手軽な本かな。

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古本屋で見つけたので購入してみました。

感想はどうも残念な感じですね。

明石散人氏は小説家ですからこういう事を言えるんでしょうね。

足利義教将軍こそ日本史至上の英雄だ!的なことを言いたいがために対象の信長公を過少評価している様にしか受け取れません。

足利義政将軍が優秀な方であったことは認めますが「無類の上」とは過大評価だと思われる。

「姉川の戦い」と「長篠の合戦」では信長は評価出来ないが家康は評価するというが・・・。

姉川の戦いで信長窮地なところを家康が救ったというのは俗説だと言われているんですが。

長篠の合戦にしたって家康の軍だけで武田軍を圧倒したというが、じゃあ何で家康公は信長公に援軍を頼んだんだよ!?

あの戦いは上様が雑賀衆の鉄砲戦を学んで馬防柵を作り、深い堀を掘り、独自の鉄砲隊を作り、根来衆という鉄砲のプロを率いていたからこそ勝てた合戦だと思うが。

実際、上様は本願寺との戦いで雑賀衆の戦法にかなり苦戦を強いられていたし。

使っている史料は「武功夜話」や「浅井三代記」とか今一信憑性の欠けるものばかりで、フロイスの「日本史」は信用出来ないと言い張るし・・。これだから作家さんは・・orz

江戸時代に上様は全く無視されていたというが、それは当たり前だと思う。

豊臣時代では秀吉が善で織田が悪。

徳川時代でも家康が神で織田は極悪。

というのが一般的だったんだから、江戸時代に上様の評価が低いのは仕方ないことだ。

寧ろ秀吉と家康は自分達をこの時代に正当化するために色々話を作って流行らせ、それが後世にそのまま伝えられたから秀吉と家康は人気を得られたわけで、今ではその話は色々研究された結果、嘘であることが判明されているんだが。

上述した「姉川の戦い」や「墨俣一夜城」などなど・・・。

しかも、この明石氏は途中で「信長が戦国における天才だったのは僕も否定しません」と言っておきながら最後は「信長は誰からも愛されない。誰も信じない。誰も信長を必要としない。全てに利用され、そして死んだ」と大したことない武将だった的な事を言って・・・・思い切り否定してるじゃん!?( ̄□ ̄;)

最後の最後で「信長ほど美しく哀しい武将は僕は知らない」とフォローのつもりか、よく分からないことを言ってるし・・・。

まぁ、真面目に受け取るほどの価値はこの本にはありませんが、こういう見方もあるのかと思えばなかなか面白かったです。

上様も人間であると教えてくれる本でもありますね。

今の世の中いたずらに信長公を天才だと言う人達も多いので、そういう意味では毒舌でもこういう本は必要かもしれませんね。


上様は明智光秀の娘・玉(後の細川ガラシャ)を「まるで雛人形のようだ」と可愛がっていたようです。
光秀婦人は病気になる前は美人だったらしいし、逸話で上様は光秀婦人を気に入っていた風もあったから、本当に美人だったろうなw
玉の夫になる細川忠興公も上様は初陣を見事に果たした彼にいきなり12万石も与えたり上様のお気に入りでした。
忠興公は信長死後に信長法名をつけて寺を建立したらしいし(今は廃寺)、忠興公も上様が好きだったに違いない(*^^*)
そして、この二人の仲介役を務めたのが上様なんだってw
どのように仲介したのか詳しくは知らないのですが、一体どんなんだったんだろう?
まぁ、忠興公は怖いくらいに玉を好きになってしまって、玉はあまり幸せな暮らしを過ごせなかったというが…(・ω・`)
ニコニコ動画で「織田信長」と入れて検索してみると、戦国BASARA3の於市のストーリーしかも、最終章があったので暇潰しに見てみました。
感想は…ええと、戦国は?って感じです。
「戦国BASARA」じゃない「デビルメイクライ」ですよ、あのゲーム!
本当にびっくりするくらい戦国時代関係無い。
戦国BASARAだから仕方ないとか言えるレベルじゃない!
制作者よ、織田信長を何だと思っている!?
こういうフィクションゲームは魔王信長というのを全面に出したがるけど、別にフィクションだから良いけど、限度というものがあるとは思わないのか!?
もう人外的じゃん!!
怖いよっっ!!(((・Д・;)ブルブル

