芥屋 -6ページ目

芥屋

ワンピースの王下七武海と歴史上の織田信長公を愛する自己満ブログ!!

今日のニュースでまた「戦国武将ブーム」の話題。
今度は長野県。
長野県と聞いて直ぐに上田城を思い浮かべ、今度は真田か!
と思ったら案の定「真田幸村ブーム」の特集でした。
いやぁ、みんな楽しそうに幸村ブームを満喫してましたね。
まぁ、それを観ながら私は『何で誰も幸村を信繁って呼ばないの?真田幸村なんて殆ど虚像じゃん!本当にスゴいのは父親の真田昌幸だよ?信繁は親の七光りだよ?大阪の陣の徳川本陣の突撃だって毛利勝永の活躍があってこそだろ!信繁はそれに続いただけなのに何で全部信繁一人頑張ったことになってんだぁぁぁあ!?』
…と心の中でツッコミました。
私は、真田幸村でなく真田信繁の方が好きなのに…。てゆうか、こっちが本物なのに…。
せめて幸村でなく信繁と呼んでほしいよ。

あ、今度「名将の采配」で長篠の合戦やるね!
「名将の采配」観たことないけど、上様関連ならば絶対に観なくては!!←
すっっかり放置してますた(>_<)スマーン!

ペタ返しもせず本当に申し訳ありません!!

そして、今日ブログに書く事は上様とは関係ありません(ええぇー

『本当にあった怖い話』

を映してあったので昨日、観ました。
私怖い話とかお化け屋敷とかもう大好きで!!
むしろ怖い話を聞いても観ても怖いとか殆ど思わないで面白いと笑ってしまうんですよねw
『呪怨』とかのホラー映画でも夜中一人笑いながら観てました(・∀・)なはっ
で、本怖は…今回面白くない(=怖くない)話ばっかりだったけど、一つ「開かずの扉」ていう寺の話はなかなか面白い(=他の人には怖い)と思ったので、夜に帰って来たオカンに見せてみると「気持ち悪い」、「怖い!」、「キャァァ!!」
…と、面白いくらいに怖がっていたのでそれを見て私はまた爆笑ww
いやぁ、怖がる人を見るのが一番面白い(^O^)←
「信長公記」は上様の家臣である太田牛一が記したものである。
現在、「信長公記」は一級史料として扱われている。
確かに小瀬浦庵の「信長記」や「浅井三代記」や「明智軍記」などの史料は「信長公記」に比べると、脚色や創作されているところが多くあり信憑性に欠ける。
「信長公記」はそういった脚色や創作の部分が少なく、贔屓な部分もあまり無いので現在の信頼を得ている。
上様の生涯を知るにこれ以上の一級史料は無いと思うし、「信長公記」を残してくれた太田牛一には本当に感謝しなければならない。

だが、しかし!
「信長公記」に書かれているからと言って、それを全て鵜呑みにしてしまってもいいのか!?
例えば「竹生島の侍女殺害事件」。
上様が竹生島に行き留守にすると、上様は今日は帰らないだろうと思っていた侍女たちは仕事をサボって桑実寺に参詣に行ったりしていた、しかし上様は帰ってきて部屋が散らかり侍女たちがいないことに激怒して、侍女たちを桑実寺の坊主もろとも縛り上げ殺害した。
少し言葉が足りないところもあるけど通説で語られる事件は大体こんな内容である。
この事を伝えているのは他でもない、一級史料の「信長公記」。
しかし、矛盾が生じる。
「もろとも殺害された」はずの坊主は本能寺の変後も生きていることが確認されています。
作家の遠藤周作氏はこの事を桑実寺の方に直接聞いたところ「そんな事実はなかった」と言ったそうです。
確かに「信長公記」でも「成敗した」と記されていますが「成敗」とは必ずしも死罪を指しません。
侍女を殺したという的確な記録はありません。
当時「縄目」という仕置きがあったので殺害までには至らなかったという説が有力だと私は考えています。
しかし、史料絶対主義の歴史研究家なでは「殺害した」と言い切ります。
こういう方々は自分の足でそれが真実か否か確かめないのだろうか。
当時の人達が書いた史料のみを歴史だと言うのか。
紙の上に書かれたものだけが真実だと?
しかし、史料を記すものはあくまでも人間であり、完璧に正確というのは有り得ないと思う。
太田牛一だって「信長公記」を書き始めたのは歳を取ってからの話である。
記憶違いや多少の膨張を加えた事があっただろう。
現に有名な比叡山焼き討ちは「信長公記」では『根本中堂・日吉大社を始め、仏堂・神社、僧坊・経蔵、一棟も残さず、一挙に焼き払った。煙は雲霞の湧き上がるごとく、無惨にも一山ことごとく灰塵の地と化した』とあるが近年の発掘調査では焼かれたのは根本中堂と大講堂くらいで昔からの遺物がたくさん残っていることが明らかになっています。
実際に殺された人数もかなり膨張されて伝わっているのです。
こうした事実もあるので、「信長公記」は一級史料であることに違いはありませんが全てをそのまま鵜呑みにするのは危険だと思います。
しかし、史料絶対主義の歴史研究家はそれを認めようとはしてくれません。
私からすれば、どうしてそんなに史料のみを信じられるのか、どうしてそんなに視野が狭いのか…不思議でなりません。

