芥屋 -11ページ目

芥屋

ワンピースの王下七武海と歴史上の織田信長公を愛する自己満ブログ!!

いつかはやると思ってた。

いつかはやられると思ってた。


「伊達武将隊」見参!
八月出陣!!


詳しくはググってみて下さい!
今や名古屋の「おもてなし武将隊」の人気は半端ないですからね。
それをパクった「伊達武将隊」!!
絶対、パクられると思ってたけど。
しかし、これ「伊達武将隊」の出陣を切っ掛けにまた他の地方がパクって「武田武将隊」、「上杉武将隊」、「真田武将隊」…と次々に現れて違う意味での群雄割拠になってしまわないだろうか?
まぁ、さすがにそれはないかな。
いや、今の戦国ブームは中々侮れないからなぁ…。
寧ろ、「名古屋おもてなし武将隊」と「伊達武将隊」でコラボすれば良いと思いますw
かなり盛り上がるだろうなぁ~♪
しかし、宮城県の人達は「名古屋おもてなし武将隊」の人気を越えると意気込んでいたけど、「伊達武将隊」って伊達一派のみだから「名古屋おもてなし武将隊」には勝てない気がするな…。
まぁ、伊達ファンは狂喜乱舞なニュースでしたね。

私は自称ノブヲタ(信長オタク)なんですが、まだ「おもてなし武将隊」の信長さまにお会いした事ないんですよね(;ω;`)
是非とも会ってみたいのですが…。
名古屋は遠いです…(泣
24日の昼頃に本屋に行ったのですが、その時見つけた「本能寺の変の謎」米田何とか氏の本の内容が正直ヒドイものでした。
パラパラしか読んでいませんがここは絶対違うと私が思ったところを反論してみます。
・明智光秀が謀反を起こしたのは信長公が非戦闘員を大量に殺したから。
・明智光秀は常識人で(心が)綺麗な人だった。
…いや、正直反論するのも馬鹿らしいのですが…。
先ず当時の常識を知っていますか?と聞いてみたいです。
光秀を常識人と言うのは一向に構わないのですが、その常識って現代の常識と照らし合わせていませんか?という話です。
現代の常識と戦国の常識は全く違います。
現代の常識でこそ「非戦闘員を殺すなんて最低!」なんて言われますが…。
戦国の常識では別に「最低」ではありません。
何故なら、その非戦闘員は敵国の非戦闘員だからです。
当時の常識では進攻してきて国の非戦闘員を殺す相手が悪いのではなく、進攻を許し非戦闘員を守りきれなかったその国の殿様が悪いのです。
当時、殿様が領国の民を護るのは義務なんです。
何がなんでも自分の国の民を守らなくてはならないのです。
信長公は多く非戦闘員を殺したかもしれませんが、それは敵国の非戦闘員だけであり、それは自分の領国の民を護る為の最善の方法なのです。
そして、それが常識の戦国時代です。
明智光秀が常識人だと言うのならそれは戦国時代での常識人なのです。
光秀の場合、比叡山焼き討ちに反対する所か、逆に積極的に作戦実行の為に頑張ってました。
そして、信長公の命令通りに皆殺しにしたので、その功績を高く評価され比叡山麓にあった坂本城の城主になりました。(羽柴秀吉などは女・子供をこっそり逃がしていたので評価は低かった様です)
光秀が何故、皆殺し出来たのか?
それは光秀が現代での常識人ではなく戦国での常識人だからです。
この場合、焼き討ちにされて非戦闘員を殺されたのは護る所か逃がす事さえもしなかった比叡山側が悪い訳で光秀は少しも悪いとは思っていないでしょう。
当たり前です。
殺らなければ殺られる時代な訳で織田家やそして自分や家臣・家族を護る為にやった事なのですから。
それなのに、現代的意味の常識人と言って明智光秀を評価するのは間違ってます。
光秀が現代的に近い常識人だと言うなら、比叡山焼き討ちを本当に悪いと思って出家して織田家から去るでしょう。
そして、明智光秀も織田信長公も戦国武将で有る限り多かれ少なかれ非戦闘員を犠牲にしている訳で心が綺麗とかそう言う事じゃないと思います。
両人とも基本的には優しかったと思いますが…。
そして、最後に指摘するなら米田氏この本を出すに至って史料が乏しくないですか?という話。
しかも、その中に「武功夜話」が入っている事は問題です。