まぁ、それでも嫌いにならないのが私の信長公に対する愛情の深ささ←
あれはあれで、結構面白そうではあるしな…。
最後は信長公と於市は一緒に地獄に戻った様です。
…うーん、やっぱり「デビルメイクライ」並みのホラー(?)ゲームだよ(・ω・`)
狩野永徳の絵馬には織田信長の教訓が伝えられている。

「人はただ気(木)を直に、へら(箆)を棄て、稼(蚊)げば、身(箕)を持ちあぐるなり…」

「竹べらのように曲がった気持ちを捨て、人間平常心をもって、日常生活を送ることが大切である」

↑は『考証織田信長事典』に載っていたものです。
安土城址に建つ總見寺に所蔵されている絵馬には上述した意味を込めれており狩野永徳が描いたもの。
それには上述した教訓が描かれていて、この教訓を上様は好んでこの言葉を口にしていたとのこと。
江戸時代までは教科書にこの教訓が載っていたらしいですが、今ではすっかり用いられなくなったそうで、この判じ絵があまり知られていないのは、講談や物語で誤った信長像が作られ、それが一般化しているためであると著者西ヶ谷恭弘氏は言っていました。
確かにあまり…というか全然知られていないですよね。
私も読むまで知らなかったです(^_^;)
しかし、さすが上様w
「心を曲げずに平常心に」というのが中々難しいということをよく理解されていたから、家臣たちに言い聞かせるように自分にも言っていたんだろうねww
偉いなぁ~(*^^*)
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読みました。
知名度は殆どない村井貞勝殿だけど、織田政権にこの御方は欠かせない。
高齢なのにも関わらず、しっかり「天下所司代」としての役割を果たし、上様の意図することを理解して、その意思に背くことなく忠実に仕事をこなした上、最期は本能寺の変で殉死した忠臣。
上様も尊敬するべき人だけど、この御方も尊敬するに値する人ですね。
ついでにこの本は道路整備や朝廷対策や官位を辞職した理由なんかも上様についても色々書かれているので勉強になります。
ところで織田政権では吏僚には知行地を与えていないと谷口氏が仰っていましたが、その代わりに「茶湯御政道」に基づいて村井貞勝殿はたくさん茶器なんかを与えられたんじゃないかと思って竹本千鶴氏の「織豊期の茶会と政治」を開いてみたところ、「朝倉義景の豊後天目」が与えられたのみでした。
…うーん、まぁ「茶湯御政道」も土地が限られているから知行地の代わりにと考えられたものだし…。
天下統一出来てないこともあって、まだ武将の力の方が強く、そっちを大事にしなければいけないという考えだったんだろうな。
それにしても、貞勝殿は高齢なのによく働いたなぁ。
感心します(^人^)
「この時分ハ、皆々子供迄なき申候ニ、かずさ殿の衆と申候ヘハ、子供なきやみ申候ほと、こわかり申候」

これは岡本保望という人が当時の人々が信長公をどの様に見ていたかを伝えてくれる一文です。
…でも、これって泣く子も黙る上総介衆ってあの泣く子も黙る遼来来と同じじゃないか!?

遼来来↓
「孫呉では泣く子供たちに張遼が来るぞ(遼来来)と言うと忽ち泣き止んだ」

この時代では既に三国志は浸透していたと思うので信長公の恐さを強調させるために用いたのかもしれない(あくまで推測ですが

実際に三国志の諺を用いたものはコレ↓

「死せる信玄、生ける信長を追い返す」

これは武田軍を滅亡に追い込んだ信長公が甲府へ赴き信玄の館へそのまま馬を乗ったまま入ろうとしたが馬は何を恐れたのか館に入ろうとしなかった、何度やっても馬は一向に進もうとしなかったため、信長公は仕方なく帰ったという意味です。
信玄公と信長公の因縁の話ですね。
まぁ、本当かどうかは知らないけど…。
でも、晩年に秀吉が寝ていると夢の中に信長公が現れて秀吉を地獄に連れていこうと秀吉の髷を引っ張り振り回した。朝になり秀吉が目を覚ますと体が何かに引っ張られたかの様に布団からはみ出ていたため秀吉は青ざめた…。みたいな因縁話も伝えられていますので本当にあったかもですね(^3^)
8月11日に安土城跡地へ行きます(・ω・ゞビシッ!