とは言ってもこうした歴史研究家の方々のおかげで分かりやすく歴史を知ることが出来るので感謝しなければならないのですがね。
「Yahoo!知恵袋」で気になる記事を発見!↓

『あまり知られていないことだが織田信長は毛利元就を尊敬していたとされる。元就が死んだとき香典を使者に渡して毛利へ行かせている。(中略)元就に会ったことのない信長だが毛利と行き来する使者にしきりに元就はどんな人か詮索したという。元就は筆まめな人で公方や朝廷に文通が多く、信長は元就の手紙を入手すると祐筆に分析させたりした。
織田の祐筆は元就の手紙を分析して評するに元就はやたら長い文を書き、同じ文を繰り返すため文章の分野に限って言えば大した人物ではないのでは?と。だが信長は手紙ごときで元就を貶してはいけない大変な戦術の達者な武将で自分が劣勢の桶狭間の合戦を凌いだのも、元就の多くの戦闘の伝え聞くやり手を参考したものだ、と言ったという』

最後まで毛利元就と友好関係を築いていたのは知っていたけど、尊敬していたというのは全く知らなかったです。
ノブヲタと豪語しておきながら、なんと無様な(・ω・`)
上様の謀略術も多くは元就から学んだものなんだろうか…。
元就が死ぬと毛利は同盟破って敵対することになるけど、同じように同盟を破った武田軍を許さなかったのと違って最後は和睦しようとしたのは元就に対する想い…だったりするのかな。

…と言っても、上様が武田軍を許さなかったのは武田信玄の外交に問題あったからなんだけどね…。
それに、実際は武田軍を殲滅したのは、ほんの一部だと言うし。
殆どは裏切って織田の下に着いたらしい。
さっきテレビで「伊達武将隊」が紹介されてましたよ!!
おぉー!見事に「名古屋おもてなし武将隊」のパクりだな!
まぁ、それ以外に活動のしようがないしね。
面白そうだけど、特に伊達一派好きじゃないし…。
もしも「名古屋おもてなし武将隊」と共演するなら見に行きたいと思うけど…。
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「信長ミステリー天下布武と御馬揃えの秘儀」太田晴久。
感想は歴史学者の方が読んだら失笑すること間違いない本なんですが、著者はそれを承知の上で自信満々にこれを書いている様です。
歴史研究者や歴史小説家の通説は信じられない、何故なら彼らは信長史料について誤読していることに気づいていないと言い切ってます。

本の中では馬揃えなんかはイエス(信長)を復活させるための儀式だと言って、信長は復活したイエス・キリストでヴァリャーノなどのイエスズ会はその弟子なのであると言ってます。
うーん、でもフロイスは後の方で信長公の悪口みたいなのも言ってますよね?
はっ!まさか、これは信長公=イエス・キリストという事実をカムフラージュするため!?
いや…さすがに無いかな。歴史は真実が分からないから面白いとも言えるけど、確かにこういうミステリーは面白いけど…。
でも、「バロック王織田信長」の著者・渡辺豊和氏も「信長はイエスだったかもしれない」と言っているみたいで…。
信じるか信じないかあなた次第!←
…いつか、やりすぎコージーの都市伝説で関がこの話を力説していたらどうしよう(・ω・`)
まぁ、番組でやるには証拠が微妙過ぎるかな…

やっと安土城の感想が書けます(^∇^)

紹介したい写真がたくさんあるので二つか三つかの記事に別けます。

という訳で第一弾「平安楽土へ」。

芥屋

安土駅に着くと信長公のお出迎え!!