まぁ、これが偽書だと気づいたのは結構、最近だったので知らないのかもしれませんが…。
偽書は偽書なんです。
読み物として読んだり、フィクションの時代小説を書くのに使ったりするのは全然、良いのですが…。
こうして史料として使うのは問題です。
まぁ、自称歴史研究家みたいですが、この程度の知識で認識で歴史研究家と名乗れるのならば私も歴史研究家と名乗っても良いんですか?コノヤロー!って話でした(*^^*)
信長公は戦国大名なので軍事的なものが評価されてばかりですが…。
彼の文化的な部分も評価するべきですよね。
だって彼ほど武将でありながら文化人として名を挙げてる人も居なくないですか?
まぁ、朝倉義景や松永久秀なんかも武将でありながら文化人なイメージではありますが…信長公は文化を築いた人ですからね。
茶道は信長公が知る前からもちろん行われていた訳ですが、その茶道に熱中し、茶器に付加価値を見出だして政治的にも利用した為、戦国では茶道が大ブーム(?)になりましたよね。江戸時代でも褒美として茶器が与えられたりしていた様ですし。現代の茶人・江口浩三氏が『茶人織田信長』で評価してますしね。
相撲に至っては弓取りの儀式やあの丸い土俵は殆ど信長公の考案なので相撲そのものを信長公が作り出したと考えてもいいんじゃないでしょうか。
更に城作りの際の石引きで大人数で石を引っ張って石の上に乗って踊ったり、その周りで太鼓を叩いたり、笛を吹いたりするのも信長公がやり出したもので今でお祭りの時に神輿を担ぐのもそれが大元になったと言います。
信長公が居たから今でも盛んに行われてる文化や伝統があるんですよね。相撲なんかは特に。
素晴らしいですね!
また一層信長公に敬意を示したいと思います(*^^*)
ドラマや小説では本能寺の変の際に濃姫様が武器を持って夫の信長公と一緒に戦う場面があったりしますが…まぁ、あれは残念ながら創作です。山岡荘八氏が「織田信長」でドラマチックに書いたものです。
しかし、武器を持って戦った女性は確かに居た様です。
その名は「お能の局(おのうのつぼね)」。
明智光秀の推挙で信長公に仕える様になった侍女。
私は側室として紹介されたと聞いたことありますが…どうなのでしょう?
彼女は本能寺の変で十文字槍を手に取り戦って討たれたと言われてます。(死なずに逃れたとも言われる)
この人こそ山岡荘八氏の濃姫様のモデルになった人です。
普通女の人ってこういう場合は特にいち早く逃げたがると思うんですけどね。
ああ、でも「信長公記」では信長公の侍女達はいち早く逃げようとなんてしなかったものね。健気で素敵だww
そして、そんな健気な彼女たちに「女は苦しからず外へ罷り出ませい」と思いやって逃がしてあげる信長公も素敵だ(*^^*)
信長公は家臣にも優しいところが沢山あります。
・松井友閑が腫れ物が出来た時、心配して宣教師に医者を寄越す様に切実な気持ちで直に書状を送った。
・また明智光秀が重病に陥った時もわざわざ使者を送って見舞い。光秀が天王山城で囲まれて危機一髪だった時、信長公が先頭に走って銃弾を受けながらも助けに向かった。
・細川忠興の初陣を評価して12万石を与えた。忠興は感激して、ご恩は一生忘れません!と言った。そして、信長公は「倅めが、吠えおるわ。誠に恩を忘れ間敷者ぞ」と忠興の額を小突いた。
・秀吉の妻・ねねが夫の浮気に耐え兼ね信長公に相談する。後日、信長公はねね宛に手紙を書く。文字は女性にも読みやすい様に平がなで。内容は最初にねねを褒め、秀吉の浮気に言語道断であると言いながら、ヤキモチを妬いてはいけないと信長公の優しい心遣いが伝わってくる書状。
・安土城で宴会を開いた時も信長公が家臣達一人一人に話しかけ、利家の番になると「稲生の合戦の折、こやつは十六、七の若造だったが、敵の勇士宮井勘兵衛なる者を討ち取った。おれがその首を馬上で掲げて、『皆見よ、犬千代が手柄を挙げたぞ。これに負けずに皆も励め!』と言うと味方は奮い立ち、敵より少勢ながら勝つことができた。おれが今日あるのも、こいつのおかげよ」と言って利家を誉めた。
(これは利家が鶴の汁が嫌いになったエピソードの中のものなんだけどねw)