休みだと決まったら即決で安土城行き!!←

わぁー夢にまで見た安土城跡!(そこまで?
今度は泊まりで行こうかな。
その方が時間を気にせずゆっくり見られるよねw
次の日は仕事だけど朝早く起きて帰れば、全然余裕だし♪
一泊だから最低限の荷物を持って楽に旅をしよう。
よし、そうしよう(・∀・)

お菓子を買いにコンビニに行ったらこんなものを発見!!

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「戦国100名城」定価600円。

当時のお城の様子が全頁カラーで紹介されていて、私の様なお城初心者には丁度いい感じの本かと思います(^∇^)

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気のせいかもしれないが安土城が一番豪華に描かれている気がする!

ていうか、日本一の豪華絢爛の名城だもの。

大阪城は安土城以上なんて言うが秀吉と信長公じゃ、そのセンスが違いすぎる。

美意識の強い信長公の安土城の方が何倍も魅力的だと思う!

そもそも「平安楽土」から字をとって地名を「安土」と変えるという時点で信長公と秀吉のセンスの差は圧倒的!

ああ、やっぱり良いな!安土城!安土城!

よく考えたらルイスが絶賛して、ヨーロッパにも伝えられて、「火天の城」で映画化までしたんだよね、安土城は!

もう大人気だよね、安土城は!!

だからさぁ、復活してくれないかなぁ~

日本一の名城の復活は信長ファンだけじゃなく、歴史ファンや城マニアが望んでいると思うのだが・・・。



いやぁ、意外と熊本までの旅は長かったですね。

二、三回くらい乗り換えるからそう感じるのかもしれませんが・・・。


さて、熊本駅から市電で熊本城へ!

つか、道路に電車走っているのに感動した≧(´▽`)≦


降りると殆どすぐに清正公がお出迎え!

芥屋

・・・ごめんね。

行く前貴方のことを調べるとか言っておきながら、信長公の本しか読んでいなかったよ(-。-;)

でも、えらい格好良いな!惚れ惚れします(≧▽≦)

まぁ、信長公には敵わないが・・←

芥屋

熊本城をバックに「二様の石垣」。

すっごい高かった!こんな「武者返し」猿でも登る気失くすよ。

芥屋

そして、「大小天守閣」!!

別名、「兄弟天守閣」!!・・・とは言わないよ(笑

熊本城自体は別名「銀杏城」って言うらしいけど。

いや、もう素敵ですね!何という雄雄しい姿か!

圧倒されます!間違いなく名城!

この熊本城と比肩しえるのは今まで私が見てきた城の中では名古屋城でしょうね。

悔しいが清洲城や岐阜城では熊本城とは並び立てれないorz

安土城が奇跡的に復活すれば熊本城どころか日本一の名城になりそうですが。

だって、ルイス・フロイスが安土城を見て「ヨーロッパの一番大きくて立派な城と比肩しうる」って言ったもん。

・・・・・・ああ~安土城(´・ω・`)

芥屋

ちょっと、飛ばして「本丸御殿大広間」!

確か清正公が秀頼公の為に用意した広間だとか。

素敵だが、こんな部屋私は落ち着けない。

この後、「数寄屋丸」、「宇土櫓」、「飯田丸五階櫓」などを見てまわりました。

私なんかは櫓の方が落ち着く(嗚呼、庶民

今日は日帰りなんでこの程度ですね。

いや、でも思っていた以上に楽しかった!

まだ見れていないとこもあるので、またいつか行きたいと思いました!

終わり!!(作文か