いやぁ、もう格好良いですな(≡^∇^≡)

安土駅まで長いので若干疲れていたのですが、この銅像を見た瞬間そんなものは吹き飛ばしました!

本当に素敵です!上様!!

芥屋

安土城城郭資料館の安土城とその城下町の絵。

この絵だけ何枚も撮りました(・∀・)

すごく綺麗で見とれてしまいます。

あのお城の下で集まっている人達の中に上様が居てみんなに安土城を紹介(というか自慢?)している様子が描かれています。

この隣の京都の絵の中にも相撲を見て楽しんでいる上様たちの様子も描かれていました。

この絵の扇子も買いました。飾る用のものです。

芥屋

そして、ミニチュア安土城!!

これ・・これ・・・もの凄く欲しいぃぃぃぃ!!!!

いーな!いーな!誰かこんな感じで私の為に安土城を作ってくれないかな?

前にディアゴさんが「週刊安土城を作る」って出していたけど、あんなの素人じゃとても無理だし、唯でさえ私は手先が不器用だから尚更、無理!

誰が作ったものをタダで私に譲ってくれないだろうか(もっと無理

芥屋

あーもう本当に豪華絢爛!!

上様の芸術的センスに脱帽だヽ(゚◇゚ )ノ

ヨーロッパ以上の唯一の日本の名城!!模型でも十分にそれが本当だったという事が分かりますよね!!


次回は信長の館での写真を載せます。ではっ(`・ω・´)ゞ

はぁー…今はホテルでゆっくり休んでいますが、今日は疲れましたわ(´Д`)
もちろん、ものすごく楽しかったのですが…
安土城祉への登城…めっっちゃキツイ(>_<)
全ての感想は後日ゆっくり書きますが、もう足がブルブルなってたもん…
きっと、明日は筋肉痛だなぁ~

「安土城城郭資料館」での信長検定で全問正解しました(´∀`)
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さすがノブヲタな私w
まぁ、超簡単な信長検定なんで少し信長公を知ってれば誰でも解けちゃうと思う。
全問正解したらポストカード頂きましたww
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今から安土へ旅立ちます(・ω・´)ゝビシッ
台風が少し心配なのですが…
なんの!雨にも負けず、風にも負けず!嵐にも負けないさ!
だってそこに安土城祉があるから!←











…無事に着けるといいな
(・ω・`)
あわわ…!少し放置してました(^_^ゞスミマセン
本を買いすぎてまだ読みきれていない私…。

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もともと、読むのも遅い方なので時間が掛かります。
この間もまた谷口克広氏の新書を三冊ほど買ってしまったし(まだ読んでない
しかも、友達が「戦国BASARA3」をこの時に貸してくれて、それもやったりして…。
趣味が忙しい(・∀・)←
戦国好きでも「戦国BASARA3」みたいなゲームを嫌う人もいますが別にフィクションと考えれば普通に楽しめますよw
まだ二人しか終わらせていないけど…。

本は脇田修氏の「織田信長」はとりあえず読み終えました。
私はこの本書に全面的に納得出来ます。
『信長は近世的政策を打ち出したけど、まだ中世の時代は厳しく、織田政権は中世を抜け出すことが出来なかった。信長といえば強引に改革を進めて中世を壊した破壊者の様に思い浮かべられるが、実際は楽市楽座も関所撤廃も不徹底で寧ろ座を安堵した方が多い。
それはまだ時代が近世的改革の機が熟していない為でもあったが、それでも信長が近世的改革の先駆け者であったには違いない。』
こんな感じで脇田修氏はまとめてます。
谷口克広氏も『信長は現実に妥協しながら少しずつ改革を推し進めるというスタンスをとっていた』と言っていたし、奥野高廣氏の「織田信長文書の研究」でも充分にそれが分かるので、織田政権は時代を先駆けたが世の中は厳しく近世的世を作り出すまでには至らなかったという脇田修氏などの論文は先ず間違いないと思います。