基本、優しい人だったと思うんだ身内にも家臣にも領民にも。
厳しいとこも確かにあったけどさ。
一般的イメージの冷酷非情な魔王というのは絶対に間違ってる!!
にも関わらずそんな嘘が世間では真実として広まっている。
信長公を調べて驚いたのが、彼が下戸で甘党なこと。
だって、ドラマや小説なんかじゃ、いかにも酒豪みたいなイメージじゃないですか。
ところがルイス・フロイスは「彼は酒は飲まない」って残しているし。
事実、信長公は干し柿や金平糖みたいな砂糖菓子を喜んで食べてたみたいです。

何というギャップだろうか…。
しかし、可愛いと思ってしまうミルフィでした(*^^*)
野間藤六
経歴不詳の人物である。知多半島の野間出身でいわゆる御噺衆の一人。

信長公、馬上にて、ひたもの御睡りありつるを、沼(野間)藤六がおどろかし申せば、「ここはどこぞ」。
「右は六条、さきはとうふくじ」と申したりつるに、
「あのしらかべかや」と。

しらかべは豆腐の異名で、とうふくじ(東福寺)と豆腐喰うじにかけているのである。
元祖ダジャレ王な信長公の話(笑
他にも加藤という家臣の名字をかけて…
「戦に加藤(勝とう)!」
と言ったとか。
親父ギャグだよね(笑)
結構、人を笑わすのが好きだったのかな?(*^^*)
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/

こちらは明智光秀のご子孫、明智憲三郎さんのブログです。
明智憲三郎さんは本能寺の変についての本を出して真実の信長像、光秀像を書いてくれています。
そして、ブログの方でも通説・俗説・虚説を斬る!という方向性で本能寺の変の怨恨説や野望説などをズバリ斬ってます。
よく調べて述べてらっしゃるのでなるほどと納得出来ます。
個人的に嬉しかったのは信長公の冷酷・苛烈な性格について否定してくれた事ですね。
明智光秀の子孫というから信長公の事を悪く書いているんじゃないかと思っていたのですが…。
明智憲三郎さんを疑ってしまった自分が恥ずかしい…(-_-;)
今度、明智憲三郎さんの書いた『本能寺の変の真実』も買ってみようと思いました!
それにしても、豊臣秀吉は本当に腹が立つな!!
「第六天魔王」と言えば恐らく誰もが「悪魔」の様なイメージを持たれていると思われますが…。
実際は様々な神様の一人なんだそうです。
「他化自在天王」と言います。
人界・天界さらには地獄界まで全世界に自由自在に楽しみを与え、不幸な人々を幸福にして喜ぶ高尚な趣味の持ち主と言われています。
それが何故仏教において「悪魔」扱いなのか?
それは「他化自在天王」というのは欲望の神様だからです。
彼は滅私奉公で人々に幸福を与えますが、そのせいで人々は自分を磨くのを忘れ怠けてしまいます。
仏教は欲望を捨てて仏になるのが幸せですから、その妨げとなる「他化自在天王」はそういう人達にとっては神様であり悪魔である。

信長公も人々に幸福を与えるのが幸せだと考えていた様です。
自分自身にではなく先ず他人に幸福を。
それで仕事に達成感を持つようにした様です。
しかし、必ずしもそれが正義でなく、別の側面から見ればとんでもない悪行と評価されます。
名君とはそういう矛盾した二面を持つもの、だそうです。